表紙 2009年4月19日 4月20日 国内旅行のページへ
2009年4月19日(日)
新宿(0810発)=<中央道・談合坂SA(0902〜0917)・八ヶ岳PA(1017〜1028)>=諏訪IC(1046)・・諏訪休憩(1050〜1120)・・・高遠城址公園(1205〜1325)・・・風穴の里休憩(1458〜1512)・・・臥龍桜(1654〜1715)・・・飛騨古川夕食(1800〜1825)・・・古川祭り(1825〜2230)・・・飛騨高山温泉(宿到着2300)
                       宿泊 : スパホテルアルピナ飛騨高山[泊] 0577-33-0033

1−1 出発(0810)

 久しぶりのバス。朝食を買い込んで、新宿の集合場所へ行く。
 まだ、我々のバスは到着していないので、しばらく待つことになった。上野から来るのだが、いつもなら到着しているはずの時間になっても未だ来ず、道路が渋滞しているのかと不安になった。
 定刻を過ぎて発車というのは珍しい。この先、渋滞していなければよいが、と思ったが、道路の運行はスムーズだった。ただ、例のETC1000円の効果が、観光バスよりも乗用車が目立っていた。
 談合坂で1回目の休憩。その後車内で朝食を摂る。
 その後休憩した八ヶ岳で、昼食用のパンを買い込む。
 諏訪で高速を下りてから3回目の休憩。今までなら、「おぎのや」と決まっていたのに、今回は初めての「野沢菜センター」という所。しかも、この旅行会社の主催する観光バスがずらりと並んでいた。まるでこの会社御用達といった所。比べて、はす向かいにある「おぎのや」にはたった3台の観光バスしか見られなかった。時代の流れか。はたまた恐るべきは、クラツーか。
 出発時間に全員が揃わず、やや遅れた。
 今回は始めから時刻が守れていない。

1−2 高遠城址公園(1205〜1325)

 通常なら、高遠桜は満開で、見応えがある時期なのだが、近来になく暖かい毎日ということで、もうすっかり葉桜になってしまっていた。そのせいで、観光客もまばら。そのお陰で、バスの駐車場まで至ってスムーズに入ることが出来た。
 本来は2時間の時間を取っていたのだが、桜がないのでは仕方がないというので、昼食を摂る程度の時間に短縮された。
 本当に桜は終わってしまっていた。前回来たときとは全く違っていた。その代わりに、たんぽぽやレンゲ、スミレなどがちょぼちょぼ咲いていた。
 少し散策してから、昼食。前回高遠に来たのは、2000年であったが、この時は満開を迎えていたので、その姿を思い出して散策しながらバスに戻った。
 そのあといざ出発となったら、一人戻ってこなくて場内放送をかけてもらった。この人、戻って来るや、皆に謝るでもなくて「何でこんな集合時間なんだ」とぶつぶつ言っていたが、この後も騒動を起こす。以前にも何度か経験したが、年寄り男の一人旅人はこういう輩がいる。

1−3 臥龍桜(1654〜1715)

 高遠の桜が、こんな状態だったので、予定になかった「臥龍桜」を見に連れて行ってくれるという。ちょうど今が見頃なのだそうだ。
 臥龍桜は、岐阜県高山市一之宮町にある桜。龍が地に臥しているように見えることからその名が付いた。種類はエドヒガンザクラ。1100歳を越える老樹だ。
 確かに満開。花の状態もいいが、枝振りも立派だった。1本かと思ったら、2本が寄り添うようにして枝を広げている。その名の通り、上にではなく横に広がっているのでより大きく見える。
 支えきれなくなった枝は、人の手を借りているが、見事さに変わりはない。
 えらい儲け物をした気分だ。

1−4 飛騨古川夕食(1800〜1825)

 飛騨牛のステーキというのが夕食メニュー。駐車場からたくさん並んだ露店の間を通って祭り会館を抜けて行くと、以前と同じ店だった。やはり飛騨牛は5切れ。
 朴葉味噌で焼いた肉より味噌自体の方がjunは美味しく思った。
 夕食後は自由行動になるので、早めに食べ終えて街へ繰り出していった。

1−5 古川祭り(1825〜2230)

 ここからが今日の見物。といっても最大の見物はもっと遅くなってからだ。(写真は古川の町に入る際に、祭り会場に向かう付け太鼓の一段・・・バスの中から、時間的には夕食の前。)

1−5−1 屋台挽き揃え

 まずは、屋台を見るためにその経路となる道へ行ったが、もう曳航はされておらずに、1カ所に集まって整列されていた。それぞれ提灯に灯が入って屋台の姿が夕闇に浮かび上がっていた。
 後ろから順に見ていくと、先頭の屋台から音響が聞こえてきたので、行って見ると太鼓の打ち鳴らしをしていた。それもただ叩くのではなく上半身を屋台から落ちんばかりに反らして枹(ばち)を振り下ろす。前進のバネを使って太鼓に負けないようにと打っている。これから始まる起し太鼓の勢いを思わせる打ち方だ。
 太鼓が終わるとここはこれで解散だというので、起し太鼓の撮影ポイントを探しながらフラフラと神社へ向かった。

1−5−2 付け太鼓の若者

 神社へ着くと集団が出来ていたので近づいてみると付け太鼓の若者達が演技(?)をしていた。まだ一つのグループだけだったが、代わる代わるに立てられた棒の上で曲芸まがいに技を披露していた。
 酒も入っている上に人に限りもあり、途切れ途切れの技の披露ではあったが、それなりに盛り上げるパフォーマーもいて結構楽しめた。
 この頃はまだ観覧する人もまばらで、一番前の席を占めることが出来たので、起こし太鼓の出発まではまだ時間があったが、しばらくはここで付け太鼓を見る事にした。
 出発時刻が近づき,9時頃になると、付け太鼓のグループが次々の集まってきた。6つくらいまではまだ余裕があったのだが、それ以上になるとギュウギュウ詰め状態で棒の上の技披露となった。観客も増え、歓声が立て続けて起こった。
 一番目で座っていたnoriも立ち上がざるを得ないような状況となった。まさに押し合いへし合いという状態だ。
 そんな中、恭しく儀式が始まった。来賓の紹介や祝詞など一通りのことだ。

1−5−3 起し太鼓

 9時30分、定刻になっていよいよ起し太鼓が出発だ。
 大きな太鼓の上に二人、横に二人が構えて堂々と叩く。大きな音が静かに響き渡る。その前で、付け太鼓の若者達が気勢を上げるが、そんな騒ぎを物ともせずに、起し太鼓はゆっくりと前進する。何人寄ってこようともびくともしないという威風堂々とした進み方だ。
 それに押されるように付け太鼓の一群が、我々の方に傾いてくる。若い男衆の裸がすぐ目の前まで迫ってきて危うく倒れそうになってしまった。
 そのまま団子状態で大きく動いていくが、起し太鼓のリズムは崩れることなく打ち続けられた。まさに大将の風格がある。その後を観客が付いていく。我々もその集団から抜けることも出来ずに共に進んでいった。
 しばらく行って曲がり角に来たときようやく一団から離れて、一息つくことが出来た。最高のポジションだった。やや危ない所はあったが、これもお祭りの醍醐味。少し参加させてもらったような気になって興奮した。
 それから列の先回りをしようと横町に入ると、提灯行列が来た。ここには子供や女衆の長い列で出来ていた。裸祭りに参加しない(できない)人たちはこうして行列で祭りを盛り上げているようだ。
 付け太鼓のグループは,ずっと付いて行っているのもあれば、我々と同様に先回りして待ち構えているのも有りで、神出鬼没の感じだった。彼らが現れると警備の人が、「来たぞー」といって緊張状態に入っていた。
 この様なことが日付を越えて翌日2時近くまで繰り広げられるが、我々は一端ホテルへ行くことになり、途中で引き上げた。

1−6 飛騨高山温泉(宿到着2300)  スパホテルアルピナ飛騨高山326号室

 ホテルは高山駅からすぐの所にある。立地条件のよい所だ。新しく建てたのか改装したばかりなのか、ペンキの臭いがぷんぷんするほど真新しく綺麗だった。
 ベッドも大きくてゆっくりしていた。
 大浴場があるというので、速攻で行く。混んでくる頃にはもう上がるという手際の良さだった。
 風呂上がりに一杯引っかけてすぐに寝た。