「歩き方」の無い国へ


★ダイヤモンド・ビッグ社の「地球の歩き方」というシリーズ本は元々は個人旅行者のための本ではあるが、我々のようにほとんどツアーで行く場合にあっても、訪れる人の少ない国々に行く場合には他のガイドブックが存在しない場合が多く、貴重な情報源になっている。しかしながら、2007年1月現在アルジェリア版は存在しない。
  調べた限りだが、1990年代初頭前は「地球の歩き方 Frontier 104 サハラ・アルジェリア」という本が存在した。貴重本になっているようで、日比谷図書館のそれは、コピー禁止・館外持ち出し禁止となっている(この図書館の姿勢にも問題はあると思う)。それ故に、『「歩き方」の無い国へ』という書き出しとなった。
 アルジェリアは、内戦以来観光が再開されて間もない国だ。旅行前に旅行社からしつこいくらいに観光慣れしていないからサービスを期待しないようにとの説明があった。しかしそのほとんどは杞憂に過ぎなかった。少しずつではあるが、日本の旅行会社もツアーを再開しはじめている。ある会社の定期的に送られてくる冊子の最新号をめくると「タッシリ・ナジェール」の大きな写真が飛び込んできた。どうやらこの会社もアルジェリアの旅をはじめるらしい。そうした、観光再開間もないアルジェリアのタッシリ・ナジェールを除く世界遺産を巡ってきた。


★とはいえ、アルジェリアが全く安全な国(日本を含めそうした国などそもそも存在しないとも言えるが)と言うわけでもない。実際に我々の出かけた2006年12月にも、イギリスの石油関連企業の一団が襲われてアルジェリア人運転手が死亡している。外務省の危機情報で、「渡航の延期をお勧めします」という上から2番目のレベルのところを旅程ではほとんど旅することになった今回の旅は、渡航前はある意味危険と同居の覚悟の旅だった。感じからしては、イエメンの方が危ないとも思うが、アルジェリアの外務省の危険地域のレベルは今もって高い。こうしたことを明らかにしてしまえば、職場でも行くなと強く言われるだろう。だから、出発前にはそうした話は一切しなかった。
 この背景と我々の状況は全く違った。あくまでも観光で巡った限りにおいては、危険と隣あわせと言うことなど全くなかった。

★アルジェリアの近現代史は、かなり複雑だ。そのことを解説する能力はない。ただ安定を取り戻しつつあることは確実なことだと思う。2004-2005年には国連安保理非常任理事国を務めた(外務省)。
 そして、アルジェリアは今も確実に変わりつつある。突拍子もない話に聞こえるかもしれないが、最近アルジェリアでは聖職者たちがコンドームの使用を許諾した。これは厳格なイスラム教国にあってエポックメーキングな出来事と言ってよい。エイズの問題がそれだけ深刻であることを示すとともに、聖職者たちも現実路線を歩み始めているということをも示していると思う。
 また再び日本企業もアルジェリアの地に入りつつある。我々も工事現場の一部を見ることが出来たが、マグレブハイウエイ(マグレブ3国を結ぶ)のアルジェリア工区1200qの東三分の一の400qを鹿島建設・大成建設・西松建設・間組・伊藤忠商事の共同企業体が受注した。日本との関係もまた新たなものになることだろう。アルジェリアはこれまでアジアでは中国との結びつきが強かった。輸入について言えば、対岸のフランス・イタリア・スペインに次ぐ関係にある(2005年)。だから、だいたいアルジェリアの人たちは我々を見れば、「ニーハオ」と挨拶をしてくれる。現地ガイドも、工事が始まれば「こんにちは」といずれは答えてくれるようになるだろうと話していた。
★今回は、夏のイラン旅行に引き続いてS旅行社のツアーに参加した。アルジェリアの再開ツアーとして中堅(大手は未だ企画していない)どころでは2番手であり、また再開以前にもより安全な砂漠地帯のツアーは手がけていた会社である。これが選択の理由。結果は間違えはなかった。選びようもない客の一人は旅行になど出かける価値のない最低の男だったが、それ以外は快適な旅だった。とくに私生活を含めてアラビア語圏に強い経験を持つツアーリーダのYさんの道中の話はディープな部分もあって興味深かった。

★アルジェリアはしかしながら遠い。もっとも早いルートでも、成田を出てドゴール空港経由で、9時半頃に到着する。18時間。我々は関空経由で行ったので、羽田から32時間もかかった。このコース設定は少し考えてもよいだろう。ただ往路について言えば、夕刻勤務を終えてからの出発だから、実質のタイムロスはないと言っても良いかもしれない。それでも長かったことに変わりはない。それほどに遠い国、南米並みの「遠い」国だ。

★実はアルジェリアの旅を終えた今、アルジェリアの強い印象はあまりない。二人ともの印象だ。一番に期待したティムガッド遺跡は夕刻の到着となり、心ゆくまで見学が出来なかったこともあるが、NHKで紹介されて強く興味が引かれた訳だけれども、その壮大さを実感できることがなかった。ただこの遺跡を含めてローマ遺跡は、古代ローマ帝国が人心掌握のために勧めたインフラ整備の象徴であるが、アルジェリアを旅してそこいら中で勧められていた住宅建築が、印象をダブらせた。インフラの整備は古今東西を問わず重要なのだと。
 もっとも印象に残っているのは、イード祭。というよりは、犠牲祭とも訳されるその祭のハイライトの羊を捌(さば)くシーンが脳裏に強く残る。表題はそのシーンだが、その余りにも強烈な映像のため、ぼかすことを余儀なくされた。
★アルジェリアの旅で、我々はマグレブ3国の旅を完了した。今年の年賀状は以下のようなものだった。

あけまして おめでとう ございます
お健やかに新年をお迎えのことと拝察します 

 その昔聖徳太子は小野妹子を遣わし、「日出處天子致書日没處天子」とその文で述べ、随の皇帝を激怒させたと伝えられています。実は世界には「陽没するところ」と呼ばれる地域があります。マグレブと言われる地域のことです。俗にマグレブ3国と言われる、モロッコチュニジアには渡航経験があり、冬の休暇を利用し残りの国アルジェリアに来ています。1990年頃から内戦があり、渡航が難しかったのですが、近年観光が再開され、今マグレブ3国訪問を完結しようとしています。
 昨夏にイランペルセポリスを訪れ中東の3P(他にペトラパルミラ)を完成させたのに引き続いての、イスラム圏への旅です。この葉書の背景は、ムザブの谷と言われる場所です。厳格にイスラム教義を守りイスラムの清教徒とも言われる人々が暮らしている町で、世界遺産にも登録されています。
 こうして旅を出来るのも、アルジェリアに少しずつ平和が戻りつつある証とも言えます。平和は他との安定的関係があってこそ成り立つものであり、簡単に達成されるものではありませんが、日々の暮らしの中の積み重ねを通じて、少しでも日本が、世界が、暮らしやすいものになることに努力を重ねたいと思います。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。