3月30日(金) エーゲ海1日クルーズ
  (サロニコス湾に浮かぶポロス島、エギナ島、イドラ島)

起床(0515)・・朝食(0630)・・出発(0740)・・港着(0830)・・港発(0830)・・ポロス島(1050〜1125)・・昼食・・イドラ島(1230〜1400)・・エギナ島(1610〜1755)・・港帰着(1930)・・夕食(2000〜2100)・・ホテル着(2120)
☆アテネウム インターコンチネンタル 235号室(連泊)

7−1 朝
 今日も朝一番でレストランで食事。トーストがあるので嬉しい。お湯があったらカップヌードルを食べようと思って持って行ったのだが、空振りに終わった。

7−2 出発 (0740)
 今日は一日エーゲ海クルーズだ。先日のように大荒れなエーゲ海だと欠航することもあるそうだが、今日はそんな心配は全く必要なくらいの良いお天気だ。それでもちょっと寒いのでヤッケの下をはいた。
 ピレウス港には既に他の船や観光客が来ていた。我々も自分たちの乗る船の横にバスを着けて早速乗り込んだ。入り口でお定まりの記念写真。これは後で買おうと思っていたが、ガタガタしていて忘れてしまった。
 船に乗るとまず日本人クルーからいろいろな説明があった。この人はヨーコさんと言って名物女性らしい。こちらに来て相当長いらしく、日本人離れしている。
 説明が終わったら自由な席に行っても良いというので、当然我々は一番前の舳先に行った。そこは風がもろにぶつかってくるのでかなり忍耐力が必要だった。途中でカモメが飛んできたが、日本のように船に寄ってくることはなく、ひたすら自分の好きなように波に浮かんでいた。

7−3 ポロス島 (1050〜1125)
 最初の寄港地はポロス島。30分しか時間がないので、ここの観光の目的である燈台への道を聞いて急いだ。ほぼ一番にそこへ着くことができた。
 そこは少し高い所にあり、サロニコス湾と港が一望できる。青い空に青い海、統一された家々、もう見事な光景だった。そのうちに少しずつ人が増えてきたので、下の方へ下りていくことにした。狭くて階段続きの道だが、その両側にある家も色がきれいだし、低い所に見える家の屋根も全てオレンジ色でやはりきれいの一言だった。
 あっという間に30分が過ぎてしまった。

7−4 昼食
 船に戻って次の島へ行くまで昼食が出された。
  ○サーモンサラダ ポークソティー デザート
  △ビール 
 ここでのお勧めの飲み物はキウイジュースだということでこれが一番売れていたようだ。我々は則がキウイアレルギーでダメなので、ビールにした。食事も美味しかった。

7−5 イドラ島(1230〜1400)
 この島は車はダメなので、移動手段としてロバを使うと聞いていたが、その通り、港にはたくさんのロバがつながれていた。ところがしばらくすると、清掃車だが車があった。
 ここでは結構時間がある。まず最初にイコンがきれいだという教会へ行った。ちらほらとしか人がいなかったのでゆっくりと見ることができた。ひときわ目立つ塔がなかなか被写体として良かった。聖堂の中は、今まで見てきたようにイコンで一杯だったが、奥の礼拝堂は内容で小さい規模のものだった。
 2階にイコン記念室のような物があったので入ってみた。間近に見つめているとその作りがよく分かって面白かった。ただかと思ったら、帰りにしっかりと一人2ユーロ支払わされた。甘かった。
 その後は町の散策。海へ向けて大砲を並べている丘へ行った。この島の商人は独立戦争の時にその富を生かして海戦で大活躍したのだそうだ。そこで少しのんびりして時を過ごした。

7−6 エギナ島(1610〜1755)
 ここでは2時間ほど時間があるので、オプションのコースがある。アフェア神殿というアクロポリスより40年早く建てられたとされる神殿を見に行くコースだ。添乗員さんはあまりお勧めではないらしいが、遺跡好きの我々が放っておくわけもなく、25ユーロは高いと思いながらも申し込んだ。
 クルーの一人の日本人女性がガイドとして付いてきて、解説もしてくれた。

7−6−1 アフェア神殿 (1635〜1705)
 紀元前6〜5世紀にかけて建てられた物で、ドリア式の柱が24本残っている。更にこの1本1本が円柱を積み重ねたのではなく一枚岩で造られている。ただ、この柱に使われている石も石灰岩なので、痛みも大きく何度も修復されているようだ。
  ただ、これだけ柱が残っていると、当時を偲ぶのには十分なわけで、たっぷりとその思いに浸ることができたが、いかんせん時間が無くてあわただしかった。
  ここからは海を挟んでアテネのアクロポリスが見えるということだったが、いくら目をこらしてみても見えなかった。

7−6−2 ゾードホス・ビギ修道院 (1718〜1732)
 ビザンテイン時代の宗教画が残る修道院。まだ、中は修理中で鉄骨が無造作に建てられており、折角の絵が見られない。ただ、ビザンチンの教会の象徴であるという双頭の鷲は、今までになく数多く目にすることができた。またここには銀色の棺があり、それに触ると幸運に恵まれるというので、みな触っていた。中には日本と同じように頭の部分をなでてから自分の頭をなでるということをしている人もいた。かく言う、順さんもしかり。それで頭が良くなればしめたものだ。

7−6−3 港の光景
 17時40分には港へ戻ってきた。
 そこに駐留している船に果物がたくさん並べられていた。船の仕事を辞めた人がここで商売を始めたそうだ。また、ピスタチオを売っている屋台も並んでいた。
 船は18時に出航。ここで乗船カードを係員に戻す。

7−7 港帰着 (1930)
 さあ帰りだ。船の中で寝ていこうかと思ったら、踊りや歌があるのでそちらへどうぞと添乗員さんが席を用意しておいてくれたので、半ば渋々そちらへ行った。あまり期待していなかったのだが、やはりそれほどのことはなかった。無理矢理笑いを取ろうとするやり方や踊りの列に引っ張り込むやり方は好きではない。まずは則が、しばらくして順さんが甲板へ出て行った。
 日が当たるうちはそれほどでもなかったが、やはり日が落ちると寒くなってきた。

7−8 夕食 (2000〜2100)
 最後の夕食は中華。最後だから男性女性別々に食事をしましょうと提案した人がいたが、我が家は2人で飲みたいからと断った。
 幸いなことに紹興酒があったので、2人で1本飲み干した。料理も8品ということで数的にも味的にも満足だった。

7−9 ホテル着 (2120)
 昨日と同じホテルなので、いい加減にしておいたスーツケースを明日は日本に帰るのできちんとしなければいけない。重量を量りながらその作業は遅くまで続いた。