1月4日(木) アルジェ市内

ホテル発(0908)カスバ散策・宮殿・漁師の家など(0912〜1205)昼食(1240〜1353)郵便局(1410〜1430)ノートルダム大聖堂(1450〜1538)独立記念塔(1620〜1700)コマーシャルセンター(1700〜1735)ワイン買いだし(1815〜1830)夕食(1845〜2030)ホテル着 (2040)

8−1 朝
 当初の予定を変更して今日は市内巡りとなる。で、朝はのんびり。ただし、我が家は早起きなので、レストランが開く時間にはもう行っていた。
 同行の人たちは未だ誰も来ていなかった。一番にオムレツを作ってもらった。ただ、この人、メイドさんが見よう見まねで作っているらしく、固く焼きすぎる。それでも、これまでのパンとコーヒーだけの朝食よりはましだ。
 絵葉書を作ってくれとリクエストがあったので、それを作って再度レストランに降りてゆくと、丁度夜が明けてきてアルジェの湾がくっきりと一望できた。
  急いで再び部屋に戻り、カメラを取って再度戻った。丁度鳥たちの出勤の時間らしく、一斉に飛び立っていくのを、レストランのベランダから見ることが出来た。当然、それを写真におさめた。

8−2 カスバ散策(0912〜1205)
 「涙じゃーないのよー 浮気な雨にー・・・」のカスバへ来た。入り口でロバに会う。この中には車では入れないので、お掃除もロバで行き来して行うのだそうだ。また、この街を散策するにも地元の案内人が必要ということで、待ち合わせのためにしばらく待たされることになった。
 案内人というよりも警護の警官のような感じだった。我々の前と後ろについて常にトランシーバーのような物で連絡を取り合っている。といっても我々のすることに口を差し込んで指示することもなく、気長に我々のしたいようにさせて待っていてくれる。
 カスバは映画「アルジェの戦い」でも見たように、確かに曲がりくねった階段続きの道が多い。これではフランス軍も確かに攻めあぐねたにちがいない。所々にレジスタンスとしてなくなった人の名前を書いたプレートが壁に貼られていた。
 狭い道に、ロバか犬かは定かでないが糞が落ちていたり、水たまりがあったりして不衛生な環境のように思えたが、子どもたちは大声で走り回って遊んでいた。また、初めて丸いパンを持っているのを見た。アラビアパンといってフランスパンよりも格段に安いのだそうだ。今まで食べてきた食堂では、フランスパンが食べ放題でそれも無造作に扱われていたのに、ここではそれにすら手が出ないほどの貧民が住んでいるという。それだからこそ、老朽化して取り壊さねばならないような建物群の街なのに、なかなか手がつけられないのだそうだ。ここでは銅をつかって大きな皿などを作っていた店が数軒あった。
 木の棒で支えにしていたり、家の間の空間に屋根のような覆いを作って日よけにしたりとそれなりの生活の工夫があちこちに見られた。また、昔の生活の様子を表した版画(?)が所々の家の壁に掲げられていた。
 しばらくしてから【伝統工芸博物館 MuseedesArtsetTraditionPopulaires】に入った。撮影禁止、リュック等の大きな荷物は受け付けに預ける。この建物はダール・クハドゥジャ・アル・アミア宮殿を改築したもので、オスマントスコ初期の総督府になるのだそうだ。内部には昔の道具や家具などが展示されており、それぞれが素晴らしい装飾を施されていた。
 それから【ケチャウ・モスク】へ着いた。左右のミナレットと3連のアーチでかたどられた柱廊が目印。1794年に造られたが、フランスがカトリック教会として改築し、独立後、再びモスクとなった。この辺りは相当賑わっていて、さしずめカスバの中心地といった感じだ。すれ違うと「ニーハオ」と言われる事が多く、その度に「こんにちは」と言い返していたが、いつか浸透するときが来るのだろうか。
 バスに乗って移動し着いたのが、名前は忘れたが、説明によると【10世紀の宮殿】。ここは写真撮影がOKだった。中に入ると大理石の柱や装飾タイルが素晴らしかった。中にハマムなども備え付けてあり、かなり贅沢な暮らしをしていたことが伺える。
 それから海の方の庭へ出てみると、砲台が備えてあり、海からの侵略を防ぐ要塞の役目も果たしていたようだ。
 海が近いこともあり、この辺りには漁師の家が並んでいた。

8−3 昼食(1240〜1353 
 メニューは<アラビアパン、野菜盛り合わせ、ケバブ>。やはり串刺しは美味しい。ミントティーも飲み慣れてきて美味しくなった。
 その後郵便局へ行った。みんなが切手切手と騒ぐためだ。ここなら確実だろう。我々も6枚出した。無事に着いてくれることを祈る(1月14日現在未到着)。不可思議なのは切手の値段。25ディナールというのに、30ディナールの切手しかないという。値上がりっしたのかぼられたのか。中央郵便局がまさか。

8−4 ノートルダム大聖堂(1450〜1538)
 それから訪れたのが教会。イスラムの国にあって何とも不思議な存在だ。といっても、イランのユダヤ教のシナゴークに比べればさほど驚くことではないか。敷地にくっつくようにバチカン市国の大使館が置かれていた。
 この建物は大きく3つの部分に分かれていて、敷地に入ってすぐの所がイスラム教のミナレット、真ん中がビザンチン様式の教会、教会への入り口の部分がカトリック様式になっている。フランスはマリア信仰が強いのでノートルダム(私たちの聖母)という名が付いたと言われる。
 中に入ってみるとキリスト受難の図と共にたくさんの文字を彫ったプレートが埋め込まれていた。この教会で結婚を願い、それが叶うとそのお礼にこうして自分の名前を埋め込むのだそうだ。また、少し進んで丁度十字の中心に当たるところに黒いマリア様が建っている。本来は普通の色だったそうだが、お願いに来た人たちが皆触っていくので黒くなってしまったとのことで、今は触れないようになっている。その上の天蓋はイスラム様式だそうだが、正直あまりよくは分からない。内部の装飾は新しいようだ。パイプオルガンもあってまさに教会そのものだ。そこへ、イスラム教徒も来ているのが、何とも摩訶不思議。当然御参りに来るわけはないから、一つの文化として尊重しているということか。マリアは認めているのだからやはりお参りか。

8−5 独立記念塔(1620〜1700)
 また、街をグルリと回るようにして独立記念塔へ。狭い町中を行ったり来たりしている。もう少しうまい巡り方を考えられないかと思う。時間ばかり使っている感じだ。
 ここはこの街のシンボル的存在で、どこからでもよく見えるように造られた高い塔だ。周りには独立を勝ち取った人々の姿が彫像として立っている。初期の人々の武装した姿や独立期の傭兵などだ。亡くなった人たちの慰霊塔でもある。常に銃を持った人(軍人?)が警備していて、中心部には入れないようになっている。

8−6 コマーシャルセンター(1700〜1735)
 少し買い物をしたいという人がいて、その下にあるコマーシャルセンターへ行った。中央広場は子どもたちの格好の遊び場になっていた。大人の姿は少ないから、買い物をしている間そこで子どもたちを遊ばせているらしい。といっても、イード祭の影響か、殆どの店は閉まっていてあまり面白くはなかった。お土産になるようなお菓子を探したのだが、そういう店そのものがないようだ。仕方がないので、カレンダーを買った。

8−7 夕食(1845〜2030)
 またバスでグルリと来た道を戻って、夕食場所へ。途中酒屋による。アルコール禁止の国に酒屋がる事は驚きだが、どうやら観光客相手らしい。盛んに日本語をしゃべっていたから、それも殆どが日本人?
 我が家はそこでワインを4本購入した。
 夕食のメニューは<バスティーヤ(チキン・鳩)、ブレイク(春巻き)、ミートボール、フルーツ>春巻きは2度目だが結構美味しい。

<ホテル着 (2040)>
 昨日と同じ。