3月26日(日)
  デリー  ベナレス ゴラクプール  クシナガラ(泊) 晴

ホテル発(0915)・・空港着(0930)・・機内へ(1015)<VARANASI HJR (JET AIRWAYS)9W 723> 動き出す(1045)・・離陸(1105)・・昼食(1125)・・着陸(1208)・・ベナレス空港発(1230)・・修理工場(1305〜1335)・・昼食(1550〜1635)・・ゴラクプール(1820)・・ホテル着(1845)  

2−1 朝
 朝4時頃に10回にはならないが、何度も何度も電話のベルが鳴る。則は早起きなので、構わないが、順さんはたまったものではない。
 順:血圧119−79 パルス66 体温36.1
 則:血圧133−97 パルス54 体温36.1
 ホテルの朝ご飯は、ビュッフェスタイル。7時からのオープンで、待ちかまえるようにして行ったが、既に準備はほとんどできている感じだった。内容的には様々な物があり、満足のいく充実ぶりだった。
 今日は飛行機が先にも言ったように直前の変更になり、10時40分のフライトということで、朝の出発は9時15分。十分に時間がある。おまけに、故障していたのか朝4時からホテルの電話でたたき起こされたので、もう出発の時間には十分に覚醒し、準備が整っていた。今日のフライトで気を遣ったのは飛行機の荷物の重さ。日本からはビジネスだから30kまでOKだが、あとは20kの制限だからだ。でも、インド人の荷物を見れば、そんな制限はあまり関係ない感じもする。

2−2 飛行機移動
 飛行場は国際線よりホテルからは少し離れた所にターミナルがあった。それでも15分位で到着した。到着する前に、余分な電子を機内に持ち込まないよう託送荷物に入れるようにと言う話があった。事前に聞いていたのでそれは大丈夫だ。こうした注意点のような物は、今回のような半分個人旅行の場合には、重要な要素だ。
 さて、到着した国内線の空港もなかなか混雑はしていた。

2−2−1 手続き
 空港の入り口は航空会社別になっている感じがした。空港では建物に入る際に航空券の提示が求められた。見送りの人はどうなるのだろうか。その辺のことは後で現地のガイドに聞いてみたいと思う。
 ともかく、航空券が正規の物と解ると次はもう託送する荷物のエックス線検査。検査が終わると、普通はそこで荷物を貰うわけだが、ここではそう簡単には渡して貰えない。よく空港にあるビニールでラッピングしたりプラスチックのバンドで荷物を縛ったりして幾ばくかの金を取るサービスがあるが、その荷物締結用バンドをしっかり締められる。バンドには航空会社の名前が入っている。
 それで終わりかと荷物を受け取ったら、未だ早かった。日本でのそれと同様に、バッグの留め金付近にシールも貼られた。えらく厳重だ。

2−2−2 待合室
 さて、荷物を受け取るとそこからチェックインの仕事は現地ガイドがしてくれた。我々は小さな待合室で待つ。フライト案内が出ていたが、便数は首都空港(つまりは羽田と同じ)にしては便数が少ない。しかしながら、空港内撮影禁止ということで、写真を撮ることができない。未だインドになれていないから、あんまりおおっぴらに撮影できないので、ここはじっと我慢。
 空港で飲み物の売店があるのでのぞいてみる。コカコーラは一杯18ルピー。チャイは小さなカップに入って10ルピーだ。けっこうな金額のようにも思うが、子供でも買っている。裕福なのだろう。
 左の写真はジェットエアウエーズの搭乗券。

2−2−3 セキュリティ−チェック
 そうこうしながら雑踏の中を待っていると、ガイドさんがやってきた。中に入る方が椅子席があるというので、そっちへ移動することになる。ここで手荷物のタグを手荷物の数の分だけ渡される。搭乗待合室に入るには勿論セキュリティ−チェックがある。
 荷物をエックス線のチェックに入れて、金属探知器のゲートをくぐる。最近金属を付けていないから、なることはまずないはずの則でもなった。というか、全ての人がなるようにできている感じだ。お客はここで人間のチェックを受ける。一段高い踏み台の上にのせられてのチェックだ。例の虫眼鏡のような物でチェックされるがボールペンでもピイピイ鳴る。コルセットもプラスチックのはずなのだが・・・。女性はカーテンで仕切られた別の場所で行う。
 まぁともかく2人とも難なく通過。そうすると搭乗券の左右に合格の?スタンプが押される。しかしそれだけで終わらない。人間の方はそれで解放だが、手荷物は、先に書いたように一つ一つ手荷物タグが付いているわけだが、それにも検査合格のスタンプが押される。これで解放だ。

2−2−4 ゲート前
 中に入ってもそう広いわけではない。座席を確保するとガイドさんがチャイを飲ませてくれた。甘い。則はちょっと自分の病気のことが気になる。ここでこっそり搭乗券の写真を撮る。
 さて待合室には搭乗案内のボードなどはない。ときたま、案内の人がボーディングの時間だと大声で触れ回るだけだ。昔の中国より未だ気を遣わなければならないシステムだ。そろそろかなぁと思う頃にガイドさんがやってきた。しかるべき搭乗口に行くともう並んでいる。我々はというと、先に並んでいた同じ現地旅行社を使っているJ社の客の後ろにちゃっかり割り込んだ。

2−2−4 搭乗
 さて最後のチェックは、バスで移動して搭乗する際。搭乗券は半券が取られて大きい方が手に残った。さらに手荷物にスタンプが押されているかが確認されてようやく機内の人になることができる。
 飛行機はAIのよりはずっと新しい感じだ。地球の歩き方でもこの会社、つまりJETWAYSは評判よく書いている。フライトアテンダントも非常にきびきびした感じの動作で、AIのそれとはいささか趣が違う。マクドナルドの店員のようだ。

2−2−5 機内
 飛行機は満席状態で、少なくとも我々の近くでは空席はなかった。座席配列は3*3。回りにはなぜか日本人が多い。と言っても、2つのグループだけだが。どうやら現地旅行社の手配の都合なのだろう。
 飛行機は定刻前にエプロンを離れたが、滑走路が混んでいるために(おそらくは国際線との共同利用の滑走路が一つだけなのだと思う)なかなか離陸しなかった。ようやく順番が回ってきて、15分位遅れて離陸した。
 機内でまずあめ玉サービスがあった。ガイドさんが写真のものを取ってくれた。スッパアマカライヌガーのような食べ物だった。これを土産に買いたいと行ったが、この飛行機だけのサービス品と言うことだ。
 機内では食事も出た。ノンベジとベジタリアンの二種類あったが、違いはほとんどなかった。小さな肉のミンチかジャガイモのような中に何か入れたようなものかの二種で、後は違いはない。それでも、昼食としては十分だった。飛行機は遅れた分到着時間も遅れたが、問題なく目的地の空港に到着した。

2−3 ベナラス
 宿泊地クシナガラはここから約300qの道のりだ。しかも我々が生まれた頃の日本の、舗装してあると言ってもたかだか片道一車線のそう路面状態のよくない、そういった道だ。
 日本側のP社に事前に確認したところ、少し渋滞があっても6時間で到着している実績があるというようなレポートが返ってきていたが、我々の入手した資料では7時間位かかるとあった。この数字は怪しいと思っていたが、実際ガイドさんの話でも7時間はかかるということだった。

2−3−1 車修理
 空港を出た我々の車はTATA製のものだった。パワーウインドもついていて、比較的新しい物だったが、なぜかエアコンが全く効かない。まぁ暑いからインドなのだと我々は納得して窓を開けて走っていたが、インド人のガイドさんはそれでは納得しなかった。
 車は30分位走って小さな工場のような所で停車した。が、そこでは埒があかずまた走り出した。オイオイどこに行くのかと思ったが、またそこから数分走った自動車の修理工場のような所で停車した。修理をするらしい。しかしながら、そこではものの数分で結論が出てしまった。どうやら車は放棄しなければならない程度の故障らしい。実際問題エンジンを切ったらかからなくなってしまった。数人で押してエンジンをかけた。昔のバイクのようだと順さんは思った。代車がやってくるまでここで結果的に30分位待った。
 だいたいインドでちょっと10分というのは1時間と思えと書いてある物もあるので、少し気長に待つことにした。
 修理工場と言っても、日本のそれとはだいぶ違う。徹底的にものを使い切る姿勢だ。バラバラにされた車がたくさん並んでいた。
 ここでまたチャイを飲む。そこの人が素焼きの杯のような物に入れてくれた。あまり清潔には感じられなかったので、ちょっとこれはかなわないなぁと思ったが、勇気を出して飲む。非常にこれも甘い。甘い甘いと書くのは失礼なのかも知れない。おそらくはこれが標準的な物なのだから。さて飲み終わるとその杯は捨ててしまう。回りにも転がっており、それはそれで衛生的なシステムではある。
 また井戸も見た。ポンプではなくつるべ式。大きく深かったが、汲み上げる水は見た目きれいだった。勿論現地の人はこのまま飲むらしい。
 1時間ではなく30分で代車はやってきた。再出発である。

2−4 出発
 不幸中の幸いだったのは、大きな町にさしかかった所で故障が発覚したことだ。これがもう少し行ったら、代車の手配も大変だったろう。(実はこの町こそが、この旅の後半に訪れるベナレスで、修理工場と我々の宿泊先は目と鼻のところにあった。)
 さて交換した車はアンバサーとかいうインド製の車で、ちょっと背が高いおもしろい形をした車。少し古い。しかし、2000C.C.クラスと思われ、クーラーも十分に効いて快適だ。

2−5 長距離ドライブ
 さて昼食だが、適当な場所がないと言うことで、空港を出るときに4時間位先に行かないとダメだがそれでよいかと聞かされており、我々は朝食を食べかつ飛行機内で機内食をしっかり食べたのでOKを出していた。実際そうすいているわけでもない。
  しかし、車の方は代車と言うこともあり、空腹だったらしい。1時間ほど走ってガソリンを入れた。我々はトイレ休憩をしなかったが、きれいなガスステーションで、そのためかガソリンの購入というか値段交渉にだいぶ手間を取ったようだ。

2−5−1 スリル満点
 満タンの車は、そこからだいぶ走った。これからもそうなのだけれど、スピードは時に100q出せるがすぐに対向車が来たり町が近づいたりで落とさなければならず、実際のスピードは平均すると50qに満たないと思う。だから、300q近い道のりを6時間というのは、休憩時間を含まなかった時間としか言いようがない。
 ともかくも、満タンになった車は快調に走ったことだけは確かだ。対向車との道の取り合いでけたたましく警笛を鳴らし、人が前を横断するのをよけ、やがて後方の風景にして去っていった町々は、どれも比較的に豊かな感じがした。

2−5−2 町並み
 そう感じたのは、日本人にとっては相当過去の我々が子供時代に存在したと同じ雑然とした修理工場や食べ物屋のある町並みにもあったが、その多くは半間四方の小さな店先に並んでいたミカンの鮮やかなオレンジ色が町々をひときわ飾っていたからだったように思う。
 たしか我々が出かける少し前にパキスタンとの外交問題に関して触れたインドのシン首相は、「両国の最大の問題は互いの国にある貧困だ」と語ったそうだが、あまりそんな感じは受けなかった。しかし、あっという間に10億の民を抱えひょっとすると中国をも凌ぐとされる人口を背景にすれば、首相の言ったことも納得がいくような感じもする。
 しかしこの国では、インチキめいた物を売る(彼らにとっては正当な商取引なのだろう)人々はいても、物乞いは極端に少ないし写真を撮ったとしてもモデル料を取るわけでもない。その理由は爆発的な人口を抱えつつも、広大な平野を持ち豊かな実りが保証されているからなのだろうか。車は点として存在する喧噪な町々を抜けると必ず線としての豊かな実りのまっただ中を走った。道の両側に広がる実りの多くは麦畑であり、丁度収穫時期を迎え少し薄い黄金色に輝いて眩しかった。町の中に入るとミカンが最盛期で、たくさん売られていた。途中で、ガイドさんがミカンを買って渡してくれた。

2−5−3 食事
 やがて少し大きめの町のホテルの横のレストランの前に車は停まった。そこで食事をした。ここの食事はおそらくはそのままインドの食べ物だったように思う。イエメンの時にも経験したが、こうした町の地元の人々も入ってくるレストランの方が、食事は実はうまい。日本人の華奢な体に合わせた、いわば魂を抜き取ったような食事は、その多くはあるいは日本人の我々が口にして心地よいかも知れないけれども、それは○○○風の料理であり、たぶん日本でも経験が可能な種類の料理でしかない。


2−5−4 ゴラクプール

 さてレストランを出て車は再びクラクションを鳴らしつつインドの町々を後ろの風景にして行った。約二時間走ってゴラクプールを通過した。
 この街はこの地域最大の都市であり、喧噪のまっただ中をしたがって通過するのにかなりの時間がかかった。また列車の通過待ちなどもあって、そのころには辺りは夜のとばりに包まれる時間になってしまっていた。
 ゴラクプールに到着すれば目的地のクシナガルまでは近い。
 もうかなり暗くなっていたので、一応シャッターを切ったもののブレブレの写真になったが、大きな川を渡る際に、火が見えた。荼毘に付している、その火だそうだ。灰は川に流される。ヒンズーの国ならではの光景だ。

2−6 ホテル
 車は19時前にホテルに到着した。7時間15分かかった。途中30分程度のロスタイムがあったが、それでも相当の時間が必要な距離であった。そして我々はようやく丸々二日間を要して、この度のインドの旅の出発点に到着したことになる。
 飛行機のキャンセルというアクシデントがあったことを勿論割り引く必要はあるが、中国以上にその奥地は実際の距離感がある地であることを改めて実感した。

<ホテル> ロイヤル レジデンシー