2007年12月2日

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12月2日(日)

裏磐梯五色温泉----二本松・木幡の幡祭り(国指定重要民族文化財・見物)----郡山駅(1857)----<やまびこ220号 7号車>(2044)東京駅

2-1 朝

20071201kohata196.jpg朝はビュッフェだった 充実していた 外は雨だった。天気予報では、会津地方は雨模様だが、今日の本番の二本松は何とかお天気になりそうなので、一安心。
 目が覚めてからすぐに風呂へ行って、それから朝食会場へ。
 少し待って中に入ると、料理がそれなりに沢山並んでいた。あれもこれもと欲張って取ってしまったが、昨日の夕食より満足感があった。

2-2 二本松

20071201kohata229.jpg道にも旗が目立ちだし 期待がふくらむ 祭りの会場の木幡は、もともとは木幡町であったが、例の大合併劇で二本松市に組み込まれ、いまでは木幡地区と言われている。
20071201kohata235.jpg旗を担いで会場に向かう人たち さてバスは二本松市に入り、お祭り会場に近付くと道のガードレールに木幡祭の旗が並べられていて、いよいよという気分になってきた。旗を担いで歩く人々を見るにつれ、益々気持ちが高揚してきた。
 源氏の白旗が起源と言うが、各グループに白旗は1本、、他は様々な色の旗が多数あった。

2-3 出立式 9時00分~

20071201kohata239.jpg木幡第一小学校の校庭に集まってきた旗と人々 まず、木幡第一小学校グラウンドで行われた出立式を見に行った。堂社という10くらいの団体がそれぞれの旗を持って並ぶ姿は壮観だった。青空だったらもっと見栄えがしたのだろうが、その点は残念だったが、それでも十分に見応えはある。
20071201kohata270.jpgカレンダーの筒の中に買った旗を入れて祭りに参加した気分 そこで、まずお決まりの土地の名士の挨拶を聞いた。適当に聞き流していた。
 その間、則はカレンダーと2,000円の旗を買い込んできた。
 カレンダーはどうやら昨年の様子で、表紙は2006フォトコンテストで優勝した作品の物だった。

2-4 オープニング・セレモニー

20071201kohata308.jpg旗競争 斜めにした方が有利? その後小学生や幼稚園児による木幡音頭踊り。輪になって盆踊り風に踊っていた。静かな踊りだった。
 それから餅つき。白装束の人が交代で餅つきをしていたが、若者はおじさんの元気には叶わなかった。
 その次は旗競走。風の中であの大きな旗を持つだけでも大変なのに、それを持って競走をするのだ。一般参加の呼びかけもあった。少し興味はあ20071201kohata398.jpg御神酒の名前はその名も「木幡山」だったが、体力的には全くお呼びではなさそうだ。始めは白旗のみの競走だ。まさにこういうのを風を切ってと言うのだろう。倒れそうになりながらも力強い走りで次々にゴールを駆け抜けた。その後色つき旗の競走。風になびいてこれまたきれいだった。子どもの部というのもあって、そこで走っていた小さい子が可愛くて会場からも「かわいいー」と言う声と拍手でいっぱいの応援を受けていた。
 それが終わっていよいよ旗行列が始まる。撮影ポイントへ移動する際、地元の人からちょっといっぱいご馳走になる。

2-5 幡行列出立 10時00分~

20071201kohata469.jpg午前中はいわば「静かなる行進」だ 先へ行って撮影ポイントを探した。本当に行列だけで、大声を出すわけでもないし、踊りを入れるわけでもないし、騒ぐわけでもないし、ただひたすら歩くだけの行列だ。と言って大人しいわけではない。お酒を飲みながらそれなりに盛り上がってはいる。
 風が旗を押し倒すように吹いているので持ち手は時々交代する。かなり疲れるらしく時折、交代してくれーという叫びに近い声が上がったりもする。皆楽しんでいる様子が伺える。 
20071201kohata478.jpg「権立」てとなった青年 今年の権立は3人だけ。これも少子化の影響と言っていた。権立とは、成人を迎える若者のことで、これで大人の仲間入りを認められるのだそうだ。皆が白装束なのに対して、赤襦袢姿で、行列の中でも一際目立つので何処にいてもすぐに分かる。といっても定位置は先頭グループのようだ。緊張感の中にも時折ふざけ合いながら歩んでいた。
 行列はのどかな田舎道を進んでいく。

2-6  一の鳥居

20071201kohata534.jpg一の鳥居をくぐり終えた旗 行列はやがて、階段を上って鳥居をくぐって進む。
20071201kohata581.jpgほらがいもどき 吹きやすいのかもしれない ここが撮影ポイントになっているらしく、カメラマンの怒声が飛び交うところとなった。
 本来は走ってくぐり向けると行っている人もいたが、実際はのんびりと談笑しながら登ってきた。それでも風の力と対抗しながらだから、大変だ。さらに長すぎる旗は鳥居にぶつからないようにかがめてくぐるのだからなおのこと大変だ。
 無事に全てのグループが通過した。
そうそう、グループ毎にホラ貝というのがある。それを時たま吹いたりして音を出しているのだが、そのホラ貝。山伏仕様の物ではなく、竹筒のような形をした物であった。音はあのホラ貝とほぼ同じ。ボー、ボー、と低く響き渡る音だ。

2-7 木幡山参宿所(治家公園) 11時00分~

20071201kohata614.jpgたぶん出演している人たちも地元の人たちではないのか ほぼ予定通りの到着で、ここで昼食休憩となる。
 我々もここで、うどんを購入して昼食とした。350円也。他にも一つ100円の大根や卵が美味しそうだった。
 休憩時には、ステージで催し物が行われる。ただ、それが見える場所は、それぞれの堂社が占めているので、トイレに行くときに少し見られただけだ。その時には、「南京玉すだれ」をやっていた。

2-8 隠津島神社への直行路

20071201kohata627.jpg足の悪い則には過酷な山道 午後のスタートが12時30分とかなりの時間があるので、体力に自信のない我々は早めにそこを出立することにした。順は旗行列と同じ道をと思ったのだが、膝の悪い則が直行コースを望んだのでそれにすることにした。
 参宿所の神社に御参りをしてからその横の鳥居をくぐって山道にはいる。登り口で、地元のおばさんと思われる人が、この道は半端じゃないよ、と警告してくれたのだが、初志貫徹。
20071201kohata628.jpgクサリをつかまってようやく登る ただ、確かに半端な道じゃなかった。45度もあるのではないかと思われる急な坂がずっと続いていた。ただ、登り始めてすぐに鉄柵とチェーンが道に沿って設置されていたので、大いに助かった。時には両の手でそれをたぐって登った。

2-9 隠津島神社

20071201kohata642.jpg本殿正面 立派なお社だ 30分ほどでようやく到着したと思ったら、そこから先もまた階段だ。うんざりしたが、これを上らないと目的地に着かないので、また歩き始めた。途中の東屋で休憩を取ってからようやく本殿に着いた。かなり古びた神社で、霊験あらたかな感じがした。
20071201kohata649.jpg三重の塔は修理中だった 三重の塔は、修理は終わったと聞いていたのだが、まだ囲いが獲れていなかったので、残念。それでもこんな山奥に塔があることはすごい。しかもそれをこんな田舎町が修理しているのだからなおすごい。地元の人が、「金がかかって大変だー」とぼやいていたのもよく分かる。
 ここから羽山神社へ行こうとしたら、みんなが「ダメだ、行けない」といって戻ってくる。でも、羽山神社からここへ行列は来るのだから必ず道はあるはずだと探したのだが結局分からなかった。ちょうど花火を上げに来た人がいたので聞いてみたのだが、我々を一瞥して「無理だ。向こうの山の中腹にあるから、行くなんて無理だ。」と軽くあしらわれてしまった。
 仕方なく下へ下りて行列を待つことにした。

2-10 行列同行

20071201kohata714.jpgのんびり進む旗行列 しばらくすると行列がやってきた。山の向こうから徐々に旗が見えてくる。
20071201kohata754.jpg談笑しながら歩く とにかく道が分からないからこれに付いて行こうということにしたのだ。
 殆ど先頭のグループについて歩いた。その途中で、順は先頭の人と仲良くなっていろいろと話ながら歩いて行った。同じ香りがするのかも知れない。
 ここから先はまさに山道だ。一応林道なので道は舗装されているのだが、周りはすっかり木々で囲まれている。ただ、昼前のように畑の中を歩くのもいいが、こうした雰囲気もいいものだ。
20071201kohata779.jpgこれはまだあまり急なほうではない 次の休憩所まではそんな道でのんびりしていたのだが、そこからがこれまたすごい坂道だ。それでも4駆で上るのだそうだ。そんな話を先頭のおじさんとしながら上ったのだが、途中で順は脱落。この時に上ってきたのは、先頭グループの神官と世話役と権立。この人達は羽山神社へ行くので、先に出たのだそうだ。旗グループはまだ休憩中だ。
20071201kohata784.jpg記念撮影だ しばらく行くと、山頂とおぼしきところで全員で記念撮影。聞きそびれたが、ここが鷹取場か? 目の前が開けて景色も素晴らしい。
 そこから、少し下って行く。

2-11 胎内くぐり岩 〈権立呼ばり問答〉権立と胎内くぐり

20071201kohata788.jpgあとで「羽山神社」と判明した石のご神体 隠津島神社との分岐点まで来た。隠津島神社へ行くには右の急坂を上る。羽山神社へ行くには左の急坂を下る。いずれにしても厳しい道だ。
 でも、この道を行列と一緒に来たのは胎内くぐりを見るためなのだから、当然左の道を取る。
20071201kohata806.jpg権立呼ばり問答 ただ、あまりにも急坂なので、戻ってくることを考えると一瞬躊躇したが、順は、その時はその時とどんどん行列を追いかけて下って行った。膝の悪い則はまだ迷っていたようだが、順は「そんなの関係ねえ」とばかりに自分の道を進んでいった。
 みんなの姿が全く見えなくなるほど遅れてしまった。途中大きな岩があった。お社もあった。何か意味があるのだろうと思ったが、先を急いでさらに下っていった。この辺りになると人が一人通れる程度の細い道で、足下も不如意になる。一歩一歩気をつけながら下りていくと、岩の上に建っている神官の姿が見えた。
20071201kohata800.jpg権立の青年が胎内くぐり岩から出てきた これで生まれ変わったわけだ そこからさらに下りていくとようやく胎内くぐり岩についたが既にそこは満杯状態で、とても岩に近付くことはできなかった。この人達は、行列とは別に、直行コースでここだけを目指してきていたようだ。
 少し待ってようやく胎内くぐり。3人が一人ずつ順に狭い岩の間をくぐって出てきた。終わるとようやくホッとしたようで、皆笑顔に溢れていた。お母さんの方が喜んでいたかな。
 そのあと〈権立呼ばり問答〉が始まった。上の神官が大きな声で問う。それに対して若者が答えるのかと思ったら、付き添いの人が答えていた。
20071201kohata814.jpg羽山神社参拝 それから先ほどの大きな岩の所まで戻る。と、これがどうやら羽山神社だったようだ。その前で参拝が行われた。ここで権立が生まれ変わるということで、食い初めもあったらしいが、それを見ているとまた一人遅れてしまうので、目の前の急坂をうんざりしながら上って則を追いかけた。結局、則は羽山神社まで来て、その先までは下りてこずに隠津島神社へ向かった。
 我がグループでもここまで来たのはほんのわずかしかいない。ただ、ここまで来なければ意味がないという意地で順は頑張ったのだあ。

2-12 隠津島神社

20071201kohata845.jpg三重の塔(左側にあるが工事でシートがかかっている)脇の階段を一挙に上ると隠津島神社本殿前に至る20071201kohata833.jpg三重の塔に至る急坂を下る 途中で合流して隠津島神社へ向かった。目的を達したということで旗は巻かれて担がれて運ばれた。確かにこの急坂を、また、両側から迫るように伸びている杉木立の中を旗をなびかせて歩くのは不可能かも知れない。
 ようやく先ほどの三重の塔に着いた。そこの横の階段から本殿を目指すことになる。先行の権立グループは、既に本殿へ行っていた。
 我々は階段の中間辺りで後の旗が来るのを待つことにした。
 ようやく到着した旗は、そこで再び広げられて階段を上る。これも本当は駆け上るらしい。元気な人はそうしていたが、それはほんのわずかな人で、後はフーフー言いながらようやく上っているという感じだった。見ている観客からは「ガンバレー」という励ましのかけ声が多くかけられた。
20071201kohata934.jpg万歳三唱 今年も無事にこの時を迎えた 無事に旗が本殿に到着すると、そこで参拝の後万歳三唱をして終わりになる。
 同じようなことがグループ毎に行われる。
 集合時刻が近付いてきたので、いくつかのグループを見て戻ることにした。

2-13 戻り道

20071201kohata942.jpg則は完全にくたびれて戻ってきた 膝もがたがたになった 帰りも直行路を通った。上るときは一歩一歩ヨイコラショという感じだったが、下りはうっかりすると早足になってしまう。それをこらえながら歩くので、行きよりも足に対する負担が大きい。そのため、則の膝の負担も大きかったらしく、途中何度も休憩をしながら戻ってきた。
 集合の16時に15分程度を残してバスに戻ることができた。
 添乗員さんが、お祭りクラブというより登山クラブのようでしたね、と言ったが、本当によく歩いた。明日は足が痛くなって参るだろうなあ。

2-14 郡山駅

20071201kohata966.jpg再議にビールで乾杯 バスは順調に走って約1時間ほどで駅に着いてしまった。新幹線の時刻までは1時間以上あるので、すぐに駅ビル内のレストランで夕食を摂ることにした。
 ワインボトルと生ビールジョッキ1杯ずつを飲んだ。ということで、帰りの新幹線はほろ酔い加減のいい気分だった。