2008年5月1日(木)

▲起床(0400)−朝食(0500)−ホテル発(0520)−バス発(0535)−バス着(0558)−マチュピチュ入場(0615)−ワイナピチュ入口着(0626)−ワイナピチュ登山開始(0720)−頂上(0900〜0910−ワイナピチュ出口(1047)−昼食(1130〜1300)−マチュピチュ入場(1300)−インカ橋(1345〜1400)−バス発(1532)−ホテル着(1605)−電車(1900〜2030)−オリャンタイタンボ発(2042)−夕食(2110〜2218)−ホテル着(2348)
                                        クスコ/ホセアントニオ泊

6−1 朝
 4時に起きた。今日は自由行動日で、全員での一定の予定はない。そこで我が家はワイナピチュ登山をすることにした。何故かそう決まってしまった。
 朝食は5時からと言うことだったが、少し早めに行って済ませた。同じように早出の外国の人がいて既に食事をしていた。この人達、しっかりと朝食用のパンを自分の袋にいくつか忍ばせていた。しっかりしている。
  とにかく急ごうという事で我々は、食事を済ませるとすぐに出かける用意をして、まずはチェックアウトをし、大きな荷物をフロントに預けた。 大きな地図で見る

6−2 バス
 まだ外は暗い中をバス停へ行く。昨日の様子から考えてガラガラだろうと思っていたら、既に長蛇の列。この人達みんなワイナピチュを目指しているのだろうか。
 並んでいる客を相手に、パンや水を売り歩くおばちゃん達が数人いた。なるほどいい商売だ。
 バスは、5台目に乗れた。その時点では真っ暗なので、まだどんなお天気になるのか分からない。昨日の日焼けを教訓に、今日はしっかりと日焼け止めを塗ってきたのだが、上に行くにつれ少しずつ明けてくる周りの様子を見ると雲が下にまで下りてきていて真っ白な状態。却って雨が心配されるような天候だった。

6−3 入口  0600
 丁度いい時間にバスが着いた。が、すぐには入れない。入口の前にはやはり長蛇の列。
 入るまでに15分ほど待たされた。その間に順はトイレに行く。トイレがまだ閉まっていてホテルのを使わせてもらったので今回はただだった。この頃になるとうっすらと周りの様子が分かるようになってきたが、まだ空には重い雲がかかったままだった。

6−4 ワイナピチュ登山口ゲート 0626
 則の記憶力はすごいと改めて感心した。昨日教えられた直行道を間違えることなく10分ほどで入場口までたどり着いた。
 ただ、ここの門が開くのは7時からなのでしばらくここで待つようになる。同じように待っている人が沢山いたが、先ほどの入口の人の数ほどはいない。早く来た人たちは何処へ行ったのだろう。どうしてすぐに入れてくれないのかと思ったが、まだ辺りが十分に明るくならないうちは危険だからなのだろう。
  雲が動いて山が見え隠れする中、やはりお天気のことが気になる。手袋をして待つこと25分、山の上からようやく太陽が顔を出した。青空も見えるようになり、何とか大丈夫そうだ。

6−5 登山開始 0725〜0900
 ようやく7時になって手続きが始まった。一人一人名簿に登山者ノートに記名しなければならないので、すごい時間がかかる。やっと自分の番が来た。名前、今の時間等をしっかりと記入した。順番は則が51番、順が52番だった。1日400人しか上る事を許されないのだが、十分に間に合った。
 始めは下り坂。なんで?もったいないと思ったが、入場口のある山をグルリと巻いてワイナピチュに出るようになっているのだ。殆ど下りきって、いよいよワイナピチュを登る事になる。
 普通の人は1時間30分くらいで上れるそうだ。昨日の若者達もそのくらいかかったという。と言うことは我々はその1.5倍くらいかかるだろうと考えた。
 上り始めるとすぐに鎖場に出た。そのくらいの急坂だ。しかも階段の一段一段が尋常の高さでないところも多く、四つん這いになったりしながら上って行く。しかも人一人が通れるのがやっとという狭い道の所も多い。片側が断崖絶壁。確かに、昨日ガイドさんがくれぐれも気をつけて、できたらお勧めしません、と言っていたのが分かる。ただ、そういう危険箇所には鎖が付いているので、それが腐って抜けない限りは大丈夫だろうと思う。
 10分上っては休み、水を飲み、その繰り返しでようやくマチュピチュが見えるところまで上ってきた。その後も、振り返ってみる度に違う角度のマチュピチュが見える。
 この頃にはすっかり青空になっていて暑くなっていたが、雪をかぶった山なども姿を見せ、気持ちは良かった。ただ、ものすごくつらい。ただ、朝早いので追い抜いていく人はいても、下ってきてすれ違う人がいないので助かった。
 ようやく1時間ほど上ると、展望所のような少し広いところに出た。ここからのマチュピチュは素晴らしい。昨日とは逆の角度からの姿になる。ここの高さは、則の時計の高度計によると2525m。国籍に関係なく、お互いに写真を取り合った。
 少し行くと2カ所目の展望所があった。そちらでもお互いに写真を取り合った。やはり、ここまで登ってくるのは大変だっただけに、皆達成感で喜びに溢れているのだろう。皆友だちという状況だった。
 この辺りで我がグループの人2組と出会った。

6−6 頂上 0900〜0910 2610m(則の時計)
 人一人がやっと通れるだけの狭いトンネルを通り抜け梯子を登るとるとようやく頂上に着いた。
  頂上と行っても平らな面があるわけではなく岩がごろごろしているだけの所。せいぜい2,3人しか乗れない。順番にそこへ登っては写真を撮ってもらい、そして少し下の場所へ下りていく。
  そこから少し巻くようにして裏側に回る。大きな岩がななめになっているので、ゆったりと体を伸ばして休むということができない。滑り落ちないように気をつけながらの休憩となる。しかも次々に人が来るので、あまりゆっくりはできなかった。それでも十分な達成感があった。マチュピチュが昨日とは違った角度で我々を待ち構えていた。
  さていよいよ撤退しようと思って頂上から少し下りた。所が下へ下りようとしても道が見あたらない。前の人たちがななめになった岩の上をお尻で滑るようにしながら下りていくので、我々も真似して下りた。ようやく平らなところに出た。といってもそこは道だっだ。

6−7 下り 0910〜1047
 下りも大変だった。多分事故が起きるとすれば下りだろう。もう既に足は膝が笑う状態になっていて踏ん張りがきかないのだ。しかも始めの下り坂もかなり急だ。転んではいけないので、慎重に慎重におり始めた。
  といってもすぐに休憩。登りもきつかったが下りもきつい。来るときに見るだけだった段々畑の方を下りていくことになる。特に建物の壁に沿った道は人一人がようやく通れるだけの幅しかないので、壁に張り付くように手を添えて一歩一歩下りていった。
 足の疲れというより気持ちの疲れで、途中の建物の中に入った。ここは2階建てで、マチュピチュにも1つしかない建築様式だった。多分倉庫か何かだったのだろう。床の部分が平らなのでホッとしてひととき過ごした。
 そこからの道も急だ。道というより岩場。そこにある石を踏み外さないように、時には手をつき、時には鎖をつかみしながら少しずつ下へ下りていった。30分ほどして上の方の展望所に着いた。一休みしてからまた下り始めたが、今回は登ってくる人が結構いるので、すれ違いが大変だった。両者ともヘロヘロだからだ。 
 それでもどうにか無事に入場門へ戻ってきたのは10時47分。
 登りも下りもどうにか2時間かからずに戻って来れたようだ。
 退場するときに、登山者ノートに下山時刻を記入するのだが、前の人の記録でもたもたしていたので、そこでかなりの時間をとられてしまった。
 そこからゆっくりと出口へ向かった。昼食のホテルへは11時20分に着いた。 下は、ワイナピチュに登りながらも、それでも趣味の花の写真を撮ることを忘れなかった順さんの撮影したもの。執念だ。

6−8 昼食  サンクチュアリ・ロッジ 1130〜1300
 レストランについて最初に食券を買った。まだなので15分ほど待つように言われた。時間になるまで少し外で待っていた。まだ早いせいで、昨日のような行列はなく、殆ど並んでいる人がいなかった。
 時間になったのですぐに入って、まず昨日と同じに飲み物をがぶ飲みした。二三杯飲んで、それでやっと落ち着いた。途中でも水分は補給したが、それでも体は相当水分をほしがっていたと言うことだろう。その後は好きなものにありつく。
 そんな中に我がグループの人が2組来た。やはり弁当を持ってくるのは面倒だったようだ。後で聞いた話だが、そうではなく外でハンバーガーを食べた人は5ドル取られたといっていた。その他に飲み物だったのだろうから、我々の昼食はそう高いものではなかったようだ。演奏もまたあったが、今度はステージから遠い席をせしめたので、昨日は近くで煩さに閉口したが、静かに食事できた。
 午後の予定に備えてゆっくりと過ごした。

6−9 インカ橋へ
 体力が少し戻ったところで。午後はインカ橋を目指して行くことになり、再入場した。
 見慣れた道をどんどん登って見張り小屋の辺りまで来ると、遠くから我々の名前を呼ぶ声がした。キョロキョロ探してみると、インティプンクへ続くインカ道からの声だった。ガイドさんが案内した人たちだ。 もう帰るのかと思ったら、これからインカ橋へ行くという。出発が遅かったので、昼食はまだといいながら頑張るものだ。
 そこで我々も合流させてもらって一緒にインカ橋を目指すことととなった。インカ橋は写真左のマチュピチュ山の麓というかその谷底にある。ちなみにワイナピチュは若い峰、マチュピチュは年老いた峰という意味。
 ずっと下っていくのかと思いきや、やはりインカ道。歩きやすい整備された道であるはずがない。当然のことながら片側は断崖、ゴロゴロした石、崩れた道。上ったり下ったり結構大変。だるい足にむち打って歩いたが、集団の先頭を切ったのは則。それに負けじと順。結構頑張っていた。

6−10 インカ橋 1345〜1400
 インカ帝国には、クスコを中心に、カパック・ニャン(インカ道)と呼ばれる道路網が張り巡らされていた。断崖絶壁で人一人が通れるような道で、総延長4万qにもなるという。その途中にかけられたのがインカ橋だ。単に丸太を並べただけの橋で、敵が攻めてきたときにはこの丸太を落としてしまう。
 それにしてもどんな方法でこの道を造り、橋を架けたのだろう。丸太を運ぶだけでもものすごい危険を伴う
 今は危険ということで通ることは勿論だが、近付くこともできない。そこへ続く道も途切れているようでどうつながっているのか不明。しかし、行けるからといっていく気は起きない。そんなところにこの橋は架かっていた。

6−11 のんびり
 見張り小屋より少し上の、昨日、集合写真を撮った所で、みんなと別れてからしばらくマチュピチュを見て時間をつぶした。
 もう一度遺跡の中に行く気はなかったので日陰になりそうな所を探して休むことにした。見張り小屋から一段下がったところに、見張り小屋の影が出来ているちょうど良い草場があったので、横になった。
 1時間ほどその場所でのんびりしてから腰を上げた。

6−12 ホテル 1605
 帰りのバスも待つことなく乗ることができ、集合時刻よりもかなり早くホテルに戻ることができた。我々と出会った人たちは、未だ昼食を摂っているとのこと。かなり遅い昼食となったようだ。
 ホテルは既にチェックアウトをしており、部屋を使う事ができないので、ロビーで時間をつぶすことにした。その間、順はトイレに行ってアンメルツをたっぷりと足にぬってきた。則は、パソコンを出して今日の写真を整理。そんなことをしながら待ち、ようやく集合時間が来たので、みんなで揃って列車の駅へいった。写真は、ポーターさんがみんなの荷物を担いで先に出かけるときの様子。

6−13 ビスタドーム号  1900〜2030 B号車31、32
 少し早めについて、待合室で待っていた。ここはすぐに線路に出るのではなく、きちんと改札を通らないと電車の近くには行けない。
 改札が始まって列車に乗る。今回は2量編成になっている。我が家が乗るのはB号車の31番と32番。A号車の人もいるのだが、それぞれの列車は独立しているため、お互いに行き来する事ができない。ということは、軽食を配ったりする人たちは、それぞれの号車毎にいるのかな?。
 今回もすぐに軽食が出た。結構空腹を覚えていたので、殆ど食べた。それよりも今回の箱には、切り取ると絵はがきになる様な工夫がされていたので、早速お土産に頂いた。
 その後、車内では民族舞踊やアルパカ製品のファッションショーが始まったが、全く買う気のない我が家は早々と眠りについた。左の写真はオリャンタイタンボの駅に到着したときの様子。

6−14 夕食 マイサル  2110〜2218
 オリャンタイタンボの駅にはバスが迎えに来ていた。到着時刻はかなり遅くなるので、トイレは車内で済ませておくようにと事前に話があったにもかかわらず、何人かがトイレ!と言いだして、しばらく待たされてからの出発となった。
 これからクスコまで帰るのだ。2時間近くは覚悟しなければならない。
 しかもその途中で夕食を摂った。
 夕食は、先日泊まったウルバンバの待ちまで戻ってきて、そこのレストランで摂った。遅くにもかかわらず、生歌演奏が行われた。例によってCDの発売もされた。
 昼食の遅かった人たちはあまり食べなかったようだが、我が家はよく食べた。下は食事の内容だが、最初の店の雰囲気は同行のAさんにもらった写真。
 

6−15 ホテルへ
 その後真っ暗な道をクスコへ向かった。峠を越していくことになる。道にも街灯など無く暗い。しかしそのおかげでものすごく星が見えた。天の川がとてもきれいだった。南十字星も確認することができた。こんなに沢山の星を見るのは何年ぶりだろう。
  もう一度クスコの町が見渡せるところでバスは止まった。左の下の方で光るのが三日前に訪れたアルマス広場。

6−16 ホテル  Jose Antonio Hotel Cuzco  214号室
 ようやくホテルに着いたのは23時48分。普段ならもうベッドの中にいる時刻だ。なんとホテルは玄関が閉まっていた。その玄関を開けてもらって、ようやくチェックイン。
  ここで4日間お世話になったガイドの吉田さんとお別れをした。
  ベッドに入ったのは当然日にちが改まった時間。なのに明日はまた早出なので、とにかくすぐに寝た。