ブルガリア旅行記 イヴォノヴォ岩窟教会

3.5月30日(水)2/2 ⑥イヴォノヴォ/ラズグラード(快晴)

起床(0530)散歩(0645)朝食(0700~0720)散策(0745~0810)ホテル発(0830)職人街(0833~0900)ツァレヴェツの丘(0931~1050)アルバナシ村(1111~1300)昼食(1307~1415)イヴォノヴォ岩窟教会(1553~1700)ホテル着(1818)買い物(1850~1925)夕食(1930~2045)就寝(2200)

3-9 イヴォノヴォへ

 移動が結構長いので、バスの車窓から周りの風景を眺めながら、時間をつぶした。 
 この国は鉄道が、結構多いようで、あちこちで見かけた。が、なかなか電車が走っているのには遭遇しなかった。複線の所もあったが、全体的には田舎町のせいか単線が多かった。踏切には踏み切り番のおじさんがいるところも見かけた。
 また、丁度時期らしく、黄色い花が一面に敷き詰められている所も多かった。菜の花らしい花も多く見かけたがそうでない黄花も多く、何なのかは分からなかった。
 やはり馬車も見かけた。
 農作物が作られている畑も広がっているところがあった。
 ようやく走っている電車をみつけた。
 こうして走っていると、町は飛び飛びにある。後は田園風景といったところか。

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3-10 イヴォノヴォ岩窟教会(1553~1700)

 岩を刳り貫いて作られた聖堂、修道院などがいくつかあるのを総称している。
 1320年代にヨアキムが居を定め、それ以降17世紀まで、修道士たちが住むようになっていった。彼らは、僧房、教会群、礼拝堂などを硬い岩から切り出して、約40もの教会を造り、その周りには、宗教施設もあったが、そのほとんどは現存していない。
 着いてみるとこんな崖の上に?と思われるような厳しい所だった。中国でもそうだったが、修行者はこういう所を選ぶようだ。

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3-10-1 自然

 0.5レバ払ってまずトイレを済ませてから、高いところにある教会を目指して歩いて行く。
 ただ、女性が多いのにトイレの数は限られていて、なかなか終わりそうもないので、済んだ人から歩き出した。
 直登する道もあるようだが、この団体の年齢を考えたガイドさんが、楽な方を行きましょうと言うことで迂回コースを行くことになった。
 その道は狭い山道で、花やトンボが沢山見られた。
 ようやく全員が揃って狭い道を列になって進んでいった。

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3-10-2 洞窟

 それほど急な坂ではないのできつくはなかったが、徐々に上って行った。
 途中にいくつか教会の跡が残されていた。このようなところで修行したのか。
 どのような生活をしていたのか、全く想像できない。
 道は更に狭くなり、目指す教会の入り口へ到達した。そこは更に狭くなった岩の隙間のような所を抜けていく。

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3-10-3 聖母教会 (1625~)

 ようやく、見学場所へ着いた。
 入ってすぐの部屋には、天井は剥落してしまっているが、割合に綺麗に壁画が残っていた。
 部屋は3つの部分に分かれていて、その少し上の方に2つの部屋があった。
 ここの壁画はルネッサンス以前に描かれたという点で価値があるのだそうだ。特に最後の晩餐は、ダ・ヴィンチ以前ですから、とのことだった。ユダがキリストを裏切ったことを後悔する場面や首をつる場面、キリストが十字架にかけられ、復活し昇天する場面などがある。
 サン・ピエトロやキリスト、周りには聖人達も並んでいた。作者は分からないが、同じ人ではないかと考えられているのだそうだ。
 ただ天井は割合に良く残っているが、壁はかなり落ちている。それでもここのは良く残っている方なのだそうだ。
 一番奥に外へ出られるバルコニーのような所があった。足下がおぼつかないので、人数制限、といいながら交代で外へ出て周りを見回した。正直怖い。
 本当はここは撮影禁止だったのだが、例によってガイドさんが今のうち、というので隠れて撮った。本当は保護の面から考えると不味いのだろうが、まだそこまで意識が育っていない。というよりカメラを抱えている日本人には、こういうことが最大のサービスと考えているのかも知れない。喜んで撮っている我々も含めて、考えてみる必要があるのかも知れない。
 そのお詫びではないけれども、日本語のパンフレットがあったので購入した。

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3-10-4 バス停へ

 戻りは来た道と違って直接バス停へ戻る道。こちらはかなり急で、足下が滑りやすくなっている。実際、滑った人がいた。
 気をつけながら、手すりを掴みながらの下坂となった。
 バス停から見上げると、先ほどのバルコニーが見えた。そこで我が家294個目となる記念撮影をした。
 ここから見てもずいぶん高いところに造った物だと思うが、我々が通ってきた階段は後世に付けた物で、当時の修行僧達は巻き取り式のはしごを使っていたのだそうだ。

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3-11 ラズグラードへ (1701~)

 そこからまたバスで、ホテルへ向かう。
 ブルガリアには街路樹にフルーツの木が多いそうだ。というのも、昔、旅人のために木陰になる木を植えると共に飢えをしのぐためだという。それも1種類だけではなく季節によっていろいろな実をつける木が植えられているとのこと。この季節にはチェリーやライチなどが目立った。ライチは中国からきたのだそうだ。
 畑がパッチワークのように綺麗だった。そこで働いている人もいたが、いずれも手作業に見えた。あまり機械化が進んでいないようだ。 

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3-12 ホテル<セントラル 330号室>

ホテル着(1818)

ホテルは町中にありますよ、ということだったが、着いた建物は共産党時代のアパートのようだった。まあ、すぐ前にスーパーがあるというので、買い物には便利かも知れないが、近くに見るような所も見当たらない。
 ホテルへ着いてチェックインの間に、カメラのペイントという機能について教えてもらった。初めて知ったが、使い方によっては面白い。 
 ようやくチェックインが終わったので、部屋へ行こうとしたが、エレベーターを降りても部屋の表示が無い。皆でウロウロしながらあちこち探してようやく自分たちの部屋を見つけた。
 増設したようで表示が間に合わなかったのか、それにしても不親切な。しかもそこへ行くには段差がある。まあ、自分たちでスーツケースを運ぶのではないからいいのだが、ポーターは大変だろう。
 部屋にはバスタブはなくシャワーのみ。

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3-13 買い物(1850~1925)

 夕食まで時間があったので、早速スーパーへ行った。
 が、小さいスーパーであまりめぼしいのもなかったが、少しだけ買い込んだ。4.03レバ也。
 ここで感心したのは、ブルガリア産の物の値札の所にはブルガリアの国旗が表示されていたことだ。これならお土産にするときも迷わずにいけそうだ。地産地消を奨励しているのかも知れない。

bulgaria1550 31 0118.jpgスーパーの前で

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3-14 夕食(1930~2045)

 メニューはサラダ(チーズたっぷりのショプスカサラダ)、ケバプチェ(挽肉の炭火焼き)、デザートはアイスクリーム。
この日もビール大4レバ×2。
 どうも飲むのが当たり前になってしまっている。

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3-15 就寝(2200)

 部屋に戻って、シャワーを浴びたりしてから就寝。