2.2012年3月30日(金) ボルドー、サンテミリオン、サルラ(快晴)
起床(0530)朝食(0630)散策(0700~0800)ホテル発(0900)ボルドー観光(0910~1135)昼食(1155~1310)サンテミリオン観光(1345~1500)ワインシャトー見学・試飲(1510~1650)サルラホテル着(1909)ホテル発(1935)夕食(1957~2130)ホテル着(2150)就寝(2300)
2-2 散策(0700~0800)
朝食をせわしなく摂って、急いで外に出た。ボルドーを散策してみたいからだ。
このボルドー、かつて港町として栄えた歴史地区が世界遺産として登録されている。我が家にとっては288個目になる。「月の港」というのが形容詞としてつく。これはこの街が三日月形に湾曲しているガロンヌ川沿いに発達したことに因んでいる。
この港からは、おいしいワインがたくさん積みだされ、その富によって繁栄したというのがきれい事だが、莫大な利益を生みだしたのは、実はワイン貿易以上に奴隷貿易であり、ボルドーはフランス奴隷貿易の拠点だった。この点で言えば、イギリスのリバプールに似ている。武器などをアフリカに持ち込み、奴隷と交換し、それを新大陸にという三角貿易で富を得ていたわけだ。
さてホテルの前の道はあちこちで工事が行われていて歩きにくい。あまり人はいない。地図を見ながらのろのろ歩いていたら、後ろから「ソーリー」と言って追い越された。外はまだ暗いのだが、早足で向かう先は仕事場か。
我々は川の方へ行って見ることにした。ガロンヌ川添いの通りは広い道路で中央をトラムが走っていた。トラムはこの時間でもかなりの頻度で動いていた。川畔は綺麗に整備されていて、桜も見られた。見頃にはちょっと早いが、こんなところで桜、というだけで嬉しかった。
7時30分頃になって川の向こうからようやく日が昇ってきた。それを見ながら、あまり時間もないので、少し写真を撮ってからホテルへ引き返した。ホテルに戻ってきた頃にようやく町の姿がはっきりするようになってきていた。最後のjunが写っている写真の奥にあるのが、この後観光に使ったバス。
2-3 ボルドー観光(0910~1135)
ホテル発(0900)ボルドー観光(0910~1135)
午前中はボルドーの市内観光。ガイドは昨日空港で迎えをしてくれた日本人女性の方。ホテルをチェックアウトしてバスで移動した。
ガイドから最初に注意があったのは、路面電車(トラム)のこと。それまでの大工事を終えて、2007年から走り始めたが、このトラム音もなくやってくるので注意が必要とのこと。町の人には便利な乗り物だと思う。かなり縦横に走っており、車体も新しい。
さて下車したのは、カンコンス広場。ジロンドの記念碑が遠目に見えた。
ところで、これ以降も○○広場という表現が出てくるが、実際に学校のグランドのように大きな所もあるが、日本の駅前広場のような感じのところが多数ある。おまけにそうした所にはしばしばカフェが出ており、小さいスペースを更に小さくしている。更に余分なことかも知れないが、こうした道路や広場にせり出しているオープンカフェだが、これはそのせり出した分税金を払って営業しているのだそうだ。日本の商店街も見習う方がよいかも知れない。歩道に看板がせり出して、老人には危ない。
2-3-1 大劇場(0915)
コメディ広場にある。元々は町を守護する女神の柱が立つガロ=ローマン期の寺院であったが、ルイ14世の命で取り壊し、その跡地に成立したものだ。
建築家ヴィクトル・ルイによって1773年から1780年に建てられたもので、88m×48m×19mの大きさ。ネオクラシックの建物。何度か改修が行われているが、1991年の改修では、大理石や黄金を用いた本来の内装が再現されている。12本のコリント様式の円柱の上に12人の女神像が並んでいる。
各地のオペラ座のモデルになっている。ここでのオペラは安くて、8~10ユーロで楽しむことができる。例えば9月には日本の文化の日のようなモノがあり、そうした日には無料になり、その日は大勢の人で賑わう。物価を勘案しても、どうしてそうした額で観覧できるのかと不思議だ。3倍して3000円と考えても、そんな金額ではオペラを見ることは日本では不可能だ。
劇場の左側一階にはカフェがあり、時間があればゆったりと過ごしたい場所だあった。カフェ近くの天井も見事だった。
ホテルとトラムの走る道を隔ててあるのが、レジェントホテル。豪華五つ星ホテルで、沢山の要人が宿泊するホテルとして有名なのだそうだ。
2-3-2 シャボー・ルージュ広場(と言う名の通り)
ホテルと大劇場の突き当たりにはアップルストアーがある。そこから、我々は左に折れて大劇場の脇を進んだが、右に折れる道には(我々が向かったのとは反対側方向に続く道には)ブランドショップなどがが並ぶ一等地とのこと。1階は店が並んでいるが、2階以上は住居になっている。これはヨーロッパの他の都市と同じ。外観は昔のままで残されているが、内装は各自自由に改造してよいとのこと。フランス人はそれが楽しく、業者に頼まずに自分でコツコツ行うことが多いとも。賃貸だと30~40㎡で4万くらい、80㎡でも15万くらいだそうだ。また、こうしてあれた空き家を格安で見つけて、改造を楽しんだ後、値段を引き上げて転売する人もいるとか。
また住所だが、あらゆる通りに名前が付けられていて、その左右にはどちらかの側が偶数でどちらかの側が奇数の連番がついている。「みゆき通り21番地」と言えば、そこが特定できる仕組みになっているらしい。
そんな生活の話やら、どんな店があるかを聞きながら歩いて行った丸い形をした建物は、公衆便所。丁度自分の家だろうか、ペンキを塗っているおじさんもいた。突き当たると、そこはガロンヌ川で、川に平行して大きな通りが走っている。右折すると一区画でブルス広場に出る。
2-3-3 ブルス広場(0930)
ここは広場を囲むように半円形の建物がある。北側はブルス宮殿(現在はボルドーの商工会議所と郵便局が入っている)、南側はフェルム館(現在は関税関係の事務局と関税博物館が入っている)が建っている。丁度そこにここの出身の大臣が来たようで、行列がやってきた。
1730年から1775年にかけてルイ14世に捧げられて造られた。当時の名称は王国広場 (place Royale) だったが、王政が倒れた1848年に都市はブルス広場と改称された。
広場の中央のモニュメントは、1869年に造られた三女神の噴水。この三女神のモデルはフランス皇后ウジェニー、イギリス女王ヴィクトリア、スペイン女王イサベル2世。
その前の川に面したところは水鏡となっているところで、少し水があると鏡のように風景を映し出すのだそうだ。水を吹き出す穴もあったが、今日は全く水がないのでそれを見ることはできなかった。「世界ふしぎ発見」でも放送されたそうだが、残念ながらその回は見ていない。実際どうなって見えるかは、枠で示した写真。これはPanoramioから引用させてもらった。Panoramioのページに飛ぶと、ここの夜景などきれいな写真を見ることができる。
少し離れたところにボルドー最大の教会サンミッシェル寺院の塔が見えた。そこには行かないというので、写真だけ撮った。
2-3-5 サント・カトリーヌ通り(0948)
またこの通りに出てきた。ここは全長1,145mとヨーロッパで最も長い歩行者天国として有名。両側には様々な店が並び多くの人で賑わっている。ただし、10時くらいまではそこにある店舗の搬出入の時間帯で、車がまだ入って来ていた。(最初の写真は1時間半ほど後の賑わいを見せている通り・・・奥に門が見える)
確かにマックもあった。これが賑わいの証拠というわけではないが、まあ、そう思っても間違いではないと思っている。ちなみにマックだが、フランスではすべて国産ものを使うというのが出店の条件になっているのだそうだ。
他にも円形の公衆トイレ、引っ込む車止めなど面白いものもあった。
トイレは一人ずつ入るようになり、一人が出ると自動洗浄が始まるので、続いてはいると濡れてしまうと注意された。どうなっているのかよく分からない。ちなみにマックにもトイレはあるが、飲食をしない人が入らないように(ロシアでは我々もマックで無銭飲食ならぬ無銭トイレをした経験がある)、レシートにトイレのドアの暗証番号が書いてあるそうだ。
また、この街の代表的なお菓子、「カヌレ」を売っている店も紹介された。小さなカップケーキの形をした焼き菓子で、外側は香ばしくカリッと焼き上げており、内側は生地がクリーム状にトロリとしているそうだ。二つ買って後で食べてみたが、「まあ、こんなものか、一度経験すればよい」という程度のものだった。壊れやすいと言うこともあるが、万人向きではなく、土産には向かないと思った。
2-3-6 サン・タンドレ大聖堂(0957~1013)
この大聖堂は、1998年に世界遺産に登録された、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路の一部でもある。
75mの尖塔がそびえるゴシック様式の教会で、ボルドーの守護神として知られる。元々は1096年にウルバヌス2世によって献堂されたロマネスク様式の教会だったが、イギリス統治時代に改築され、その初期建造物は、身廊内部の壁しか残っていない。
ここで、1137年にルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの結婚式が行われた。1152年には離婚したアリエノール・ダキテーヌとアンジュー公アンリ(後のイギリス国王ヘンリー2世)の結婚式が行われた。
隣には市役所がある。教会の隣には必ず市役所があるのだそうだ。初めて聞いた。これからは注意してみてみようと思う。
サン・タンドレというのは、1440年頃にボルドー大学を創設した大司教の名だそうだ。
北側の「王の門」は13世紀前半にまで遡れ、そこに彫刻された「最後の審判」はフランスゴシック様式の傑作と言われる。そこから入った。
中はステンドグラスやパイプオルガンが見られる。
自由時間になってから、隣の鐘楼に上った。鐘楼と教会が分離している、少し特別な建物だ。これは1440年に建てられたもの。
入り口で入場料を払ったのだが、前のグループが払った払ってないで揉めていた。珍しく口の強い日本人が勝って係員が引き下がった。
階段は狭い螺旋状で、上から下りてきた人と身体をよじりながらすれ違うのがやっとだった。
182段上った所が360度の景観が楽しめるところだった。目の前にある建物の説明書きがしてあったのでわかりやすかった。
そこで終わりかと思ったら更に階段が上まで続いているようなので、更に48段、上って行った。そこはやはり360度見渡せるのだが非常に狭い道がぐるりと塔を囲むように無理矢理付けられた感じだ。
下りるときに上ってくる人と会わなければいいなと思っていたが、一組にしか遭遇しなかった。狭い階段で、登るときにすれ違うのはまだよいが、下るときには概ねこちらから先にすれ違って降りないといけないから危険が増す。階下までようやくたどり着いて、すれ違う人がいなかったねと話したのだが、それもそのはずだった。既に入場時間は終わっていたようで、ドアは閉じられていた。我々がギリギリだったようだ。
2-3-8 カンコンス広場
バスを降りたところまで戻って来た。バスを待っている間にジロンド派の記念碑を見に行った。
ここはトロンペット城の跡地に作られた広大な広場で、ヨーロッパ最大だそうだ。
1793年、この広場にギロチンが置かれ、ロベスピエールの恐怖時代に22人のジロンド党員が処刑された。この記念碑は元々フランス革命100周年を控えた1881年に企画されたが、実際の製作は1894年から1902年にかけてだった。しかし、記念碑は第二次世界大戦中に金属の供出のために撤去されたとのこと。ちょっとびっくりだ。まるで日本のようだ。この国も国土が蹂躙された分、やはり戦争ではつらい思いをしたのだと思った。全体が復元されたのは1983年のことだ。
2-5 サンテミリオン観光(1345~1500)
ドルドーニュ川を渡ると周りは一面ブドウ畑。
サンテミリオンはワイン産地のひとつで、「千のシャトーが建つ丘」と呼ばれるほど、無数の小さなシャトーが建ち並んでいる。このワインの味は、中世に盛んになったサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の途上に立ち寄った旅人たちの間で評判となり、優れたワインの産地の一つとして知られるようになった。(こうした意味でも、逆に言えば、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路から外れた都市は悲惨だと言うことになる。)
歴史地区は周辺の7つのコミューンの景観とともに、「サン=テミリオン地域」の名で世界文化遺産に登録されている。我が家にとっては289個目になる。
2-5-1 モノリス(一枚岩)の教会(1350~)
9世紀頃に巨大自然岩を切り出した中に掘られたモノリス教会。モノリス(一枚岩)教会としてはヨーロッパ最大。聖エミリオンの死後に弟子たちが巨大な自然岩をくり貫いて作ったといわれている。
町の名は、8世紀にこの地の洞窟に隠遁した僧、聖エミリオンの名が元になっている。
奥行き38m、幅20m、高さ11mの内部には、3つの身廊があり、それぞれの上部に高窓が配されている。内部を見学するには、予約をしてないと入れないので、今回は残念ながら外観のみ。
聖エミリオンを称えて建てられたトリニテ礼拝堂は、教会に向かって左側にある。13世紀竣工。その後、増築や改修を経て現在に至る。建物の真下には、聖エミリオンが埋葬されるカタコンブと8世紀に彼が暮らしていたとされる洞窟がある。
が、ここではそんな詳しい説明は無く、教会まで連れて行かれて素晴らしい展望でしょうと言うことが強調された。が、それは教会ではなく鐘楼では無いかと思う。鐘楼の下の部分が「モノリス教会」だと思うのだが、まあ、鐘楼も含めて教会と考えれば、あながち過ちではない。ただ、どれが教会で、どれが礼拝堂で、どれがカタコンブで、どれが彼が隠遁していた洞窟なのか、という詳しい区別がよく分からない。
そこで解散。
2-5-3 教会のすぐ目の前にある広場へ
下の方にテーブルや椅子を設置して外で食事が取れるようにされている広場があったので、降りていって見ることにした。階段はかなり滑りやすい状態で、手すりが付いていた。用心して下まで行く。
ここからが本当の教会の景色では無いかと思う。上から見たときには見えなかった洞窟やその入り口、教会の正面などが見られる。ここまで降りてきて説明をして欲しかった。
教会の入り口はタンパンがあって、くっきりとではないが装飾が施されているのが分かる。
その左上の大きな岩の上に建っているのがトリニテ礼拝堂。四角い形で何の装飾も見られ内が、内部にはフレスコ画があるそうだ。この下にあるのが、聖エミリオンが暮らしていた洞窟。これは外側からは全く分からないが、行った人の話によると、内部はそれほど広くはなく、階段を下りたところに泉があり、その奥に寝床や椅子がある。その寝床や椅子も岩だそうだ。
カタコンブは外からでも見ることができた。といっても洞窟がいくつが見られたので、そのすべてなのかそのうちの一つなのかは不明。
2-5-4 王の塔 (Tour du Roy)
noriが実は教会と間違えた建造物がある。後から調べると、それは王の塔 (Tour du Roy)と呼ばれるモノであったらしい。この塔は勿論モノリス教会の展望台の所からも遠望できる。どうもここのガイドは、あまり良い説明をしてくれなかった感じだ。
ちなみに後からインターネットで調べたある解説には、以下のような説明があるので参考にして欲しい。
『ジロンド県で唯一、無傷で残っている城塞塔。13世紀に建てられ、1720年まで役場が置かれていた。32mの塔がぽつんと孤立しているのは、その後建造されるはずだった城がついに日の目を見なかったため。塔のてっぺんまでのぼると(118段)、サンテミリオン村と周辺のすばらしいパノラマが望める。』
また別のネット情報では、こうもあった。
『毎年、「王の塔」(1237年建造)上で組合員によるぶどう収穫開始宣言が行われ、当時のカラフルな衣装を付け、町を練り歩くのが慣例になっている。』
2-6-3 石切場
そこはひんやりとする石切場の跡。そこでまた説明があった。
ここでは石灰岩が切り出され幾筋もの大きなトンネルがあること、気温が一定しているのでワインの貯蔵には最適であることなどが説明された。
一通り話があったと、そのトンネルに入ってみて驚いた。確かに大きい、というか長く続いていた。これらすべてにワインが貯蔵されているのではなく、一時期ここを展示場として使ったこともあるそうだ。所々に電気が付いてはいるが基本真っ暗。昔はろうそくの明かりで仕事をしたそうだが、最悪の労働条件だったようだ。
ここだけでもこんなに長いトンネルが続いているということは、この土地全体ではどのくらいあるのだろうと思う。現在、トンネルのあるところの地上は大型車が通行できないようになっているのだそうだ。崩れる危険があるということだそうだが、確かに柱などで補強した感じはなくただ穴を掘ってあるだけだ。
2-6-4 試飲
そこを抜けてようやく試飲ができるところへ着いた。所がそこで人数が合わない。高齢者が、勝手にみんなはどうせここへ戻ってくるだろうと思って入り口のところで待っていたということが分かった。一人は杖をつき、一人は90歳と言うことだ。今回のメンバーにはこういう人もいた。
ようやく全員が揃って試飲が始まった。すると驚いたことに杖をついていた人(どういうわけかこの人、飛行機から降りるときには車椅子で空港職員の世話になっていた)がさっと駆け寄ってグラスを手に取った。これには唖然としてしまった。
試飲後、殆どの人がさっとその場を離れてしまったが、我が家は律儀に39ユーロもする高価なワインを1本購入。
2-8 夕食(1957~2130)
ホテル発(1935)夕食(1957~2130)
夕食は旧市街地で、ということで歩いて出かけた。そう大きな町ではないので、歩いてもたいしたことはない。歩きながら、めぼしいところを紹介してくれたので、自由散策も楽にできそうだ。
夕食は前菜が野菜スープ、メーンが野菜サラダと鮭、デザートがチョコレートケーキ。ワインを頼もうとしていたのだが、サービスでテーブルの上にボトルが置いてあった。本来4人掛けの所へもう一人割り込んできたので、飲む量が少なくなるとケチなことを考えていたら、他のテーブルから余ったのが回ってきた。このワインはこの地方の銘柄が「ベルジュラック」。ちょっとイマイチの味だった。