バルト三国

5月4日(火)pm リガ滞在 曇り

リガにて昼食(1240~1358)大聖堂(1405~1450)聖ペテロ教会(1456~1520)自由散策(1525~1630)ホテル着(1640)夕食(1830~)

4-5 リガにて昼食(1240~1358)

サラダ・ローストポーク・アイスクリーム・コーヒー

  リガに戻って、また旧市街地でバスを下りた。これから大聖堂でパイプオルガンの演奏を聴くのだが、その前に腹ごしらえというわけだ。
 ところがなかなか食事が出て来ない。最後の方にはさすがにガイドさんも焦りだした。催促してやっと最後のコーヒーが出てきたが、これが、悪いが不味い。と言うか、これはこの店だけではなく、バルトへ来てからは皆この様に煮出したかすのようなコーヒーばかりで、ミルクを入れても美味しくない。根本的な入れ方が違うのだろう。



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リガ(リーガ) マップ


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4-6 リガ旧市街散策(1405~1630)

 それから急ぎ足で大聖堂へ向かった。もう開始時刻は過ぎている。それでも途中であった可愛いこの写真をきっちりと撮っているnoriであった。この衣装も民族衣装で、やはり独立記念日のためだ。



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大聖堂(1405~1450)
パイプオルガンコンサート(1405~1425)

 1211年にアルベルトが建設した教会。上から見ると十字架の形をしている。主祭壇は東に、入口は西にあり、陽が差し込むと主祭壇を照らす構造になっている。始めはゴシック様式で造られたが、何度も増改築がされたということもあってロマネスクからバロックまで、様々な建築様式が見られる。今のような姿になったのは18世紀の後半。
 ロマネスク様式は、壁が厚くて天井を支えていたが、ゴシックは柱で天井を支えるために、壁を薄くできるようになり、大きくくり抜いてステンドグラスなどをはめ込むなど飾りを付けることが出来るようになり、教会の高さも高くなった。
 塔は、1776年に立て直されたもので90mあるが、それ以前の塔はそれより50mも高かった。塔の上の雄鶏は、1985年に付け替えられた。
 この教会の見物は、ステンドグラスとパイプオルガン。このパイプオルガンは、1883年に造られた物で、パイプは6718本もある。長いもので10mもあるそうだ。
 今日はその パイプオルガンコンサートを聞く。これに間に合わせるため昼食を急いだのだが、結局遅れてしまった。
 だが、我々以外に人はいなかった。ということは我々のためのコンサートだったようだ。席に着くと少しして始まった。20分間で3曲。なかなか荘厳な感じで聞き入った。特にnoriにとっては神の声のようだったのではないか。(mp3ファイルを写真の下のプレーヤーで聞くことができる。)
 演奏が終わってから教会内を見学した。勿論第一はステンドグラスだ。入って左側にそれはある。このステンドグラスは新しいものだそうだ。ドイツのミュンヘンで造られた。ティゼンハウゼンという金持ちが寄付したのだそうだ。新しいというのは、ぼかしがはっきりしていること、濃淡が鮮やかに出ていること。これらはガラスの上から粉ガラスを吹き付けるという1800年代終わり頃の手法になる。
 左から、「聖母マリア」。ついでにいうとマリア様がいるとカトリックということだ。プロテスタントではマリア信仰はない。次は「ブレーメンから来た司教アルベルトが布教している所」。1211年にこの教会を造った人で、そのときにドイツ騎士団を引き連れてきた。3枚目は、「1525年リボニア騎士団(ドイツ)のブレッテンベルグ団長がリガ市長に信教の自由を認めた所」。これ以降リガはプロテスタント支配になる。ということは、ポーランド・リトアニアと分かれ、スウェーデンに組することになったということ。上の丸い枠の中の顔はマルチン・ルター。最後は「1621年、スウェーデンからグスタフ2世アドルフがやってきて統治を始めることになり、その歓迎式をやっている所」 。
 つまりはカトリックからプロテスタントへ移る流れが描かれている。
 主祭壇には復活したキリストが描かれている。 その上にはバラ窓。
 主祭壇の両側は聖歌隊の席。そして、ちなみに聖歌というのはカトリック。プロテスタントは賛美歌という。今回の添乗員さんは自身がカトリックの洗礼を受けているという人なので、こういうキリスト教に関しての知識はすこぶる詳しい。当たり前といえば当たり前だが、その辺りをきっちりと説明してくれるので、今までいかに自分がいい加減にカトリックもプロテスタントも同じキリスト教と一括りにしていたかがわかった。
 壁には、今日歌う聖歌がわかるように表示されていた。 その下にある目盛りは、1709年の大洪水の時の水位。ここまで水が来たそうだ。
 他にも説教壇や洗礼の時のもの、懺悔室などがあった。洗礼台は必ずあるので、教会に入ったらこの水を付けて十字を切って下さいと言われた。神社の手洗水のようなものですということだった。そう言われるとなるほどと思う。



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演奏にはplay.gifを押して下さい

聖ペテロ教会(1456~1520)

 ペテロとは、イエスの12人の弟子の中の一番弟子。第一代目のローマ教皇。そのペテロに献堂された教会。13世紀初めに最初の教会が建てられ、18世紀にほぼ現在のようになった。塔は第二次大戦後に改修され、高さ123m余りになった。72mの所までエレベーターで行けるが、10人程度しか乗れない。
 大聖堂もそうだったが、塔の上には鶏がいる。これは真実の鶏、つまり鶏は真実を告げるという説話から来ている。どういうことかというと、一つは無実を証明したというポルトガルでの奇跡、一つはペテロの裏切りを告げたという出来事。
 塔が新しくなったときにこの鶏の所からグラスを落として、その割れたかけらの数が存続する年数を表すと信じられていた。
 中に入ると丁度コンサートのリハーサル中で奥まで行くことは出来なかった。ただ、第二次大戦で爆撃を受けたときの瓦礫やそのときの写真などの展示は壁に沿ってみることが出来る。古い塔の上の鶏も置かれていた。
 順番に塔の上に行った。タリンの時のように城壁できっちりと分けられているわけでもないので、旧市街の様子がよくわからなかった。ただ、町の様子はよくわかるので、行ったことのある施設を探しながら楽しんだ。今回は何よりエレベーターがあったし、仮説通路のようなこともなかったので、足場もしっかりしていて、楽ちんだったし安心感もあった。


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自由散策(1525~1630)

・ブレーメンの音楽隊の記念プレート・三人兄弟・聖ヤコブ教会・火薬塔・ブラックヘッドのギルド

 その後は自由時間になったので、外へ出ると丁度日の丸を立てた車が前を横切っていった。今日は独立記念日と言うことで、各国の大使が集まっているとか。式典をやったらしい。警備の車も人もかなり目立っていた。
 それから聖ペテロ教会の裏にあるという「ブレーメンの音楽隊」の像を見に行った。ブレーメンから贈られたものだそうだ。が、ブレーメンから来た司教は大聖堂のはずだが、何故ここにあるのだろう。これは勿論ブレーメンの音楽隊の話を題材にしたものだ。鼻を触ると幸せになれるとかで、もうピッカピカになっていた。
それから、大聖堂や三人兄弟、聖ヤコブ教会、スウェーデン門などもう一度確認の意味もあって再度見に行った。中でも良かったのはスウェーデンの兵士の宿舎の長いこと、城壁や火薬塔の大きいことを実感できたことだ。
 やはり自分の足で一つ一つ確かめながら歩くと、いろいろな角度からじっくりと見て楽しむことが出来ていい。ただ、どうもjunは地図を見るのが駄目で、結局全てnoriにお任せだった。途中1回だけ警備の人(迷彩服を着ていたから軍人か?)に道を聞いた。今日はこういう人が沢山町に出ているので、ラッキーだ。町歩きでは、聞いた方が結果的には早い。地図なんていい加減な時もあるから。
 それから集合場所の市庁舎広場へ行った。少し時間があったので、広場に面した土産物屋さんでお土産を買った。ちょうど持っている金額とピッタリのがあったのでそれを買うことにした。ところが、会計ではそれに税金が付く。足りない、といったら店の人がまけてくれた。
 それからまたしばらく広場で写真を撮って集合を待った。noriは聖ゲオルギウスのポーズ、junは三人の像のポーズをそれぞれ決めた。
 この頃、クルーズ船が着いたのだろうか。旗を立てた団体がいくつも広場に集まってきていた。
 バスでホテルへ戻るとき、昨日の船着き場を見たら、その前の通りには小さなテントがたくさん並んで、車が入れないように通行止めになっていた。きっと独立記念日の露店か何かだろう。


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4-7 ホテル着(1640)

 一端ホテルに戻った。連泊なのですぐに部屋に入ることが出来た。
 今日の夕食は近くのホテルまでバスで出かける。それまでの間はいつものように過ごした。



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4-8 夕食(1830~)

 夕食はバスに乗って、ホテルリーガに行った。ソ連時代からある古いホテルだ。
 夕食のメニューは、ポテトスープ、白身魚のほうれん草ソース、チョコムースほおずき添え。お金はすっかり使い果たしたのでビールも飲めないと思っていたが、同席した人がお金があまっているので使って欲しいと言われて借用することにした。嬉しいビールだ。



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