<イエメン旅行記 前説>

 三省堂提供「大辞林 第二版ウエブ版」によれば、「熟年」とは、『円熟した年頃。五〇歳前後の年齢。中高年。実年。〔小説家、邦光史郎が1978年(昭和53)に用いた〕』とある。また、大辞泉ウェブ版には、『人生の中で、成熟した年代。一九七〇年ごろにつくられた語で、はじめ老年の意、次いで中高年の意で用いられるようになった。』とある。
 われわれはまさにその熟年世代である。しかしながらわれわれの熟年感覚は、少し違う。熟年=退職後の悠々自適の世代=という感じだ。とはいえ、われわれもそう遠からずその域に達する。
 その一方で、体力的に自信がなくなってきていることも確かだ。われわれはまだ50代ではあるにもかかわらず、最近買った多機能型の体重計では61歳とか、67歳とかという数字が測定される。実際問題、大病を患ったり、糖尿病と診断されたり、脚に水がたまったりで、体のほうが気持ちよりも早熟年領域に入ってしまった感がある。
 そこで、われわれは、退職後に向けて「熟年向けを看板にしている旅行者のサービスをしりたい」という思いから、ある旅行会社を新たに選んだ。

 旅行先は、イエメン。イエメンに決めたのは、だいぶ前だった。シバの女王・古きよきアラビアの中世の姿を残す国・ジャンビアとカートの国・・・などなど、思いは募っていた。そこに、以前旅行に行ったときにご一緒いただいた方からのメールと公開されているウェブペ−ジ
 しかし、その現実は不完全燃焼の旅だった。シバの女王ゆかりの地に立てないばかりでなく、ストレスが溜まるだけとも言える旅だった。イエメン自体の不可思議さや、風土は、ほんの少しではあるが味わえたが・・・。その要因は、旅行会社の選択を誤ったということだ。

  われわれはこの旅行記を、個人的な意味合いで、将来の、足腰が立たなくなったときの、楽しみに書いている部分が多い。最近、ブログの機能を使って、他人にも見てもらえる程度の、しつこさをなくしたページを作ったが、それは副産物でしかない。
 で、この旅行記、最近の分担は、おおむね文章を書くのは順さんで、それを再構成してウエブ上に載せるのが則裕の役目になっている。今回、かように長いリードを書いているのは、今回の旅行記が、いささか他と趣が違うからだ。脚色はしていないが、疲労と怒りの旅行記となっている。
 そして、それはツアーリーダーの責の部分もあるが、おおむねは、会社自体の姿勢のようにも思えるからだ。少なくとも、今回われわれの乗っていたランクルは人をはねた。則裕は、そのぶつかる瞬間をフロントガラスを通してみた。この会社は、昨年5月にも、砂漠で事故を起こしている。一歩間違えば、われわれの命も危なかった。なのに、そしてわれわれがアンケートでふれたにもかかわらず、会社からの詫び状には、一言もそのことは書かれていない。
 だから、今回の旅行記は、見る方に交通事故失望をひょっとしたら与える結果になるだろうことを心配している。これが、読んでいただいている方に最初にお断りしたいことです。(写真はわれわれの車がはね飛ばした洗濯物を運んでいた女性)