バルト三国世界遺産首都周遊



 バルト三国の旅に出るようになったいきさつは、実はあまりない。もちろんソ連崩壊をメディアを通してではあるが経験した世代だから、バルト三国の置かれていたドイツによる蹂躙とその後のソ連支配などの歴史的な立場というものはある程度は理解をしている。そうはいううものの、それ以外は杉原千畝がリトアニアで活躍し、東洋のシンドラーといわれたことくらいしか、バルト三国については知識がなかった。今回旅行をしなければ、三国の名前はかろうじても、その首都については全く答えることはできなかっただろう。

 にもかかわらず、我々はバルト三国の旅行に出た。その理由は実際のところ薄弱なものだった。それはこの時期そう長い旅行ができないという事情もあったが、GWまっただ中の日々で比較的安い金額でコンパクトに楽しめるツアーというので、junが探し当ててきたものだった。ヨーロッパの空白地帯を埋めたいという心理も働いた。だが、特にnoriはその薄弱な意識のまま申し込みをネットでしたのであった。

 だが、いざ決まると、旅行の直前に大きな問題が生じた。それはアイスランドの「エイヤフィヤトラヨークトル」氷河火山の大爆発による、ヨーロッパの航空ダイヤの壊滅的ともいえる乱れだった。
 特に我々の利用したフィンランド航空の拠点空港であるヘルシンキの解除は他の欧州空港よりも1~3日の後れをとった。フィンランド航空がほぼ正常化を宣言したのは、4月25日であった。それでも、かなりの「待機」者の対応には苦慮していたようだ。実際問題、5月2日までの予約には変更(延期)についての大幅な期間の許容のアナウンスが出ていた。
 ただ幸いなことには、成田便は比較的早めの回復となったこと、ヘルシンキから第一目的地のタリンまでの交通手段は海路も確保されており、それによる待機は基本的には存在しなかったことなどが、我々の旅行には味方したように思われる。(出発の少し前まで帰国者など優先順位がつけられていて観光客は後陣を拝せざるを得なかった。)
 ともかく、事態は一応四月末には完全に収束する状況にはなった。

 こうして我々は5月1日機上の人となった。

 バルト三国は、気候的にはかなり北に位置する。緯度的にはカムチャッカ半島の北(上)半分くらいに三国はある。暖流の影響で不凍港があり、それがロシア(ソ連)の侵攻を招く結果にもなっている。もっとも地球の気候がおかしくなっている昨今は、凍る港もあるとも聞いた。
 われわれもそのことは覚悟して、リビア砂漠と同じ程度の装備で出かけた。簡単に言えば、ヒートテックの二枚重ねにヤッケというのが対応策だった。結果的には今期は北のリトアニアが比較的温暖な周期の時に入国したので、そう残酷な思いはしないですんだ。我々が後半に少し気温の低下を味わったが、それはもう一番南のエストニアにいたときのことなので助かった。まぁそれくらいに北にあるということだ。

 町のインフラ部分には、たとえばずんぐりむっくりとした車体のトラムや連接バスなどソ連時代の名残が垣間見られたが、建物は比較的に近代化が進んでいる。いくつか廃墟のようなものもみたが、旧東独のようではなかった。しかしながら、物価は二重構造があるようにおもう。われわれが泊まったところと、庶民値段とは格段の差があったように思う。

 人々は表面的には取っつきにくい感じもするが、親切ではある。観光客慣れはまだまだだと思うが、追っつけそれも変化することになるだろう。

 三国を北から巡ったが、緑がそのたびに増えるという要素も相まって、だんだんと明るくなるような感じだった。失業率も、エストニアが一番低いというが、いずれにせよ今はかなり深刻な経済状況であるようだ。

 バスで幹線道路を走り回ったという部分もあるが、非常に目立ったのが大型のスーパーマーケットだった。今回都市部しか訪れていないが、旧来のバザールのような小型店舗が寄せ合う形のところもあったが、個人商店というものが元々なかったのか急激な西欧化が進んでいるのかは定かではなかったが、かなり気になった。

 ここまで書き進んで、ニュースが入ってきた。6月7日に「エストニアは2011年1月1日にユーロ圏の17番目の加盟国になる」というニュースだ。一番緊縮財政を敷いているように思えたエストニアがバルト三国のトップを飾ったのだった。フィンランド経済のおかげかもしれないと思った。旅の印象とは全く逆の結果になった。

 今回は三国の主に首都をつなぐ旅だったわけだが、その三つの首都とも世界遺産になっている。一国最低一つの世界遺産路線もあるから、この現状は妥当なものかもしれない。ともに古い町並みを残すが、それぞれは全くといってよいくらいに違う印象を残してくれた。
 タリンでは、祭り気分のところもあったがラエコヤ広場が印象に残る。リガではなんといっても圧倒的な数の建物群の、ユーゲント・シュティール建築群。ヴィリニュスでは雨の中の大聖堂広場だろうか。

 さて今回利用したのは、国内旅行で毎月のようにお世話になっているC社。H社・J社の○物語と並んで、格安旅行のトップを走る。しかしながら、今回はC社といえども年に1から2回程度しか成立はしないというバルト三国であった。
 その旅行だが、今回の旅行は概ね及第点といってよい。もちろんトラベルはトラブルだから、アクシデントや問題点はないわけではなかったが、こうした領域に大手が格安で企画し始めると、普段旅行に利用しているE社・T社・S社などは苦戦を強いられることになる。この面も心配なところだ。

 最後にフィンランドの悪口を書かせてもらう。それは5月8日にも触れたが、電池に対する異常な取り扱いだ。フィンランド航空の窓口で聞いたら、テレビクルーもその被害に遭っているという。どうすればよいかと聞けば、現地調達しかないというが、日本に来るのなら電池の調達もできるだろうが、フィンランドやバルト三国でそれらを調達することなど(ましてやそれが発売直後のものなら)至難の業である。理屈もあろうが、「異常さ」が目立った。アメリカの対応の方が、まだましだと感じた。