ブルガリア旅行記 バチコヴォ

7、6月3日(日)2/2 ⑭バチコヴォ、プロブディフ(快晴)

起床(0500)朝食(0630)ホテル発(0726)トラキア人の墳墓(0823~0836)イスクラ歴史博物館(0841~0911)トラキア人の墳墓(0918~0933)バラ積み体験(~1037)ローズ博物館(1048~1124)バラ祭りパレード(1215~1308)博物館(1339~1358)昼食(1402~1510)バチコヴォ僧院(1748~1815)ホテル着(1903)夕食(1911~2028)部屋入室(2030)就寝(2130)

7-10 バチコヴォへ

WC(1602~1615)プロブディフ(1658)バチコヴォ(1720)

 畑の中に小高い丘が見えた。これもトラキア人の墳墓だそうだ。左の方から黄金のマスクが発見されたとか。
またしばらく行くと、シプカ峠にシプカ教会が見えた。シプカ峠の戦いで犠牲になった兵を悼んで、1902年に建てられ教会。典型的なロシアの正教会で、金色のタマネギ型ドームが輝いている。当然ながらロシア政府の援助で作られた。そこに寄ってくれるのかと思ったら、麓から眺めただけだった。
 プロブディフの町に入った。そこに続くアセノブラクトはウエディングドレスの町だそうで確かにそういう店が並んでいた。
 この街には20の教会と数多くの僧院があるのだそうだ。途中でその中の一つ、丘の上に4世紀の物という教会を見た。

bulgaria4273 03 2117.jpg日の出
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7-11 バチコヴォ僧院(1748~1815)

 バスで、露店の間を抜けて僧院の入り口まで行った。
 昔は露店の前で降りて歩いて行ったようだが、今では上まで行ってしまう。露店は素通り。気の毒だ。
 バチコヴォ僧院は、ブルガリアではリラ修道院に次いで有名で規模も大きい。1083年にビザンチン軍の司令官を務めたグルジア出身の二人の兄弟がビザンチン皇帝から与えられた封土にこの修道院を創設した。その後地元の人々からも寄付が寄せられ、敷地内に学校や病院が併設されグルジア人の修道院として発展した。したがって、この三者、すなわちブルガリア、グルジア、そしてビザンチンの混合文化の賜として非常に意義のあるものになっている。ちなみに、掲載の最後の写真はグルジアのクタイシ近郊にあるゲラティ修道院の写真。一番最初の写真と最後の写真からその類似性は視覚的に納得がいくだろう。
 12世紀末~13世紀初頭に修道院の冬季のみ使った聖大天使教会が建立された。回廊の壁画は、有名なイコン画家のザハリー・ゾグラフ(1810~1853年)が後の1841年に描いた。この人はリラの修道院のも描いた人だそうだ。
 1604年にドームのある中心的な聖母就寝教会が建てられた。
 1834~1837年には聖ニコラを祭る3つ目の教会も建設された。
 ただし、ここもトルコによる破壊や火災などでダメージを受け、今残る建物はほとんどその後に再建されたもの。創建当初から残るのは、納骨堂だけ。トルコ支配下の時代には、弾圧された人々を匿い、ブルガリア人の心と文化の拠点ともなった。
 バスは対向車が来たらああどうしようかと言うようなすれすれの細い道を難儀をしながら登っていった。未だ登るのか・・・と思っている頃に門の所に至った。
 門を一歩入ると撮影禁止。が、これまたいつも通りに、今のうちに・・という言葉に乗った。
 中庭には柿の木があった。これは日本から送られた物だそうだが、謂われは分からない。
 中庭に面して、右側には二つの教会が並んで建っていた。古い方の教会の上には、草が生えていた。
 その向かい側の食堂の長い北壁には1864年「奇跡を起こすイコンの行列」という場面が描かれた。
 「このマリアは、トルコの襲撃に備えて隠したのだそうだが、そのうち忘れ去られてしまった。それをあるとき子供が夢の中で泣いているマリア様を見、教会の人が探し出したのがこのマリア像。奇跡のマリアと言われる。このフレスコ画の中にこの子供も描かれている。」とガイドさんが説明してくれた。
 最初に中心的な聖母就寝教会に入る。付きだした軒のような入り口にもフレスコ画が見られる。
 中は薄暗く、ろうそくのすすが付き黒くなってしまっている。フレスコ画も描かれており、イエスを抱いたマリアもいるということだが、あまり良くは見えなかった。
 次の部屋に入ると、そこに1311年にシルバーの飾りを施された、奇跡を起こす力があると信じられている聖母のイコンがある。近づいてよく見ようと思ったのだが、純粋に祈りを捧げる人が列を作っていたので、近づくことが出来なかった(この写真は参考文献にあげたのでたどってもらいたい)。
 他にもイコンがたくさんみられた。これらは新しい物だそうだ。
 17世紀から残るものは、金粉を施した木彫りイコノスタスと祭壇への中央扉だ。
 外へ出ると修道士がいた。
 現在も男子修道院として機能しているので、7~8人の修道士がおり、彼らは黒いロングドレスのような服を着ていた。が、庭に面してボンヤリと座っていたり、携帯で話していたりととても修行しているような尊厳さは感じなかった。
 それからは門の写真を撮ったり、冷水を汲んだりして、集合時刻まで待った。写真を撮れないのでフリーと言われてもあまり使えない。
 帰路バスは、往路と同じように、参道の商店街の軒先をかすめながら下山した。

bulgaria4408 03 2351.jpg大聖堂
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7-12 ホテルへ

 しばらく川沿いを走る。珍しく滝を見つけた。ダムもある。
 またウエディングドレスを見た。と、ここでバスは停車。何か修理をするらしいと言うことだったが、すぐに終えた。こんなところで動かなくなったら困ると思ったので一安心。

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7-13 ホテル<インペリアル 113号室>

ホテル着(1903)

 ホテルに着いてからすぐに夕食となった。

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7-14 夕食(1911~2028)

 メニューは、サラダ、グリルチキン、フルーツケーキ。
 ビール大4レバ×1。ワインボトル14レバ。

bulgaria4466 04 0134.jpgここは盛りつけも楽しめた
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7-15 部屋にて

部屋入室(2030)就寝(2130)

 食事が終わってから、それぞれの部屋へ行った。
 さあ、バラ風呂に入れる、と思ったら、何とシャワーのみ。風呂はお預けとなった。添乗員があれほどバラ風呂バラ風呂!とけしかけていたのは何だったのだ。
 これまでにも目に余ることが多いので、東京の本社へ苦情のメールを入れた。ブルガリアは、日本と同じでパスワードを聞いてくれば部屋でも自由にネットが使えた。ネット事情は良好だった。

bulgaria4477 04 0219.jpg花摘みに精を出す人々
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