1月3日(水) セティーフ ベニ・ハマッド遺跡 アルジェ

ホテル発(0732)ベニハマッド観光(1115〜1225)昼食(1315〜1410)ジャガイモ畑(1710〜1725)陶器・いちじく店(1755〜18000)夕食(2010〜2125)ホテル着(2150)就寝 (2350)

7−1 朝
 朝食は大体一番に行くのだが、この日は3番目。アメリカンスタイルの食事なのだが、自分で取りに行くのではなく席に座るとホテルの人が持ってきてくれる。そのパンの大きいことと言ったらビックリ。一応クロワッサンの形はまねているのだが、どちらかというとフランスパンに近い堅さがある。
 さて、出発は、本当は7時にしたかったのだが、あまり早いとポリスに付いてこられる可能性があるというので30分遅くしたのだが、その頃になるとどこからかポリスが現れた。基本的にどの街の入り口にも出口にもポリスがいて、検問をしている。これまでは顔パスのようなことが多かったので、何故ここでそう警戒するのか分からなかったのだが、実際に現れたのを見ると、この地では警官が付いてくることになっているようだ。ただ、添乗員が警戒するのは、ポリスが付いてくると各町々でポリスの引き継ぎが行われ、それに時間を費やすので予定通りに進行することができないということだ。だから、ポリスに捕まらないように出発しようと試みたのだが、あえなく失敗。これからずっと付いてくることになってしまった。が、心配したようなことにはならず、引き継ぎはスムーズになされていった。

7−2 ベニ・ハマッド観光(1115〜1225)
 今日一番の観光は、ただ一面にのみ装飾が施され、ミナレットの基本モデルとなったとされる高さ25mのミナレット。
 ベニ・ハマッドは11世紀初め、商業と工芸の一大中心地として急速に台頭した所で、アルジェリアで2番目の大きさだった大モスクや宮殿群があった。が、衰退もまた早く、豪華な邸宅などに蓄積されていた金銀財宝をごっそりともち去られたという。
 まずはそのミナレットに上った。そこから、モスクの礎石や宮殿跡を見渡すことができた。一番上には柵がないので怖かったが、風もなく天気も良いので気持ちよかった。遠くに見える宮殿からもこの都市の広さが想像できた。ミナレットの最上部一番右端の避雷針と思われる棒を捕まっているのが順さん。下を見ると、モスクの12×7の礎石があり、中央部にはメハラブがあったことがわかる。
 そこから宮殿跡まで少し上っていった。大きなプールの跡などからも贅を尽くした作りであったことが伺える。何よりも彩釉タイルの残骸が宮殿の豪華さを偲ばせる。
 ところで、カメラの力を使って(実はアルジェリアは双眼鏡の持ち込みが禁止されている)ミナレットを除いてみると、ミナレット自体も彩釉タイルで飾られていたものであることが推定された。左の上から二番目のアーチの飾りのところに、ほんのわずかではあるが、緑色の鮮やかなも彩釉タイルを見ることが出来た。バスの中で、現地ガイド氏に本物かと聞いたら、そうだと言うことだった。
 ここは山の奥になっているところなのに、観光客が訪れていた。それまで、ティムガットでもジェミラでも会わなかっただけにこんな所でという驚きがあった。それも2,3組いて、そのうちの男女カップルは、男性のカメラでその女性と我々とを一緒に写真を写したがった。女性の写真はタブーとされていた我がメンバーは、それを好機として盛んにシャッタ−を切っていた。

7−3 昼食(1315〜1410) 
 ムシーラという街で昼食。メニューは<スープ、ごはん、チキン、ヨーグルト>。ここも賑わっている店なので、席の都合をつけてはもらったが、いくつかのグループに分かれての食事となった。日本人ということで、スパゲッティの変わりにご飯の上にミートソースのようなものをかけて出してくれた。美味しかったけれども、やはり量が多くて、かなり残してしまった。その後となりの喫茶店でミントティーを飲む。
 食事の後、しばらくして何度目かのポリス交代。日本で言うところの警察の管区毎に交代がある模様。そのたびに添乗員氏はイライラだ。今度は白バイだった。それが何ともかっこいい。そこで、次のトイレ休憩の時に、みんなでお願いして写真を撮らせてもらったり、白バイに乗せてもらったりした。制服もかっこよくて、エリート部隊という感じだった。この白バイ隊とは、この場で別れた。

7−4 ジャガイモ畑(1710〜1725)
 次にバスが止まったのはジャガイモ畑。この日添乗員さんのすぐ後ろに座っていた順が、添乗員さんに、「畑などというのは被写体として興味ありますか?」と聞かれたので、「私は好きですねえ。」と答えたのが理由かどうかは定かでないが、とにかくそこでストップ。このときにはパトカーが3台くらい付いてきていたのだが、警官は不思議そうな顔をしていた。少しオーバーラン気味だったので引き返したが、そのために道路を渋滞させてしまった。迷惑な日本人観光客である。
 さて、ジャガイモ畑について農作業を見ていると、そこへ羊の群れもやってきた。最初は遠慮がちに見ていた我々もそれをきっかけにどんどん畑に入り込んで、ジャガイモを拾ったり羊を抱き上げたりして大はしゃぎだった。このはしゃぎ様を見ていた警官達も当初の苦虫を噛んだような表情から笑顔に変わっていった。というよりあきれて笑っていたのかも知れない。

7−5 陶器・いちじく店(1755〜1800)
 それからまたまた陶器の店。砂漠の薔薇もあったが、商売にはならないように形が崩れた物ばかりだった。いい物を選んだ後の残骸かも知れない。ここには籐で編んだ籠などもつるされていた。ガイドはここのイチジクは美味しいと盛んに言って何とか買わせたかったようだが、そして、則も買いたかったようだが、順さんが許可しなかった。その後、ガイドさんからイチジクの試食が回ってきたので則は喜んでいた。順も一口食べたがそう悪い味ではなかった。
 この頃から警官がしきりに時計を見るようになったのに気がついた。あちらも勤務時間が終わり何じゃないの、等と言いながら見ていた。そのせいか、アルジェが近付くにつれ車の渋滞が始まると、サイレンを鳴らして我々のバスを誘導していった。極端な場合、反対車線の車を路肩走行させてまで、我々の車を誘導した。「それいけ!ジュミラ○○のお通りだ。この紋所が目に入らぬかぁ!」と叫ぶ者もいたが、我々としては恥ずかし限りだった。途中、警官の詰め所でトイレを借り、そこで先ほどのポリス達とも別れた。
 それからもしばらく渋滞は続いたが、パトカーに先導されるというのはどの国でも強いものだ。朝は邪魔な警官達、といっていたのにころっと態度が変わった我々であった。

7−6 夕食(2010〜2125)
 ようやくアルジェの街に戻って、まずはホテルではなく繁華街で夕食となった。ホテルなら酒が飲めたのだが、生憎と街の店にはない。メニューいつも通りの<チキンポテト添え>と、それに加えて<オムレツチーズ盛り合わせ>。これは卵の熱いうちにチーズを中に丸め込んで食べたが、美味しかった。

<ホテル着(2150)エルオーラッシ 932号室>
 バスタブ、酒有り。
 初めにアルジェで泊まったホテルと同じ。きれいで安心して泊まれるホテルだ。
 明日は市内観光だし、連泊で荷物も整理する必要がないので、残っている日本から持ち込んだお酒や漬け物などで、12時近くまで2人で宴会。