2006年1月2日(月)

ホテル(0750)(0810)空港(1025)EK 0962+1時間(1350)ドバイ(1454)(1508)ホテル(0000)(1210)空港(0250)EK 0316・18AB・+5時間(1645)関西空港

12.1 出発

 6時半に朝食を摂り、7時50分にはホテルをチェックアウトして空港へ向かった。空港には8時10分に着いた。我々は寒いので上下ヤッケを来ていたが、こちらの人も分厚いコートを着ていたので、これが普通なのだろう。
 しばらく待合室で待ってからようやく手続きに入った。

12.2 機内 EK0962 37AB(10:25発 13:50着予定便)

 9時30分に搭乗し、10時20分に離陸した。いろいろあった旅もようやく帰路につくことになった。1時間ほどすると、昼食が出た。
 ここからUAE時間なので+1時間。
 13時40分にドバイに着陸した。前回のことがあるので心配したが、予定より10分早い到着となった。

12.3 ドバイ 13:40〜  ホテル着15:08 〜02:30

 夜の出発までホテルを取ってあるので、ひとまずそこへ向かうことになった。スーツケースを受け取ってからバスに乗り込んだ。ドバイは大都会で道もビルも新しい物のようできれいだった。そこでも日本車がたくさん見られた。ただ、イエメンほど日本車だけという感じではなかった。
 入国手続きなどをしていたので、ホテルに着いたのは15時8分になっていた。それからオプションで市内観光というのが設けられていたが、希望者が4人と少なかったので不催行となった。実はこれも不満の残る点だ。次は出発前に旅行社に問い合わせた内容だ。

 『質問→最終12日のドバイ滞在時にはオプショナルはありますか?また、個人的に歩き回れる場所にホテルはありますか?』
 『A.添乗員が必ずご希望のお客様にはどこかしら案内させて頂いてます。』


というような返答だったのだが、有料のオプションですと聞かされたときから違うと思っていた。それが参加人数が少ないので不催行と聞いたときにもあれ?と思った。希望を取るときには全くそんなことは言っていなかったからだ。不催行となった時点で、他の案内はなかった。
 我々は部屋で荷物の整理を中心に休養に充てた。

12.4 夕食 19:30〜

 本当に最後の食事だ。ケバブが出た。中国の方が塩味が効いていて美味しかった。料理はそれほど種類も多くはなかったが、演奏付きでなかなか雰囲気のよい店だった。かなり高かったがワインをフルボトルで頼んで、ゆっくりと食事と演奏を楽しんだ。

12.5 スーツケース届かず<7>・・・帰国する段になって全員の手に再び

 最後のさいごになって夕食前に、結局ドバイにあったスーツケース1個が戻ってきた。「私自身がドバイの倉庫に見に行きます」と、最後まで出てこなかった方は言ったが、添乗員が探しにいた。結局、タグもとれておらず、分かれたときのまま見つかる。
  さてである。ツアーのメンバーは、このホテルに入る際に、添乗員から二つの報告を受けた。第一は、現在エミレーツにロストバゲージ対象者にもう50$出すよう交渉しており、うまく行けば関西空港で渡せること、第二にはこの間の不都合のお詫びにツアー参加者全員にエミレーツのアッパーラウンジを使用できるようになったこと、の二点。われわれは第一の点については、ひょとしたら出るかなぁと期待したが、そんなに大挙してラウンジ使用を許可したなどは眉唾だと思った。・・・結果は案の定、行き違いということで、ラウンジ使用は夢と消えた。このとき添乗員は2度目の頭を下げた。彼女が頭を下げたのは先の1回とこれだけだ。この影響か、その後残りの50$の話は帰りの機内では出ず仕舞いで、「これもだめか」と乗客はささやきあっていた。最終的には、帰国後エミレーツが5000円銀行口座に振り込む(エミレーツからの書式に記入し、しかもパスポートのコピーを要求された)という結果に終わった。このときのレートで言えば、50$は6000円に近い。

12.6 出発

 真夜中の出発となる。11時30分に荷物を出して0時にはホテルを出発した。写真は空港ターミナルビル。不夜城だ。

★ホテル サン アンド サンドホテル 202号室

 このホテルも奇妙だった。利用ホテルとしてドバイでは「ドバイ…ランドマーク」となっていた。ところが、たとえば留守宅用の予定表に利用ホテルの欄はない。
 だいたい。入国の時入国審査官に「サン アンド サンドホテル」なんて知らないと言われてしまった。無事通過したけれども。ホテルのランクの問題もあるが、それを考えなくても、事前にホテルを示せないような旅行社というのは初めてだ。まったくもって、ここでも理解に苦しむ。でも、ここに至っては、もはや文句を言う気力さえ失っていた。
 また休養のために取られたホテルであったが、われわれも聞いたレストランの演奏がうるさくて、とても休養のできるホテルではなかった。いったいどういうセレクトをしているのだろうか。