3月31日(土) アテネ〜ミラノ

起床(0545)・・朝食(0630)・・出発(0810)・・アクロポリス(0820〜1000)・・空港着(1050)・・搭乗(1250)・・離陸(1317) AZ-733 16D・E・・軽食(1350〜)・・ローマ時間−1時間・・ミラノ着(1430)・・ミラノ離陸(1633) AZ-786 41C・D・・日本時間 +7時間・・機中泊

8−1 朝
 昨日と同じメニューだったが、まあ、適当に選んで食べる。今日もみんなは早い。
 ただすごい雨降りなので、今日の観光が心配。実は、本来なら午前中は自由時間となる予定だったのだが、初日に独立記念日と重なって見ることができなかったアクロポリスに行くことになっていたからだ。旅行会社の方でバスを手配してくれたのだ。感謝。
 朝食を終えてもまだ雨は止まない。ダメかと諦めかけた頃、小止みになったように思えた。それからずっと外を眺めていると、傘を差さないで歩く人が現れた。車のワイパーも動かなくなった。しめた。(左はアクロポリスエリアのチケット)


8−2 アクロポリス (0820〜1000)
 出発する頃にはすっかり雨は止んでいた。奇跡という他はない。感謝感謝。
 駐車場へ着くと朝一番ということで人が少なかった。観光はゆっくりできそうだ。入口に着いて遺跡の反対に目をやると、最初の観光の日(3月25日の項参照)に登ったフィロパポスの丘の記念碑が朝日に輝いているのが遠望できた。
 入り口でリュックはダメということで預けるようにいわれた。傘とかが入っていたのだが、もう大丈夫だろうと思って全て預けた。
 なお、このエリアはグーグルマップに貼り付けてあるので、そちらと共に参照していただけると、この稚拙な文を補完してくれるものと思う。
★資料 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 アクロポリスとは、古代ギリシアのポリスにあった小高い場所のこと。この丘には古代ギリシャの美術を代表する4つの傑作、パルテノン神殿、プロビレア(神域の入り口の門)、エレクテイオン神殿、アテネ. ニケがある。 中でも2,000年の歴史を刻んだバルテノン神殿、白色とも、桃色ともつかない光の加減で変化する大理石の柱46本が青空を背景に荘厳な雰囲気を漂わせている。

8−2−1 イロド・アティコス音楽堂
 入り口を入るとすぐ下に音楽堂が見えた。先日は遠くからその形を感じ取ったが、今日は上から見下ろすような形で見える。5千人以上はを収容できるという。今なお使われている劇場だ。
 観客席は白い大理石で、今も使えるように修復されている。イロド・アティコス音楽堂というのは、これを作ってアテネの寄贈した富豪の名前に由来する。彼は亡き妻のためにこの音楽堂(オディオン)を作ったらしい。この音楽堂であるが、復元図を見ると写真の背景部分から観客席最上部にかけて屋根に覆われた巨大な建物として描かれている。舞台は35.5メートル×6メートル、全体の直径は80メートル高さは正面で約30メートルということだから、その巨大さが分かるというものだろう。その上に屋根があったのだ。木製の屋根だ。たぶん高価なレバノン杉で葺かれていたのだろうと想像する。
 最初から感嘆しながら坂を登っていくと、右手にプロビレア左手にブーレの門という場所に出た。この門はローマ時代末期のもので、1853年フランス人考古学者ブーレが発見発掘したことに由来する。この門はこの聖域全体を防御する役目を担っていたと思われる。

8−2−2 プロビレア(前門)
 さてブーレの門の反対側に目をやれば、その正面には巨大なプロビレア階段の上にそびえ立つようにある。聖域への入り口で正面に6本のドリア式の柱が残る。2002年から始まった修理中で殆どが覆われているので、なかなか全体像をつかみ取れないが、合間合間に見える柱から当時を想像する。往事の姿は想像力の世界で見るしかないが、先に示したグーグルマップの上空の画像からも、他の神殿郡と比較してその壮大さが伝わることだろう。門正面の写真の次に掲げた図は、この門の全体像の解説図。全体が、南北翼・正面・後陣部分と4つのブロックに分けることが可能だ。図右上の全体像の一番左手にあるのが、下に述べるピナコテクの部分である。
 プロピレアへの登り口には往時には門の入口と同じ幅の階段が設けられていた。今はそこをジグザクの道が付けられている。登る前に左手を見上げると、まず高い基壇が見える。高さは9メートルほどある。この上に4頭立ての戦車に乗ったアグリッパの像があったという。このアグリッパというのはローマの将軍だが、元々は彼のための基壇であったのではなく、ペルガモン王エウメネス二世の像がその上に載っていたということだ。左の写真の右手は、プロビレアの本体だが、その中央に見えるのはピナコテク(絵画の部屋)と呼ばれるプロピレアの北側の部分。実際にここにはいくつかの絵画が飾られていたようである。ここを訪れる人々の休憩所のような役割を果たしていたのではないだろうか。さてピナコテクが北にあるとすれば均衡上南側には何があるかと言えば、均衡上同じような建物がある。ただし、ここの利用方法は今日伝わっていないようだ。あまり解説書などでも言及されていない。
 さてその北翼部分の前にはアテナ・ニケの神殿がある。後に紹介するサンダルを履くニケのあった場所だ。残念ながら、右写真のように修復中でその美しい姿を見ることは出来なかった。ニケは勝利の女神。アテナはその尊称らしい。しかしながら実際は丘全体の最前部にあり、プロビレアに向かう敵兵の側面から攻撃できる、軍事的に重要な、日本の城郭で言えば櫓の役割を果たしていたとも考えられる。なお、ここには翼のないニケが置かれていたという伝承が残る。にかの翼を切っておけば、勝利の女神は逃げ座せ無いという、何とも独善的な考えに由来するらしい。右の写真は博物館にあった復元図。

8−2−3 パルテノン神殿
 さてさて、プロピレアを通過すると、眼前に迫ってくる神殿!これがパルテノン神殿だ。数々の写真で見た憧れのもの、一週間前に遠目でしか見ることの出来なかったもの、それが今目の前にあるのだ。先日は遠目に見て、それでも素晴らしくて、まあいいかと思っていたのだが、やはり傍に来ていろいろな角度から見てみると魅力的だ。この柱の1本1本に歴史があると思うと味わい深い。朝日に輝いてなお一層神々しく見える。
 パルテノン神殿は、処女神アテナを祀る神殿である。アテネの街のあらゆるところからそれは輝いて見える。昨日はそのライトアップも見た。アクロポリス最大の建物であり、ギリシャのいや世界の至宝であり芸術的傑作である。解説も沢山でているから、我々としても多言は控えたいと思う。
★資料 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
パルテノン神殿(Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設されたアテナ神を祭る神殿。現在残る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿。

8−2−4 エレクティオン神殿
 この建物は6人の少女を柱とした女身像柱(カリアティード)で有名。一番きれいな一体は大英博物館に他はアクロポリス博物館に陳列されており、ここに立っている物はレプリカだ。写真的にはパルテノン神殿に次いで、よい被写体になる。
  なお大英博物館にある1体というのは、この写真で左から2番目の像。たぶんこの中の一番美しいものあるいは保存状態がよいものを持って帰ったのだろう、と想像する。

8−2−5 アクロポリス博物館
 そう大きくはないし豪華とは言えない博物館だが、内容は充実している。そこで添乗員さんのお薦めの展示物は見逃さないように注意しながら見てきた。
@「サンダルを履くニケ」
  サンダルを履く(或いは解く)ニケの像と呼ばれるこの像は、アテナ・ニケ神殿にあった物。往時はかような様々な姿のニケで8−2−2で示したアテナ・ニケ神殿は装飾されていたと言うことだ。この博物館の見物の一つになっているということだが、それはアテナ・ニケ神殿コーナーにかなりひっそりとあった。奇跡的にほぼ無傷で発見された。薄くさらっとした絹のような布をまとったニケがサンダルのひもを直す、履く、或いは解く場面を美しく表現している。占領したトルコ軍が防御のために神殿を破壊したので、アテナ・ニケの遺物は数少ないらしい。その意味でも貴重なものだ。
A破風に飾られていた「トリトンと闘うヘラクレス」と「3頭鬼神」
  両方ともアテナ古神殿にあった。建物はペルシャにより破壊されて残っていない。(人間の3つの胴体が下半身でひとつにからみ合ってヘビとなる半人半蛇の像。)

B6体乙女柱像
 エレクティオン神殿のもの。1体は修理中とかで展示されていなかった。暗いところでなおかつガラスの中にあったので、写真はうまく撮れなかったので、8−2−4の画像で勘弁してもらいたい。

8−2−6 デュオニュソス劇場
 下を覗くように体を乗り出してみるとよく見える。
  この頃になると人が溢れんばかりになってきた。朝一番に来たのはとても良かったようでゆっくりと堪能できた。大満足でギリシャの観光を終えることができた。
★資料 出典 「世界遺産」
 ディオニュソス神に献じられたデイオニュソス劇場が、アイスキュロスらの劇作家によってアクロポリスの南麓斜面を利用して最初木造で建てられた。
 現存の階段席は、紀元前4世紀に大理石に改修されたものの遺構。

8−3 離陸(1317) AZ−733便 16D・E
 空港には10時50分に着いた。丁度2時間前だから計算したようにぴったりだ。
 チェックインを済ませてウロウロしながら時間をつぶした。そのウロウロの中には則のワイン買いという道楽もあったのは当然のこと。既にスーツケースにも3本ほど入っているのにと、順さんはあきれるほか無い。
 このワイン。今回からちょっと面倒になった。というのも国際テロ事件が相次いでいるので、液体やゼリー状の物の機内持ち込みができない。といってそれをきちんとしてしまうと空港の業者が困るというので、買った物を密封するという手続きをすることによって機内持ち込みが可能になる。大きな袋にワインのビンを入れるだけなので中でゴロゴロしていて、割れないか心配だが、袋を開けるわけにも行かず注意して持ち歩くことになった。
 12時50分に搭乗開始。このときになってフランスの女性が鞄がないと騒ぎ出して少し遅れたが、程なく離陸。
 ミラノ時間(−1時間)の14時30分にミラノ着。
 ここの乗り継ぎ時間は45分しかないと焦っていたら、乗り継ぎの便が遅れて15時55分というので一息ついだ。

8−4 ミラノ発 (1633) AZ−786便 41C・D
 ここで出国審査。我々はのんびりだったが、たくさん買い物をした人たちが免税の手続きをしようとしてそちらへ急いだが、結局はできなかったようだ。実は、アテネでもこの手続きにチャレンジしたのだが、ダメだったのだ。EU共同体なのでEUを最終的に出る国で手続きをすることになっているので、アテネではダメだろうと言っていたので仕方ないと思うが、何故、ミラノでダメだったのかは分からない。係員が面倒だったのか?
 まあ、我が家には関係のないことだ。
 今回の席は通路を挟んだCとD。本当は19のJ・Kという窓際だったのだが、母子連れと変わったのだ。
 16時33分に離陸。これから日本時間にする。+7時間。到着予定は10時40分。約11時間10分のフライト予定だ。