オーストリア世界遺産駆け足旅行 第六日目b

6、9月26日(日)

起床(0500)ホテル発(0830)ヴァッハウ渓谷(0945頃~)メルク修道院(1112~1250)昼食(1255~1415)ウイーン自由散策(1525~1755)夕食(1808~1910)コンサート(1935~2205)ホテル着(2220)

6-6 ウイーンへ

 帰りもヴァッハウ渓谷の方を通るのかと思っていたら、高速で一気に戻る。速い。が、その殆どを寝て過ごしてしまった。せっかく一番前の席だというのに。

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6-7 ウイーン自由散策(1525~1755)

オペラ座→ゲーテ像→ブルク公園(モーツァルト像)→王宮→フォルクス庭園→国会議事堂→ブルクシアター→市庁舎→スコットランド教会→ミヒャエル門→ミヒャエル教会→ペスト記念塔→シュテファン寺院→オペラ座

 午後は夕食までフリータイム。雨が降っていたら、また美術館へ行こうかと話していたのだが、何とか持ちそうなので、当初の予定通り市内巡りをすることにした。といっても、それほど時間があるわけではないので、かなり行く場所を絞って歩くことにした。

6-7-1 オペラ座

 スタートはオペラ座。集合もオペラ座。
 ウィーンが神聖ローマ帝国の首都であったため、ドイツ・オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であった。専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、世界でも一、二の人気を争うオーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体である。
 1869年、モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」でこけら落としが行なわれた。
第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われた。その後再建され、1955年11月5日に再開された。ヘルベルト・フォン・カラヤンや小澤征爾もここで指揮棒を振った。
オペラ座内部観光ツアーというのがあり、公演で見られない舞台裏などが見られ、気兼ねなく写真も撮れるということだが、日本語ガイドツアーの時間が3時からと言うので、今回は見ることができないが、一度入ってみるのも悪くない。
 周りをぐるりと一周してから、いよいよ市内観光だ。

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6-7-2 ゲーテ像 (1547)

 オペラ座から、リンクに沿って王宮の方を目指して歩くことにした。
 始め目に入ったのは、タヌービの噴水というもの。一番上にフランツ・ヨーゼフ一世の騎馬像がある。
 更に行くとゲーテ像を見つけた。
 ゲーテ は、ドイツを代表する文豪だが、ゲーテの詩には非常に多くの作曲家が曲を付けている。「魔王」「野ばら」などのフランツ・シューベルトによる歌曲が有名で、シューベルトが生涯作曲した600曲の歌曲のうち70曲ほどがゲーテの詩に付けられた曲だという。また、モーツァルトもゲーテ詩による歌曲「すみれ」を作曲。
 1900年にウィーン・ゲーテ協会によって寄贈されたものだそうだ。

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6-7-3 ブルク公園(モーツァルト像)

 でも、最初の目的はここのモーツァルトを見るためだったのだ。
 ゲーテ像の後ろからこの公園に入れるようになっていたので、入ってみるとすぐに銅像があった。誰のか分からなかったが記念に一枚。
 そこを通り抜けて少し行くとすぐに見つかった。だからどうと言うこともないのだが、せっかくなのでこれまた記念に一枚。
 像の前のト音記号は今回は赤い花で形作られていた。

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6-7-4 王宮 (1558)

 ホーフブルク王宮は、1918年までハプスブルク家歴代の神聖ローマ皇帝またはオーストリア皇帝の居城だったところ。もともとは中世に建てられた城で、長年にわたってハプスブルク家の強大化と領土の拡大に伴って拡張されてきた。
1900年頃、王宮の最後の造営計画として、新王宮が建設された。
現在、王宮には、オーストリア大統領府、国際会議場、日曜日および宗教祝日にウイーン少年合唱団がミサで歌う礼拝堂、スペイン乗馬学校などがある。
 新王宮には、民族学博物館、美術史美術博物館分室、エフェソス博物館、楽器コレクションなどがある。
 勿論、中の見学もできるが、今回は外観のみ。
 ブルク門から入る。こちらが新王宮になる。入ってすぐの広場がヘルデン広場。ここに向かい合って騎馬像が並んでいる。右側に見えるのがオイゲン公、左側がカール大公。
 ちょうど催し物のテントの後片付けをしていたので写真が撮りにくかった。カール大公の後ろを回るようにして、次のフォルクス庭園へ抜けた。

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6-7-5 フォルクス庭園 (1608)

 ここは、よく整備された公園で、今の時期、バラの花が綺麗だった。
 噴水もあり、散歩している人の姿も目に付いた。市民の憩いの場になっているのだろう。
 周りには王宮をはじめとして、教会などが借景のようになっていて景色的にもなかなかのものだ。
シシィ(皇后エリザベート)の像が置かれているらしいが、あまり歩きたくなかったのでパス。

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6-7-6 国会議事堂 (1614)

 またリンクへ出る。かなり路面電車や車の往来が多かったが、そんな道でも馬車は通っている。共存しているというのが,日本ではとても考えられない光景だ。
 ギリシャ神殿のような国会議事堂は、アテネで建築を学んだデンマーク人建築家、テオフィル・フォン・ハンセンの手によって、1874年から約9年間かけて建てられた。
入り口には、大理石でできたヘロドトスやカエサルなど古代ギリシャ・ローマの著名人たちの像が置かれている。更にバルコニーには、60体の古典古代の有名人物の彫像がある。
 建物の前には、パラス・アテネの泉があり、中央には、ギリシャの知恵の女神、パラス・アテネの像が立っている。1898年から4年間かけて造られた。
第二次世界大戦中に激しい損傷を受け、建物の約半分が失われたが、戦後すぐに再建が始まり、1956年にはほぼ元通りになった。その後、1972年から1980年にかけて拡張された。

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6-7-7 ブルクシアター (1624)

 1776年、ヨーゼフ二世によって王室劇場が一般に開放され、ドイツ語の作品が上演されるようになったときからの歴史と伝統を受け継ぐ。現在の姿は1874~1888年に建てられ、第二次世界大戦による破壊から修復されたもの。古典劇、ウィーン喜劇、現代劇などを幅広く上演している。

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6-7-8 市庁舎 (1626)

 1872年から1883年にかけて、建築家のフリードリヒ・フォン・シュミットの設計を基にして建設された。105mの高さをもつ尖塔は、ゴシック建築から着想を得ており、7つの中庭を持つ設計はバロック様式の宮殿という概念に従ったもの。
 市庁舎広場の両側には、オーストリアの歴史上で重要な人物の大理石像があわせて8体並んでいる。これらの像はもともとウィーン川に架かっていた橋の上にあったものだが、この橋が撤去されることになり、ここに移動された。

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6-7-9 スコットランド教会と修道院 (1636)

 王宮へ向かう途中で見付けた教会。何故ウイーンにスコットランド教会?とただ名前に惹かれて立ち寄った。といってもそろそろ疲れも出てきていたので、外観のみ。
 参考に手にしていた地図の解説によると、「1115年、バーベンベルク家のハインリヒ二世ヤソミルゴットが修道院を創設。スコットランドのベネディクト修道士会を招いた。ロマネスク様式のバシリカは1200年に神聖化されたもの。」だそうだ。

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6-7-10 ミヒャエル門 (1646)

 ミヒャエル広場に着く。
 ミヒャエル門は、王宮を挟んで先ほどのブルク門のちょうど反対側になる。王宮にとっては正面の門となる。19世紀末に完成したもので、緑のドームの高さは37m。
 junさんのたっての希望でここへ来たのだが、あいにくと左半分が工事中だった。まあ仕方ないと思いながらも、思いっきりがっかりして立ちすくんでしまった。
 おまけに雨も降ってきた。これからどうしようかと思ったが、教会の中には入れそうなので、そこへ飛びこんだ。

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6-7-11 ミヒャエル教会 (1648)

 1100年に後期ロマネスク様式で建てられたウイーン最古の教会。現在の教会は1252年に建設が開始される。
 13世紀、14世紀のたび重なる火災後、鐘楼と内陣が、後に礼拝堂がゴシック式に改築された。ひときわ目立つ高い塔は1590年に建設された。このようにこの教会は13世紀から18世紀までの間に建設されたため、部分部分によって建築様式がバラバラ。
教会内部はとても暗く、中央の祭壇辺りが浮かび上がるように照らされていた。
 そこに聖母のイコンが見られた。

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6-7-12 ペスト記念塔

 次はペスト記念塔を目指して雨の中を歩く。馬車が横を通り過ぎていくのを恨めしげに見ていたjunであった。
 ペスト記念塔は、三位一体記念柱とも言う。ヨーロッパに蔓延したペストは、1679年、ウイーンも襲い、10万人の死者を出した。そのペストの終結を神に感謝して時の皇帝レオポルド一世が建設した。跪いて祈りを捧げているのが皇帝。バロックを代表する彫刻建築。
 その塔を挟むようにして二つの塔もあった

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6-7-13 シュテファン寺院 (1711)

 とにかく最後にここだけは見たいと思った。ウィーンのシンボルでもあるからだ。
 ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、モーツァルトの結婚式と葬儀が行われた聖堂としても知られている。
オーストリア公ルドルフ四世の命によって建造されたこの聖堂は、1359年に65年がかりで南塔が完成。107mの高さを持ち教会の塔としては世界で3番目の高さがある。
ここも修復中だった。
 外観を写真に撮ってから中へ入った。既にミサが始まっていたので、奥まで入ることができず、ちょっと覗いただけになってしまった。

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6-7-14 オペラ座 (1746)

 集合場所のオペラ座に戻る段になって、右左が分からなくなってしまった。
 そこで、音楽家の格好をして今夜のコンサートのビラを配っている人に、場所を聞いた。そのときにコンサートに誘われたが、noriは今夜行くと答えて、相手を喜ばせた。
 集合には少し早かったので、地下街へ行くと、日本趣味の店があったのには驚いた。また、オペラトイレが、有料だがあった。
 二人で記念撮影をしてから他の人と無事に合流した。

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6-8 夕食(1808~1910)

スープ、ビーフポテト添え、ほうれん草のペースト添え、アイスクリーム

 最後の夜なので、本当なら一杯やりたいところなのだが、この後コンサートを聴きに行かなければならないので、我慢。何とも寂しい夕食になってしまった。

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6-9 コンサート(1935~2205)

 これはオプションでもいいのになあとブツブツ言いながら、会場へ行った。
 早めに着いてしまったので、前のがまだ終わっていない。建物内には入れてくれたので、椅子などに座ってしばらく待つことになった。
 ようやく会場に入ると、座席指定で一番後ろだった。まあ、そんなとこだろう。演奏中は写真撮影ができないというので、今のうちにと言われて会場を撮した。そうこうしているうちにプログラムを売りに来たので購入。日本語のプログラムもあった。
 楽団は、Das Wiener Residenzorchesterウィーナーレジデンツオーケストラ(ウィーン宮廷管弦楽団)。このオーケストラはモーツアルトからヨハンシュトラウスまでの作品を10人から40人の音楽家で演奏するそうだが、今回は10人程度。
 最も素晴らしいウィーンの宮殿で毎日コンサートを開催している。大、小の異なるメンバーで、有名なオペラ歌手やバレーダンサーたちと共に、折に触れての季節のテーマに方向を定めた音楽を準備している。
 (参考:http://www.wro.at/japanese/information/geschichte.html)
 前半(2015~2045)・・モーツァルトの作品
  オペラ『フィガロの結婚』序曲
  オペラ『魔笛』よりパパゲーノとパパゲーナの二重唱
  ディヴェルティメントニ長調KV136 一楽章
  ヴァイオリン協奏曲ト長調KV216 二楽章
  オペラ『ドンジョヴァンニ』二重唱
  トルコ行進曲
  『フィガロの結婚』よりアリエ
  『ネコの二重唱』
 この休憩時に、スパークリングワインが振る舞われた。
 後半(2105~2150)・・ヨハンシュトラウスの作品
  ワルツ『皇帝円舞曲』
  ポルカ『ハンガリー万歳』
  『チク・タク・ポルカ』
  オペレッタ『騎士パスマン』よりチャルダッシュ
  ワルツ『ウィーン気質』
  青き美しきドナウ
  ラデツキー行進曲
 演奏だけではなく、時には歌あり、バレエ有りで、結構楽しめた。勿論よく知られている曲ばかりを選んでいたせいもあるだろう。
 終わって外へ出ると迎えの観光バスが沢山列をなしていた。つまりは観光客相手のコンサートだったのだ。だから、正装でなくてもよいと言うことだったのだ。

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6-10 ホテル着(2220)

 最後の夜は二人宴会もなくおとなしく就寝。荷物の整理は、明日に回す。