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2005年7月30日(日)

ホテル発(0845)高田公園(0910〜1020)高田繁華街散策(1026〜1110)浄興寺(1130〜1200 昼食1200〜1330)町屋見学(1405〜1420)岩の原葡萄園(1450〜1520)上越高田IC(1543)=<上信越・関越道−横川SA(1725〜1745)三芳SA(1945〜2000)>練馬IC(2008)練馬区役所前(2020)練馬発(2038)

2−1 朝

 明け方すごい雨が降っていて心配したが、順が目覚める頃にはもうあがっていた。天気予報によると何とかもちそうだ。出発が遅いので、やや時間をもてあましていた。
  7時45分から朝食だが、店は7時から営業しているというのでその時間に行くと、次々に人々がやってきた。これが温泉なら入浴して時間をつぶすことも考えられるのだが、そうではないので結局食べるしかない。もっとも、早起きして神社にお詣りに行った人も同行にはいたらしいが。
 出発は8時45分。もっと早くてもいい。7時から朝食がとれるのだから8時出発で十分だろう。

2−2 高田公園 0910〜1020 ハスの花

 
 はす祭りというのも今回の呼び物の一つ。日本一の規模を誇るそうだが、残念ながら、今年は天候不良で花の咲きがあまりよくないという。本当に今年は長い間梅雨前線が居続けて全国的に長雨、日照不足が深刻化している。ここもそのご多分に漏れずという所だ。つぼみ自体少ないので、今年は例年ほどの期待できないそうだ。
 いやあそれにしても確かに広い。お堀がすべてハスの葉っぱ覆い尽くされている。それもかなりの大型だ。ハスってこんなに大きかったっけ?と思えるほど大きい。
 でも、がっかりすることはない。一部分だが、しっかりと花が咲いている所があった。それも葉っぱに劣らず大きい。たとえ一輪でも見応えがある。それでも、地元の人は申し訳ないを連発する。しかし、こればっかりはどうしようもない。が、ここが自然を売り物にする危険な所だ。期待してきた客はがっかりして帰り、よい印象を抱かない。桜はいいんですよ、といわれても今はただ木が立っているだけだし。確かにここの桜はすごいらしい。特に夜桜が一番なのだそうだ。その時期にどうぞ、と盛んに誘ってくれるが・・・。今年は例年に比べてやはり雪解けも遅く、梅雨もこの時点では明けていないので、開花がだいぶ遅れているらしい。それに、つぼみの数そのものも少ない感じがするというガイドさんもいた。
  ここで自由散策になる。花があまりないというので、殆どの人が上越市総合博物館に併設されている?小林古径記念美術館(地元の文化勲章を受賞した日本画家)へ行ったが、我々は少ない花を求めて動くことにした。それぞれに案内のボランティアが着いてくれた。
 全景を写し、一輪をアップで写し、等としていると、ガイドさんが「ハスではないけれど百合の群落があるのでそちらを見に行かないか」と誘ってくれた。で、すぐについて行くことにした。ただ、まだ見たりない人もいたので、急いで行ってくることにした。
 着いた所には今まで見たこともない百合が咲いていた。「おおばゆり」というのだそうだ。あまり開いていないので「これからですか?」と聞いたらこれで満開なのだそうだ。何と慎ましく咲いている百合だろう。緑の中にある緑の百合。色さえもひっそりという感じだ。つぼみの時はまっすぐ、開きかけると少し横に倒れ、満開の時には真横に向かってぱっくりと可愛い口を開ける。その大きさはちょうど手の指で丸を作ったくらいのものだ。それが一面にびっちりと咲いている。隠れ名所です、と言っていたが、知らなければそのまま通り過ぎてしまうような群落だ。
 それからまたハスの花を見に行った。といっても帰り道に通っただけだ。集合時間には間に合いそうもなく、かけ足になった。途中ガイド氏に会ってホッとしていたら、添乗員が来て小言を言われた。
 なお、ここのハスは観賞用で食べることはないのだそうだ。元々は藩財政を潤すために許可を得て植えたハスであったが、品種改良が進んだ今日では、堀のハスは繊維があって、また味もおとり、昭和30年代を境に採取を止めてしまったそうだ。順さんは、無料なのだから「はす掘りツアー」がよいとアンケートに書いた。

2−3 高田繁華街散策 1026〜1110

 これも予定になかった所だが、雁木の下を歩いてみましょう、それに買い物もできますよということで、予定に入れられた。
 町はひっそりとしていて、我々以外には人がいないようだった。車も時折通る程度だ。古い町並みというのでもないので、町自体に見るべきものはない。  
 ここも自由散策になったが、我々は今度はガイド氏に着いていった。行く所がすべてお店。初めのお店で「蓮の実入り はす青葉」というのを買い込んだ。その後も店巡りだったがもう見るだけ。他の人が店に入っている頃、我々はベンチに腰掛けて先ほど買ってきたのを食べてみんなを待った。冷やされていてなかなか美味しかった。
  しばらく歩いて行くと店先に「ようこそ 上越モニターご一行様」と書かれていた。2,3日前に、我々が来ることが知らされてそれなりの対応をしていてくれたらしい。いやあ、我々は遊びのつもりできているのに、「こちらの人にとってはこれからの上越市の命運がかかっています。」と言っていたのがまんざらいい加減な言葉ではなかったのだと感じ取った。無料のお茶なども用意していてくれた。

2−4 浄興寺(1130〜1230)

 次は寺町一帯へ行く。確かに寺とお墓の行列だ。それも敷地の境が塀で囲われているなんてけちなことはない。道路に直接面している。
 さて浄興寺は、正式には歓喜踊躍山本山浄土真宗興行寺というのを省略して浄興寺というのだそうだ。International business machineを略してIBM、でもお寺の名前も省略するとは。
 ここは親鸞上人のお頂骨(頭の部分の骨)が納められている由緒あるお寺だそうだ。しかも親鸞上人が存命の時に本人が造られたそうだ。最初は千葉の方だったのが、それ以降の歴史に流されてここにたどり着いた。本廟はかつては素晴らしい光をs放っていたであろう木彫りの彫刻が施されている門の向こうにある。日光の東照宮に匹敵すると言っていたが、如何せん保存状態がよくない。レプリカにして本物はきちんと保存するように勧められているそうだが、なぜかそのままの状態が続いている。
 ここで住職の話を本堂で伺った。この住職と紹介された人は茶髪だった。後で調べてみると、色々このお寺は地域活動をしているようで、そういえば新潟でジャズライブを寺でやったという話を聞いたことがあるが、この寺のニュースだったのだろうか。(お寺のWebページ:http://www.johkohji.com/
  住職の話の中で、興味深かったのは本堂の構造。左側に拡張して御霊屋(おたまや)があることだ。常任の墓所の定まるまでの間安置した場所ということで、それが遺構として残っていた。本堂内陣写真の左にある部分がそれ。なお写真にはジャズコーンサーとの名残りのピアノがドンと鎮座ましましている。

2−4−1 昼食   はすの創作料理 1230〜1330

 これも今回の売りの一つ。ハスを使った創作料理というものだ。ハス尽くしかと思っていたがそうでもなかった。ただ、ハスは形を変えて色々な料理に入っていた。
 が、まず現物にお目にかかる前に「薬膳」とはという講義が延々と続いた。10分くらいということだったが、ゆうにその倍はかかっただろう。これを創作した方(終戦時12歳というのだから結構なお歳だが、肌つやもよく矍鑠とされた方だった)の熱意も伝わってこようというもの。
 ようやく膳が運ばれた。目に入る形はそう珍しいものではなかったので、気を付けて食べていないとハスというのはどこかへ行ってしまう。口当たりも味も主張するものがないからだ。
 ハスの実は、ゆり根のようなコリコリ感があって美味しかった。
 お茶から始まってお茶で終わった。最後はハスの花のお茶で、湯に入れると開いた。中国のものだった。

2−5 町屋 1335〜1430

 昔からの旧家が残されているというそれを見に行った。道が狭いので少し離れた所でバスを降りた。
 ずいぶん古い雁木があるなあと思ったら、そこがそうだった。税金の関係で、どの家も間口が狭くなっているのに、ここは商家だったのだがずいぶんと広いs間口になっている。奥行きが深いのはどの家にも共通していることだ。
 中に入ると太い梁、高い天井、畳敷きのゆったりした主人部屋、狭い女中部屋と使用人の部屋、等いわゆる当時の豪商の様子がうかがわれる。
ただ、惜しむらくはこの一軒だけなのだ。これが連なっているのならわざわざここに来る価値はあるだろうが、たった一軒だけで、それも他にないという珍しい造りでもないので、モニターとしてはおすすめポイントとしてあげることはできない。それがたとえ地域の誇りであったとしても、観光客としてはここに来なければ見られないという代物ではないからだ。
 ただ、まだ廃屋になって取り壊されるのを市が買い取ったばかりと言うことだから、今後整備して、往事の姿に戻すなどの工夫をすれば十分な観光資源になると思う。地域巡りのインフォメーションセンターのような機能も持たせるとよいだろう。

2−6 岩の原葡萄園 1450〜1520

 途中、前島密記念館の前を通った。この人もここの出身なのだ。今もそうか定かではないが、1円切手にその肖像があった。しかし、小川未明もこの人もすでに過去の人になっているから、観光資源にはならないなあ。このころになるとすっかり上越市の観光モニターになりきっている。
 葡萄園の創始者(川上善兵衛)もその道の著名人だ。が、正直一般に知れ渡っている人ではない。また則に言わせると初めてワインを造った人は別にいるのではないかという。この人はブドウを作っただけの人だったのか、その辺りが今ひとつはっきりしなかった。(後で見たが、うたい文句も「日本のワインぶどうの父」となっていた。)というより、我々の興味はワインを飲むことにいっていて、知る気もなかったというのが正直なところか。
 何しろ時間が短い。まずは氷室などの見学をしてから試飲に行く。まあコップの小さいこと。我々はそれに満足せず有料コーナーへ。
 初めに「ペルレ」という仕込んだばかりのワインを飲む。まだワインにはなっていないその途中にあるものだ。発酵するのでお土産とかにはできず、ここでしか飲めないという触れ込みのものだ。シャンパンのような泡立ちができるというので期待していったら、未だ発酵が始まったばかりで、泡だらけのものだった。泡を容器に移してしばらく液化するのを待つために容器に入れていた。炭酸の口当たりの良さでぐいぐい飲めた。もちろんアルコール度数も1度くらいのものだろう。
 次にミディアムボディで5,000円もする赤ワインを1グラス500円で飲んだ。売り物の雪室で寝かせたというものだ。ヴィンテージということだったが、うなるほどではなかったが、店に並んでいる無料のワインは差がありすぎて正直飲めなくなっていた。で、お土産にはワンランク下の4,000円のを買った。これでまたワインが増える。今までのも飲みきれないのに、どうする気だ。

2−7 帰り

  ここで上越市の人たちと別れて、一路家を目指す。
 高速は初めは順調に走っていたが、藤岡JC手前から混み始め、結局途中1回で済むかと思っていた休憩を2回とって当初より大幅に遅れて練馬ICを降りた。今回は練馬で降りてそこからバスで帰宅した。