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2008年6月14日(土)
都万(0748) −(0810)西郷港(0830)−(0930)中ノ島・菱浦港(0940)−(0948)後鳥羽上皇御火葬塚−(0952)後鳥羽上皇御在所−(1002)隠岐神社−歴史民俗資料館−(1140)美田港(えり焼きとヒオウギ貝御膳の昼食)(1230) −(1250)知夫里島・来居港−(1315)赤ハゲ山(1330)−(1341)赤壁(1400)−(1430)牛の泳ぎ(1440)−知夫里島・来居港(1503)−(1523)西ノ島・浦郷港−(1545)赤尾展望台(1600)−(1620)摩天崖(1640)−(1650)国賀浜(1720)−(1725)由良比女神社(1735)−(1750)美田(泊)
                                    宿泊:隠岐シーサイドホテル 鶴丸

2−1 朝

 朝はいつものように早く起きて散歩に行った。外へ出ると、もっと早く起きた人が近くの情報をくれたので、それに従っての散歩となった。
 まずは宿舎の隣にある松原に行った。屋那の松原という名がついており、3日目にまたここへくることになっている。キジの鳴き声がしたが、姿を見ることは出来なかった。
 それから少し歩いて、朽ち果てている船小屋まで行った。遠目に見ると風情があるのだが、近くで見ると単に壊れかけた小屋に過ぎない。観光資源としてもう少し保護されてもよいのではないだろうか。

2−2 中ノ島へ

 今日は島巡りになる。まず始めは、中ノ島へ。西郷港からフェリーに乗った。実質今日一日で島前(中ノ島・西ノ島・知夫里島)観光をしてしまうという行程。明日の朝にはまた島後へ戻ってくる。空港が島後にしかないから、こうした行程になる。
 いつものように後ろの開口部へ行って周りの景色を楽しんだ。100以上も島があるというが本当に次から次へと島を通り過ぎる。宿泊した羽衣層も遠望出来た。
 退屈してきた頃なんと海上でトビウオが飛んでいるところを見られるようになった。則も順も初めて目にする光景なので大興奮。ただ、小さすぎてなかなかカメラに納めることは出来なかった。左の写真が飛んでいるトビウオ。そして右の写真は水の中から出て飛び始めたトビウオ。奇跡的に撮れた瞬間だ。

2−3 後鳥羽上皇御火葬塚

 菱浦港に着くとバスが待っていた。昨日一番後ろの席だったので、今日は一番前。でも、あまりバスでの移動はないのだ。
 始めに着いたのは、御火葬塚。囲いに囲まれ,小さな鳥居がある。
 かの資料による。<承久の乱により隠岐へ配流となった後鳥羽天皇は、失意のうちに60歳で亡くなりました。後鳥羽上皇の遺体は、源福寺の勝田山で荼毘にされ源福寺に遺骨を埋葬し、廟殿が建てられました。この山稜が現在、火葬塚と呼ばれています。明治8年より宮内省所管となり、村上氏が管理しています。>
 ということで、現在宮内省の管轄なので、草1本持ち出してはいけないという。


2−4 後鳥羽上皇行在所跡

 次はすぐ横にある。ここは本当に何もない。が、天皇家は代々お参りにくるそうで、お手植えの松などというものが何本かあった。ただ、松食い虫の被害があって、現物は残っていないのだそうだ。ただ、ここには面白い話が残っていて、池にいた蛙がうるさいと思ったら静かになったとか、池の鯉を食べてしまった猫とかにまつわるものだ。これは後で、石になった姿を資料館へ行った時に見ることが出来た。
 また資料による。<高倉天皇の第四皇子として、治承4年(1180年)に生まれました。承久の乱により海士に流され、海士で没した天皇の遺灰、遺骨を埋葬した御火葬塚、少し奥まったところに源福寺寺院が行在所跡として保存されています。>
  左の写真は後鳥羽上皇が在所として使っていた寺の山号?「隠岐院」の額。往事のものはほとんど散逸しており、今やこのようなものしか偲ぶものはない。

2−5 隠岐神社

 古い神社にお参りをした後、参道を下りていくと、めずらしい狛犬があった。何が珍しいかというと、一方の狛犬に赤ちゃんが付いているのだ。隠岐では珍しいものではなく、これは、後鳥羽上皇に実は子供がいたことを現しているとか、子供がいれば寂しさを慰められるだろうと思って付けたとか,いろいろな説があるようだ。杖の先あたりにある。円形に拡大してみたがわかるだろうか。
 そこを下りていくと桜並木。その季節はとてもきれいだろう。他にも桜の木の下にはツツジがあり、あじさいも多数あった。それぞれの季節で花が楽しめるようだ。
 資料による。<隠岐神社は後鳥羽天皇を祭神とし、天皇御火葬塚の隣接地に造営されました。社殿は、独特の隠岐造りで参道に桜並木が続き、桜の名所として知られています。花の時期4月14日に毎年春の例大祭が行われています。>

2−6 歴史民俗資料館

 後鳥羽上皇関係の資料がたくさんあるのかと思ったが、罪人なのだから、そんなにあるわけもなく、先ほどの蛙と猫の石が一番面白かった。
 他には、後の書家による上皇の和歌が並んでいた。それから2階は日本刀。後鳥羽上皇は太刀に力を入れていたらしい。あまり見るべきものはなかった。
 ここで中ノ島の観光は終わり。次の島への移動となる。

2−7 西の島での昼食

 まずは昼食のために西の島へ行く。移動は昨日ローソク島に行ったとき程度の小さな船だ。またもや後ろに乗って、スリルを楽しみながら25分ほどの船旅を楽しんだ。
昼食場所は、今夜の宿泊所。なるほど、ここへ荷物を置いていくために、寄り道をしたのだ。
  メニューは、ヒオウギ貝御膳。ヒオウギ貝というのは、殻のとてもきれいな貝だ。それも一色ではなく何通りもの色があるので、たくさん持ち帰った。

2−8 知夫里島へ

 大きな荷物を置いて次の島へ移動となる。船は先ほど乗ってきた観光船だ。船のタクシーのようなものらしい。今度は20分ほどだ。が、その短い時間の中で、後ろの席は波をかぶってかなり濡れてしまった。
 写真はずぶ濡れ状態になった順さんの背中。この後やむなく部屋の中に順さんは撤退した。

2−9 赤ハゲ山

 またバスに乗って島内の観光となる。バス会社は昨日のとは違って,この島の観光バスだ。
 始めは赤ハゲ山へ行く。島のほぼ中心にあり、隠岐諸島の中で一番高い標高325mある。そこへ向かう途中は牛がたくさん放牧されていた。ここではこれらの牛を育てるというより、子牛の時に各地へ売り出すのを主目的にしているのだという。但馬へ売れば但馬牛、松坂へ売れば松坂牛ということになるのだという。道路にも牛が出てくるほどに牛が多いのだが、それ以上に狸の方が多くなってしまったのだそうだ。
 着いた所は眺望のきくところで、これまたきれいだった。今日もよいお天気に恵まれて、最高だ。

2−10 赤壁

 風がすごく強くなってきた。バスを降りて、狭い柵の中を歩いて行く。牛よけの策が施されている分、歩きにくい。赤壁というのは、赤く見える断崖ということだ。そこへ着くと風がすごい力で吹き付けてくるので、立っているのも大変なくらいだ。でも、赤壁はお見事。自然とはすごい。どこからこんな色が出てくるのだろう。ここも夕日が当たるとさらにきれいになるそうだが、それは時間の関係もあってかなわぬことだった。
 <知夫里島の西海岸には、およそ1kmにわたって荒々しく削り取られた断崖が続いている。大以外の高さは50mから200mにも及ぶが、その色彩のすばらしさに目を奪われる。中でも昇龍岩と臥岩は見事で、夕日を受けると岩肌は深紅に輝く。昭和10年(1935)12月に国の名勝および天然記念物に指定されており、国立公園の特別保護地区にもなっている。>

2−11 牛の泳ぎ

 この地区では牛が海を渡って泳ぐということがあるというので、それを見ることになった。途中まで船で連れて行って、ロープを離すと、自力で陸に戻ってくるというのを見せてくれた。以前は対岸の島まで泳いで行ったそうだが、今はそういうことはないそうで、観光用にやっているだけとのこと。この牛の水泳、牛は皆泳げるのだそうだ。あの小さな蹄で感心する。観光用に始めた頃、動物愛護団体から動物虐待とかなり抗議されたそうだ。今はどうなのかわからないが、あきらめたのか、最初のポーズだけだったのか定かでない。

2−12 西ノ島へ

 一通りの観光を終えて、また西の島への移動となる。船は先ほどの船。戻りは波に逆らうことなく走るので、さほどの波はかぶらないですんだ。

2−13 赤尾展望台

 牛の糞に気をつけながら突端まで行くと、遠目に摩天崖や通天橋が見えた。ここは最大の見所だろう。本当なら、観光船で通天橋の近くを巡り、明暗の岩屋という洞窟にも入る予定だったのだが、風が強く波が高いために中止となってしまったのが残念だった。我が家はどうも洞窟には縁がないようだ。
 ここには、写真屋さんも待っていて団体写真と相成った。当然購入。
<赤尾スカイラインの終点にある赤尾展望台からは、摩天崖、通天橋、天上界など国賀海岸が見渡せる。夕日が沈みかけてから見える漁船の漁り火などの景色は特に美しい。>
<通天橋は、日本海の荒波が造り出した岩の架け橋、自然が作り出した巨大なオブジェである。かつては、下を船で通ったが、落石によって次第に浅くなり、現在は通れない。>

2−14 摩天崖

 再びバスに乗って摩天崖を目指す。こちらは、牛とともに馬も放牧されていた。これら馬も売り物だ。従って、ここにはこんなに牛や馬がいるのに、自分たちで名物と銘打って売り出したり食べたりすることはしていない。
バスを降りると,これまで以上に糞が固まりとなって足元をまさに埋め尽くしている感じにある。踏まないように十分に注意を払って先端へ行く。柵があって落ちないようになっているのだが、我が家はその柵の先まで下りていった。
 海とそこに浮かぶ島々の情景が美しかったが、先ほどの通天橋は見えなかった。ここからずっと下へ続く遊歩道があったのだが、我々はまたバスに乗っての移動となった。
<島前西ノ島の国賀海岸最大の見所で、海面に向かって垂直に切り下ろされた巨大な絶壁の高さは257m。海蝕崖では日本一の高さで,ビルでいえば70階にも相当し、身の縮むようなスケール感があり、自然の雄大さを実感できる。>

2−15 国賀浜

 バスで国賀浜へ向かう途中、野生のキジを見つけた。といってもほんの一瞬のことだったので写真に撮ることは出来なかったのだが、まるまると太っていたように見えた。今ちょうど繁殖期で、特にオスがきれいなのだそうだが、我が家が見たのはどうも雌だったようだ。
 バスを降りるとキジの鳴き声が聞こえたが、姿を見ることは出来なかった。何とか見られないかとキョロキョロしながら坂道をずうっと下って行った。
 ここからは通天橋が目の前に見えた。早速二人で記念撮影。近くまで行ってみたいと思ったのだが、出来なかった。
 また、観音岩というのもあった。見る方角によって,観音様に見えたり、またはローソクに見えたりする。ここも先端に夕日が当たると,まるでローソクのようになるらしい。

2−16 由良比女神社

 ここの面白いところは、神社の前の浜に鳥居とイカをとる人の姿を形取った板がおいてあること。以前はある時期、大量のイカがここに押し寄せ、手づかみでつかめたそうだ。そのおかげで家を建てた人もいるという。ただ、今はもう少なくなってそんなことも出来なくなってしまった。
 古い神社で宮司さんもいないそうだ。
<延喜式神名帳に見える古社で、漁業神、海上守護神として島内の信仰を集めており、隔年ごと(平成奇数年)に壮麗な大祭が催される。鳥居が海中にたち、その入り江にはイカの大群が押し寄せることで知られていることから、昔はするめ大明神とも呼ばれていました。>

2−17 宿泊:隠岐シーサイドホテル 鶴丸 207号室

 本来なら船で来るはずだったのだが、結局はバスでここまで来た。
  船に乗れなかったのは残念だったが、結構疲れがきていたので、これはこれでよかった。
  ここも和室。海に面した部屋だ。夕食まで時間があったので、速攻で入浴した。船の形をした湯船はそう大きい物ではなかったので、大正解。人が来る前にゆっくりと入ることが出来た。
  夕食は、生イカが出る予定だったのだが、手に入らなかったので代わりにアワビのしゃぶしゃぶとなった。これはラッキー。おいしかった。岩ガキは,バター焼き。あっさりした味なので、この方が正解かも。
  食事の後、荷物をまとめて宅急便を手配。身軽になった。