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2006年10月21日(土)
新宿(0815)=<東名高速…港北SA…遠州豊田PA(1145〜1205)音羽蒲郡IC出る(1243)>=三谷着(1300)…三谷祭(1310〜1620)=<東名高速…音羽蒲郡IC入る(1648)>=…名古屋ホテル着(1815)     


1−1. 出発

 今回はただただ三谷祭を観るだけ。どういう祭なのかよく分からないまま、日程が合うので申し込んだという祭だ。
 集合場所はいつもの都庁駐車場のはずだったが、年に一度の手入れが行われるとかで急遽、道路になった。すごい人でごった返していたが、すぐに手続きの場所は分かった。
 総員44名、バスは満杯状態だった。
 道路は空いていていつもほどの渋滞もなく割合順調に進んだ。

1−2. 三谷

 バスは三谷駅の所に止まり、そこからお祭り会場の八劔神社へ向かった。神社に近付くにつれ、祭衣装の人や山車などが見られるようになった。
 神社へ着くとまだ人はまばらな状態だったが、それだけにどこで見ればよいのか分からない。近くで腰を下ろしていた老人に聞くと、神社の境内だと優しく教えてくれた。が、そちらにも殆どといってよいくらい人がないので、まずは鳥居の所でまつことにした。

1−3. 三谷祭奉納

 開始時刻に近付いたので、我々も境内に移動した。
 始めに祭の役員だろうか、その集団が柏手を打ってから鳥居に張られたしめ縄をほどき、それに神官が続いた。
 まずは、松区(松葉嶋)の神事始めの「くぐり太鼓・事ぶれ・山伏」。顔を赤い布で覆い、太鼓を打ち鳴らしながら踊るくぐり太鼓。3人の子どもによるかなりゆったりとした動きで正直退屈だった。やっと終わったと思ったら、次は青年による同じ踊り。かなり時間を取ったが、それだけに重要な物なのだろう。ようやくそれが終わると神官の格好をした子どもが祝詞を唱えた。次に山伏が同じように扇子に書かれた言葉を読み上げ、最後に赤い鉄棒(実際には布巻)を持った赤鬼が登場した。この赤い棒で頭を軽く叩いてもらうと厄除けになるのだそうだ。全て終わると全員で記念撮影。赤い布を取った青年の頭にそり込みで文字が掘られていたのには驚いた。
 二番目は上区(上ヶ嶋)の「素盞鳴の舞・子踊り」。まずは桃太郎のような子ども達が大勢で踊る。きりりとした化粧でりりしい感じだ。それに続いて登場したのがいかめしい面をかぶった大人達による素盞鳴の舞。面なので顔の表情は全く分からないが、その分体で大きく表現していた。ただし、何を表現していたのかは分からない。その後も子踊り、素盞鳴の舞と交代しながら続いた。交代して休んでいる間に汗を拭いていたが、すごい汗だ。かなり暑い中、よくやっている。
  三番目は東区(東新屋嶋)の「子踊り」。花笠を持った可愛らしい子どもたちが踊る。この小さな町でよくこれだけ子どもがいるものだ。
 四番目は西区(西新屋嶋)の「神楽・大名行列・子踊り」。始めにやってきた奴さん達。重いだろう持ち物をようやく持ち上げて振り回しているという大変さが伝わってくる。かけ声が元気で、見ているこちらも力が入ってしまう。中にはふらついて援助の手を差し伸べてもらう若者もいるにはいたが、みんなようやった。引き続き可愛い女の子2人によるお神楽。それから子踊り。これまた歌舞伎化粧をした子どもたちの、小獅子を片手に見応えのある踊りだ。
 五番目は北区(中屋敷嶋)の「七福神踊り・子踊り」。が、もう集合時刻が近付いていたので、残念ながら見ないで戻ることになった。途中ですれ違った大きな鯛が多分その一行だったのだろう。
 六番目が中区(中浜嶋)の「連獅子・子踊り」。運良く鳥居の前で踊っているのに出くわして全部ではないが見ることができた。
 それにしても大sきいとは言えない地方の町でこれだけの文化が引き継がれているというのは素晴らしい。
 集合場所へ戻る途中、道路に並んでいる山車をじっくりと見ることができた。6台ある山車のうち4台が明日海中に入ることになる。

1−4. 名古屋へ

 それからバスは今夜の宿泊地名古屋へと向かう。ようやく着いた時にはもうすっかり日は落ちていた。
 荷物を置いてから夕食のために、則が探しておいた店へ行った。手羽先と味噌カツを食べるためだ。名古屋といえばこれだという名物だが、正直ガッカリの店だった。ちょうど日本シリーズが名古屋で行われているためか、町は静かだった。
 ホテルに戻って温泉に入って軽く一杯飲んでから寝た。