6.2012年4月3日(火)
ロカマドゥール、サン・シル・ラポピー、カオール、コルド・シュル・シェル、アルビ (曇り時々雨)
起床(0520)散策(0740~0803サン・シル・ラポピー(1028~1139)カオール(1216~1535)昼食(1330~1510)コルド・シュル・シェル(1720~1820)ホテル着(1850)夕食(1945~2125)散策(2130~2140)ホテル着(2200)就寝(2330)
6-1 朝
起床(0520)朝食(0725)
今朝は曇っていて、今にも雨が落ちてきそうだ。バスの後ろにガラスが入っていないので、雨になるとやっかいだなあ、と思っていたら、カオールで新しいバスと代わるらしい。
朝食は昨日と同じくホテルのレストラン。そこへ行くときについでにスーツケースを階下に降ろした。何しろポーターがいないので仕方が無い。既に何組かはやはり同様に降ろしていた。
それを終えてから、レストランへ行った。それでも5分くらい前に入ったのだが、既に殆どの人が食事をしていた。今回の人たちへ結構高齢者も多いのに、皆元気だ。
メニューは昨日と同じ。食べられるだけ有り難いか。
6-2 散策(0740~0803)
それから、今朝は上の町へ行ってみることにした。
途中ライラックの花が綺麗に咲いていた。
一昨日、夕食から帰るときには下る一方だったのだから、今回は上る一方だ。時々後ろを振り返って聖域や城を眺めながら行った。この道は、上の町まで続く聖道ということのようだ。
坂の上に到着すると病院跡があった。教会の横にあったから、教会付属なのかも知れない。
後で解説本を見るとちゃんと書かれていた。
「聖ヨハネ病院とホスピタル チャペル(13世紀):昔の病院で、扉口、一区切りの壁面、主要な広間の柱脚だけが存続しています。ポーチが初期のチャペル(身廊が現在の建物にされている)に繋いでいます。」
そこに、ノートルダム礼拝堂の出口で見たのと同じ骸骨の絵(解説文)があった。病院にこんな絵とは縁起でも無い、と思ったが、かつてはこの絵に、「人は皆死す、と思い出させるために話しかける」という意味合いもあったというから、その辺りのことかも知れない。
そこから戻る道すがら、何軒もの廃墟となった住宅を見た。13世紀に病気の巡礼者を受け入れたそうで、病院の周りに村が開け、そこからイチジクの門へ続く道が聖道となったということだろうか。
廃墟や花などを眺めながらゆっくり戻っていると、雨が落ちてきた。傘を持って来なかったので、それから急いでホテルへ戻った。
6-3 サン・シル・ラポピーへ
ホテル発(0857)
出かける頃に雨は殆ど止んでいた。が、まだまだ雨空で、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。今日も一番後ろの席は避けて座った。
初めは昨日と同じ道を走る。現地ガイドのリリィさんが付いてきた。これは有り難い。何しろこの辺りのことは資料がなくて、事前に調べることが困難だったからだ。
土地がやせているので、樫の木が多い。これは暖房期の燃料となる。また石垣は土地を少し掘ると出てくる石を積み上げた物。耕作地としては難しいので牧草地として羊などを飼育している。
やがてロット川に沿ってロット渓谷を走る。
この辺りは石灰岩で出来ているので、数百年前に、土地が陥没して渓谷になったのだとか。確かに川の両岸は切り立っている。サン・シルラ・ポピーは、つげの産地で、つげの工芸品が有名だとかで、独楽(こま)やワインの蓋(タルの栓)などを見せてくれた。15~19世紀までつげの工芸品が特産品で、食器や家具、寄せ木細工なども造っていたが、現在は1軒しか残っていない。
ロット川はボルドーまで続いているので、物の運搬に使われ、沿岸の町が発展した。しかし、鉄道が敷かれるようになるとご多分に漏れず次第に廃れていった。そしてその鉄道もモータリゼーションの影響で、今や廃線になっていた。
6-4-1 ビューポイント
川を挟んで対岸の小高い所から村を見る。
ここにはかつて13世紀に造られた3つの城があったが、宗教戦争で負けた時に取り壊されてしまった(新教側にここの領主は付いたと言うこと)。今は基礎部分しか残っていない。
川を使った交易が盛んだったので、船員用の宿泊施設などもあった。
高いところに立っているのが9世紀に出来たサン・ジェリエット教会(日本の参考本などではサンシル教会となっている)。まず初めにこの教会が出来、そこから徐々に町が作られ、やがて13世紀に城ができた。町は更に広がり、ロット川の交易により更に発展する。教会のある所の聖域と商人の町とに分かれた。
二度の世界大戦の影響を受けなかった幸運もあり、古くは13世紀~14世紀からのままの姿を留めている。村の中心にある教会も当時のままの状態。
一通りの説明を聞いたり写真を撮ったりしてから、またバスに乗って町の近くでバスを降りた。
6-4-2 城跡(1102~)
バスを降りて狭い町中を通っていく。
少し上っていくと観光案内所がある。市庁舎も兼ねている。ここはかつての商工会議所のようなで、商業の中心地であった。荷物の検査などを執り行っていたという。規模としては小さい町だが栄えていた。この後ろ辺りに城があった。
左手に続く階段が最初の城へと続く。その右手に二番目の城が造られ、その間に三番目の城が造られた。この話を聞くとそう広くもない土地のようなので、城というより砦ではないかと想像する。
今は痕跡が残るのみだ。宗教戦争で、この地はプロテスタント側に付いたために土台部分が残されている程度になっている。そこが今では格好の見晴台になっている。
そこから下の川が見える。蛇行していて、雨が多い時期にはこの辺りの流れが速くなり、難破することなどもあったそうで、その横に人工的に運河を造り、水門も造った。その名残が見える。
そこから少し下ったところに教会はある。
6-4-3 サン・ジェリエット教会
このジュリエットの子供がシルク。その名前が町の名として付けられているわけだ。
この教会は創建は9世紀。ただ残っているのは土台のみで、上の方は16世紀、宗教戦争の後に作られた物。
城壁の土台と12世紀の床が一部再現されて残されていた。貯蔵庫として使われていた。
教会の正面の上方には、日時計があった。
この教会は、断崖の縁に作っているので、十分な土地がなく、南北に向いて建てられている。9世紀の時には普通に東西に広がったものであったが、16世紀に改築したときにそうなったそうだ。
入り口に大きな甕が置かれていた。全面に紋章が付いているというが、殆どすり減って良く分からない。小麦や砂糖を入れておいた物で、10世紀の物である。
南側の入り口から中に入る。祭壇が北にある。
中に入ると殆ど装飾もなく質素。ステンドグラスがちょっぴり輝いて見えた。
9世紀の名残は北側に当たる一番奥の礼拝堂に残っている。9世紀にはここに祭壇があった。東を向いている。出入り口は反対側にあった。
ここに精巧なロマネスク様式が残されている。ここの柱がそうだ。柱頭に施された彫刻、エディットというモチーフの彫像。切り落とした生首と刀を持っているのがそれ。壁画も一部残っている。天井にも同じように描かれていた。
新しい部分については近年色を塗り直した。磔像については新しい。
6-4-4 町並み
そこからまた、町の中を歩いてバスの所まで戻る。
ずうっと古い家並みが続き、石灰岩と木組みで造ってある家もあったりして、見ている方にとっては綺麗の一言で済ませられるが、住んでいる人の住み心地はどうなのだろう。
いや、ここも「美しい村」になっているくらいだから、住民の意識は高いのかも知れない。今は観光はオフシーズンなので、観光客もおらず、土産物店なども殆ど開いておらず、静かな雰囲気だ。それが却ってこの町の良さを引き立てていたように思う。
20世紀に村の美しい情景にひかれた芸術家が移り住んだりもしているという家もあった。
歩いているのは中世の道だ。前を見ても振り返ってみても、中世の町が広がる。
つげ職人の家もあった。窓を開けて創った物を売っていたのだそうだ。
6-6 カオール(1216~1535)
小一時間乗って、ようやくワインの町カオールに着いた。
ここも巡礼路として、世界遺産に登録されており、カオール市内の「サン・テティエンヌ大聖堂」と「ヴァラントレ橋」もその一部になっている。
三方をロット川に囲まれているため、ローマ時代から要塞都市として発達した。このときの城壁の跡が少しだけ残っている。しかし、経済的に中世以降は衰退してしまい、18世紀には大学も失った。現在では中世の面影が残る観光地となっている。ロット川の湾曲に沿った発達した町は、馬の蹄鉄のような形をしている。家並みは柔らかいオレンジ色をした町である。
また、カオールは、非常にユニークな赤ワインの産地としてよく知られている。マルベックというぶどうを70%以上使うことが義務づけられており、色合いは俗に「カオールの黒」と呼ばれるほど濃く、タンニンも豊富で超熟タイプのワインである。(日本語Wikipedia)
6-6-1 ヴァラントレ橋(1220~)
初めに橋のたもとでバスを降りた。
全景が見えるところまで少し歩いて川縁まで来ると、対岸にも小さな橋が見えた。
この橋の所にローマ時代からの湧き水があり、飲み水や農業用水として利用されていたそうだ。水車もあり粉ひきがなされていた。湧き水は、パイプを使って後ろの山を越えて運ばれていた。現在その水車小屋は、水の管理に当たっている。
それから目の前のヴァラントレ橋を見る。2006年まで、橋を渡ることは禁止されていた。
これは、1378年に完成した。カオールと西方を結ぶために、ロット川に架けられた。
ゴシック様式の6つのアーチをもち、3つの四角い高い塔と門を備えている。フランス南西部に多い防備を目的としたこの種の橋としては最大で最強のものである。カオールに入るためにはこの橋しかなく、門で厳しいチェックがなされていた。
中央の見張り塔には悪魔がいる。これには次のような逸話があるそうだ。
「この橋を造るのは難工事だったので、悪魔に願をかけた。悪魔は、毎日湧き水を飲めるようにと条件をだした。それに同意してここに悪魔を彫りつけた。この悪魔は毎夜湧き水を飲みに行き、ここに戻って来た。」
というような話だった。橋の悪魔という。事前に調べておいたのとは少し違うが、逸話とはそういう物なのだろう。
悪魔は、日本では悪い印象があるが、それはデーモンのことで、別の悪魔は小悪魔(ヤーブル)と表現されるようにちょっといたずらをする可愛い物なのだとか。
ローマ時代の町はこの橋の少し先、大聖堂の辺りに造られた。橋と市街地の間は緩衝地帯のようになっていたが、その後、旧市街と橋の間にも新しく家が造られるようになったために、現在のように住宅が密集するようになったそうだ。
6-6-2 ワイン店(~1303)
バスに乗る前に、カオールのワインはここでしかゆっくり買うことが出来ないというので、店に入った。
奥では2種類のワインを試飲させてくれた。noriはあらかじめ調べて置いたワインリストを見せたが、無いという。すべての商品を置いてあるというのではなく、契約シャトーのワインを扱っているらしい。
仕方ないので、よりカオールらしいワインを選んで2本購入。二本で16.7ユーロ。今更比べても仕方ないが、サンテミリオンのワインの何とお高かったこと。やはりフランスでもブランド力というのは、大きな割合を占めるらしい。noriはこれを自宅でゆっくり熟成させるつもりらしい。少なくとも寝かせていると言えば、junからワインばかり貯まって!と怒られる心配はない。
それからいったんバスに乗って少し走ってから、バスを交代した。新しいバスも大型で、後ろに宴会席がない分、座席数が多い。更にゆったりした。
6-9 サン・テティエンヌ大聖堂(1510~1535)
7世紀の教会のあった場所に、1119年、教皇カリストゥス2世によって献堂され、1135年に完成した。カトリックの中心的存在になっていた。今残っているのは、14世紀に造られた物である。
教会は、後期のロマネスク様式からゴシック様式への移行期の建物で、正面がゴシック、南がロマネスク様式となっている。ドームと三角屋根があるというのはフランスでは非常に珍しい。高さが32mもある本堂の屋根のドームは、フランス最大級のドームとして知られている。
東側のタンパンには、かつて像があったと考えられるが、1789年のフランス革命の時に暴徒にすべて壊されてしまった。
6-9-1 内部
南の入り口から入る。ロマネスク様式である。
天井のドームには一方だけに模様がある。かつては奥の方にも絵が描かれていた。
はっきりとはしないが、壁面には14世紀のフレスコ画が残っている。旧約聖書をモチーフにした物語が一面に描かれていた。中央にはアダムとイブが描かれている。
正面祭壇には19世紀に描かれたネオゴシックの絵画がある。これは14世紀のゴシック様式の絵を模して描いた物である。
正面祭壇の後ろにある15世紀の中頃の礼拝堂は、聖母マリアに捧げられた。カオールは川の交易で栄えた町である。その商人達がお金を出し合って立派な礼拝堂を造った。船乗り達の安全を期して造られている。壁に太陽やバラの花などの彫刻が見られる。天井にもバラが見られる。これらは商人や貴族が競って施した物だそうだ。崩れかかっているが、聖母マリアの人生をかたどった彫り物があったが、宗教戦争の時に壊されてしまった。
6-9-2 回廊
次に隣の修道院の回廊を見る。この回廊は、フランボワイアン・ゴシック様式で、1504年に造られた。非常に華やか。
天井は繊細な石の造りになっている。この時代には技術が進み、太い柱が不要になってきたので、石灰岩で造られているが、透かし彫りのような細やかな細工が出来るようになっていた。これらは一枚岩だとのこと。
当時の石工にとっては腕の見せ所ということもあって、一つ一つ違っている。
柱の模様には、ホタテ貝の帽子をかぶった人や悲しみのマリアなどが見られる。ドラゴンや犬などの動物もいる。
中庭もある。当時修道院の中庭というのは、薬草等を栽培していた。修道院は、いわゆる病院のような役割があった。
6-11 コルド・シュル・シェル(1720~1820)
雲がかかるとまるで空中に浮いているように見えるところから天空の町などといわれたりもするこの町は、1222年にトゥールーズ伯爵によって要塞が築かれたのが最初である。15世紀には5千人も住んでいて、キリスト教カタリ派の中心地であった。現在では千人程度だそうだ。
バスは町の下に着いた。そこに3両編成のミニトレインが待っていた。それに乗って上の町へ行く。教会を中心とした15世紀の町並みが残る静かな町であるという。
ミニトレインは片側に窓のないオープン形式なので、周りが見やすい。ミニトレインが進んでゆくにつれ、これは歩いて行くのはたまらんと実感した。
6-11-3 町散策
「馬の背」のような白色石灰岩質の固い岩盤の上、横幅の狭い場所に発達してきた旧市街には、東西方向に延びる数本の石畳の狭い道路が走っている。旧市街の道路は何処も坂道で、全ての敷き石が見事に磨り減っていて滑りやすくなっている。雨が一段落しているのでよかったが、降っている最中だとかなり危ないのではないかと思えるような道だった。
道路脇にはかつての繁栄を今に伝えるかのように、古くは13世紀~16世紀の邸宅や古い造りの住宅が数多く残されている。現在は1000人程度だが、その頃は5000人もの人が住んでいたそうだ。
その中の一つの大商人の邸宅の壁の装飾がすごい。飛び出した彫刻は、雨樋(ガーコイル)のように使われている。
動物やリンゴをかじる女性、想像上の動物などが彫刻されている。これはこの辺りで狩猟が行われていたので、沢山獲物が捕れるようにとの願いも込めて飾り付けたのだという。特にイノシシ猟が盛んに行われていたそうだ。
更にその先に同じような装飾をした家があった。より具体的になっている。騎士が山に入ってイノシシを捕るなど、猟の様子が分かるような彫刻がされていた。窓枠には羊や鴨や鷹などがいる。立体的な彫刻が好きだったようだ。こちらの雨樋には、イノシシやワニを捕らえる人など面白い物も見られた。
これら大商人の家は14世紀のもの。
また、この町の特産は革製品でもあるということで、1軒だけそういう店が開いていた。
6-13 夕食(1945~2125)
夕食はホテルから歩いて行った。添乗員さん、これまではよく道を知っていると感心していたのだが、ここだけはそうはいかなかったようで、地図を見ながらうろうろしてようやくたどり着いた。
今日はロートレックメニューの夕食。美食家として知られるロートレックの考えたメニューの中から選んだ物になっている。
まずスープ。前菜はトマトサラダ。といってもエビなども入っている豪華版。メニューはサンドルという魚料理。デザートはケーキ、ということだったが、ラフランスに生クリームと別にアイスクリーム。そして店のサービスということでマカロン。
ワインも付いていたので、大満足。悪いので紅茶を注文。この入れ物が、焼酎のキュースのようでびっくりした。3ユーロを2人分。
6-14 散策(2130~2140)
ここからホテルに帰るのだが、添乗員さんが「大聖堂はここから右の方です。」と耳元でささやいてくれたので、そのつもりもなかったのだが、行って見ることにした。
分かれ道のところでうろうろしていると、通りかかった人が「カテドラル」といって指さして教えてくれた。一目で迷った観光客と分かられたようだ。
カテドラルはライトアップされていた。大きすぎてカメラには収まらない。他にも何人か来ていたので、帰りはその人達と途中まで一緒に帰った。途中からちょっとショートカットしてホテルに向かうと、添乗員氏が迎えに?途中まで出てきていた。ありがたかった。
6-15 ホテル
ホテル着(2200)就寝(2330)
ホテルではいつものようにシャワーを浴びたり荷作りをしたりして過ごした。