4月1日(土) デリー(泊)

ホテル発(0900)・・フマユーン廟(0940〜1030)・・国立博物館(1050〜1330)・・昼食(1415〜1455)・・クトゥブミナール(1500〜1600)・・ホテル(1620〜1930)・・空港(0950〜2005)・・ホテル着(2015)


8−1 朝
 順:血圧126−78 パルス66 体温36.3
 則:血圧138−89 パルス63 体温36.6
 昨日、手違いに気がついて今日改めてコースを確認しながらの観光となった。さすがにデリーは大都会だけあって、信号機もあるし道路も整然と整備され、道の両側も木や花など手入れが行き届いていた。まさかここには牛はいないだろうと思ったが、やはりインド。牛はどこにでもいた。
 さて、こっちへ来てよくわからないのがインドの世界遺産。全部で40くらいあるという。日本と比べればかなり多い。その歴史と国土の広さからすれば当然の数であるけれども日本で調べたときは20くらいだった気がする。クシナガラも世界遺産と言うが、順さんが調べていった資料ではそうなっていない。
 世界遺産であろうと無かろうとそのものの価値が変化するわけでは無いのだけれど、少し気になる。インドでは調べようもない。(日本に帰ってきてから「世界遺産資料館」というページを見ると、そこでは26個あり、ちなみにクシナガラは記載されていない。)
 さて、最後の日の観光は、正真正銘の世界遺産を二つと国立博物館へ行く。

8−2 フマユーン廟 (世界遺産)
 始めに訪れたのはフマユーン廟。
 ムガール帝国2代目の王フマユーン皇帝の墓廟で、初期のムガール建築の傑作。美しいドームが特徴で、フマユーン皇帝の妃、ハージ・ベーガムによって建てられた庭園形式の廟。後のタ−ジ・マハールにも影響を与えた。白大理石と赤砂岩の組み合わせが美しい。
よく手入れの行き届いた庭を通ってから、階段を上り、まずは2階の建物の中に入ってお墓にお目にかかる。といっても棺だけで中に遺体があるわけではない。天井や周りの装飾もそれなりに豪華だった。
 グルリと一回りして、四方、どこから見ても同じように見えるのを確かめた。これまでイスラムが破壊している物ばかりを見てきたが、ここはイスラムの文化だ。
 1階にはたくさんの小さな部屋があり、それらにも棺がおかれているのだそうだ。要するに建物全体がお墓になっていると考えて良いだろう。
 周りには他にも遺跡の跡が残されていた。

8−3 国立博物館
 ここはさすがに国立と銘打つだけのことがあって広い。また各年代ごとに部屋が仕切られ資料もよく整理され、解説付きなのでわかりやすいものになっていた。しかも特筆すべきは、日本語の音声ガイドがあるのだ。それも無料貸し出し。絶対にに利用すべきだ。
 ここでは写真撮影は可能なのだけれど、300インドルピー必要だ。
 始めに草創期、モヘンジョダロやハラッパ遺跡の部屋があった。以前に行ったパキスタンを思い出しながら、記憶を確かめた。写真を撮っていると、警備員が来てこの部屋だけはダメだという。ここが一番撮りたかったのに、と思ったが仕方なくすぐに諦めて、じっくりと見て回った。(上の写真は唯一のもの)
  そこへ女子学生の団体が入ってきて大騒ぎとなった。うるさいと思ったが、先生の注意は全く効果が無く、その一団が去っていくのを待ってからまた見学した。
 それから時代や宗教毎にまとめられたたくさんの部屋を見て回った。
 仏像は日本の初期の物と似ている物があったり、千手観音はこれから来たのかと思えるような物があったりと興味深かった。
  一つの部屋には、本物の仏骨があり、それはタイ国(だったか、スリランカだったか?)からの贈り物で金ピカの仏舎利塔になっていた。またそこは仏教徒にとっては神聖なところになっているのか、信者の団体が来ていて熱心にお祈りを捧げていた。我々もお盆と葬式の時だけだが、一応仏教徒なので真似して手を合わせた。
ヒンズー教の部屋はたくさんの神の像があり、いつもながら面白い。
ここでたっぷりと2時間半もの時間を取って十分に楽しんだ。それだけ見応えのある博物館だった。


8−4 昼食

  博物館から昼食への移動の途中で、インド門の見えるところを車に通ってもらった。確かにでかいし、威容を誇っている。何か、共産圏の国のようにも思えた。このインド門(他にもムンバイにある)は戦争犠牲者の慰霊の意味があるらしい。
  遅めの昼食はインド料理ということで、街中ののレストランに行った。と言っても、隣席には日本人の団体がいたので、結局は観光客相手のレストランだった。外にも我々と入れ違いだったが、欧米系の人たちもいた。
  従って、食べやすい味付けだった。ここではビールでなく、インドの飲み物を頼んだ。飛行機に乗らなければならないから、そう酔っぱらってもいられない。事前に調べてあった「リムカ」というその飲み物は、レモン味と言うことだったが、あまりそんな感じはなかった。

8−5 クトゥブミナール (世界遺産)
 デリーに最初のイスラム王朝を開いたアイバクが建てた勝利記念塔。高さ72.5メートルあり、本来はモスクに隣接していて礼拝の呼びかけをするためのものだそうだ。この塔はだんだん建て増しされ、最終的には7層になったのだが、飛行機がぶつかったりして、現在は5層になっている。さらに、中学生の団体が見学に来て、誰かが蛇だと行ったので、それに驚いた子供もたちが塔から落ちて、現在は登ることが許されていない。
 モスクの中庭にある7m程の鉄柱は、錆びないのが謎とされている。以前は触れることができたそうだが、今は囲われていてできないようになっている。
 さすがにここは一大観光地らしく地元の人もたくさん来ていた。
 確かに塔のレリーフと言い、列柱の飾りと言い見応えがある。礎石や遺跡のないところはこれまでと同様芝生がきれいな公園と化していた。左の写真は、塔の一番上に着いていたテラスで、現在は地上に降ろされている。

8−6 ショック
 これで全ての観光を終え、さあとは帰るだけ、ということで荷物を取りにホテルへ戻ると、何と我々が20時50分に乗る予定だった飛行機が翌日の3時40分になるという大幅な遅れの情報を知らされた。5時間も遅れるなんて考えられないが、そこはインドか。
 出発まで別のホテルを用意してくれると言うことだが、その手続きまでもまだ時間があるというので、そのまま宿泊したホテルのロビーで待つことにした。他にも日本人がいたので、この情報には間違いがなさそうだ。

8−7 別のホテルへ
 19時50分に一旦空港へ行って、スーツケースだけチェックインの手続きを済ませ、ホテルを手配してもらった。同じような人たちはホテルのバスで向かったが、我々はガイドと共に車で行った。これでガイドと運転手の役目は終わり。後は自力でと言うことになるが、現地の旅行会社の人が付き添ってくれるので一安心。また、我々がよく利用するY旅行社も一緒だったので、そこのガイドさんも気を遣ってくれたので気を強くした。
 夕食の後、起きていても仕方ないので、目覚ましをかけて一寝することにした。