3月25日(日) アテネ〜アクロポリス〜カランバカ

起床(0630)・・朝食(0700)・・出発(0900)・・メテオラ(0920〜1155)・・昼食(1205〜1305)・・カランバカ散策(1305〜1340)・・休憩(1550〜1605)・・峠越え(1620)・・アラホバ(1735〜1738)・・ホテル着(1800)
☆デルフィパレス(旧クセニア) ホテル 1号室

2−1 朝
 モーニングコールは6時という事だったが、則はそれよりもかなり前に起きてしまった。いつものことだ。それから荷物の確認をして朝食に行った。
 ところで、右の図だが、昨晩というか今朝の午前3時になったら針を4時に進めてくれるようにと言う、サマータイム入りのための変更指示のもの。則など、勤務時間が短くなるのではと思っていたが、そう甘くはない。こうした特別の日に到着したのも、この国との何かの縁だろう。

2−2 アテネ市内観光(0830〜)
 初めての観光はアテネ市内。通常の今回利用したコースだと本来はアクロポリスに入場することになっている。しかしながらちょうど今日3月25日が独立記念日(オスマントルコからの独立)ということで、公共施設は全てお休みらしい。ということで、アクロポリスの全体が見渡せるフィロパポスの丘へ向かうことになった。ガイドは日本語のとても上手なギリシャの人。(写真は昨晩泊まったホテル)

2−2−1 大統領官邸 (0840〜0845)
 ここで写真タイム。といって大統領官邸自体はさほど珍しい建物ではないのだが、それを警備している軍人のスタイルが被写体になるというのである。なるほど、民族衣装に身を包んだ男性が一人立っている。この人は現役の軍人で、選ばれた人なのだとのこと。つまり、大統領を守るというよりこうして被写体になるべくイケメンが選ばれているとのこと。
 時間としては1時間で交代するそうだが、その間じっとしていて絶対に動いてはいけないとのことで、夏の暑い日に汗をかいたら、それを拭くための人が配置されているとのことだ。シンタグマ広場(国会議事堂前広場・・・後で地下鉄に乗っていった)の衛兵交代は観光名所にもなっている。30人もいるから、それぞれが記念撮影するとなると、結構時間がかかる。我々もその中の一人。
 ところでこの衛兵は、ギリシャの伝統的民族衣装を着けている。この格好で対トルコ独立戦争を戦ったらしい。スカートのひだは、苦節400年ということで、400ものヒダがあるそうだ。靴の前のぼんぼりのようなものも伝統的な靴の装飾らしい。こうした格好を今もしていると言うことは、トルコからの独立が以下に渇望されたものであったかと言うことと共に、今もなおキプロスをはじめとして、両国が対峙した関係にあることを示しているとも見ることが出来るかもしれない。

2−2−2 オリンピックスタジアム (0850〜0910)

 ここのオリンピックスタジアムはオリンピック委員会の管理下に置かれていて、実際に使われることは殆どないのだそうだ。
  ただ、日本人にとっては記憶に残るスタジアムだ。2004年のオリンピック、マラソンで野口みずきがゴールテープを切ったスタジアムだからだ。
 入り口近くの壁には、歴代のオリンピック開催地が記録されていた。勿論東京の名も刻まれている。右上の写真ではちょっと不鮮明かもしれないが、刻まれた下から7番目が、TOKYO 1964である。あの時はアベベがマラソン2連勝を飾ったのだった。このページを見ている人で、その記憶がある人は何人いるだろうか。
 さてスタジアム前の広場からは、反対側にはアクロポリスの丘が遠望され、何本かの柱が見えた。
  このころになると、今日の独立記念のパレードに参加する軍人達が続々と向かいの公園にぞくぞくと集まって来ていた。いろいろなユニフォームがあるので、それぞれ部隊が違うようだ。基本的には儀仗の格好をしているのだけれども、中には、フログマンのような人たちや、女性兵士(男は兵役があるが女性は志願兵)もいて、ひときわ目を引いた。
  街中には独立記念日とはいえ、特別なデコレーションなどはあまり見られなかったのだけれども、こうした動きを見ていると今日が本当に特別な日であることがだんだんと実感できるようになってきた。

2−2−3 アクロポリス フィロパポスの丘 (0920〜1030)
 アクロポリスには入れないという代わりにフィロパポスの丘に登り、のんびりと外観を味わうことができた。
 やはり一番異彩を放っているのは「パルテノン神殿」。アテネのどこからでも見えるというその神殿は遠目でもいい形をしている様に見える。前門は修理中のようだった。音楽堂のアーチもきれいに見えた。この音楽堂は、今でも使われているとのことで、日本の野村萬斎等もここで公演をしたことがあったそうだ。
 もっと近くで見たいが今日は仕方がない。一通りの説明が終わったところで少し自由時間になったので、少し上にある古いアゴラの丘に登った。ここにも古い建造物がある。ここからは音楽堂もくっきりと見ることができた。
 これで全体が殆ど見渡せる。お天気にも恵まれて最高の気分だった。近くへ行かなくてももう見てしまったような気持ちになった。
 帰りがけら足元を見るときれいな花がたくさん咲いていた。これからもこの花の咲き乱れる光景は何度も目にした。ちょうど良い花の季節に当たったらしい。
 丘から下りてくると、そこにギリシャ正教の教会がった。丁度祈りの時間だったのか、或いは常時観光客に向かってであろうか、祈りの声がスピーカーから流れていた。バスに戻って、少し乗ってアクロポリスの丘のある付近まで行く。恨めしそうに、塀越しに遺跡を見る。

2−2−4 地下鉄に乗って
 独立記念日のパレードのために道路のあちこちが通行止めになっており、バスが思うように走れない。我々もそれを見ようということになり、急遽地下鉄で移動することになった。
 ただスリがとても多いので十分に用心するようにとしつこいくらいの注意があった。ずっと後を付けている3人組は紛れもないスリだと添乗員さんは断言していた。でもその人達は、あまり我々が後ろをしつこく見たからだろうか、結局ホームに下りたら別の場所に移動した。
 さて地下鉄は自動販売機で切符を買う。日本のように係員のいる窓口はないので、32人分の切符を1枚1枚購入する。その切符を持って改札の機械に入れる。とすぐに切符が出てきてそれを持ってホームへ出る。
 ホームへ降りる手前の部分にはこの地下鉄を掘る際に出土された遺物がたくさん展示されていた。
  電車はきれいだった。我々が乗るまではそれなりに話のできるスペースがあったようだが、この一団が乗ると満員になってしまった。分散して乗ればいいものを、スリで驚かされていたので全員が一つの乗車口から乗ってしまったからだ。降りてからもそうだったが、まぁ日本のラッシュアワー時間帯のようなさながら有様だった。
 というわけで、降りた駅はすごい人だった。前の人を見失わないように付いていくのがやっとだった。どうにか広場についてここでパレードを見ることになり、自由となった。
 が、シンタグマ広場前はすごい人出とても見られたものではない。何とか前列へ潜り込もうとしたが、周りがみんな外人で(我々が外人か?!)大きくてとてもできなかった。仕方なく手を高く上げて、メチャクチャにシャッターを押した。何とか、数枚にその様子が写されていた。その頃頭の上は軍用機がブンブン飛び回っていた。


2−3 昼食 (1210〜1310)
 プラカ地区 PLAKA RESUTAUROで食事。軍事パレードを見たシンタグマ広場から徒歩で移動。歩いていく際に、民族衣装を着飾った男の子(衛兵の格好)や女の子に出会った。  
 ○チーズパイ、ミートボール、スブラキ(シシカバブ)、ライス&ポテト、デザート・・・あまり脂っこさがなくて、よかった。
 △ビール 3ユーロ ちょっと高い気もしたが、のどが渇いていたので美味しかった。
 この後、今日の宿泊地カランバカまでは350q、5時間の予定で移動。今回の旅でおそらくは一番のロングドライブだ。

2−4 レオニダス王 (1612〜1617)
 途中1回のトイレ休憩をした後立ち寄ったのがここ。英雄の像があるというので、写真タイムとなる。他にも団体の観光客が来ていたところを見るとそれなりに有名、というか現地の人にとっては誇りに思っている英雄なのだ。おりしもアメリカではそのことを描いた映画「300」が公開されており、先週まで連続2週1位だった。
★資料 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 レオニダス(?〜紀元前480年)。スパルタ王。前王クレオメネスの異母弟。クレオメネスの一人娘ゴルゴーと結婚して、王位を継いだ。
 紀元前480年、ペルシャ戦争でスパルタの重装歩兵300名を率いてテルモピレーの戦いでクセルクセス1世の大軍を手こずらせ自ら戦死し部下も玉砕した。
 その奮戦によってアテナイは時間を稼ぎサラミス沖の海戦でペルシャ海軍に勝利することが出来た。レオニダスは古代ギリシアの英雄として今も語り継がれている。

2−5 ホテル着 (1900) オルフェス ホテル 314号室
 19時になってようやくホテルに到着。でも数日前の18時だから、まだ大分明るい。ここでは部屋を指定されるのではなく、勝手にキイーを持って行く方式だった。我が家は焦ることなく一番最後に残ったものにした。部屋は3階の一番端。残り物には福。端だったおかげで、前の建物に遮られることなくメテオラの奇岩を見ることができた。絶壁沿いに建てられている修道院が2つほど見えた。明日はそこへ行く。

 部屋に入ってすぐに夕食。
○ビーフがメインの食事だったが、ビーフといっても煮込んである柔らかい料理で、ステーキ風を予想していた順はややガッカリ(ビーフストロガノフ風)。その他にスープと野菜サラダなどもあった。
△ワイン12ユーロ。ここのレストランは、ワインの注ぎ口に液だれ防止の特別な口を付けてきた。結構優れもので、添乗員さんにも聞いたし、スーパーなどでも探したが無かった。東急ハンズなどで探してみようと思う。

★本日の知識
◎宗教
○ギリシャ正教・・ギリシャの国教・結婚可・信者は3回まで可・彫像はダメ代わりにイコンを拝む。十字は上→下→右→左(だいたい原始ユダヤ教を中心としたこの地方の宗教には偶像崇拝という概念はなかったはずで、現在のキリスト教がむしろ異端。)
○ローマカトリック・・結婚不可・信者は離婚はダメ・彫像を拝む
A日本の商品
○日本車が多い。日産は現地工場がある。家電製品も多い。ソニーや東芝がメジャー。カメラはキャノン、富士フイルム。