12月23日(火) アジャンタ石窟寺院見学後ボパールへ

起床(0400)・・朝食(0545)・・オーランガバード ホテル発(0630)・・トイレ休憩(0800〜0820)・・アジャンタ石窟寺院(0900〜1115)・・昼食(1115〜1155)・・シャルガオンにて休憩(1320〜1340)・・ブシャワール駅着(1415)・・列車(1529 <列車番号2534 車両番号A1 座席1.3>)・・ボパール駅着(2145)・・ボパール ホテル着(1025)

4−1 朝
 朝はいつものようにモーニングコールよりも1時間ほど早く起き、健康チェックをしてから、荷物の整理をした。初めて列車に乗るので、少しだけそれ用のおやつなどを手荷物にした。
 朝食を済ませてから出発の用意をしてロビーへ降りていった。
 出発は早いので、まだ外は真っ暗だったが、ドアマンの人はちゃんと身だしなみを整えていたので、一緒に写真に写ってもらった(この写真は昨日のホテルの所に掲載した)。
 バスはほぼ定刻に出発した。途中で、少しずつ夜が明けてきた。どこで見ても太陽は真っ赤で変わりはない。  

4−2 トイレ休憩(0800〜0820)
 しばらく走ってトイレ休憩。勿論チャイを飲む。そこに牛がいた。この辺りの牛は、祀りように角をいろいろな色に塗っている。
 ここまで車は順調に走ってきたようだ。聞けばアジャンタはもう近いという。
 
4−3 アジャンタ石窟寺院(0900〜1115) 197
 バスはシャトルバス乗り場に着いた。ここでシャトルバスに乗り換えるのだ。ただ、そのバスの所までは商店街の中を通って行くので、例によって物売りが相当にしつこくつきまとう。上手な日本語で話しかけてくる。うっかり興味を示そうものなら、矢継ぎ早に言葉が飛んでくるので、出来るだけ無視するようにして歩く。ここでは自分の名前を言って。あとで買ってくれるように頼み込むのがはやっているらしかった。時にはプレゼントが逆のプレゼントになることもあるらしい。
 シャトルバスはどこかの使い古したいわゆる乗り合いバス。ほぼ満席になったところで出発。川沿いに結構の距離を走り、10分後に本当の入口に到着。ここからは始めに上らなければならないので、足に自信のない人は往復500Rを出して籠に乗るという手もあるとのこと。(しかしながら通常の生活をこなしている人にとってはここでの籠はまず必要はない。)
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 9時に切符売り場が開き、いよいよ観光開始。我がグループはガイドさんの動きが素早くて一番乗りだ。というより一寸早く上り始めた。
 アジャンタは、Googleや看板の模式図でも判るように、ワゴーラ川沿いに幅約600mにわたり断崖を穿って造られたインド最古の仏教石窟群である。右の写真でわかるように、崖壁面にへばりつくように林立している。第8窟〜第13窟が紀元前2世紀〜後1世紀で規模が小さく素朴、その他の窟は5〜7世紀で大乗仏教の時代を反映してか規模も大きく仏像や彫刻、豪華な装飾壁画が出現する。第9窟、第10窟、第19窟、第26窟は内部にストゥーパ(仏塔)を持つチャイティヤ(塔院)窟。その他の窟は、僧侶の修行のためのヴィハーラ窟(僧院)。僧たちは、ヴィハーラ窟で厳しい戒律を守りながら起居し、チャイティヤ窟を礼拝の場として修行を重ねたのだろう。
 さて急な坂を登ると、観光エリアに出る。ここで再度に持つチェックを受ける。荷物チェックの所にはトイレなどがある。ここを過ぎるとトイレはない。ここを通過すると直ぐに第1窟に出る。
・第1窟(0908):6世紀作で、完成度が最も高く、保存状態も良い。窟の大きさは35.7m×27.6mの広さ。左右の壁にはお釈迦様の物語の壁画がある。何れも表情が豊か。正面にはお釈迦様の座像があり、その左に蓮華菩薩、右に金剛菩薩がいる。この両菩薩の壁画は特に有名で、ことに左の菩薩像(上の写真参照。)は、法隆寺の金堂壁画、勢至菩薩像とよく似ていることからその繋がりを言われている物である。これを見るだけでもここアジャンタに来た価値があると言えるもの。改めて日本との結びつきを思う。
 今ひとつ壁画とともに天井絵もここでは見逃せないものの一つ。天井の壁画もすばらしい。色は自然色。
 靴を脱ぐ。(以降の窟も原則脱ぐことになる)
・第2窟(0923):大きさ35.7m×21.6m。入口天井の壁画には、青の靴下や青の花など青色が見られる。中にはいると、お釈迦様の物語が描かれている。誕生の場面や千体仏がよく分かる。正面のお釈迦様の前の天井には曼荼羅がある。右側の壁には王の宮殿が描かれ、ブランコ遊びに供しているなど優雅な生活の様子がある。
・第3窟:未完。通過。
・第4窟(0936):アジャンタ最大のヴィハーラ窟ながら未完。大きな大仏がある。柱や天井は装飾がない。
・第7窟(0942):奥行きがない。広間のない変わった窟。奥には釈迦像が置かれ、釈迦の背後にも多くの仏像がとりまいている。

・第8窟:方形広間の奥に数個の房室をもうけただけの最も原始的な僧坊で、今は物置になっていた。

・第9窟(0945):紀元前1世紀、初期の小乗仏教もの。この時代はまだ仏像が作られていない時代で、ストゥーパが礼拝の対象となっていた。アジャンタのチャイティヤ窟の定型は最奥中央に頭部が丸い円柱型のストゥーパを安置した前方後円のU字型だが、ここだけは長方形をしている。壁画は後で付け足されたもの。
・第10窟(0946):アジャンタ最古の物で、紀元前2世紀の物。U字型に彫られた窟の中央にストゥーパが置かれ、両側壁に沿ってストゥーパの背後まで柱が並んでいる定型的形態。柱と側壁との間に側廊がある。天井はドーム状になっていて、かなり高い。明かり取りの窓もあって、中も結構明るい。
 ストゥーパは現在修復中でそこへは近寄れなかったが、ガイドさんの顔で柵の中に入り確かめた。柱の壁画は5世紀に付け足された。アーチの造りは木造を模している。
 ストゥーパ横の柱の上の方に発見者ジョンスミスの落書きがある。写真下段は、彼が残したサインのある柱と、右は1819年と発見した日付を書いている拡大図。かなり高い位置にあるが、これは発見当時半分は土砂に埋まっていたからだそうだ。
・第12窟(0954):3側壁にそれぞれ4房室が設けられ、入口上部には、アーチ型の装飾彫刻が施されているが、素朴。各房室には2人用のベッドがついている。

・第13窟・第15窟:5uほどの広さで房室を設けただけのもので、装飾的彫刻はない。
・第16窟(0957):入口に象がいる。内部は質素。

・第17窟(0958):壁画の見事さで有名。入口の部分にも天井や壁に壁画がある。中も天井・壁壁画で覆い尽くされている。戦争の場面やメーキャップをしている女性、天女、架空の動物など。天井中央は絨毯が波打っているようにやや曲線的になっている。背の高い仏陀と小さい妻の並んでいるのもある。修復中。

・第19窟(1006):大きい入口で立派。6世紀の物。中央にはストゥーパがあり、立った仏陀が彫られている。千体仏の壁画など見応えがある。柱にも飛天や仏が描かれている。灯り取りの窓があり、礼拝がしやすいようになっている。明かり取りの窓は、チャイティヤ(塔院)窟には必ずある。
・第21窟(1014):junは疲れて通過。noriのみ写真を撮りによる。6世紀のもの。天井などに彩色が残り、見事。

・第24窟(1015):未完だが、途中の様子がよく分かる。仏教が衰え、援助が受けられなくなって中止した。7世紀頃の物。

・第26窟(1019):正面入口上部の明かり取りの窓周辺の壁には仏や三尊仏、男女像などが多数彫られている。U字型に並ぶ列柱の奥にも、多くの仏像が彫られている。特に、左側の壁には、インドで最大の涅槃仏が彫られている。全長約7mもある大きな物だ。中央のストゥーパには座った仏陀が彫られている。壁には作成途中の線画が残されている。これを見ても上から下へと掘り続けられていたことが分かる。これ天使ですよ、と言ってガイドさんが指さした絵もあったが、見ようによってはそうかな?と思われるようなのもあった。

・自由時間になったので帰りがてら、第19窟と第6窟、第2窟へ入る。第1窟へも入りたかったが、修学旅行の子供達の行列が長く続いていたために断念。だが、それでも時間ぎりぎりだった。一寸慌ただしかった。もう少しじっくりと見たい所であった。


  平成21年2月10日(火)の読売新聞電子版は「アジャンタ石窟の壁画保存へ調査団派遣…東京文化財研究所」と伝えている。それによれば、かつてイタリアが修理した箇所の再補習をまず手がけるらしい。

4−4 昼食(1115〜1155)
 入口のレストランでカレーセット。プレートに乗せられて出てきた。合理的。
 その後シャトルバスにて戻り、バスに乗る。
 同行の現在は台湾在住の女史は、エローラとアジャンタの写真集を、当初100ドルを300ルピー邦貨600円程度にまけさせて購入。かなりよい買い物。

4−5 シャルガオンにて休憩(1320〜1340)
 ここのホテルで今夜の夕食弁当を購入。

4−6 ブシャワール駅着(1415)
 あまり大きくない駅舎。ようやくポーターを連れてきてスーツケースを頼む。頭に上手に乗せて運ぶのに関心。階段を上って下りて、ようやくホームに着く。騒然としている。向かいのホームには列車が止まっていたが、人で一杯。それもかなり長いのに満杯状態で、デッキまで人があふれている。
 それが次から来る列車すべてが同じような状態だ。どうしてこんなに移動する人がいるのだろう。
 ともかくもこれから我々が乗る列車もこんな状態なのだろうか。

4−7 列車(1529)<列車番号2534 車両番号A1> 座席1.3
 遅れて到着した列車に、我々はまず飛び込み、その後ポーターによってスーツケースが運ばれてくる。まずは入口に一番近い我が家の座席の下へどんどんと運び込まれた。我々が乗るのは、先ほど見た混雑した車両ではなくて、A1というのは寝台2段ベッドの車両なのでゆっくり。1と3が座席番号。向かい合わせ4席になっているその片一方の上下の席だ。だが、他人が既に寝ていた。インドではこういう事が良くあるそうだ。他の席が空いていたので、無理に追い出すことはせず、ゆったりと座った。この2段ベッドでは、下の段でもゆっくりと座っていることが出来る。
 1510分発の予定が遅れて出発。しばらくしてから弁当を食べた。量的にも質的にも良くできた弁当で、なかなかに美味しかった。
  列車はほぼ予定通りに走った。しばらくすると係員が枕とシーツを届けてくれたので、空いているベッドで横になった。けっこうここでは体力の消耗が避けられた。金額の問題もあるのだろうが、基本的に日本人旅行者はA1以上でないとおそらくは耐えられないだろう。

4−8 ボパール駅着(2145)
 出発は20分ほど遅れたが、到着はちゃんと帳尻が合っていた。これも良くあることのようだ。
 バスは初めて普通の大きなバスが来たので、ゆったりと座る。
 ボパールの街は夜にもかかわらず人の活動時間帯のようで賑やかだった。

4−9 ホテル着(1025)
     NOOR US SABAH PALASE ★★★ 205号室

※ミネラルサービス、コーヒーサービス、ポット有り、バスタブ有り、湯量豊富。