5月1日(金)  成田発〜フランクフルト〜プラハ

家出発(0350)成田第1ターミナル(0630着)搭乗手続き(0730)搭乗(0905)=<LH711 41FG>=離陸(0948)飲み物サービス(1040)食事(1140)・・・現地時間(-7時間)・・・軽食(0900)おしぼりサービス(1140)夕食(1210)フランクフルト空港着陸(1350)入国審査・X線検査(1453)搭乗(1555)=<LH3262 23AB>=離陸(1630)軽食(1645)プラハ空港着陸(1712)空港バス発(1802)プラハホテル着(1830)



1−1 家出発(0350)
 今回の旅は朝が早い。と言っても初めての経験ではないので、それなりにきちんと計画を立てて出発した。
 一番近い駅は未だ始発が無いので、始発駅までタクシーに乗る。なかなか捕まらなくて少し歩いたお陰で、割増料金だが、1区間料金で済んだのでラッキー。が、早く着きすぎて、駅は未だシャッターが下りたまま。しばらく待ってようやく中に入り、電車に乗った。当然と言えば当然だが、ガラガラだった。
 電車の中で折り返し我々が搭乗する到着便の確認をとったが、定刻10分前の到着ということで、出発もほぼ時間通りだろうことを確認した。

1−2 成田第1ターミナル(0630着)搭乗手続き(0730)
 集合は7時5分。受付の所へ行ってみると、係員は来ていたが、未だ手続きはしていなかったので、junは既に出来ていた列に並び、noriは預けたスーツケースを受け取りに行った。
 なかなか戻らなかったので、どうしたのかと思ったら、そちらも7時にならないと営業が始まらないと言うことだった。他の人たちはほとんどスーツケースを持って並んでいたので、車で来たのか前泊をしたのだろう。利用した旅行社の最終案内に同封されているチケットを利用すると宅配便がかなり安く利用できる。かなりと書いたが、我々は普段A社を使って空港宅配をしているが、その時には回数券を利用している。その回数券の値段と同じ値段で利用が可能なのだ。恐るべし大手旅行社。
 そうは言うものの列が長くなってきたので、時間前から手続きが始まった。我々も比較的早く手続きを済ませることが出来た。が、今度は、搭乗手続きのカウンターが7時30分からと言うことで、ここでもまた列を作って並ぶことになった。
 が、一番に並んだのに、コンピュータの調子が悪いと言うことで別の列に動かされた。思えば、これ以降幾つも降りかかってきたこれが不運の始まりだった。
 次の不運は、出国審査。日本人専用の列がありますというので、そちらへ移動したら、他はカウンターが2つ(ひとつの列で左右に二人)で手続きをしているのに、ここは一つだけ。逆に遅くなってしまった。おまけに、junの手前で係員が交代したので更に少し待たされることになった。

1−3 KALラウンジ
 少しだけ搭乗までに時間があったので、KALラウンジに行って休むことにした。
 普通のカードラウンジに比べてすこぶる快適。そろえてあるものがいい。だいたいKALのアッパークラス用なので、それにしては逆に質素と言うべきか。
 noriは早速ワインに手をつけた。他に、おむすびと缶ジュースをいくつか失敬。夜食の分だ。これはこの日は機内食だけで、現地へ到着しても夕食はないのでそれなりに必要な人はご準備をという添乗員氏のサジェスチョンに素直に従ったためだ。

1−4 搭乗(0905)<LH711 41FG>
 それからゲート前に移動し、少し待つと直ぐに搭乗開始。3−4−3の並びの真ん中の4列の端二列だ。今回は、団体と言うことで切符を手にしたときには既に席番号は印字されていた。
 ところで今回は前回の西オーストラリアに引き続き大手旅行社の比較的安価なツアーを利用した。利用したツアーの会社は日頃国内旅行で煩瑣に利用しているC社。この会社を利用しての海外旅行は未だ数回でしかない。国内旅行もそれこそ飛行機代と宿泊費を合わせた額より少ない額で観光が出来てしまう。我々がよく利用する、S社の添乗員Y氏は「隙間産業」と称しているやや小さめの旅行社が我々の多くの旅行の利用先だったが、junが仕事をリタイヤした今は、こうした手段も致し方ない。そのお陰でなんと38人という大きな所帯の旅行となった。だから動くのも大変だった。
 ルフトハンザの機体は、ビジネスとエコノミーに分かれているが、そのエコノミーも更に分割されており、我々のブロックはビジネスの直ぐ後方のブロックの後ろら二番目だった。この単位で食事などのサービスの提供と、トイレのエリアになっている。トイレの数は比較的多めに設定されているので、食事の後のごく限られた時間以外は混雑もない。この点はルフトハンザ、すなわちドイツ人気質の合理性がもたらすものだろうか。ただエコノミーにおいても今や半ば常識化しつつある個人テレビは付いていない。と言うわけで後部座席の方へは一回も行かなかったが、添乗員氏の話によれば今日は満席と言うことだ。勿論ゴールデンウイーク真っ直中なので、不況と言われ更に豚インフルエンザの驚異があっても、それは当然のことだろう。
 朝の早い時間と言うこともあり、順調に行って定刻の9時35分にはエプロンを離れた。順調に滑走路に向かい、9時48分に離陸した。飛行時間は11時間5分ということだから、11時間5分+9時48分−時差7時間ということで、13時53分には数字上は到着すると言うことになる。かなり早い感じだ。
 およそ1時間した11時40分からおしぼり(やや消毒臭さが目立った)に続き、11時40分より食事。ルフトハンザの機内食はメインが違うだけで、和食と洋食があったが、その他の内容に変化はない。勿論我々はその二種類を別々に洗濯した。和食はカツ丼。洋食はパスタであった。ところで夕食も洋食はラヴィオリだったので、今でも日独伊の枢軸国家に固執しているのだろうか。
 これ以降は現地時間(3月末よりヨーロッパの多くはサマータイムを実施しているので時差は通常の−8時間ではなく−7時間)の表記。食事の後はなんとか寝ようと試みるが、うとうとする程度だった。それでも時間は経過してゆく。
 9時になって軽食が出た。ギャラリーに置いておくだけかと思ったら、きちんと配膳していた。junはお結び(鮭)を、noriはモッツァレラチーズのサンドイッチを選んだ。どうも枢軸国が頭から離れられない。
 そのあと11時40分よりまたまた食事。牛肉のすき焼きと言うことだが、牛丼風で、肉の量はきわめて少ない。食べ続けているのだから丁度よい量と言うべきか、日本人サイズと言うべきか。そしてラヴィオリ。
 飛行機が13時半少し前から高度を下げ始めた。我々の席は中央部であり、かつ窓側の席も丁度主翼の部分なので、外の状況は全く分からない。だいぶ高度を下げているなぁと感じていると、13時50分突然ドンと着陸した。

1−5 入国審査・X線検査(1453)
 飛行機はかなり早めに下りたが、空港ビルには到着しなかった。丁度羽田のような感じで、ビルには横付けされたがそこはサテライトで、そこから地上に降りて、バスに乗り込む。この面倒さは更に続く。ついた場所で一旦入国審査を受ける。ユーロ圏とそうでない者のゲートは別。
 そして今度はセキュリティーチェックを受けて、搭乗口に向かうことになる。ここで問題が発生した。我々は普段からセキュリティーチェックをあまり時間をかけずに通過するようにかなり努力をしている。時計なども確実に外すし、成田ではセキュリティーを通過する際に鳴ったことはない。しかしここでは鳴った。多くの人が鳴ったし、靴まで調べられもした。更にパスポートやボーディングパスまでセキュリティーに通せという。それでも、二人とも通過は出来なかった。飛行機が到着して十分に時間があったのでよかったが、そうでなければ気が気ではない。noriなど一旦は杖まで取り上げられた。
 そうして最初にまずjunが別室に連れて行かれた。そして放免されるとnori。何がいけなかったかと言えば、コルセットらしい。しかしコルセットをしていない人しかドイツにはいないのか。いや、逆にこのような医療器具はドイツなどからその昔もたらされたモノではないのか。
 実はただただ添乗員氏についていったのだが、到着したところはビルが違うので最初にビルを移動する必要があった。ビルの階数で四階分くらいを下り、たぶん地下道と思われる連絡通路を使って目的のビルまで移動する。この移動もすこぶる長かったが、一本道でありかつ動く歩道が設置されていたのでそう苦労ではなかった。そしてまた逆に登る。今度はさすがにエレベーターを使った。そこからがまた長い。勿論動く歩道はあるのだが、延々と長いウイングを歩かされて目的のゲートまで到着した。先ほどのセキュリティーチェックのこともあり、その頃にはもはや動く気力さえ失せていて、ベンチに座り込んだ。

1−6 搭乗<LH3262 23AB>
 搭乗開始は15時50分と打刻されていたが、ほぼ同じような時間に始まった。我々も55分に搭乗。今回の配列は3−3。我々は右側の窓側二列。今回はみな指定されているので、変えようがない。というのも、ほぼこの飛行機も満席状態だった。我々は後ろから数えると5・6番目の席で今回は結構後方。
 定刻の16時20分にはエプロンを離れた。16時30分に離陸。15分ほどでシートベルトサインが消え、程なくして軽食のサービス。かなり堅い小型のパンのサンドイッチとバナナチョコバー。国際線(シュンゲン条約上は国内線相当)だが、あっという間に目的地に到着するのが、ヨーロッパの宿命だ。
 今片付けに来たと思っていると、沢山の集合住宅の上をかすめるように飛行機は飛んで、17時12分にはプラハ国際空港に着陸した。
 空港のバゲージの所で両替をした。ここはレートが悪いと言うことだったが、まぁ従うしかない。案の定、何人かは外で両替をしていた。荷物をピックアップして外に出た。

1−7 空港バス発(1802)
 空港はそう大きくはない。しかし綺麗だ。トイレなどを済ませて、出発。バスは大型だが、何せ38人の大所帯なので、ほぼ満席状態だ。そのために、荷物の積み込みにだいぶ時間を要した。この作業は毎日続く。
 さて今日はレイバーデートなので道路が比較的空いていると言うことで、スムーズに走ることが出来た。道路事情はよい(とこの時点では思っていた)。

1−8 プラハホテル着(1830)
              TOP Hotel Praha ★★★★ B607号室

 ホテルにはおよそ30分で、18時30分には到着したが、何せ巨大なホテルで、グループ用の出入り口は別にあり、かなりの時間を要してチェックイン。
 A棟からE棟までに分かれている。シングルの部屋は団体入口からかなり離れたE棟だが、我々二人組はB棟だ。
 部屋へ行こうと鍵をもらったが、エレベータが二基あるもののかなり小さく(4人しか乗れない)、階上の部屋に向かうだけでだいぶ時間を要した。我々は荷物一つを先にあげてもらって、体は後で追いつくという有様だった。
 ともかく19時少し回って無事にホテルの部屋に入る。
 ツインの部屋は、だだっ広い。3人目のソファーも置いてあるから、それに対応しているのだろうが、ゆうに12〜13畳くらいあるのではないかな。
 それから洗濯、日記などをこなして、KALロビーで失敬しておいたおにぎりを食べてから、荷物の整理をした。明日のチェスキークロムルフは、狭い街なのでバスは入れないと言うことで、荷物を小分けしなければならないからだ。
 そんなことをしてから、21時少し過ぎに就寝した。