イスラエル滞在7日間の旅

  - 古代史と現代史に遭遇した旅 -


★イスラエルの旅の実現には紆余曲折があった。イスラエルに何故にということは項を改めるが、2007.12.26-2008.1.4という期間のイスラエルの旅は多くの旅行社で企画されていた。私たちが知る限りでも、E社・J社・S社・T1社・T2社がおしなべて企画していた。これは何故にそういう日程になっているかと言えば、現在のイスラエルへの最短ルートのゆえんであろう。ルート短縮は同時に旅費上の問題もそこには絡む。というのも、この最短ルートというのが、いささかトリッキーなルートなのだ。それはウズベキスタン航空を利用するもので、関空からタシケントへ飛び、トランジットしてテルアビブのベン・グリオン国際空港に至るコースである。何故26日に固定されているかと言えば、ウズベキスタン航空は水・金の週二便体制であり、その上テルアビブ接続便が好都合なのは水曜日の便に限定されているからだ。
  しかしながら、こうした日程を多数の旅行社が限られた座席数の中で埋めるのは当然困難になる。需要という問題もあることだろう(ただし需要については十分にあったようだ)。 当然我々もいくつかの旅行社に予約を入れたが、その中でも一番コース的に気に入っていたのはT2社であった。そう遅くない時期に予約を入れて、一旦は確保の方向だったが(実際席が取れたということで予約金の納入もした)、何故か急にオーバーブッキングだと言い出し、その上キャンセル待ちも多数あり、実現はかなり難しいと言い出した。座席確保は相当難しかったようで、他の旅行社に切り替えるというと、それもたぶん難しいだろうという始末だった。このやり方には不満が残った。
  ただ我々も全く望みが無く、他の旅行社へとすごんで見せたわけでは決してない。捨てる神あれば拾う神ありで、E社が募集人員が伸びたためであろう同じ日程で別ルートの商品の販売を急遽企画した。これはE社の集客力と、E社が契約している現地旅行社の力によるところが大きいのだろうが、無事に成立となった。イスラエルを旅行して驚いたのは、実にこのE社はこの時期に4本のイスラエル関連コースを出していた。
  こうして我々のイスラエル行きが決まったのは、出発の一月前であった。そして直ちに私たちはその準備にかかった。イスラエルはアルジェリア同様に現在は地球の歩き方が存在しない。しかしながら、アルジェリアのように遙か昔ということ言うことはなく、2002-3年版が存在し、図書館で容易に借りることができた。これらを基礎に、ネット上の旅行記などを含めて資料作りに当たった。


★イスラエルに何故にという問いかけには、治安状態がここ数年ではもっとも安定しているからだ。我々が当初T2社を選択したのも、エリコの見学が含まれていたからだった。他の旅行社は行かない、この地域へ足を踏み入れるのはT2社だけだった。T2社としてはそれだけ安定している情勢と判断しているからだろう。地球の歩き方は「02〜03」版を最後に出版されていないが、そろそろ再版されるのではないだろうか。
  第二の理由は、サウジアラビア・スーダン・リビアが未訪問ではあるが、パスポートの残存期間も2年を切っているので、いわゆる「ノースタンプ!プリーズ!」を叫ばなくともよいと考えたからである。やはり訪れた国のスタンプはほしい。昨今のEU加盟国は同盟国扱いをしてくれるのはありがたいが、スタンプがないのはちょっと寂しい。そしてなんと言ってもエルサレムに入ってみたかった。エルサレムでオリーブ山から黄金のドームを眺めてみたかった。
★イスラエルの歴史はたかだか40年あまりでしかない。訪問したときも、40周年記念を祝う名残のポスターなどがあった。したがって、我々にとってはソ連崩壊という状況下でのソ連邦構成国の独立やそれに伴う東欧諸国の分裂などを除けば、イスラエル建国は認知できる時代の唯一といってよい出来事であった。このことの意味は大きい。
  特に、ナセルの失敗に終わったいわゆる六日間戦争(第3次中東戦争)の記憶は生々しいものがある。その成立や現状に対して意見を述べる力はないが、現代史の教科書でもあるイスラエルを訪問しない理由はない。
  また時代は後戻りするが、歴史の話をすれば建国前ではあるが、ホロコーストについても避けて通るわけにはいかない。

★それからイスラエル、というよりもエルサレムと言うべきだろうが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地の存在があげられる。まさに観光の目玉だ。三大一神教の聖地を見ないわけにはいかない。紀元前からの歴史は、建国は新しいものの、最大の観光資源でもある。

★最終的にはE社の追加ツアーに乗っかった我々であったが、ともかくもイスラエルに行けてよかったと思う。添乗員氏も標準以上の対応をしてもらえた(これは我々にではなく全体に)。問題にしなければならない点は見つからない。気持ちのよい旅だった。
 また今回は事前に整腸剤を服用するなど健康上の留意も行ったので、旅行中に体調を崩すこともなく、したがって添乗員氏などに迷惑をかけることもなかった。則は相変わらず左足半月板の不良で、杖をつき足を引きづりながらの見学となったが、多少のおくれを生じたり席を譲られたりはあったものの、全体的に足手まといになるほどではなかった。
  しかし何よりも今回の旅の特徴は現地ガイドのI氏の存在だ。I氏は関西生まれの日本人であり、市民権を取得しており、ユダヤ教徒のイスラエル国民男性と結婚されている方だ。彼女は(個人情報だろうがあえて書けば妊娠4ヶ月ということだが則など彼女のペースに追いつくのに必死だったほどの)足早でそして詳細にあらゆる説明をしてくれた。かちあった集団のガイド氏が自分が引き連れている旅行者たちに向かって、「これ以上の解説が欲しければI氏に聞くように(趣旨)」と言ったとも同行の方に聞いたし、同様にかち合った集団のある人は自分たちのガイドにではなくI氏の説明に耳を傾けていた。それくらい歩くエンサイクロペディアであった。ただそれ故に、自由時間や土産物を買う暇が皆無という状況だったことは、いささかの不満は残った。しかしながら、それは彼女のすばらしさを何ら否定するほどのものではなかった。


★さてイスラエルへの直行便はない。先に言及したウズベキスタン航空を利用するか、ヨーロッパの都市で乗り継がなければならない。今回は初めてオーストリア航空を利用した。オーストリア航空の座席は他の会社よりもシートピッチが狭いように思えた。機内食はよかったし、何よりもパンがエコノミーの利用ではあったが、暖めて供されるのには感心した。それよりもどきもを抜かれたのは、オーストリア航空のシンボルカラーの赤だ。女性客室乗務員の制服は、ストッキングとパンプスを含めて全てシンボルカラーで統一されていた。

★イスラエルは各地域の寄せ集め状態で建国を見たので、イスラエル料理というのはない。このことは土産に食べ物を選択しようとすると、困ることになる。たとえば乳製品は豊富だが、イスラエル製の乳製品は日本では珍しいだろうが、特徴的なものではない。料理に話を戻すが、牛肉のアルゼンチン風などというのは、ユダヤ教徒の食習慣(コシェル)に基づいた牛肉ステーキと言うことになる。これがまた切ない。イスラム教同様に豚はだめだが、牛肉でも完全に血抜きをしたものでないとだめとされているらしい。だから肉がおいしくない。ミルクと肉の同居もダメだというので、一般に夕食には乳製品は出てこないし、朝食は逆に乳製品のオンパレードでハムやチーズは食べられない。
 それからホテルの食事は基本的に夕食も朝食もおしなべてビュッフェスタイル(日本人言うところのバイキング)。メインのレストランは、五つ星のホテルでもそうであった。食べやすいともいえるが、連日続くと飽きてくる。普通に食事ができればよいと思うのは贅沢か。旅の後半の昼食で食べた日本にいたらそうほめた味でもない中華料理がとてもうまく感じられた。

★危険は全く感じなかった。イエスがたくさんの奇跡を行ったとされるガリラヤ湖周辺から死海に至る道ではヨルダン川西岸地域(ウエスト・バンク)と呼ばれるパレスチナ自治区を通ったが、入るときも出るときも検問は一旦停止程度のものだった。さすがにカメラは向けなかったが、手を振れば答えてくれたし、緊張感は通過時はなかった。ただ一度だけ紅海沿いの都市エイラットから死海を経てエルサレムに至るとき、前から二列目に座ったが、30分程度おそらくそうだと思われるパトカーの先導があった。
 年齢の問題や則の足のこともあって、早朝の散歩や夜の散策など歩くことはほとんど無かったが、外出を禁止されるようなことはなかった。近くのスーパーマーケットに買い物に行くことがあったが、夜だったので特に交通には注意たが、格段の問題を感じることはなかった。ついでに言うと、トイレチップ以外、我々の行動範囲においては全て米ドルが使えた。もちろん返金は多くはイスラエル通過であるNIS(シェケル)であるが、米ドルを拒否されることはなかった。
 ヤド・バシェム(ホロコーストの実際の展示施設)と死海写本館などは写真撮影は禁止だったが、そのほかは多くの宗教施設も適度の常識をわきまえている限り撮影は可能だった。
 総じて言って、物価は日本以上に高いと感じた。チップ代を含んでいるとはいえ、ホテルでビールの小瓶が5〜6米ドルしたのには驚愕した。ホテルでの飲み物代だけでなく、スパーでビールを買っても同様に日本より高かった。後で言及するが、物価は市場規模が小さいので結構高いのだそうだ。平均月収が18万くらいという国では、国民の生活がかなり苦しいと思われた。これは軍事費などに国費がつぎ込まれていることにも原因があるのではないかと推測している。先進国に分類されているというが、住みやすくはないと感じた。