2.8月6日(土) ナポリ(カプリ島、ポンペイ)  快晴 

ホテル(0750)バス(0805)ナポリ港(0835)高速船(0920)カプリ島・港(0945)ボート(1045)カプリ島・港(1135)高速船(1220)バス 32℃ (1300)昼食レストラン(1400)徒歩(1415)ポンペイ遺跡(1620)(1720)国立考古学博物館 30℃ (1830)(1905)夕食(2030)(2050)ホテル着


2.1 ナポリ港 25℃
 過ごしやすい気持ちのよい朝だ。早速朝食に行く。指定された時間より15分も早く行ったのだが、すでに人がいた。当然我々も中に入る。が、ほとんどなにもない状態だった。ヨーロピアンスタイルの食事はいつもこの程度だからとあきらめて食べていると、定刻の頃になって次々に料理が運ばれてきた。要するに早すぎたのだ。ドアが開いているから通常営業とは限らないってことだ。だが、その運ばれてきたのもすぐに浅ましい?日本人団体客がごっそり持って行ってしまって空の皿が空しく置いてあるだけになってしまった。どうやら早い出発らしく添乗員共々焦っている様子だ。我々はゆっくりと済ませてからバスでナポリ港へ行く。既にすごい人でごった返していた。と、そこにさっきの団体もいるではないか。
 その人たちと同じ船でカプリ島へ向かう。ジェットフォイールというが、いわゆる高速船だ。


2.2 カプリ島(島巡りクルーズ) 0920〜1135 32℃
 前回残念ながらここの一番の目的である「青の洞窟」が見られなかったので、再挑戦になる。今日はお天気もよく海も荒れた様子がないので、露ほどの疑いもなく船乗り場へ行った。と、何と残酷な文字が目に飛び込んできた。「高波のため入場禁止」・・・我々にも分かる日本語で。マンマミーヤ。オーマイゴット。

 しばらくその付近でうろうろしていたが、山か海へ行こうということになり、我々は前の経験を生かして強く海を主張し、結局はそのようになった。
 15人が乗るといっぱいになるようなボートで、沖にでると結構揺れ、目ではわからなかったがやはりかなり海は荒れているようだと体感した。
 このクルーズは意外とよかった。「白の洞窟」「緑の洞窟」「赤の洞窟」「青の洞窟」と様々な色を見せてくれる洞窟に案内してくれた。白は水ではなく鍾乳洞、赤は赤珊瑚なのだが、緑と青は光が射し込むと海が本当にそのような色に見える。元の水が澄んできれいだからできることなのだろう。洞窟だけでなく、そこから見える島の景色もすばらしかった。ほとんどが断崖絶壁なのだが、穴のあいた岩があったり、豪華な別荘があったり、少ない砂浜を利用した海水浴場があったり、ずっと飽きさせることはなかった。勿論海そのものの色も「きれい」というありふれた表現でしか表現できない。もうこれで満足して、二度とここには来ないだろうと予感した。


2.3 ポンペイ 1300〜1830  30℃
 ここも二度目。また来てみたいと思っていた所だ。前回はちょうどお正月ということもあって、人が少なかったのだが、今回は結構な人だ。
 前と同様「マリーナ門」から入って行った。海側の門と意味で、つまり昔はこのすぐ前までが海だったということだ。荷馬車用と人用と二つの入り口があった。

○遺跡 1415〜1620
 はじめに「バジリカ」に行った。大きな柱が残されている。コリント式の円柱を2段に重ねた柱と太いが短い柱とがある。裁判などが行われた公的な場所だそうだ。
 次に「フォーロ」。公共広場。ヴェスビオスの眺めが素晴らしく、絶好の撮影ポイント。が、人が多いのと今回のガイドさんはそういう配慮のない人でどんどん進んでいってしまうために、ゆっくりといい写真を撮ることができなかった。前回貸し切りのようだったのが嘘のよう。

 それから少し歩いて「大劇場」へ。これはギリシア劇場を手本に造られているそうだ。かなり人の手が入っていたが、舞台もあつらえてあったことから、近々ここを使って何かが上演されるようだ。向こう側に小劇場と剣闘士養成所が見られた。ここは上から眺めるだけで終わった。
 また来た道を戻ってフォーロの「マーケット」へ。壁には魚や肉など売っているものがわかるような看板の役目のフレスコ画が残されていた。その前には石膏となった逃げ遅れた人が・・・。今回はこの1体のみだが、表情がリアル。腕も何かをつかむように宙に浮いて、どうしてこんな姿で死んでいったのか不思議な気もする。その格好の時に瞬間的に亡くなった?

 次は「ファウヌスの家」。入り口には<HAVE>という文字がある。ようこそ、という意味だそうだが、ポンペイ最大の家だ。中庭に池(貯水槽)があって、そこに牧神ファウヌスの像があるからこう呼ばれている。この庭と次の庭の間の壁に有名な<アレキサンダー大王とダレイオス3世の戦い>のモザイク画がある。しかしこの二つとも今は博物館にある。
 それから「ヴェッティ家」。ここは商人の豪邸で、入り口に巨大な男性のシンボルと金貨の袋を天秤にかける神プリアポリスが描かれている。この部類の絵はこれから何度も目にするが、嫌らしいものではなく商売繁盛を願ってのものらしい。ただ修復中でこのモザイク画が見ずらかった。
 今でもこのようにポンペイのあちこちで修復がなされている。それは前回の比ではないくらい多く、通行止めの道もたくさんあった。その人たち、ほとんど裸状態で仕事をしている。この暑さではたまらないだろう。我々も水を飲みながら歩いている。冗談で、こっちの女の人の作業服はビキニなんだね、というように女の人も多かった。学生の夏休みのアルバイトらしい。

 歩いていく途中に、荷馬車の轍の痕や飛び石、井戸、娼婦屋の印などがあった。町中に水を送り込んでいる貯水槽は初めてみたが、すごい施設だ。

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 それから「詩人の家」。ガイドさんはこれをとばして行くつもりだったよう(忘れた?)だが、添乗員がしっかりと気づいて少し戻ることにはなったが見に行った。ここのは何といっても<猛犬注意>のモザイク画。お土産の画材にもなっているくらいだから、やはり行かないのはまずいのだろう。ガイドブックにも載っている。
 そして最後の「秘儀荘」へと向かう。途中ネクロポリス(墓所)を両側に見ながら行く。ずいぶんと大きなものもあった。

 「秘儀荘」は今回の目玉の一つ。ポンペイの赤といわれる色がきれいに残されているのだそうだ。本来は農場経営者の家だというが、ずいぶんと贅沢なものを造ったものだ。ずっと入っていくとお目当ての部屋に着いた。それまでにもモザイク画はあったが、やはりここ部屋のが一番だ。大きく、色も鮮やかでやはり見応えがある。ただ、この絵の意味は未だにはっきりとは分からないのだそうだ。
 この家の前も当時はすぐに海、今はずうっと町が広がっている。 
○国立考古学博物館  1730〜1830
 ポンペイの遺物が保管されている。当時の繁栄の様子が伺えるものばかりだ。特に貴金属はすごい。かなりすでに盗まれてしまったそうだが、残念なことだ。ただ、この貴金属に執着して逃げるのが遅くなったばかりに死を迎えなければならなかった人たちもいたそうだから、強欲なのは、今も昔も変わりないということか。ほかにも売春宿の壁を飾っていたという絵などもたくさんあり、人間の本質というものは変えようがないのかもしれない。もちろん芸術的なモザイク画やフレスコ画もたくさんあった。「アレキサンダー大王とダレイオス3世の戦い」が一番の見物。
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2.4 夕食 29℃ ピッツァマルゲリータ
 今夜の夕食はピッツァマルゲリータ。前回の旅行でおいしくておいしくて、それ以後はまりこんであちこち食べ歩いた原因となったピザだ。一番の楽しみだったので、ワクワクしていた。大きさは、ちょっと小さいような気がした。味も良し、これならもう1枚食べられるぞ。
 食事の後、少し近くの広場でぶらりとしてからホテルへ戻る。


★ホテル  ニューヨーロッパ  25℃  210
 連泊。


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