3月30日(木)
  ブダガヤ  ヴァナラシ サルナート ヴァナラシ(泊)  晴

ホテル(0600)・・大菩提寺(0607〜0710)・・スジャータ村(0715〜0725)・・ホテル着(0735)・・ホテル発(0815)・・迷路(1020〜1050)・・ヴァナラシ(1225)・・ムガールサライ駅(1237)・・昼食(1315〜1428)・・サルナート ムラガンダクーティ寺院(1440〜1445)・・考古学博物館(1500〜1600)・・遺跡群 ダメークストゥーパ アショカ王柱 ダルマラージカ(1603〜1645)・・ホテル着(1715) 


<ブダガヤ>世界遺産
 悟りを求めて29歳でカピラ城を出城したシッダルタ王子は、ブダガヤ郊外の前正覚山で5年間に及ぶ苦行を遂行したが、正覚に達することができないことを悟り、苦行を捨てスジャータという乙女の奉げる一杯の乳粥の供養を受け、尼蓮禅河を渡り、菩提樹の木の下で7日間の瞑想の末、“成道”の境地まで達した。釈迦35才の時のこと。

6−1 朝
 則は朝は2時過ぎに目を覚ました。もう、未だ未だ体が日本時間を刻んでいるのではなく、早すぎる感じだ。そして日記を書き始めた。だからまだこの部分は則がメインに書いている。
 順:血圧128−84 パルス68 体温35.0
 則:血圧137−88 パルス60 体温36.2

6−2 決断
 さて、ここで昨日下した決断の話をしておきたい。
 日程がいくつか入れ替わった。最初に朝早く大菩提寺とスジャータ村に行く。それから朝食を食べて、本来なら昼過ぎの列車でベナレスに向かいそのままホテルに向かうことになっていたが、それをキャンセルした。というのは、サルナートの博物館が金曜日休みなのだ。したがって明日になってサルナート観光をしても博物館は見ることができない。そこでアレンジを変えて、木曜日にサルナート見学をしようというプランをガイドさんが提案してくれたのだ。我々はこの願ってもない申し出を受け入れることにした。
 しかしながら急行列車で4時間あまりかかる行程を、車でとばしてどのくらいになるかだ。我々はそこで運転手さんに賭けたのだった。彼の運転能力からすれば、標準で8時間かかると言われる行程をこれまでの経験から70%でいけるだろう。つまり5時間半位でこなせるはず。9時に出れば、14時30分には見学ができるだろうと考えた。勿論この時間には昼食時間を含んでいないが、どんなに遅くても15時30分位から見学できれば、博物館の閉館時間の17時にはおつりが来ると考えた。

6−3 大菩提寺 (釈尊成道の地)
 さて朝6時にホテルを一旦出て、大菩提寺に向かう。うるさくつきまとう土産物屋の勧誘をしてきた男(相づちも打たないのに横で勝手にベラベラ説明をして鬱陶しかった)によれば4代目の菩提樹と言うことだが、その菩提樹の下で釈迦が悟りを開いた土地とされる。大菩提寺そのものは、やはりイスラムの破壊にあっており、地元民が土を持って隠したというが、ほとんど破壊し尽くされ、現存するオリジナルは下層部のごく一部。

6−3−1  菩提樹(真の釈尊成道の地)
 菩提樹は大菩提寺の裏手にあり、聖域は朝早くのほんの少しの時間しか開かないという。勿論6時過ぎに言った我々の前にはしっかり鍵がかかっていた。
 しかし、やはり聖域と言うことだけあって、周りには熱心に御参りをする人たちがたくさんいた。カメラを向けるのが申し訳ないような雰囲気だった。

6−3−2 アショカ王の柱
 大菩提寺の正面に向かって右手には池と、その手前にアショカ王柱がある。このアショカ王柱には文字は残っていない。残っていないというのは、文字の書いてあった部分(比較的下の方)が欠損しているためなのか、その部分が既に消えてしまったものなのかは判然としない。実際勅書部分の彫刻は他のアショカ王柱で解るようにそう深いものではないので、消えても不思議はない。
 池には沢山の鯉とおぼしき大きな魚がいる。えさをやる人などもいて、その部分だけ切り取ると日本にもありそうな風景だが、そこは沐浴池のスタイルをしっかり残している。

6−3−3 再び大菩提寺
 さて大菩提寺に戻そう。大菩提寺は幅は15〜20メートル位だろうか、高さは50メートル余。中には金色に輝く仏陀が鎮座する。入り口手前の壁面に取り付けられた像は古いもののように思えた。先に書いたように大菩提寺そのものはほとんどの部分が後世のものだ。
 中に入ると、ここもチベット仏教の信者の数が多いのだろう、バター灯明のにおいがした。もっとも寺の直前で拝んでいる僧侶は、マニ車(あれは庶民のためだけのもの?)を回すわけではないので、チベット人ばかりではないのかも知れない。そして坊さんの幾人かは鍋を逆さにしたような15センチ位の太鼓状のものに穀物のようなものを賭けていた。うるさくつきまとう男の話によれば、お経を読んでいるのと同様の効果があるというようなことらしいのでなにやらマニ車に似ている。入り口の所では五体投地をしている人もいた。
 世界遺産にもなっている大菩提寺の外観は、実は悲惨な状態にあるように思う。破壊以前の状況が詳細に解っていないのではないかと思う。Ωの形をしたデザインが外壁にモチーフとして繰り返し使われているのだが、実はこれは単なる外壁の構造であって、本来はここに彫刻されたものがはめられているか、あるいは壁面に直接彫り込んで歩かしていたに違いないと思う。再現しないのは何故なのか。たぶんこの想像が当たっていると思うのは、壁面のほんの一部に彫刻が施されたものが実際にあるからだ。全面的に展開していないのは、論証考証が十分でないからなのか金額的に再建時に折り合いがつかなかったからなのかのいずれかではないか。ここに文様が刻まれていれば、いわばのっぺらぼうじょうたいのこの寺の姿は大きく変わり、太陽光線にも細かなシルエットを作り出し見事なものになるのではないだろうか。

6−3−4 装飾
 その殆どがイスラムによって破壊されてしまったのだが、それでも復元された物を含めていくらかの装飾が残されている。
 大菩提寺横にある蓮華のレリーフが表現された19個の教行石。悟りの境地に達し釈迦がその境地を人々に伝え広げるか否かを迷って、沈思往復された足跡に蓮華が開いたという言い伝えを表している。
 また、グルリと囲んでいる柵にも様々なレリーフが施されている。

6−4 スジャータ村
 帰り際に、うるさくつきまとった来た親父の店に数分たちより(もちろん何も買わなかった)、ワジ(尼蓮禅河)を渡ってスジャータ村に行く。この渡橋した橋を造ったのは日本人らしい。 スジャータ村に行っても、スジャータの家が勿論あるわけではない。そこにはストーパがある。一説にはアショカ王がスジャータの供養のために建てたものだと言うことで、土の中に埋もれていたらしい。少しずつここも整備している様子がうかがえる。まだ一部分埋もれた状態だが、小さなストーパや、ストーパ自体が時代によって作り替えられたためかあるいは最初からそうなのかは解らないが層になっていたり、所々へこみがあったり、スジャータにあわせて優雅な形に作られたのではないだろうか。
 そこに、日本語学校の先生ですと言う男の人が近寄ってきて、いろいろと話しかけてきたが、適当にあしらっているとあまりしつこくなく去っていった。
 帰り際に、その日本語学校というのを見かけたが、それが実際に機能しているのかどうかはわからなかった。

6−5 ホテルへ
 スジャータ村の見学をお得手一旦ホテルに戻り、その足で朝食を摂る。ビュッフェスタイル。我々のために開けてくれているような感じであったが、内容的には十分なものだった。一旦部屋に戻り、仕度を調えてから車に乗る。400qを超えるドライブだ。8時15分にホテルを出発。予定より45分のアドバンテージができた。

6−6 出発
 我々が間に合うかどうかは運転手の腕次第。印度の広大な大地を走る。しかしガヤ市内まではそう良い道ではないし、そしてガヤ市内は喧噪に包まれた場所だ。(写真は出発前あくびをする順さん。朝早かったので眠い。)
 ガヤ市内までは30分前後、そのあとは概ね国道(ナショナルハイウエイ)2号線もしくはその近辺を走る。国道2号線は現在建設途中であり、完成している所は中央分離帯のある片側二車線の立派な道路になっている。しかしながら、その多くは現在建設途中であり、完成した片側だけを使った交互通行になっていたり、まだまだ未着手部分があったり、現在の部分とは離れた所に建築であったりで、最初に片側2車線を疾走し始めたときにはこれは早く着けるかも知れないと期待したのだが、やがてその期待は心配になった。
 車はいつの間にか車が一台ようやく通り抜けられるような迷路のような町中に入った。いつものように運転手はクラクションを鳴らし、そこのけそこのけと走ろうとするが、思うようにはいかない。人の歩く速度と変わらぬ早さで、街の中をくねくね走る。そうした格闘がおよそ30分は続いた。ようやく大きな道に出て、それから元の2号線に復帰した。何しろ地図がないから、今どの辺りを走っているのか解らない。
 建設のネックは橋のようだ。橋の前後ができていない部分が多い。橋近くまで来ると迂回を余儀なくされることが多い。完成部分には、バス停などももうけられきれいに整備されている。そうした整備されている区間のある場所で、A1があり、そこに入るかと聞かれた。11時半位だったと思うが、朝が遅かったのと、今どこなのか解らない不安から、運転手の休憩はとって欲しいと頼んだら、それは大丈夫とのことだったので、通過をしてもらった。その後再びA1は我々の前に現れてはくれなかった。

6−7 ムガールサライ駅
 そして更に1時間あまり走り、更に格闘すること4時間、車は意図的に横道にそれた。ヴァナラシが近いことをそれは示していた。大きな鉄道の駅付近を超える。それが本来鉄道できていたら下車するはずのムガールサライ駅だった。
 そこからは細かい道をまたまたクラクションを鳴らしつつの疾走となる。やがて車はガンジスを渡った。橋は下に鉄道が走っている本四架橋の一部のような二重構造だ。橋を渡りきると車は右に折れる。支線のサルナートの駅がそこにある。

6−8 昼食
 サルナートの歴史公園地区にほど近いレストランに13時15分到着。きっかり5時間の行程だった。それからゆっくりめの昼食を摂った。
 我々はまたもやビールを飲んだのだが、昼間から酒を飲むことはあまり好ましくないとされているらしく、ペーパーナプキンを巻かれたコップにあらかじめ注がれた状態で出てきた。サービス料込みでも、100ルピーと安かった。食事はゆっくり進んだ。
 現地の人も来るというか外国人をメインに相手にしていないレストランのようではあったが、そう強烈に辛いと言うこともなく、チキンと、卵と、豆のカレーはどれも美味しかった。特に順さんは比較的辛めのチキンカレーが美味しいと食べていた。紅茶を飲んでも現地ガイドがなかなか現れず、1時間あまりをレストランで過ごして、出発した。

6−9 サルナート
 2,500年以上前に解脱の境地に達したブッダが初めて説法を行った神聖な地。

6−9−1 ムラガンダクーティ寺院
 最初に、ムラガンダクーティ寺院。ここはスリランカ系の仏教寺院ということだが、そもそもはハワイの人によって建立されたらしい。またイギリス人の発願で日本人野生司香雪が壁面の釈迦に一生を描いている。

6−9−2 考古学博物館
 そこからは徒歩でも移動できる距離に考古学博物館がある。今日の一番の目的地だ。
ここにはサルナート付近で発見された仏教ゆかりの仏像等(メインと右翼)とヒンズー教の神像等(左翼中心)があった。
 その多くは、主に顔面を中心に欠損が見られるものの、比較的状態の良い美しいものが飾られている。ここの博物館で作っている解説書はないみたい。そもそもミュージアムショップがない。写真も禁止だから頭に入れるしかない。タッチパネルの解説の機械があるが、日本語は選択できなくなっており、やむなく英語を選択しても、文字の羅列だけで、読むのがいやになる代物だった。もう少し何とかしてもらいたいものだと思う。
 少なくともここには国宝ともいうべき(実際にナショナルトレジャーになっているかどうかは聞き逃した)四方向に睨みを効かしているアショカ王柱の上に頂かれたライオン像がある。これは印度国旗のデザインや印度のお札のデザインにも使われているように印度の象徴とも言うべきものなのだから、もう少し充実されていても良いように思う。
 考古学博物館では1時間かけて比較的ゆっくりと見学した。ここに来たくて列車に乗る予定を変更したのだ。

  6−9−3 遺跡公園
それから歴史地区のなかにある公園状に例によってなっている、僧院・ダメークストゥーパ(ダメーク・ストゥーパは、ブッダが座して真理を説いた場所として、サルナートにおいて格別の重要性を担っている)・高さ61メートルあったと三蔵法師が記載している寺院(ブッダがサルナートにいたときに休息をとったり瞑想をしたりした場所であるといわれている。)跡・アショカ王柱(滑らかに研磨されたような表面を持つ石柱。石柱の頭頂部に立つライオン柱頭は博物館にある。)・ダルマラージカなどを見学した。公園の奥には釈迦が説法した地の象徴である鹿が飼われており、遠足に来たとおぼしき小学生の一団が見学していた。
 僧院はおそらくは食堂跡と思われる井戸の後がある部分や、その他の小さな修行の場となったであろう部分などの礎石部分を見ることができた。
寺院跡は悲惨だ。61メートル高さを誇ったとされる姿は想像するしかない。わずかに柱などが残るだけで、後は煉瓦の固まり状態だ。
 公園入口から寺の手前にあるダルマラージカというストーパはパキスタンでも同じ名称のものを見たのでそのことを聞いてみたのだが、これには8分割された仏舎利の一つが入っていたと言うだけで、それ以上の説明はなかった。
 嘆きのストゥーパには後世のものなのかオリジナルなのか定かではないが、初めて煉瓦の上にカバーがあり、それに彫刻しているのをその一部に見ることができた。不連続であったり、それがオリジナルという感じではないが、修復好きのインド人が統一感あるように改めていない所を見ると現在のそれではないことは確かなようだ。柄文様ならイスラムでも許されたのかあるいはイスラム自体が描いたのかも解らない。
 ともかくここでは子供の物売りが多かった。順さんは嫌気がさしてた。大人も子供もそうして生計を成り立たせているのだから、彼らが熱心になるのは当然と言えば当然だ。型に当てはめた7〜8センチ位の塑像が30ルピーだから、それでもだいぶラッキーなのだろうけれども、一つ買っても良いと則は危うくそそられる所であった。

6−10 迎仏塔
 公園を出て道路脇にあるストゥーパをもう一つ見学した。ガイドの説明はよくわからなかったが、多分迎仏塔だと思う。

6−11 ホテル
 ホテルには17時15分にはいることができた。ブッダガヤのホテルを出てきっかり9時間だった。列車に乗っていれば、まだホテルには着いていないばかりか列車の中だ。この選択は我々にとってもそうだがガイドさんにとっても好都合の選択であっただろう。

<ホテル> ラディソン ホテル バラナシ 415号室