第四日目(3月29日)

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 則は5時頃に、順さんも6時前には起床。また嫌がる順を連れて「温泉」へ行く。今日は有料だった。ひとり5000W。現地の人にはけっこうな値段のように思う。風呂の中身は昨日と変化は無し。ただ、湯舟は狭く、暗い感じだ。ここでもそうだが、女の人はまず歯磨きをする。それから朝シャン。それも立ったままでやるので、シャワーの水が飛び散る。そして大股開きで体を洗う。これは目のやり場に困るような光景だ。
 ところで、外はなにやら激しい音。雨だ。かなり激しく降っている。朝の散歩は中止。
 朝食は7時過ぎ。ここもバイキング。順は連泊なので、そのことを考慮して食べるものを選択したが、則は無関係に食べていた。

 雨は止む気配はない。やむを得ず部屋に戻り、急遽傘とヤッケの下を用意した。その後に今晩の用意。その後に今晩の用意。今晩の用意というのは、明日朝列車に乗るが、大きな荷物は今晩中にバスが列車の到着地のソウルまで回送するので、それにあらかじめ乗せて運んでしまおう、そうすれば列車乗車時の移動も楽だという配慮。
 定刻を少し遅れてバスは9時33分出発。出発と同時にトイレという人がでる。さすがに現地ガイドもその言葉は笑って無視。トイレ騒ぎも連続すると、しかも同じ人だと、少々勘弁してと言いたくなるのは周りも同じことだ。
 このころになると、外は桜とレンギョウの花がずっと両側に並んでいてきれいだった。ソウルの方ではやや早い感じがした桜もここでは真っ盛り。レンギョウも密集して植えられているので、日本ではこんなにきれいだと感じたことはなかった。
 さて、その桜だが、ここも若木が多い。理由を尋ねると、終戦後、桜は日本の花ということでみんな切ってしまったのだそうだ。ただ最近になって、きれいな物はきれいだからということでまた植樹を始めたのだそうだ。済州島が桜の発祥の地だということもあるらしい。その植樹の様子だが、慶州の道という道すべてにしたのではないかと思うくらい長く続いている。そのすべてが満開で、驚愕する他はない。

 【韓国世界文化遺産−その4−】バスは山道をゆっくりと登っていく。9時55分に石窟庵に着く。相変わらず激しい雨だ。折りたたみ傘を順は使ったが、則はガイドが用意した大きめの傘を借りた。石窟庵までの道は長い。全体としては緩やかなやや登りの道を雨音と共に歩いていく。やがて仰ぎ見る位置に到着。そこであらましの説明を受けて、さらに階段を上り石窟庵の入り口に着く。
 石窟庵というのは、勿論韓国の国宝にもなっており、世界遺産登録されているわけだが、早い話は石で作られたドーム。そこに釈迦が安置されいる。神々しい表情で素晴らしい。周りにもたくさんの菩薩などが彫ってあるが、残念ながらガラス張りにしてあるので見ることはできない。もっとゆっくりと見ていたかったが、地元の高校生らしき団体がドバッと入ってきたので早々に外へ出る。(最初の写真は石窟の外観。覆土の大きさからそのスケールが分かるだろう。全室の建物も結構な大きさ。周りの提灯状のものはワールドカップ成功を願ってのものだと言うことだ。二番目の写真が石窟の構造を示した縦割りの図。後輩や周りの十大弟子や四天王・八部神衆などの説明がある。つまり周りはこれらに覆われていると言うこと。)
 ここでショックだったのは、これを日本統治時代日本人が解体したことだ。解体をいい加減に行ったために、完全に元通りに出来なかった。大体こうしたものを解体すれば、石に番号など振って細かく記録しながらやるのが常道であろうが、占領下側のおごりだろうか、はたまた現地ガイドの言っていたように元々壊すためだったのだろうか、そうしたことをしなかったらしい。結果どうなったかと言えば、おびただしい数のパーツが余ってしまった。我々も、そして同行の人たちも余ったと聞いたから、小さな断片がいくつかと思っていたが、とんでもない話であった。しかしながら、この断片を含めた改修は今日まだ行われていない。コンピュータを使い、また世界遺産になったということで諸外国の援助を仰いでも、ダメだったということだ。それほどまでの精巧さを語っているわけだが、「これは皆さんに反省してもらい為にここにある」という現地ガイドの言葉が、重くのしかかった。日本のこうした解体技術というのは、世界に誇るものに今日はなっているわけだが、そして実際我々も例えばアンコールワットなどにその実際を見ることが出来るわけだが、いくら戦前とはいえ、文化財を貴重なものとに認識をしない民族だったことは、米国が原爆を落としてもなお、京都鎌倉を回避したのとはえらい違いではないか。民族の優劣を語るべきではないが、こうしたことを目の前にすると民族の歴史的行為にうろたえざるを得ない。(写真はほんの一部。写真の手前の位置には窪みが有り、ここに柱が立っていたことが想像される。)
 さて石窟は覆土に覆われている。覆土の構造も石の上に砂、砂の上に土、土の上に芝となっているが、この上に今日のように降った雨が石窟に進入することはないし、また石窟が水滴で塗れることもない。これはいわば石窟が二重の構造ともいえる形になっていることが理由の一つ。また、石窟の脇には排除した水が流れるようになっているトンネルがある。上に書いた残骸の一部の中にも樋のような形をしたものが残されている。さらに第二には、石窟の下の部分のさらに下を流水を流していることだ。こうすることによって、常に石窟の内部の温度を低めに保ち、結露を未然に防ぐ構造になっているという。こうしたことを含めての、国宝であり世界遺産の指定になったのだろうと思う。何れにせよ、当時の石工達の技術力が軒並みならぬほどに秀でていたことは、まさしく国の宝世界の宝出あろうことは間違いのないところだ。10時15分から10時50分まで石窟庵を見学し、11時に出発。(左の写真の中央に鉄製のトビラが見えるが、ここの中が空洞になっていて、石窟上部からの水の排水路になっていると言うことだ。)

 【韓国世界文化遺産−その5−】バスが山道を下って行くと、いつの間にか仏国寺の山門前に到着した。雨はまだ止まない。11時20分から12時40分まで仏国寺見学。
 仏国寺の伽藍配置は奈良薬師寺に似ている。我々は脇から入ったが、一番大きなメインの門は、紫霞門でその前に青雲橋がかかっている。この橋の美しさが国宝になっているほどのものだが、橋とはいえ階段というか、陸橋になっている。ガイドの説明では、その昔はここ全体に大きな池があったということだが、この建物自体が少なくとも今はなだらかなスロープの上の方にあり、それを想像するのを難しくしている。
 さて中にはいると、大雄殿の前庭に、向かって右に多宝塔、左に釈迦塔がある。いずれも新羅時代の傑作でともに韓国の国宝になっている。
 釈迦塔はすらりとしたスマートな感じ。飾り気もなくシンプルだ。
 一方多宝塔は、上に行くに従って。四角形から八角形、円へと形を変え、デザインもこっている。四方には4体の獅子像が置かれていたそうだが、今は盗まれて1体だけしか残っていない。ここにも桜と木蓮がきれいに咲いていた。ところで、この塔は時の権力とくっついて語られることが多い。これは10W硬貨のデザインになっているが、そもそもキリスト教徒の多いこの国の人に釈迦の像を持てば自分が大統領になれるだろうと言うことで、唯一残っている獅子を仏像になぞらえ、改鋳したとか、更にその後金大中が大統領になりそうだということで、そのデザインを更に見えるように変更したなど。)
 今ひとつ現地のガイドが強調していたのは、この建物の左側の側面のラインのこと。左の写真がその部分だが、石積みの一段目が道が登っていってもその高さが変わらぬように建てられている。こうすることで、たぶ上に載っている建物が近づくことをより視覚的にねらったのではないだろうか。

 12時50分から13時15分まで登り窯の見学。でも、ただそれだけでは済まないのがツアー。隣接する店に連れて行かれた。高麗磁器というのがたくさん並んでいた。我々はそこで、マグカップを購入。代表的な模様であるという鶴と牡丹を選んだ。

 13時30分から14時30分まで昼食。石焼きビビンバだけのつもりが現地ガイドの薦めでカルビ焼き肉を追加注文。そうこれが食べたかったのだ。我々はそれぞれ1人前ずつ食べたかったのだが、隣に座った老夫婦と一緒で二人前となった。残念な気がしたが、出てきたのを見て、それで良かったと思った。テレビで見るようなカルビとは違っていたからだ。やはり安いのかな。
 このころになると雨はすっかり上がって青空も見え隠れして、皆を喜ばせた。

 14時40分から15時20分。天馬塚を見学。古墳公園とは知っていたが、実際に目にしてみるとその数の多さ、大きさに圧倒される。一つ一つの直径が20mはあろうかという円墳が広い敷地に並んでいるのだ。その一番奥にあるのが天馬塚。唯一中に入れる古墳だ。誰の墓かわからないため、天馬を描いた絵に依ってそう名付けたそうだ。中には遺物が展示してあったが、すべてレプリカ。ここにも沢山の高校生団体。中には日本語を流暢に操る子もいた。第二外国語として日本語を選考する子も多いそうだ。若い世代がお互いの理解を深めてくれるといいと思った。

15時30分から16時までアメジスト店へ立ち寄る。ここはもう関係ないと座って時を過ごした。これでやっとホテルへ行けるかと思ったら、16時15分から17時までヒルトンホテルの免税店へ。免税店ならブランド品がそろっているかと思ったが、あいにくと手に入らなかった。家はブランド品とは関係ないのだが、姪に頼まれた物があったのだ。

 一端ホテルへ戻って、荷造りをし、それを持って18時に再集合。荷物をバスに積み込んだ後、18時30分から19時30分まで夕食。
 夕食は宮中鍋。鍋の中にたくさんの具が入っている。それをぐちゃぐちゃに煮込んで食べるのだが、順はおいしいといってたくさん食べた。
 20時近くにホテルへ戻る。ホテルは昨日と同じ。

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