3月27日(金) ウエーブロックほか


パースホテル発(0715)ヨーク(0900〜0930)コリジン 犬の墓(1105〜1108)休憩(1115〜1130)マルカズケーブ(1300〜1312)昼食(1328〜1420)カバのあくび(1423〜1430)ウエーブロック(1433〜1510)夕食(1940〜2130)ホテル(2145)


1.朝

 目覚ましは5時にかけた。従って5時起床。モーニングコールは6時だが、何事にもスローな我々はこのくらいの余裕がないと駄目。今朝は出発が早いので、連泊なので大まかな荷物の整理と、身支度が中心。6時半からが朝食だが、少し早めに行くと既にオープンしていて、同行の人たちも何人かは来ていた。朝食は炭水化物が中心。やや急いで食べて自室の戻る。

2.道々

 ほぼ7時15分には揃っていて、20分前には出発。現地ガイドさんもドライバーさんも昨日と同じ方。今日はパースの町の外側に横たわっている何とか言う山地(といっても標高は1000メートルに満たない)を超えていく。
 外はこれから日の出の時間。今はサマータイムだから、実質は8時過ぎだから、日本でもこの制度は導入してもそう違和感がないかもしれない。走り出して日の出を迎えた。この時間でも結構交通量はある。特に反対側はパースに向かう人たちで混み合ってきていた。
 山地は低いが、それでも下り車線は結構スピードが出来ると言うことで、ブレーキがきかなくなって事故も以前はあったらしい。大型のトレーラー(ロードトレインと呼ばれている)などはブレーキがきかなくなると大きな事故に繋がりかねない。乗り上げるようの土地も確保されているらしい。
 実際問題我々にもその危険がわかる経験をした。ほぼ登り切ったあたりで、途中で交通事故で車が電柱を倒して電線が道路に中途半端に横たわり、30分くらいそこで待たされた。

3.ヨーク(0900)

 ヨークはイギリス風の古い町並みが残されている。ニューヨークと同じように、ここもヨーク州に名の由来があるのだろう。映画のセットのような町でもあり、丁度休憩にもいい場所なのだろう。モーニングティーということでカフェに入った。
 その後しばらくは自由散策。お土産を買いに走った人もいたが、我が家はふらふらと散策。今は郵便局や博物館になっている建物などを楽しんだ。

4.コリジン(1105)

 ここはギネス記録を持っていると言うので、ガイドさんから詳しい説明があった。それは、ドッグアンドユートというものの記録。要するに軽トラックに犬を乗せたものを一つと数え、その集まった数が世界記録というもの。最初は699だったのが、他の州に抜かれたので、インターネットで呼びかけて1500を超える数を集めたのだそうだ。その後もさらに記録を目指して募集したのだそうだが、そのときには集まらずにそれ以降は行われていない。
 犬にまつわるといえば、ここには犬のお墓というのもある。
 1頭の犬を小麦畑の片隅に埋葬したのが始まり。次々に同じように埋葬する人が現れて、ちょっとした墓地となっている。写真はストライクという、そもそもここが犬の墓地になるきっかけとなった墓。
 そこから少しの所にあるガソリンスタンドでトイレ休憩。
 ここはパースから236km。ウェーブロックのあるハイドン町までは113km。
 そこからまたひたすら走る。塩湖が左右にいくつも見られた。これらが普通の水だったらさぞ助かるだろうに。
 ハイドンに近づくころ、ユーカリの光る葉っぱが多く目に入るようになった。

5.マルカズケーブ(1300〜1312)

 マルカというのは人の名前。その昔、結婚を禁じられていた異なる種族同士の男女が結婚し、そして産まれたのがマルカという男の子。この子は生まれつきクロスアイという斜視のために男子にとっては最低必要な技術である狩が行えず(獲物を正確に仕留めることが出来なかった)、仲間外れにされたためにこの洞穴で起居するようになり、そのうち体が異常に大きくなったために常に空腹を覚え、やがては人の子供をさらっては食べるようになってしまったとか。説得に来た母親をも食べてしまったと言う。いずれは村人に殺されてしまうのだが、異種族間の結婚はこういうことになると言う戒めの意味が含められた伝説だと言う。
 ここはハンプス岩の一角で、入り口の小さな洞穴だ。ただ奥はかなり広くなっている。中には少しの壁画とたくさんの手形が残されている。その理由だが、その昔男子の成人の証としてここに残したのではないかとも言われている。
 この周辺にはユーカリの木がたくさんとアボリジニの楽器の材料になるサンダルツリーが何本か、後はブッシュになっている。ここにブッシュフライと言われるハエがかなり出現していた。

6.昼食(1328〜1420)

 昼食はワイルドフラワーセンターというレストラン。天井いっぱいにドライワイルドフラワーが飾られている。はじめはギョッとしたが、目が慣れてくるとそれほどでも無い。ただそうはいえ、正直やっぱりきれいとは言いがたいものがある。夜訪れたらさぞかし不気味かと想像する。
 さて食事はオージーバーベキューとなっていたので、自分たちで焼いて食べるいわゆる日本式を想像して、noriは焼き方まで考えていたのだが、何のことはない既に焼いてあるのを配られるだけだった。チキンとビーフソーセージとハンバーグのようなもの。それにサラダ。赤カブのようなものは、ビートルードといってオーストラリアの野菜だと言うが、あまりお勧めの味ではなかった。ただ、栄養たっぷりで体にはよいのだそうだ。
 最後にアイスクリームで〆。昨日と同様にここもお土産屋も併設されているので少し眺めたが、やはり食指を動かされるものはなく、購入はせず。

7.カバのあくび(1423〜1430)

 ヒッポズヨーン洞窟。岩に大きく口を開けた洞窟だ。ただそれだけの物なので、写真をっってさっと引き上げた。
 そうそう、聞こうと思っていたが結局聞き逃した、「いったいオーストラリアにはカバは生息しているの?」。

8.ウエーブロック(1433〜1510)

 今日の大本命はここ。様々な写真で見た光景がそのまま目の前にある。
 ここは20世紀半ばに一人の写真家によって紹介され、その後一大観光地となったそうだ。ここも長野の地獄谷温泉同様、雑誌ネイチャーに紹介されて有名になったらしいといってもパースなどの大きい町からかなり離れているため、訪れる人はそれほど多くないとのこと。確かに、個人客はともかくとして、我々も帰るときに一団体とすれ違っただけだった。
 そこは、本当に岩が波を生み出しているようだ。「サーフィンの格好をして写るのですよ」と言われたが、そのサーフィンそのものが未経験の我々は、よい格好はなかなかに難しい。それでも見よう見まねでそんな格好をしながら二人で交代しながら写真を取り合った。
 しばらく楽しんだ後、岩山の横から、岩の上に登った。上り口には階段が付けられていたが、その後は岩を直接上る。ウルルのミニ版のようだ。どうもオーストラリアでは岩に登ることが多い気がする。登りつくと、遠くまで見渡せるので気分は爽快だ。目の前には塩湖があり、その周りは塩害で立ち枯れた木々の一群がある。素晴らしいとばかりは言っていられない自然の厳しさが広がっていた。
 上からショートコースとロングコースの道が続いているが、我々はショートコースを下りる。足の速い人はロングでもいいですよということだったが、誰も行かなかった。
 ただ、面白いことにショートコースと行っても道があるわけではなく、おまけに柵を乗り越えて進むようになっている。何とアバウトな。
 それからもう一度ウエーブロックを見てバスに戻った。この時点の気温37度。

9.道々

 そこからはひたすら走るだけ。この辺りの広い土地は、荒れ地かと思っていたら農地だった。冬へ向けて既に収穫の終わった土地だ。小麦や豆が主な産物だ。それに羊。土地を順番に回して使っているという。広いからこその農法。
 しばらく走ると、羊の群れが多く見られるようになった。この羊の群れの中に数頭のアルパカを入れているのだそうだ。アルパカは縄張り意識が強いので、羊を狙ってくる動物を追い払うという。日本では可愛いと言って今大人気なのだが、こういう使われ方もしているのだ。
 途中枯れ川や立ち枯れた木などが何カ所かで見られた。立ち枯れた木は黒くなっていたが、火事で燃えたのだそうだ。火事は毎年起こる物で、オーストラリアではよく見られる現象だとのこと。ただ残念なことに最近は放火が多いというこだ。そういえば、我々が出発する直前にも大火事があって、200人以上もの人が亡くなった。これも放火の部分もあったらしい。何とも残酷なこと、と思うがその後にはグラスツリーというパイナップルを逆さにしたような木がたくさん生えてきて、自然が回復されるそうだ。
 また時折、カンガルーの交通事故死体が道路に投げ出されていた。これも残酷なことだと思うが、カンガルーはたくさんいるのでこのくらいはどうということは無いそうだ。が、実際に野生のカンガルーは目にしなかった。
 ついでに動物で言うと、狐や猫、ウサギなど本来オーストラリアには生息していなかった動物が増えすぎて,駆除対象になってはいるが増えすぎて困っているのだそうだ。勿論原因はそれらを持ち込んだ人間にある。

10.トイレ休憩(1736〜1752)

 ブルックトンという街でようやくトイレ休憩となった。時間的に押しているらしく、全員が終わり次第と言うことだったが、ここにも売店があるし、運転手さんは軽食を摂っているし、ということで我々も買い物をした。ポテトチップスを買い、アイスコーヒーというボトルを買った。
 トイレの横にはハイビスカスと思われる花が咲いていた。

11.日暮れ

 その後しばらく走ると別荘地のような集落に出た。あまり生活感はないのだが、同じような家が建ち並んでいた。
 その辺りは、果樹園が広がっていた。リンゴ、桃、オレンジなどがたくさん作られているようだ。
 その頃日が落ちかけてきた。朝早く出発したのにもう日暮れ時だ。これを見ても長い1日だったことがわかる。

12.夕食(1940〜2130)

 今夜は中華料理だというのでとても楽しみにしていた。というのも、前回来たときの中華がやはり美味しかったからだ。しかも、オーストラリアにはちゃんと紹興酒がある。  ちょうど隣の部屋では結婚披露宴が行われていてとても華やかだった。
 ただ料理は今ひとつだった。品数は6品と聞いていたのだが、8品くらいはあったかな。なので、おなか的には満足だが、何か安いものだけを取りそろえたような感じだった。
 紹興酒もボトルで頼んだのだが、陶器の容器に移し替えてあったのでちゃんとボトル分があったのか疑いたくなる程度の量しかなかった。
 一寸がっかりの食事だった。

13.ホテル(2145)

 連泊なので、すぐに部屋に戻る。エレベーターの前が総ガラス張りなので二人で写真を撮ってから部屋に戻った。