2008年4月27日(日)

▲起床(0345)−朝食(0450)−出発(0535)−空港着(0600)−離陸(0710)−イカ空港着陸(0756)−ナスカセスナ機離陸(0845)−地上絵遊覧(0915〜0953)−セスナ機着陸(1015)−イカ観光(1048〜1146)−昼食(1225〜1430)−イカ離陸(1700)−リマ着(1752)−ホテル着(1845)−夕食(1910
                                            リマ/シェラトン泊

2−1 朝
 昨日というか、既に今朝になってから寝たのに、起きたのは4時前。結局、3時間くらいしか寝ていない。それでも今日からしっかりと楽しみにしている観光が始まる。今回はやはり南米で往復ほぼ3日間とられるので、実質の観光は7日間しかない。ゴールデンウイークの短い期間を利用してのツアーだからスケジュールが建て込んでしまうのは仕方のないことだし、それを承知できてはいるものの、今後の高度の問題もあり少し不安なスタートではある。
 朝食は簡単にパンとコーヒーで済ませた。というより、早いために、あまり物がなかったのだ。写真で見るとコンチネンタル風レストランだが、決してそうではないのだけれども。
 現地の人は、日本人はなんて旺盛な、と思っているだろうな。

2−2 イカへ アエロコンドル 1651便
 5時30分にはホテルを出て、昨日と同じ空港へ向かった。そこから、今日は、ナスカの地上絵を見るためにまずはイカへのフライトとなる。
 飛行機が出るまでまだ時間があったので、空港の2階をフラフラした。マックやダンキンドーナッツなどお馴染みの店が並び、他にも必要な物が買えるだけの店は並んでいた。物価は結構高い。朝食セットは500円前後で、日本と同じくらい。これにはいささか驚いた。マックもこの時間は日本同様朝のメニューしかなかった。
 さて同じ時間に同じイカへ行く便がある。機体が2−2の並びと小さいために、こうなっているのかと思うが、我がグループは幸いにも同じ便に乗ることができた。
 受付が始まり、我が家は二番にゲートを通過。そこから歩いて飛行機に向かうのだが案内というのは全くない。いくつかある飛行機の中からあれかな?と見当を付けて歩いて行くと、飛行機の近くにいた人たちがあっちあっちと指さして教えてくれた。ということで一番に機内に入り込み、非常口の前の一番ゆったりした席をゲット。そう、何とこの便は自由席なのだ。つまり早い者勝ちということ。こういう場合、我が家の動きはすこぶるよい。
 短い飛行時間だったが、簡単なピーナッツとジュースが出た。ここでインカコーラなるものを味わう。結構甘い。ファンタに近い感じのものだが、ペルーでは人気の飲み物らしい。写真の濃い方が普通のコーラで、黄色いのがインカコーラ。

2−3 ナスカ
 1時間足らずでイカの飛行場へ着いた。同じ所からセスナ機も飛び立つので、その順番を待っている間に、かつてTBSで放映された「世界遺産 ナスカ」のビデオを見た。それが終わる頃順番が来て我が家は6人乗りのセスナ機になった。他に12人乗りというのもある。
 セスナ機には乗り方というのがあるようで、6人の体を見ながらパイロットが前後ろ、右左と指定していく。則は一番後ろの1人席になった。
 いよいよセスナ機は飛び立つ。酔いがひどいというので、初めて酔い止めの薬を持って行ったのだが、興奮していて飲むのを忘れたことに気がついたのは、機上の人となってからであった。
 セスナは思ったより静かに飛び立ち、そのまま殆ど揺れもなく30分ほどで地上絵の上に着いた。ここからがセスナ機の本領発揮。
 パイロットが、日本語で「三角」「宇宙人」「猿」などとマイクを通して伝えてくれる。が、正直あまりよくは確認できなかった。それでも機体を右に左に、真横になるのではないかという位に傾けてくれて、何とか客が見えるように計らってくれた。そのおかげで何点かは確認することができたが、ビデオで見たようにはっきりとは見られなかった。それでも順はビデオ、則はカメラを片手に頑張った。
 聞けばこの地上絵、今や消滅の危機に面しているのだそうだ。なおナスカの地上絵とGoogle mapとの関係はこのページが詳しい。併せて参考にされたい。
 ↑解説用ヘッドホーンをして出発!  ↑三角形 いよいよエァーショーの始まり
 ↑ パンアメリカンハイウエイ  ↑三角形 滑走路とも言われる
 ↑三角形 こうしたものが多数ある  ↑Owlman(フクロウ男) 別名宇宙人
 ↑Spider(蜘蛛)  ↑Hummingbird(ハチドリ)
 ↑Cormorant(鵜) 別名フラミンゴ 他の線が入っていてやや見づらい 
 ↑Tree(木)  Hands(手)
 ↑観測台(エル・ミラドール)  ↑遺跡のようなものが山の尾根沿いに 
 30分ほどしてパイロットが「さあ帰りましょう」と言ったはずなのに、またまた地上絵の上に行った。そこには、ナスカと違った地上絵が描かれていた。
  きれいに残る3体の絵等はっきりと見て取ることができた。後で聞くとどうやら「パルパ」と呼ばれる地区の地上絵らしい。則の取った写真と解説図を見比べてみると、「星」と見られる絵もあった。後で聞くと、パイロットの横に座っていた人が、10ドルで交渉して特別に連れて行ってもらったということだ。小人数の得点だ。下絵の写真でわかるように、パルパの方が漫画チックでなすかがイラストチック(←この表現でわかるかな?)。年代的にもパルパの方が古いらしい。
 ↑星  ↑線(太陽観測所)
 ↑旅人  ↑不明 右の方はライオンのように見える
 ↑不明 右上はちびまる子?左から二番目は太陽神?山裾に向かい描かれている
 この頃になるとさすがに早くセスナ機を降りたくなってきた。これは順も則も口にこそしなかったが、後で話してみると同じだった。

2−3−1 セスナの事故
 無事に空港に降り立ってホッとして休んでいると、私たちに続いて飛んだ12人乗りのセスナ機が事故を起こしたという連絡があったという。とりあえず待っていると、エンジンの不調に気付いたパイロットが、緊急に着陸したということだった。その場所が、なんと道路の上。幸いなことに地上絵を分断する形で作られた、まっすぐに伸びるパンアメリカンハイウェイの上に下りたらしい。ちなみにこのパンアメリカハイウエイは、地上絵が発見する前に作られたので、かように遺跡を分断する形になっているのだ。
 それにしても怪我人や死者が無くてよかった。それほどの交通量がない道路なので、着陸に気付いた車が停止していたのだという。が、よく考えてみたら、そんなにうまくいくはずがない。着陸の前に警察なり関係機関に連絡を取って道路を封鎖してもらったのだろうと思う。(これは先に引用したニュースでも、かつての不時着時にはそのようにして「滑走路」を確保したと書いている。)
 なお乗客は着陸するまでそのことに気付かなかったという。つまり機体がガタガタするとかそれほどの変調はきたしていなかったようだ。もうグロッキー状態で一刻も早く着陸してもらいたいと思っているところに着陸したので、着陸時はラッキーとさえ思ったと述べている人もいた。
 いずれにしろ皆無事でよかった。ただしこの影響で、翌日のセスナ機は飛ぶことを許されなかったそうだ。勿論それだけ大きな事なので、翌日の新聞のトップニュースになっていた。(翌日のテレビ映像の写真はそのとき不時着した愛媛県在住のSさんが撮影したものをもらった。写真では道路を外れているが、これは時間が経過した後の撮影であり、実際にはパンアメリカンハイウエイの上に不時着した。)

2−4 イカ観光
 ということで、事故機のメンバーはバスで戻ってくることになり、我々はその到着を待つこととなった。そのときは後続の4名も戻ってきていなかったので、結局6人だけで、その間、この近くの観光へ出かけることになった。ガイドは英語を話す人のみ。ちょっと心細い。
 観光に出かける前に名物おじさんに捕まった。インカカレンダーの日本語版を売っていた。他の人は買わなかったけれども、我が家だけ買った。買ったらおじさんはサインをしてくれた。日付も入れてくれた。この日は順の誕生日で、これはこれで記念になった。

2−4−1 ワカチチオアシス
 かつてはこの周辺に16個もあったというオアシスだが、今はこの1カ所のみだそうだ。砂漠の中に突然青々とした緑と大きな池が存在している。
 この池にはボート遊びをする人や泳いでいる人などがいて、まさにオアシスだ。緑の向こうの砂山では、サンドカーで遊んでいる人もいた。
 こういうオアシスというのは何度も目にしているのだが、突然砂漠の中に水が湧き出て緑を作るというのはいつ見ても不思議なものだ。

2−4−2 考古学博物館
 この博物館には、パラカス、ナスカ、ワリ時代の陶器やミイラなどが展示されている。3つの部屋があるが、全体でも体育館程度の広さで、それほどの広さはない。 
※パラカス文化・・・紀元前900〜100年頃、高度な染色技術を持っていたことで知られており、様々な文様を織りだした美しい織物類が多数出土している。
※ナスカ文化・・・紀元前後〜600年くらい。地上絵で有名であるが、文化の魅力は土器や織物にも残されている。特に土器は、落ち着いた中にも華やかさがある彩色土器でその美しさとデザイン性で際だっている。
※ワリ文化・・・起源はよく分からないが、500年〜900年頃にかけて栄えたといわれる。土器はオレンジ色を基調とした華やかな彩色が特徴。

 展示場は自由に歩き撮影も可能(要2$)だったのだが、現地語で簡単な説明がある程度なので、どれがどの時代の物でどういう特徴があるのかは分からなかった。ただ、ミイラや頭蓋骨が沢山並べられていて、日本の文化との違いを感じさせられた。
 我々以外は、時間をもてあましたようで、早めに戻ることになった。
 上の写真だが、最初は玄関。右に行って、古代のテラコッタ、紀元前後のものと思われる。こうした感じで動物などを模しているのものなどが展示されていた。左下に下がって順が指さしている縄は、一般にインカ等アメリカ文明には文字はなかったと言われるているが、縄による伝達が行われていたことは有名で、これはその一例。右はミイラ。屈葬であったことがわかる。左下に行って、穴の開いた頭蓋骨。戦闘で棍棒で殴られて頭に血の塊が出来た際など手術を行っていたらしい。鉄を持っていなかったはずで、穴を開けるのは相当な痛さだったろう。チチャ(トウモロコシで出来た薄いアルコール度の酒)などで酔わして体を押さえつけ手術を行ったらしい。下は展示場の内部の風景。右の大きな写真は、頭蓋骨が異常に引き伸ばされている。これは小さい頃から両側をいたなどでハサミ圧迫してこうした形にしたらしい。貴族の象徴とも言われている。

2−4−3 昼食 Las Dunasu(砂丘という意味) 1225〜1430
 昼食は近くのホテルへ。プールサイドにある席で、シーフードもたっぷりあるバイキングを楽しんだ。メニューも豊富で、何よりその全てが美味しかった。おつまみとしてもいい物ばかりだ。
 ということで、時間もたっぷりあることだし、ワインボトルを1本あけた。
 左下の白い放射状の雪の結晶マークのようなものは現地のトウモロコシ。チチャの原料であり、聖なる食物として往事栽培されていたという。南米はトマトを始めトウモロコシなどおなじみの食材や果物の多数の原産地であもある。

2−5 リマへ
 空港へ戻り、事故グループがバスに乗り換えて戻るまでかなり時間があったので、お土産屋をフラフラしたが、退屈したので、レストランの横になれる椅子でずっと眠っていた。
 ようやく戻ってきたというので、リマへ戻ることになった。予定の時間よりは少し遅れただけだったが、事故がなければこれだけの時間をどう使ったのだろうか?
 我が家が乗り込んだ時には既に機内は一杯で、仕方なく二人は別々の席に座った。どうやら戻ってきたことにも気付かず寝ていた我々は、飛行機に乗るという連絡を受け損ねたらしい。
 右は我々だけを待っていた飛行機。大遅刻をしてしまった。失敗・失敗。

2−6 ホテル  Sheraton Lima Hotel & Casino 1065号室
 ホテルは連泊なので、昨日と同じ。ただ、今日はゆっくりと時間があるので、夕食もゆったり摂ることができた。
 夕食はバイキング(ビュッフェ)。味噌汁やお寿司なども用意されていた。勿論醤油付き。やはり日本人が多いのだ。
  ここで特筆すべきは、ウエルカムドリンク。通常はホテルに着いたときに決まった物を出されるのだが、チケットになっているので、いつでも使える。夕食時にも使えた。ソフトドリンクであれば好きな物を選ぶことができる。アルコールは「ピスコサワー」 が可能だった。当然我が家はそれ。美味しかった。右の写真がそれで、「S」のマークはホテルのイニシャルをどうやら模しているようだ。
※ピスコサワー・・・ブドウの蒸留酒を果汁やレモン汁で割って蜂蜜などの甘みを加え、その上に卵白を攪拌した泡をふんわりと乗せ、シナモンの粉を少し振りかけたドリンク。甘口で飲みやすいが、アルコール度は40度以上。

2008年5月31日追記:
 ナスカ&パルパイカの考古学博物館の少し大きな写真のページを作りました