バルト三国

5月6日(木) pm ヴィリニュス 雨

ヴィリニュス散策(1340~1725)ホテル着(1745)夕食(2130~)

6-4 ヴィリニュス散策(1340~1725)

 昼食後、世界遺産ヴィリニュスの散策へ出かけた。これで通算237個目。随分と歩いたものだ。
 ヴィリニュスは「教会の街」と呼ばれるほど教会が多い。15世紀から16世紀にかけて旧市街の外周に城壁が張りめぐらされたが、その後に街が度々改造されたので、家々が密集してしまった。その間、建物の様式も様々に変化し、多様な建築様式が混在している。


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ヴィリニュス マップ


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6-4-1 聖ペテロパウロ教会(1340~1408)

 ここは、かつて異教の女神ミルダの社があったところに小さな教会が建てられていたが、モスクワとの戦いで焼失してしまった。そこで、将軍パツァスが1668年にモスクワからの解放を記念して再建に着工し、7年後に外装工事を終え、その後更に30年の歳月をかけて内装を完成させたというバロック様式の教会である。ソ連の攻撃の際多くの市民が犠牲になったことを受けて、将軍の平和を願う気持ちが込められた教会である。それがわかるのが、正面上の大砲を踏みつけるマリアのレリーフだ。
 その将軍の名が教会の中に記録されている。




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白一色

 この教会の白一色の内部の装飾が素晴らしい。リトアニアの歴史、宗教的なものなどを内容とする2000もの全てが異なる漆喰彫刻が目を奪う。それが説教壇、礼拝堂、天井、壁面といたるところに並べられている。
 中央付近の柱にはパッション(キリスト教では受難と言う意味)の様子が描かれている。このパッションはキリストの捕縛からゴルゴダの丘へ、そして復活ということを表しているが、カトリックの教会には大体あるものだそうだ。そういえばこれまでにも何度も目にしてきた。

マニュエル様式も取り入れられている。これらには、アフリカ・アジアの珍しい動物や、珊瑚やロープなど海に関するものをモチーフとした装飾が過剰なほどに施されたポルトガルの建築様式である。その代表的なものが、ジェロニモス修道院だという。以前そこを訪れた時、この様な知識もなくて、ただひたすらすごいを連発していたことを思い出す。
 教会の中には、有力貴族の個人的な礼拝堂もあった。
 面白いのは、マスクをした象。教会の中では静粛に、ということを示しているのだそうだ。


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フランシスコ派

 次はフランシスコ派の修道士。幼子を抱いている表情が何とも穏やかで愛にあふれている。フランシスコ派というのは腰紐の結び目が3つになっているのですぐにわかる。これは清貧、清潔、従順という意味を持つそうだ。この修道会は、スタートこそ「12人の小さな兄弟の会」という小さなものだったが、その後発展して今や世界でも最大の修道士会になっている。日本での布教も行っており、日本二十六聖人として処刑された中の大半がそうであった。
 同じようにフランシスコ派のものが手の平に穴の開いた両手。これは、信心深いフランシスコが、特にキリストにならった両手中、両足中、横腹に受けたの聖痕を表している。これはこの会派独特のものだ。「神よ、私にもイエスと同じ苦難を与え給え」という祈りに応えたものだという。でも、考えようによっては、イエスと同じ立場になったということで、不遜ではないのかと思うが、こうした種類の奇跡は今でも時々伝えられている。


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ペテロとパウロ

 祭壇の前に船がつり下げられている。これはペテロを象徴するものである。ガラリヤ湖の帆掛け船を表している。
 他にもペテロとパウロにまつわるものがある。一つは二人がローマで再開した所を描いた絵。本当は仲が悪かったんですが、というのが添乗員さんの一言。
 やや高い所には、天国の鍵を持ったペテロと剣と本を持ったパウロの像がある。
 ただ、この中にあって一団と鮮やかなマントを羽織っているのが誰なのかはわからない。が、綺麗だったので写真に撮っておいた。
 ここにもやはりパイプオルガンがあった。これは1600年代初め頃に造られた物。


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聖女たち

 また、ここには、女性の聖人が4人彫られている。
 まず「マグラダのマリア」。現代風に見えるのは、彫刻家が、自分の奥さんをモデルにしたためだとか。この人の解説をするとき、添乗員さんの説明が特に熱心だった。マリアは誰にでも親切にしたのでやっかみから娼婦というような言い方をされたとか、1960年にその名誉が回復されたことなどが熱っぽく語られた。
 次はその隣にいる「聖アポロニア」。彼女が手に持っているようなもので乳首をもぎ取られたそうだ。
 次は「聖バーバラ」。エジプトの人で、キリスト教を信じて捨てなかったために、塔に閉じ込められた上に父親に殺されたという人。
 次は「聖カタリナ」。 この人もエジプトの人で、車輪でひき殺された。が、その後奇跡が起きて生き返ったという。
 要するにどんな逆境にあっても信仰を捨てなかった人達なのだ。


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 そんな中に場違いにも思える骸骨があった。中世はコレラやペストなどが流行り、死が特別なものではなかった。「死を思え」というような言葉が流行ったりして、誰にでも死は平等に訪れるという、先日見た「死の行進」と同じようなものだ。
 死神や死のイメージとしてのドクロ、そういうものにも祝福をというのがフランシスコ派の精神なのだそうだ。


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聖クリストファロス

 出口付近に、幼子を抱いた聖クリストファロスの像がある。これも先日リガのクルーズ船から見たのと同じ話から造られた物だ。ただしここでの解説は違った。子供がライン川を渡りたがっていたので、肩に乗せて運ぼうとしたが、重くて沈んでしまった。幼子は「私イエスである。おまえが運ぼうとしているのは私一人の命でなく全人類の命なのだ。」と言ったという話だ。そこから、安全に人を運ぶトラックやタクシーの運転手の守るものとしてそのイコンが重宝されているとか。また、重いものを支えるということで天井を支えるということにつながり、教会の壁画や彫像として多く描かれるようになったという。
 キリスト教は誰でも彼でも聖人にして祭り上げているのだなと思った。


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6-4-2 ゲディミナス城跡(1420~1450)

 ゲディミナス城は、上の城と下の城がある。上の城は13世紀に、下の城は16世紀頃までに造られた。大聖堂の辺りまでこの城の範囲になる。
 丘の上にあるゲディミナス塔は、丘の上の城を囲うかつての城壁の一部の西の塔であった。この塔は城とともに焼失したのを1419年にヴィタウタスが再建し、1610年には貴族を収監する監獄として使われたが、1655年から1661年にかけてのロシアの占領時に城や城壁とともには完全に破壊された。現在の塔はそれを1930年になって再建したもの。


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ケーブルカー

 そこへ行くにはケーブルカーに乗る。ケーブルカーといっても係員がいるわけではなく自分でボタンを押して乗る。13人乗りで、10秒程度で上に着く。日本人なら15人は大丈夫でしょうという程度の小さなものだ。この乗り場の所が下の城になる。この建物は現在考古学博物館と美術館になっている。
 上に着くと雨に加えて風も強くなっており、二人とも傘がおちょこになってしまった。


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ゲディミナス塔

 ここが上の城のあったところ。と言っても現在はゲディミナス塔があるだけ。ここは博物館と展望台になっている。
 中に入ると歴史がわかるような資料が並べられていた。始めに城の復元模型で大体の場所と歴史を説明してもらった。一番高い大聖堂の鐘楼だけは今も同じ場所にあるということだ。大聖堂は1600年代の頃の建て方になっている。城が出来て、周りに町が造られどんどん広がっていった。
 所で後日談になるが、偶然、NHKの世界遺産への招待状を見ていると、1989年の8月23日、19時に人間の鎖の起点となったのは、実はこの塔であるということを伝えていた。その指導者がその場所を示してそう説明していた。入口付近のプレートからそれは始まった。知らなかったので、そのプレートは撮り損ねた。


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展望台

 それから展望台へ上った。
 狭い螺旋階段を上ること約75段。途中に甲冑などが展示されていたが、脇目もふらずに上ることに必死だった。
 上は屋上になっていて360度の展望が利く。丁度雨も小降りになってきたので、町並みの様子がよくわかった。
 これから行く大聖堂や聖アンナ教会もよく見えた。
遠くには「三本の十字架の丘」に建つ十字架も見えた。フランシスコ派の受難の場だ。14世紀アルギルダス大公の時代、当時まだ自然神を崇拝する異教の国であったリトアニアを訪れた7人のフランシスコ修道会の宣教師が、異教徒によって殺害された。その中の3人がここで磔にされた。宣教師達は丘の上に埋葬され、いつの頃か十字架が立てられた。最初の十字架はソ連時代に壊されたが、その後再建された。
 それらの説明を聞いてからまた、狭い螺旋階段を下りていった。それから、ケーブルカーに乗って下り、無料のトイレを使わせてもらった。


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6-4-3 大聖堂(1450~1520)

★大聖堂へ

 雨の中を歩いてまずは大聖堂へ向かう。近くに行くと大きな樫の木があった。キリスト教では樫の木の葉は強い信仰を象徴しているのだそうで、教会に葉のレリーフはそういうことを意味しているのだそうだ。
 それから国立博物館の前を通ると、その前に、ミンダウガス大公の銅像があった。最初にリトアニアを統治して、1253年にカトリックに改宗したというあの大公だ。
 更に大聖堂に近づくと、広場の石とは別の茶色い石が続いている。これが城壁だった所だ。 城壁は1300年代に造られたもので、この辺りは全て城壁の中だった。


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大聖堂広場

 聖堂前でひときわ高く聳えているのが鐘楼。1801年に再建され、高さが53mの四階建て。この鐘楼の一番下の部分は14世紀にできた城壁の一部で、その基礎はかつての堀の底にあるそうだ。
 ここが広場らしくなるのは15世紀から16世紀にかけてだったといわれているが、本格的な広場になるのは、18世紀末に、反ロシアの蜂起を恐れた帝政ロシアが城と城壁を壊してからで、現在の形になったのは1940年になってからである。
 またここは、1989年8月23日の独ソ不可侵条約締結50周年記念日に独立を求めた「人間の鎖」の起点となったところで、200万の人がここリトアニアからラトビア、エストニアのタリンまでの間の約600km余りもの道を手をつないで抗議をしたという歴史の場でもある。その起点となった所に特別な敷石がある。これも知らなかったために撮り損なった。
 ただ、先のゲディミナス塔の所でも書いたが、実際の起点はゲディミナス塔のようだ。ただ、多くの人々が蝋燭を手にここに集って祝福し合ったのは間違いない。


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大聖堂

 この敷地には、始め異教の雷神ペルクーナスの神殿があった。その後、ミンダウガスがそれを壊してキリスト教の聖堂を建てた。しかし、この聖堂はミンダウガス後キリスト教が捨てられるとすぐに壊されて、その跡地はまた異教崇拝の場となった。そしてまた、1387年、ヨガイラ大公によってキリスト教の聖堂が建てられた。
 大聖堂の地下にはいまでも異教の祭壇などがあるそうだ。聖堂を巨大にしたのはヴィタウタス大公で、それはゴシック様式のものだったが、その後も焼失と再建が繰り返されたため、今その面影はない。1783年から1801年にかけての大改造でネオクラシック様式に変わり、これが現在の原型となっている。


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大聖堂正面

 ネオクラシックということで正面は、ドーリア式円柱が並びペディメント(三角破風)を支えるというギリシア神殿とよく似ている。
 「上の部分には三人の聖人の立像がある。中央で十字架を掲げているのは聖スタニスラス。そもそもこの聖堂はこの聖スタニスラスに献堂されたものだ。」・・・というのが添乗員さんの説明だが、他の資料によると圧倒的に中央の十字架を持っているのは聖女ヘレン(コンスタンティヌスの母)というのが多い。左右の二人は、左が聖スタニスラス(ポーランドの守護神)、右が聖ガジミエル(リトアニアの守護神)」というもの。
 壁の上方には新訳聖書をテーマにした5つのレリーフ(精霊降臨、聖ペトロの奇跡、聖パウロの事跡など)が見られる。
 ソ連時代はトラクター工場にされそうになったが、1956年に絵画ギャラリーとされ、生き延びることができた。この三人の聖人の立像は1950年に撤去されたが、昔の写真をもとに造りなおされ、1996年11月に完成した。


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立像

 正面にある立像は、福音書を書いた4人と左にアブラハムと右にモーゼ。
一番左がマタイ。天使を伴う。
 次がマルコ。ライオンを伴う。ライオンはマルコの象徴で犠牲を表す。
 それからルカ。牛を伴う。ルカは医者・画家でもあったので、その人達の守護聖人にもなっている。ちなみに、聖路加病院はここから名付けているそうだ。
 最後が福音書のヨハネ。ワシが共にいる。
 その更に右の屋根付きの部屋にいるのがモーゼ。10戒を手にしている。頭に角が生えているが、これは間違い。ヘブライ語の旧約聖書を訳すときに、光を角と誤訳したために起きてしまった。


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大聖堂の中

 中に入ると丁度パイプオルガンの演奏をしていた。1700年代のものだという。これはこれで素晴らしい、ラッキーな事なのだが、時間に制限のある我々はそんな中で説明を聞かねばならないので、このときばかりはうるさく感じた。
 中はバジリカ様式になっている。普通の教会は十字形になっているが、これは一直線になっている。格式の高い教会はカテドラルやドーモという言い方はせず、バジリカという呼び方をし、この様式で造る。サンピエトロ寺院などがこれにあたる。
 装飾はバロック。このバロックというのは、反宗教改革の象徴のようなもので、とにかくゴテゴテと派手になっている。これはカトリックの権威を示し、プロテスタントの信者をカトリックに引き込むための手段だった。パイプオルガンの音も威圧的だと添乗員さんは言う。
 周りにはたくさんの絵画や彫像が飾られている。絵画ギャラリーだったことやそれらが美術を学ぶ学生の教材となったことなどもあって生き残ったそうだ。
 主祭壇は二人の天使から冠をかぶせてもらう聖カジミエルが描かれている。
 堂内には礼拝堂が11あるが、1623年から1636年にかけて造られた南回廊の東端にある聖カジミエルの礼拝堂は花崗岩や色のついた大理石の壁で特に素晴らしい。柩もある。
この他にも4体の大公と妃の柩が見つかっている。それらは、木造の上に銀のカバーをかけられていた。地下にはさらに歴代の大公や貴族が埋葬されているクリプタがある。
 その後外へ出る。雨は一段とひどくなったようなので、とても三脚を立てて写真を撮ることが出来そうもない。そこでメンバーにお願いして撮ってもらった。雨粒がレンズに付いているのがわかる。


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6-4-4 大統領官邸(1525~)

 中央に国旗が掲げられている。こういう場合は大統領がここにいるということ。赤い紋章はもうお馴染みの国章。
 この国の大統領は今は女性だそうだ。大統領は外交分野の仕事をし、内政は首相が分担している。
 かつてナポレオンがロシアヘ遠征するとき、1812年6月26日から7月16日までの20日間をここに逗留している。他にもルイ18世もルンダーレ宮殿を訪れた後、立ち寄ったとか。こういう名前を耳にするだけでも、この国が歴史に翻弄されている様子がうかがえる。


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6-4-5 ヴィリニュス大学(~1535)

 そのすぐ隣がヴィリニュス大学。1575年の創立というからかなり古い。イエスズ会のセミナリオ(神学校)としてのスタートだった。
 現在は12学部有り、23,000人もの学生がいる。
 大学本部の校舎には、国旗と共に校旗、EU旗が掲げられている。その校舎の上の方、4階部分にあるのが、1700年代のフレスコ画。天体図や天球儀、コンパスなど天文学に関するもので、その上には天体観測所があった。これはヨーロッパ全体でも古い方だ。また、400年前から図書館があり、活版印刷術が出来る前の写本もある。1400年代の蔵書もあるという歴史のある図書館だ。
 高い塔は大学に付属する聖ヨハネ教会の鐘楼。63mあり旧市街では一番高い。


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6-4-6 フリータイム(1550~1615)

 歩いているといろいろな店がある。1階は店だが、2階から上は居住地になっている。右奥に見えるのがさっきの鐘楼のある聖ヨハネ教会だ。ここもソ連時代には倉庫として使われ大きなダメージを受けた。
 面白い店もあって、お茶屋さんなのだが、壁に茶器を埋め込んでいた。
 そこで右に曲がって、この道に入ろうととしたのだが、noriがさっさとまっすぐに行ってしまったので「おーい、こっちこっち」とjunが大声で呼び戻した。それをきっかけに添乗員さんが人数を数えてみると4人も不足していた。少し待っていると2人はすぐに追いかけてきたのだが、後の二人はなかなか来ない。そこで添乗員さんが探しに行くことにして他のメンバーはフリータイムとなった。
 そこで、我が家はもう一度大聖堂広場へ行った。
 ここにある銅像は、ゲディミナス大公。先ほど上ってきた塔を造った人だ。台座にはライオンが彫られていた。設置されたのは1996年9月。ここにはかつてレーニンの銅像があったそうだ。
 そこにキオスクの影になっているが、インフォメーションセンターがあったので、ついでに市街地図をもらう。
 そんなことをしているうちに迷子の二人が見つかったというので、最後にもう一度写真を撮って集合場所へ行った。
 皆は曲がり角にあったチョコレートやさんで、暖まったり買い物をしたりしていたようだ。試みに買ったお菓子のご相伴にあずかった。
 そこから次の琥珀博物館へ向かう途中に聖カジミエル教会がずっと遠くに見えた。「てっぺんに王冠が見えるでしょ。あれです。」というので、必死に写真に撮った。


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6-4-7 琥珀博物館(1620~1645)

 ここは琥珀が有名ですということで連れて行かれたのは琥珀博物館。博物館というので、普通に考えられる博物館のように思っていたのだが、実は名ばかり。琥珀を売る店といった方が当たっているだろう。
 ただ、穴蔵のようになっている地下には珍しい琥珀などが展示されていて、一応の体裁は保っている。
琥珀は松や檜などの樹脂が化石化したもので、主にバルト海沿岸で産出される。製品としては、ネックレス、ペンダント、ブローチ、ブレスレット、指輪、イヤリングなどがあった。色としては、松脂から出来た黄色が一般的だが、黒や青、赤、緑などもある。
 最後の写真は、琥珀は水(食塩水)に浮くという実験の図。沈むものは偽物ということになる。ちなみに琥珀は英語でアンバーというが、その語源は古代アラビア語の「海に漂うもの」という意味のアンバールカら発生したという。(出典はこちら
 ということで、noriはjunのために赤いペンダントを買った。


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6-4-8 聖ミカエル教会(1645~1650)

 17世紀初めに当時リトアニアの最高位にあったサピエガが一家の廟として造った教会。現在は教会博物館として使われている。また、聖人の木造を造ったりする工房にもなっているそうで、入口を入ると数点その様な像が並んでいた。
 更にガラス越しに覗いてみると祭壇が見えた。写真に撮ったが、ガラスが反射して余り旨くとれなかった。
 ミカエル又はミハエルは大天使ミカエルのことで、モン・サン・ミシェルでお馴染みになった存在だが、それらしき姿は見られなかった。


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6-4-9 聖アンナ教会(1650~1705)

 16世紀に建てられた赤茶レンガの小さな教会。30数種類ものレンガを使って造られたている。様式はゴシックになる。1870年代に建築された新ゴシック様式を模倣した鐘楼が近くに建っている。
 アンナとはマリアの母のこと。人は原罪を背負って生まれてくるが、マリアは無原罪で生まれてきた・・・云々。カトリック教徒だという添乗員さんの説明は更に熱を帯びるが、うーん、である。(アンナについては、「この地における最初の教会は、ヴィタウタス大公の最初の妻であるアンナのために建築された。」Wikipedeia English Edition。と言うのがあり、この関連がよくわからない。)
 それはさておき、この教会はゲディミナス塔からもひときわ際立って見えていた。まるでバルセロナのサグラダ・ファミリアのようでしょ、と言っていたがまさにその様に見える。余りの美しさにかのナポレオンが、「フランスへ持って帰りたい」と言ったそうだ。
 本来なら外観だけで終わる所が、たまたま入口が開いていたので、中に入ることになった。
 内装、祭壇はバロック様式で装飾されている。ステンドグラスや周りの壁には13枚のパッションの様子がある。小さいながらパイプオルガンもあった。
 帰り際、名残惜しさもあって振り返って、後ろにあるベルナルディン教会も一緒にカメラに納めた。


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6-4-10 夜明けの門(1715~1725)

 これで全ての観光が終わり、ホテルへ行くはずだったが、特別の計らいで何と夜明けの門へよってくれた。
この門は、9つあった城門のうち、たった一つだけ残っている門だ。上にある紋章はソ連時代にも壊されることなく、ここでしか見る事が出来なかった。
 その門をくぐって旧市街に入る。ここを通った人は必ず振り返って、見上げてから十字を切って一礼する。そうさせるものがここにはある。それが奇跡の聖母。これはテレビ(NHK世界遺産への招待状)で見ていたので今回コースに入っていなかったのが非常に残念に思っていただけに、嬉しさもひとしおだ。
 しかもそのイコンがある礼拝堂へ入れるという。これは予想外のことだった。
 階段を上って行くとまさにそこは祈りの場。皆熱心に祈りを捧げていた。シャッターを切るのが申し訳なかったが、何枚か撮らせていただいた。
 周りの壁に無数にあるのは、人々が病気の治癒や心の悩みが解けたことを感謝して捧げた銀細工だそうだ。
 この奇跡の聖母は、1363年にアルギルダス公がクリミア半島から持ち帰ったものというが、バルボラ妃をモデルに作られたという説もある。金に光るこの聖母は奇跡を起こす力があると信じられている。その奇跡とは、「不幸や失望にうちひしがれる人々が、この絵に祈ると希望を持つようになる、諦めない勇気を持つことが出来る」事だという。
 この絵は17世紀からこの門に飾られていたが、その当時は濃紺の衣だったという。それが、奇跡を起こすのにふさわしいものということで絵の上から金細工が施されたのだそうだ。


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6-5 ホテル レヴァホテル リエトゥバ 1017号室

  ホテルまでの道は丁度ラッシュにぶつかってしまったようで、珍しく渋滞していた。
 それでもホテル着は17時45分と6時前に入れたのでよし。
部屋に入るとテレビの画面に名前が書いてあった。それがjunのだけだったので、どうせ俺は・・・とひがむnoriであった。
 部屋からの見晴らしはここも上々。部屋も悪くない。


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6-6 散歩

 少し休んでから、近くの杉原千畝記念碑を見てから、ホテル隣のスーパーへの買い出しへ行った。杉原千畝記念碑は母校の早稲田大学が、サクラの木と共に建立したものだ。存命中はそれほど脚光を浴びなかったのに、現在では日本以上に評価されている。
 スーパーでは酒を買った。なかなか売り場がわからなくてウロウロしたが、最終的にnoriがお姉さんにジェスチャー混じりで聞いて、欲しかった蜂蜜の酒を手に入れることが出来た。


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6-7 夕食 (2130~)

 夕食はホテルで。最後になる。初めてだがビュッフェだった。それぞれ好きなものを取って堪能した。勿論ビールも、9リタスでお腹に入れた。バルト三国の旅も実質これで終わりである。


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