オーストリア世界遺産駆け足旅行 第二日目b

2、9月22日(水)

起床(0300)ウイーン・ホテル発(0730)ウイーン空港発(1009)<OS903 17AB>インスルブック空降着(1057)昼食(1150~1305)インスルブック観光(1306~1600)インスルブック・ホテル着(1622)夕食(1820~1940)就寝(2030)
                        ホテル:アルピンパークホテル 405号室

2-4-7 ヤコブ大聖堂

 元々ここには1200年には教会が建っていた。その後、1717~1724年に改築されたバロック教会。ローマ・カトリック、チロル地方の総本山。
 キリスト教の人々が巡礼に行く三代聖地というのが、エルサレム(イエスキリストの墓)、ローマ(ペテロとパウロの墓)、サンティァゴ・デ・コンポステーラ(聖ヤコブすなわちスペイン語で言うとサンティアゴの墓。ガリラヤ湖畔の漁師)。ちなみに今年は聖ヤコブ年にあたり、日本からも多くのツアーがいっている。ウイーンからそのサンティァゴ・デ・コンポステーラへの、ここが道筋に当たるために、この聖ヤコブ聖堂が造られたそうだ。
 正面の一番右側のドアが出入り口。聖堂の一番上、馬に乗っているのがヤコブ。ヤコブは必ずホタテ貝を持っているのですぐに分かる。手に持っていなくても服のモチーフに使われているとかの場合もあるそうだ。
 バロック様式はだまし絵的な要素もあり、実際、正面の窓も5つのうち2つがそのだまし絵なのだそうだ。それは中に入って祭壇の上、フレスコ画のワシと牛のどちらかが絵でどちらかが彫刻という所にも表されている。
 その中だが、南ドイツ・バロックの巨匠アザム兄弟が制作した天井のフレスコ画と漆喰装飾、中央祭壇にあるルーカス・クラーナハによる聖母子の絵「救いの聖母」、カスパール・グラス作の大公マクシミリアン三世の墓碑(1620年)、ニコラス・モルによって作られたチロルで最も美しいと言われるパイプオルガンなど、バロック美があふれている。
 特に、聖母子の絵は、飾るときに物議を醸し出したのだそうだ。というのも、こういう描き方はプロテスタントの考え方に基づいた物で、カトリックではしないそうだ。それでも、この地方の人はこのモチーフが好きだと言うことで、飾るようになったとか。確かに、その後町を散策しているときに、何度も目にすることになる。
 ここも写真を見ながらの説明で、中はフリータイムの時にどうぞということで素通りした。
 その並びに大司教の家とオレンジ色の刑務所があった。ここでは拷問も行われたようで、祈りの言葉と囚人の叫び声が入り交じっていたんですねえ、ということだ。

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2-4-8 黄金の小屋根

 旧市街一番の広場に面しているのが、最大の見物になっている黄金の小屋根。
 2657枚の銅板に金箔が貼られている。後ろの建物は、フリードリヒ4世によって、1420年にチロル領主の住居「ノイホーフ」として建てられたもの。マクシミリアン一世が1500年にバルコニーを取り付けた。いわばロイヤルボックス。そこから広場の催しを見たわけだ。どんなことが行われたかというと、インスブルックが栄えていた当時ヨーロッパからの大使の挨拶を受けたり、重要な法律の公布をしたり、舞踏会や騎士の馬上槍試合、重罪人の処刑などだそうだ。
この小屋根は,他にもたくさんの装飾がある。
 下から行くと、まずヘブライ語の文字。ただし、どんなことが書いてあるのかは分からないという。研究者が見ても、ヘブライ語だと言うことしか分からなかったそうだ。
 次が紋章。左からオーストリア。これは、赤・白・赤という国旗になっている。次がハンガリー。双頭の鷲は神聖ローマ帝国、続いてドイツ国王の紋章。それからマクシミリアン一世の最初の妻の紋章、最後が2番目の妻のもの。この蛇(ウィキペディアでは蛇ではなく竜)の紋章は、アルファロメオという車メーカーのマークになっている。同じミラノ出身ということの共通点。
 その上の赤いワシはチロルを,黒いワシはオーストリアを象徴している。
 更にその上には、ムーア人の舞曲を取り入れたモレスケンタンツと呼ばれる当時の舞踊をモチーフにしたレリーフが、左右に2枚ずつ。左から3枚目が、マクシミリアンと最初の妃マリア・フォン・ブルグンド、2番目の妃ビアンカ・マリア・スフォルツァのレリーフ。中央にいるのが2番目の妻で右端が最初の妻。その手はクロスされていて故人であることを表している。その右のレリーフは、宰相と宮廷道化師。
 それらのずっと下、この建物の入り口になっているところに小さな彫刻の人形がある。なかなか目に付くところではないが、これもルネッサンスの特徴だそうだ。

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2-4-9 町散歩

 この後、少し町中を歩くことになった。

2-4-9-1 建物

 この広場の周りの建物は、当初は木造だったが、1400年頃火事が頻発し、石造りにしなければならなくなった。ゴシック様式で造られたそうだが、第二次大戦で爆撃に遭い、修復されたものも多くなっている。
 古いままに残っているものには、装飾やエルカーと呼ばれる出窓が付いている。屋根はジグザグになっているが、これは雨水対策(隣家に影響を及ぼさない)だそうだ。また入り口のアーチは先がとんがっている。これらがこの地方の建築の特徴だという。
 これらゴシックの中に一つだけ後期バロックのような建物がある。ヘルブリングハウスと呼ばれるものだ。パステルカラーのこの建物は、基本はゴシックで造られているが、18世紀に表面だけバロックに変えられたものだ。
 この街の家々は色がカラフルでそれだけでも楽しめる。

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2-4-9-2 市の塔

 広場に面して高い塔がある。これが市の塔。
1360年に火の見櫓として旧市庁舎に付属して建てられた高さ57mの塔。1560年になって、銅葺きの二重円屋根に作り替えられ、さらに時計は1602年に設置された。
 この塔は、火の見櫓としてだけではなく、戦いの時には敵の侵攻を見張る役目も担っていた。その役は男性が当たっていたが、第二次大戦の時には女性も役に就いたそうだ。
 電話や無線がない時代、角笛や鐘の回数、また色の違う垂れ幕で情報を知らせたという。
 148段上がると展望台(地上33m)があり、旧市街とアルプスを一望することができる。今日はいいお天気だから登ってみる価値があるというので、フリータイムに行くことにした。
 それにしてもフリータイムに行くところが多すぎる。

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2-4-9-3 街角で

 歩いていると、看板が文字だけではなく目で見て分かるようになっているのが沢山ある。文盲の人にも分かる工夫だそうだ。
 また、確かにマリアの肖像を壁面に描いている家が何軒も見られた。
 オープンテラスに「シュトゥールム」という札があった。それが今年とれた新しいワインでこの時期だけのものだそうだ。ワインの濁酒のようなもので、この札のあるところだけにあるという。アルコール度数はかなり高い。是非飲んでみたいものだ。
 有名人が泊まった旅籠屋というのもあった。モーツァルトやハイネ、マクシミリアン一世の名前などを刻んだプレートがある。イタリアへ行く人たちが、ここへ一泊してから峠を越えていったそうだ。
赤と白の建物は、この町ができた1180年頃、この当たりを収めていたアンデックス伯の館だった。このアンデックス伯ベルトルト4世によってイン川に最初の橋が掛けられた。その初めての橋の様子が、ピザ屋の壁に描かれている絵で見ることができる。
 二人の男の像は、1809年にナポレオン軍に味方して攻め入ってきたバイエルン軍を見張っている親子の像。こうして何でも記念として残しておくのだなあ。
 この前に信号機があって、それを渡るのだが、その青信号の時間のなんと短いこと。ロシアでも驚いたが、それ以上に短いのではないかと思う。それほど無い道幅なのに、我々の足でも半ばまで行った頃にもう赤に変わっている。駆け足でようやく渡れる位なのだ。身障者にはつらい街だ。

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2-4-9-4 イン川

 川の水は白濁色。石灰分が多く含まれているのでこのような色をしている。スイスアルプスの氷河が源流となっており、やがてドナウ川に合流する。
 町の水は、川ではなく山の湧き水を使っている。
※インスブルックの水質は世界一
(『SERVUS/セアヴス/オーストリア情報誌』2003年5・6月号より)
 その99%が湧水で賄われているインスブルックの水道は、専門家たちの間では「天然のミネラル・ウォーター」と呼ばれています。
 ノルトケッテ山脈より湧出するこの素晴らしい山の恵みは、公共水道施設が完備する以前から、人々の水源として利用されていました。地表に降った雨は土壌に染み込み、いくつもの地層を抜ける内に浄化され、ミネラルやその他の成分が濃縮されていきます。この自然のプロセスは、平均摂氏4.5℃という比較的低温の環境下で、10年から20年もの歳月をかけて行われ、それからようやく深い地層から飲料水としての高い品質を備えて地表へ湧き出します。これらの湧水のほとんどは軟水で、私たちにとって優れた栄養素として寄与しています

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2-4-10 自由散策 (1450~1600)

 フリータイムになった。当初は50分と言うことだったが、短すぎると客(つまり我々)が言ったので、ちょっとだけ長くなった。それにしても短すぎる。まだまだ日は長いのに。
ガイドと一緒の散策でも外観のみさらっと見て歩いているので消化不良。
凱旋門に行ってくるとそれだけで終わってしまうと思って、我が家は旧市街へ戻ることにした。

2-4-10-1 ヤコブ大聖堂

austria 0647.jpg 中に入ってみた。確かに華麗で華やかだ。これがバロック様式か。派手派手だ。
 天井にはアザム兄弟によるフレスコ画が。ガイドさんの説明によるとヤコブに関するフレスコ画だというので、そこにヤコブがいるはず、とホタテホタテと探しのだが・・・結局はよく分からなかった。彫像の中にヤコブは?とこれまた分からない。
 仕方ないので、あきらめかけたが、絵はがきにヤコブの像があったので売り場の人に聞いてみると、祭壇の奥まった所に秘宝としてしまわれているらしいことが分かった。たぶん、何かの時にはご開帳となるのではないかと思うが、一見の観光客などが見られる物ではなさそうだ。
 また中央祭壇にはルーカス・クラナッハの聖母マリアがある。これははっきりとわかった。周りの飾りがまばゆくて、マリアが霞んでしまうようだが、それだけ神々しさを表現しているのだろう。
 例の祭壇上のフレスコ画は、本物とだまし絵の部分があるというのだが、目をこらしてみても自信を持ってはっきりとは言えなかった。
 チロルで最も美しいと言われるパイプオルガンは、祭壇の反対側にでーんと構えておいてあった

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2-4-10-2 市の塔(3€×2)

 148段の階段を上がっていくと、高さ31mの展望台に出ることができる。高いところが好きな我が家として見逃すはずはない。まずはスーパーでジュースを購入。ここのところ病院にも行っているが、junがよくせき込むので、さっき教えてもらったミニスパーでピーチ味の紅茶を買ってから、市の塔へ向かう。
 市の塔の下に入り口があり、そこから10段程度上ると、チケットオフィスにでる。そこで今降りてきたばかりという同行者とすれ違う。ガラガラですよと言われて、ゆっくりと上り始める。と言っても意外やjunの足は軽やかで、一気に見晴らし台まで上がる。
 なるほど、景色は最高だ。登ってくる価値はある。おまけに他に観客は誰もいなかった。
360度ゆっくりと見ることができる。黄金の小屋根はまさに黄金の名の通り、反射してまぶしいほどに光り輝いている。
スキーのジャンプ台も見えた。ここで、1964年と1976年の冬季オリンピックではスキージャンプ会場になった所だ。

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2-4-10-3 集合 (1600)

 その後、再び黄金の小屋根広場何枚か写真を撮ってから、後ろ髪を引かれる思いで集合場所へ行った。まだまだ日も高いのに、これからホテルに行くだけとはもったいない気がしたが、「団体行動ですから、自分で好きなところに行きたい人は個人旅行をしてください。」との添乗員の言葉には、逆らう術はない。

2-5 インスブルック・ホテル着(1622)
   アルピンパークホテル 405号室

 15分ほどバスにゆられてホテルへ着いた。
 部屋は昨日に比べて広かったが、ベッドはやはり小さかった。これがこの国のサイズなのか?ただ、スーツケースを広げる場所が無くて苦労した。ベッドは二つあるのに、スーツケース台が一つしか用意されていない。
 何とか工夫をして荷開きをし、入浴を済ませて、後はただ部屋でぼんやり過ごした。
 街へ出かけるにも時間が中途半端で、せいぜい近くの散歩程度しかできない。これで、スーパーでもあれば文句なかったのだが。
 我が家の部屋はバスタブ付きの普通の部屋だったが、他には屋根裏部屋のような部屋やシャワーのみという部屋もあったそうだ。ドイツの悪夢を思い出した。
 ただ、昨日と同じで、部屋の備品は何もないのは同じ。さすがにテレビと電話はあるが、室温のコントロールもなかった。

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2-6 夕食(1820~1940)

スープ、チキン温野菜添え、フルーツカクテル、パン。赤ワインフルボトル(24€)

 夕食は今日もホテル。18時15分ロビー集合という中途半端な時間に、一部の客からブーイング。これなら市街や途中のスーパーに寄るなどして、もう少しまともな時間帯に夕食にありつきたいという希望だ。一理はある。一組の夫婦は夕食をキャンセルして街に出かけたそうだ。
 今日は団体客が4組ということで、結構ホテルも忙しいらしい。18時過ぎというヨーロッパ的にはえらく早い時間の食事にも関わらず、既に先客がいた。オーストリア系のアメリカ人の団体だそうだ。
 我が家は一度テーブルに座ったのに、座席を移動させられた。どうもブーイング一族の仲間にさせられたように感じた。たいして座席的にも困っていなかったのに、この移動は不可解だった。
 夕食の後に市街地へ戻るのも面倒くさく、やることもないので、ワインを注文した。2007年産のローカルワイン。ボーイの薦めに従ったが、まぁまぁの味でよかった。
 またレストラン側も日本人客に慣れているようで、ゆっくり食べている先客を追い越してサービスをしてくれた。魚料理も、まぁムニエル風でおいしくいただけた。
それでも食事が終わる頃には暗くなってきて、食後、街へ出かけると息巻いていた親子連れもあきらめざるを得なかったようだ。

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2-7 部屋にて

  部屋に戻って、今日は昨日の失敗があるので、起きていようと言っていたのだが、noriがうとうととして目を覚まし、junにつついてくれと頼もうとしたが、そのときには既にjunは白川夜船状態だった。就寝時間20時30分頃。