ブルガリア旅行記 カザンラク

7、6月3日(日)1/2 ⑬スタラザコラ、カザンクラ(快晴)

起床(0500)朝食(0630)ホテル発(0726)トラキア人の墳墓(0823~0836)イスクラ歴史博物館(0841~0911)トラキア人の墳墓(0918~0933)バラ積み体験(~1037)ローズ博物館(1048~1124)バラ祭りパレード(1215~1308)博物館(1339~1358)昼食(1402~1510)バチコヴォ僧院(1748~1815)ホテル着(1903)夕食(1911~2028)部屋入室(2030)就寝(2130)

7-1 朝

起床(0500)朝食(0630)ホテル発(0726)

 今日は、今回の旅のメーンイベント、カザンラクのバラ祭りの日だ。
 出発が早いということで、当初、朝食はボックスで、ということになっていたが、ホテル川で用意してくれるというのでレストランで食べられるようになった。
 パンと暖かいコーヒーだけでも有り難い。が、ここでも一悶着。前日の説明ではビュッフェだと言っていたのに、セットメニューになっていた。
 しかも別のイタリアの団体は既に並べてあったのに、我々のは、我々が席に着いてから準備に入ったらしく、なかなか用意できなかった。このときにもまだ添乗員は来ていなかったので、noriが厨房に入って皿を持ってきたりコーヒーを運んだりした。我が家が食べ終わって戻るときに、別のテーブルに座っていた人には何も来ていなかったので、ここもnoriが厨房から運んだ。その間、遅れてようやくやってきた添乗員はただボーッと立っているだけ。使えない人だ。
 出発は7時15分と刻んであった。
 昨日のバスの乗り込み騒ぎがあったので、皆添乗員を待った。そう、今日も遅く来たのだ。
 そこで、後ろは窮屈だが我慢して、みたいなことを言うので、今日一番に乗り混む我が家が、最前席を2人で座るから、明日からもそのようにして欲しいと話すと、皆さんが賛成してくれたので、そのようにした。
 何しろこのバスにはシートベルトがない。しかも最後列の席はベンチシートではなく一人一人の4席しかない。おまけに他の席には付いている荷物入れのポケットもないのだ。
 最悪の条件の席に押し込んで我慢せよ、というのはあまりにも能がなさ過ぎる。
 そんなことをしていたので、出発が10分ほど遅れた。

bulgaria3571 03 1207.jpg日の出
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7-2 トラキア人の墳墓その1(0823~0836)

WC休憩(0802~0817)

 カザンラク周辺には、トラキア人の墳墓と思われる物が合わせて150個ほどあり、幾つかが一般に公開されている。そのうちの一つが世界遺産に指定されている紀元前3、4世紀に造られたヘレニズム期の美しい壁画の墓で、第二次大戦の最中の1944年4月に兵士が防空壕を掘っていた時に偶然発見したもの。
 ここも、本物の墓に入るためには特別な事前の許可申請が必要で、隣にまったく同じように造られたレプリカの墓が置かれて一般公開されている。
 バスを降りて階段を上がり、オリジナルのところで写真を撮る。ひっそりとして殆ど人がいない。その後、レプリカの方へ行くがまだ開いていないという。連絡しておいたんですがね、とここでもまたこの台詞だ。

bulgaria3608 03 1426.jpg厳重に保存されている感じ
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7-3 イスクラ歴史博物館(0841~0911)

 「それではバラ博物館へ先に行きます。」ということになった。が、着いたのはすぐ近くの博物館。ここがどこなのかの説明もなかったが、展示品からイスクラ歴史博物館そう判断した。
 ところが、ここもまだ開いていない。9時オープンだ。運良く、展示品のポスターがあったので、それについてガイドが説明をしながらしばらく待つことになった。
 出発をせかされた意味が分からない。ただただ、バラ祭があるのであせったとしか言いようがない。しばらくすると係員が来て鍵を開け、準備が出来たところで、ようやく9時になって入ることができた。
 本当は撮影禁止だそうだが、係員が付いてくるわけでもなく、ガイドさんがそっとなら、ということで、またもや隠れて撮影。
 さて、この歴史博物館は1901年に開館した。常設展は「考古学」「民族復興期」「近代史」「民俗誌」「現代史」の各部門に分かれている。
 だが、ここでの一番の見物は、「宝」ホール。そこには、地方の墳墓や神殿で出土した貴金属の装飾品が展示されている。その中でも目立つのは、トラキア王セウテス3世(紀元前4世紀)の金冠、兜、膝当て、金銀を使った馬の装飾品、トラキア時代の硬貨などだ。
 黄金の仮面はレプリカと書かれていたのだが、ガイドさんに何度確認しても、あれは本物ですとの答えだった。が、見る方もそれほどの眼力があるわけではないので、良しとする。これは生きている間に作られたのだそうだ。
 金冠は少し大きめに作られているとのことだ。
 金のカップはワインを入れた物だそうだ。ブロンズ像は目に注目。王と同じ色をしているのだそうだ。・・・などの説明を一応はしてくれたが、さっさと進んでしまって物足りなかった。
 他の部屋は殆ど素通りだった。
 それならパンフレットでもと思ったのだが、これだけの所でも、パンフレットすらなかった。
 さあ、今度こそ先ほどは入れなかった墓を目指す。

bulgaria3636 03 1440.jpg市章と国旗
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7-4 トラキア人の墳墓その2(0918~0933)

 先ほどとは違って楽な方の道を進んで行きます、と添乗員は言ったが、結局先ほどと同じ階段を上る。どうもこの人言うことが、いい加減だ。というか、ガイドさんと打ち合わせしないで自分の思いこみだけで話をしているのだろうかと思う。
 今度は開いていたので、すぐに入ることができた。
 ここも先のトラキア墳墓と同じように靴カバーをつけて人数制限されますので、グループに分けます、と言っていたのだが、そんなこともなく全員が勝手に入った。
 撮影料も初めは4レバと言っていたのに、別の係員がきて5レバと言うことになった。が、ガイドさんがサッサと行け、と手で合図したので、素早く中に入って撮影。中国でもそうだったが、こんなことでいいのだろうかと思う。
 それにしても、管理がいい加減というか、こちらが勝手でメチャメチャなのか、いずれにしろ統制のない所だった。
 ガイドさんはここでも入り口にある写真を見て説明をしてくれた。
 トラキア王とその日常の生活が描かれているとのことだ。王の名前は分かりますか?と聞いたら、王、と答えたのみだった。葬式とか結婚式とかいろいろ説があるそうですけど、と聞いたときも、日常の生活ですと断定した答えが返ってきた。
 「ここでの見物は奥の玄室にある壁画。玄室には何も残っていないが天井の丸いドームに非常に美しい壁画が描かれている。円の周りが「弔いの宴」、真ん中に戦車競技の絵が描かれている。この墓では木棺に入った男女の遺骨がペアで見つかっている。絵の中の女性が殉死した彼の妻であったのだろう。トラキアの伝統では夫が死ぬと妻は殉死しともに葬られるのが栄誉とされた。野蛮な風習のようにも思えるが、生命の再生を信じていたトラキア人は、次のより素晴らしい世界に二人そろって生まれ変われると考えていたのである。墓の主は地方の有力貴族だったと考えられている。副葬品はほとんど盗掘されていて遺骨と短剣、金で作った小さなボタンのような飾り百四十個などが残っていた。それらの副葬品は現在はカザンラクのイスクラ博物館に展示されている。(旅名人ブックス)」
 「極最近までそれは葬式のシーンだとされてきたが、最新の研究によると、逆に結婚式の場面なのではないかと考えられるようになった。中心には、召使・給仕係や音楽家に囲まれた死者とその妻の姿がある 。 (ソフィア大学の日本学専攻の4年生のブログ ON 6月 30, 2011)」
 「トラキア人の墳墓は最も保存状態のいい壁画をもつ古代墳墓です。 トラキアのオドリサ族の王セヴトス三世の家臣のために建てられたとされています。(ブルガリア観光局)」
・・・資料が多すぎて余計に混乱した。船頭多くして船山に上る・・か。
 それから、またオリジナルの所へ行って写真を撮った。
 その頃には、ここの前に沢山のお土産屋さんが並んでいた。勿論バラの製品が殆どだった。

bulgaria3678 03 1522.jpgコピーといえども厳重な入口
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7-5 バラ積み体験(~1037)

 ここから専任のガイドが付く。我々のナンバーは24。偶然だが、参加人数と同じ。
 彼の誘導でまずバラ園へ向かう。ガイド付きでないとバラ積み体験はできないのだそうだ。すぐ着くのかと思ったら、カザンラクの町を出てしまった。どこまで連れて行くのかと思った頃にようやく到着。
 一面緑色で、ややがっかりな気持ちで降りたが、実際にはたくさんの花を付けていた。
 バスの中で靴カバーをつけて、配られた帽子と花入れを持っていざバラ園の中へ。
 初めに花の摘み方を教えてもらったが、どうしてもとげの部分もとれてしまうので、花びらだけ摘むようにした。すぐにもらった入れ物はいっぱいになってしまった。
 今夜はバラ風呂が楽しみですね、と言う添乗員に乗せられて、我が家はビニル袋にいっぱいの花を摘んだ。
 香りが強い。なるほど、これでなくては香水の材料にはならない。

bulgaria3753 03 1625.jpgいっぱい摘むことが出来た
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7-6 ローズ博物館(1048~1124)

 そこからすぐ近くの、今度こそローズ博物館。が、調べていったところとは違っていた。
 一応、昔のバラ液の抽出の機械が置かれてはいた。
 ここでは、前庭では民族衣装を付けたおばあさんたちが歌ったりして観光客をもてなしていた。洋服のエプロンは、昔はハンドメイドだったようだが、今は機械だそうだ。
 若い子たちは売り子をしていた。バラやラベンダーの蜂蜜やバラの石鹸などが売られていた。我が家も買おうかと思ったが、あまりの人だかりにその場を通り過ぎた。
 すると、お菓子とバラジャムの試食とバラリキュールの試飲をするところがあったので、早速させてもらった。バラリキュールがおいしかったので買いたかったのだが、すでになく手に入らなかった。というか、このテーブルはもう後片付けに入っていた。
 ガッカリしてお客のいない売り場へ行ったら、ここにもバラ関係の商品が並んでいたので、石鹸を3個購入。ユーロでもいいというので払ったら、お釣りがないと言うのでもう1個商品をゲット。1個3ユーロの石鹸、4個で10ユーロ。
 奥に大きな実物の機械があった。仕事をしている人がいたので、どうやら抽出作業をしているらしい。
 こういう作業の手順とかを説明してくれるところかと思っていたのだが、結局ここでは買い物だけだったように思う。

bulgaria3760 03 1642.jpg花摘みに精を出す人々
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7-7 バラ祭りパレード(1215~1308)

 ブルガリアのローズオイルはシャネルなどブランドものの香水のレシピに不可欠とされ、世界のバラの香水の原料は何と7割がブルガリア産ともいわれている。栽培される品種は「ダマスクローズ」と呼ばれるもの。
 このバラの収穫を祝うのがバラ祭りである。選ばれたバラの女王が座る前を、民族衣装をつけた人々が練り歩き、民族音楽に合わせて踊りを披露したりするという物だ。

7-7-1 いざ会場へ (1145~)

 バスを降りてしばらく歩くことになる。
 何と先ほどイスクラ歴史博物館へ行くときに降りた辺りだ。白い教会ももうお馴染みだ。
さすがに人が多く、また露店も沢山出ていた。
 会場には指定席が用意されていた。が、場所がはっきりせず、落ち着くまでしばらくかかった。

bulgaria3819 03 1751.jpgカザンラクの市章
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7-7-2 始まり (1200~)

 始まりはいずこも同じ、まずはご挨拶から。延々と続くのは日本と同じ。言葉の分からない我々には全く退屈な時間だが、地元の人にとってはそれなりの物なのだろうと我慢する。
 彼らが着席してようやく始まるようだ。
 チアガールが登場してパレードが始まった。
 花火も打ち上げられた。
この頃にはバラの女王も着席していた。一寸失礼して真正面から写真を撮らせてもらった。

bulgaria3846 03 1814.jpgたぶん町などのお歴々なのだろう
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7-7-3 パレード (1215~1308)

 次から次にいろいろな衣装を着たグループが登場した。
 静かに歩くだけのグループもあれば、元気の踊るグループ、一寸おどけて三枚目を気取るグループ、地味で何もしないグループなど大人から子供まで皆楽しそうに参加していた。
 この地のガイドさんの友人も出ていたのだそうだ。
 途中で、バラ水を振りまいて行く人もいた。これはかなり強烈だ。日本人には強すぎて敬遠されるのでは無いかと思う。
 日本と言えば、空手や合気道を習っているグループもあった。
 スポーツクラブのような団体もあった。
 大阪と姉妹都市を結んでいるとかで、日本人が浴衣で行列を組んでいた。ただし、これはあんまり冴えなかった。浴衣もだらしない感じで、見ていて一寸恥ずかしい気がした。(ちなみに、帰国後調べてみるとカザンラク市と姉妹都市の関係にある日本の都市はない模様。福山市の民間団体がバラが縁で交流があると言うことのようだ。)
 人だけではなく、オートバイや車、自転車の隊列もあった。
 とにかく皆が思い思いの気持ちで参加しているらしい。
 勿論その町の衣装を着て、町らしさをアピールしている物もあった。
 それぞれの思いがあるようで見ていて楽しかった。
 日差しが強くて暑くてたまらなかったが、それをも忘れさせる一時だった。
 ただ、同じ会社から出ているもう一つのグループの鑑賞態度が悪くて、観客の前まで、つまり道路の真ん中まで出て写真を撮っているのには頭にきた。というより困った物だ。
 向かい側の方でそのようなことをするとすぐに警備員が注意をして戻すのだが、どういうわけか、こちら側には警備員はいなかった。
最後は参加者も観客も一緒に輪になって踊る。こういうとき、外国の人はすぐに参加するが、日本人はどうも苦手なようだ。
 それを見越してか、すぐに引き上げーということになった。
 このとき、我がグループの一人がその輪に参加していたのだが、誰も気がつかなかった。
 ここでも添乗員が人数の確認をしないままに出発してしまったのだ。

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<左上に続く>

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7-8 博物館(1339~1358)

 一人不明だった人は、運良く同じ会社の別のグループに拾われたと言うことで、この博物館で待ち合わせとなった。
 彼女の言に寄れば、もう下手に動き回るよりここで夜まででも待っていようと思ったそうだ。それが賢明な考えだったようだ。
 この博物館は合流するために寄ったのではないかと思えるような古い小さな博物館だった。元々の予定にはなかったところではないかと思ったが、入り口には「ローズミュージアム」と書かれていたので、ここが日程表にあったローズ博物館?。
 中では特にそういう説明も無かったが、並んでいるのはどうやらバラの抽出やローズオイル入れのような物のようだ。そしてブルガリア国旗の色で巻かれたものなどもあって、往時から、ブルガリアの主要な輸出品の一つだったことも分かった。

bulgaria4223 03 1941.jpg博物館に入ることになった・・・
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7-9 昼食(1402~1510)

 昼食はかなり広い敷地にあるビュッフェスタイルの所だった。
 建物の中にも野外にもテーブルが並べられている。我々は野外の方だったが、緑の中で気持ちが良かった。
 ここはアルコールを含む飲み物もフリー。当然ビールをもらう。
 目の前で焼いた肉などもあって、内容はかなり豊富だった。
 帰り際にアルコールのテーブルを見ていると、ラクのように水を注ぐと白く濁る酒が置いてあったので、1杯だけ味見をしようともらった。こちらでは水ではなく氷を入れるだけ、つまりロックでのむ。ラキアという酒だそうだ。これはかなり強いのだが、一緒にいたガイドさんは、バーテンダーが次いでくれた量が足りないと言って追加してもらっていた。
 ちょびちょび飲む我が家の二人を見ていた彼は、面白そうに別の酒を勧めてくれたのでそれも頂く。が、これがやばいほど強い酒で、飲みきれずにバスの中まで持ちこんだ。47度の酒。

bulgaria4238 03 2016.jpgつい食べ過ぎてしまう
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