3月28日(火)
   クシナガラ バイシャリ パトナ(泊) 晴

ホテル発(0800)・・休憩(1010〜1025)・・昼食(A1PLAZA 1125〜1200)・・ロスタイム(1330〜1345)・・バイシャリ(1400〜1430)・・パトナ着(1545)・・ホテル着(1605)  


4−1 朝
 昨晩は9時前には寝たので、則は朝は2時半過ぎには目を覚ました。未だ未だ体が日本時間を刻んでいる感じだ。それにしても日本時間なら6時である。このままこうしたリズムで終わるのならばそれもよしとしたい所だ。
 順:血圧129−81 パルス67 体温36.3
 則:血圧135−93 パルス60 体温36.4

4−2 出発
 今日の行程も長い。この旅行は点として存在する仏教遺跡を走りつつ辿る旅だ。逆を言えば、印度の北部を印度の国産車アンバサーで走り抜ける旅だ。
 ホテルを8時に出発。日本側のP社から渡された日程表では、8時出発の18時到着という行程。その多くは車の中だ。
 則も順もそろそろ旅に疲れが出てきたのか、車の中では居眠りが先行する。昨日に引き続く風景は、正直日本人の我々には代わり映えのしない風景の展開だ。実際問題、現地のガイドさんでさえ「同じでしょう」と言う。

4−3 トラック渋滞
 小一時間走ったら、我々の車は横道にそれた。それは長蛇なトラックの列で渋滞している道を避けるためだ。昨日我々は印度からネパールへの国境越えをした。その際に一番驚いたのは長蛇の列の大型のそれもはるかに積載量を超えたような荷物を搭載したトラックの列だった。ここで再び、それも昨日を上回る列を見たのはなぜか。今持って釈然としないが、説明では州が変わったからと言うことだ。
 実際問題我々の車も、トラックを細い横道でパスした後、新しい州の事務所(?たぶん)に行き、幾ばくかのお金を払い州境を通過した。

4−4 子どもたち
 待っている間に、また子どもたちの登校風景に出くわした。それとともに、州境の事務所で多くの車が留まるためだろう、制服を着ておらず、靴ではなくサンダル履きの子供もが車に近づいてきた。基本的には誰でもいける制度になっているらしいが(教科書や制服や昼食も国〜ローカルガバメントの仕事かと聞いたらセントラルガバメントと言っていた〜から支給される)、親の考え方やそれでもなお労働に駆り立てなければならない事情などがあるのだろうけれども、複雑な感情を止めることはできない。
  おそらく将来は、日本がかつてしたように、強制的な制度に移行していくことになるのだろう。10億の民の将来は中国だけでなく印度が100年単位で言えば頭角を示すことになるのではないか。(印度が中国の人口を追い抜かすという話は最近よく聞かれる話だ。)実際にアジアのシリコンバレーとニックネームで呼ばれる地域もあるのだから、教育が行き届くようになると、中国同様に日本にとって脅威の国になるだろう。
 印度を旅していて、子どもたちとともによく目にしたものが、煉瓦の工場。至る処に点在している。それだけこの国には煉瓦が必要とされているのだろうが、煉瓦工場はひとつの印度のイメージになって旅を終えた。

4−5 昼食
 10時頃大きな川を渡る。名前は聞いたが、記録しなかったので忘れた。橋のコンクリート製の欄干が所々壊れている。ぶつけたとも思えないが、洪水の時橋の上まで水が達するせいなのかとも思う。
 11時半頃車は、ガソリンスタンドに併設されたA1というレストランに停まる。このA1というレストランはきわめて新しく、幹線道路で何カ所か眼にした。印度でも新しい時代を感じさせるものだ。丁度スカイラークが我々の青年期に登場したような感じだ。
 そこで我々はランチボックスを食べた。おそらくはきれいなトイレなどのためだろうが、このような所ならば現地のものを食べた方がよかったと思う。ランチボックスの中身は、おにぎりだったからだ。日本人に対する精一杯のサービスだとはわかっているが、やはり現地のものが食べたい。実際現地のガイドさんにも食事後そう言ったら、彼も同様に思ったらしい。それくらい新しい。実際にトイレなども十分にきれいだった。

4−6 ドコモ茸?
 ところで、先の州境を越える前後から後ろに飛び去っていく民家の庭先に、今で言うとドコモ茸の胴体部分を少し伸ばしたような、おそらくは倉庫に使っているのではないかと思われる建物?が目につくようになった。竹で編まれているようであり、通気性が確保されている。通気をきらう場合には、表面が土でカバーされている。この竹の部分は編まれると、水の中に放置され、強制的に枯れた状態にさせられた上で使われるらしい。水中に投げ込まれているのを何度か目にした。
 そのくらいの変化しかない道を食事後も走る。1時半頃車はきわめて細い道を左折。難儀をしながら5分位走った所で停まった。そこにいる人に道を尋ねている。間違えたのか、近道をしたかったのだが道がなかったのか、結果的には元の道に戻ることになった。どうやら近道をしようとしたらしい。その後また大きめの川を渡って相当走ってから同様に左折した。
 その後も道をショートカットしてパトナへ早く到着した。この運転手は道をよく知っていて、その後も何度か近道を選択していた。

4−7 バイシャリ
 いずれにせよ、議論するほどのロスタイムもなく、ホテルを走り出して6時間後、バイシャリの史跡公園とも言えるような印度風の整備をしたストゥーパと池とアショカ王柱のある遺跡に到着した。

4−7−1 修復
 印度風の整備と書いたが、ここではストゥーパの修復工事が行われている。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、改修工事とも言える。新しい煉瓦で旧来の姿に戻そうとしている。沖縄の首里城もその部類にはいると思うが、こうした復元が好ましいものなのかどうかは、我々はかなり懐疑的だ。むしろきちんとした発掘調査が徹底的に行われるべきではないのか。そうした成果を、博物館などできちんと見せて貰いたいと思う。おそらくはそうしたものはもしあったとしても、中央の博物館に行ってしまっているのだろう。

4−7−2 アショカ王柱
 アショカ王柱は、ルンビニとは違って本来の高さまで残っている。てっぺんのライオンも健在だ。しかしながら、ここが仏跡であると示す言葉は今は残っていない。残っているのはおびただしい数の、馬鹿者たちの落書だ。遠望していては解らないが、近づくことが可能だから、今後もこうした馬鹿者が現れないとも限らない。対策が必要だが、囲いで囲われてしまえば、またそれはそれで悲しいものがある。とらわれの身のアショカ王柱など、見たくはない。

4−7−3 ストゥーパ群
 公園内には、勿論中心の巨大ストゥーパ以外にも、僧院跡や中心のストゥーパの周りを囲むように小さなストゥーパ多数が存在する。あるものは方形であり、あるものは方形の上が円形であり、あるものは円形だが、今はその上の部分は想像するしかない。そうして想像することが遺跡の楽しさだ。
 なのに、モヘンジョダロのストゥーパに感動した、その感動と同様のものが昨日からのストゥーパに感じないのはなぜだろうか。勿論印度の方が古いはずなのに。

4−8 また移動
 さてさて見学の後は、またまた車での移動が待っている。14時30分にバイシャリ出発。だいたい今日の行程では、距離上だけだがバイシャリは全体の3分の2の位置にある。しかしながら、途中ショートカットしたと言うことで、1時間後には11qの長さを誇るガンジス川に架かる橋を渡った。確かに長かったが、橋脚間が長いというわけではない。またガンジスの水量もそう多くはなく、狭い所は100メートルもなかったように思う。
 ガンジスを渡ればパトナだと理解していたが、橋を渡って、橋の下にぐるぐるといくつかの右折左折を繰り返して幹線道路に出ると、ウエルカムパトナの標識が飛び込んできた。

4−9 パトナ
 パトナの町はアショカ王の昔からある街で、大きな街だ。この町では車の中からと言う限定付きだが、牛も見あたらない。また看板が、英語表記のものの数が増したようにも感じた。渋滞があり、ホテルには20分位かかって到着した。しかし、予定時間より1時間半以上も早い到着であり、連日の長時間ドライブでそろそろ疲れてきている身には、だいぶ助かった。

4−10 ベジタリアン
 今日はガイドさんは別のホテル泊だが(前の日のホテルは現地旅行社が経営にタッチしているものらしい)、夕食は一緒にしてくれた。至れり尽くせりだ。これも料金にもちろん入っているのだろうけれども。
 そこでの会話。我々が普通ベジタリアンというと、肉を食べない人という意味程度のとらえ方だろう。どこかの国で、卵を食べないという話を聞いたことがある。鳥の赤ちゃんを食べてしまうのは罪だというような意味だったように記憶するが、定かではない。しかしながら、印度でのベジタリアン生活、とりわけジャイナ教の人々のそれは我々の概念を一蹴するものだ。勿論卵も食べないが、肉のジャンルには獣肉だけでなく魚肉も含まれる。更に土の下にできるものも食べない。いわゆる根菜類も食べない。だから日本にちょくちょく来ているガイドさんにとっては、日本人は肉の食い過ぎと言うことになる。インド人の何らかの意味でのベジタリアンは6割に達すると言うことだが、我々の食生活には彼も批判的である。そういう彼も、家では卵も食べない範疇のベジタリアンらしいが、我々と同行しているときには、ほんの少しではあるが肉類や卵も食べている。日本に来れば刺身も食べるらしい。納豆はダメらしい。
 そう書いてきて気がついた。インド人は確かに街であまり怒鳴りあっているというような風景は見ていない。文句や皮肉や嫌みを言っているなぁと感じることは多々あるが、感情をむき出しにしている場面には未だお目にかかっていない。肉食は怒りを増幅させるが、菜食は感情を穏やかにするようだ。則などは印度式のベジタリアンになる方がよいのかも知れない。

<ホテル> マウリヤ パトナ
 風呂のお湯は出たが、洗面所のお湯が出ない。