8月12日(土)快晴 ヤズド・ケルマン

起床(0530)朝食(0700)出発(0800)沈黙の塔(0812〜0910)ゾロアスター教拝火神殿(0930〜0950)街散策(0955〜1020)塔登頂(1020〜1035)バザール屋根上散策(1055〜1105)金曜モスク(1027〜1203)昼食(1216〜1320)CP(1425〜430)GC・残200km(1447〜1502)残100km(1657)CP(1806)ホテル着(1845)夕食(2000)就寝(2300)・・・35℃ 走行距離360km

6−1 朝
 今日もイランは晴れで暑い。泊まったホテルはコテージ風で、たった一日それも寝にきたようなものの我が旅にはもったいない感じだ。朝食のレストランの建物に向かうために木々の間を歩いたが、とてもすがすがしかった。
 朝は昨日よりはリッチな朝食。タイムテーブル的には昨日一昨日と同様で出発。

6−2 沈黙の塔 8:12〜9:10
 最初に、沈黙の塔へ。我が旅行会社の添乗員氏のメンバーに対する問いかけは、ちょうど順さんのようだ。はじめから答えは決まっている。今日も、「右の低い方にしますか左の高い方にしますか」と聞いてきた。そう、今日は沈黙の塔を最初の観光地に選んだのだ。右の低い方は円形で左は方形になっている。もっとも中はどちらも円形のくぼみがある。我々は物の本で、左が男性用で右が女性用と読んでいたが、どうも左が一杯になったから右を作ったのが正解らしい。考えてみれば、男女同数だから、男性のを大きくするいわれはない。さてそれはともかく、当然にみんな左へ登る。そこへ行けば、低い方の右が見えるという利点もある。
 といっても、片道10分もかからないで頂上には立てる。が、本当はかなり厳しい上り坂になっているので、途中何度か休みを取らざるをえなかった。そして最後の頂上の穴の中に入るのはちょっと勇気がいる。上から引っ張ってもらい後ろからおしりを持ち上げてもらって、ようやく穴の中に入る。
 頂上は一辺は10メートルといったところか。中心に穴があるが、ここに死体を置いたわけではない。死体はその穴の縁に置かれた。そして鳥葬の後の骨を穴に放り込んだという(この説明は英語版Wikipedia記述と一致する)。そしてこの穴が満杯状態になったので、もう一つの小さい方が作られたわけ。
 ところで、なぜ鳥葬という儀式がわらばれたかと言えば、死体=不浄なものという概念に基づいている。火水土を神聖視した拝火教にあっては、それを死によって汚すことの無いように、かような埋葬方法がとられたということだ。
 それから、則は円形の方にも登った。この塔も1930年代には時の王様「レザー・シャー」によって禁止された。なぜ禁止されたかは次の項で書こうと思う。現在は拝火教においては、土を汚さないようにするために、石棺(コンクリート製)での埋葬になっているという。
 ここで最後に集合写真を撮った。中央に移っているのはロバおじさんで、何でも世界中の観光ガイドブックに登場する人だそうだ。写真に収まり幾ばくかのチップを受け取る。
 
6−3 ゾロアスター教拝火神殿 9:30〜9:50 
 次にゾロアスター寺院を見学する。このシュライン(現地ガイドの説明では神社と言うほどの意味ではないように思う・・・拝殿のある場所もしくは拝殿?)は、やはり時の王様「レザー・シャー」によって建立されたもの。
 ここには拝火教の持つ歴史にするとかなり短い、1500年間続くという燃えさかる火がある。杉の葉を燃やしているという。杉の葉は匂いがよいからだそうだ。
 ところで拝火教のメインはその聖火だが、最高神はアズラ・マズダ神という。シュラインのファサードの上にも掲げられている鳥の羽が広げられた絵柄のシンボルを多くの書物ではアズラ・マズダ神と表現しているが、現地のガイドはそれは間違いだと説明していた。神そのものではなく、アズラ・マズダ神をあがめる精神あるいはその心を持った人物の象徴の図なのだそうだ。
 さて、レザー・シャーはもちろんイスラム教徒である。彼が、異教徒の拝火教の鳥葬を禁止したのはわからないでもないが、なぜシュラインまで建設したのだろうか。この質問を現地ガイドに聞いてもらった。その答えは、レザー・シャーは拝火教を十分尊重していたのだという。しかしながら、鳥葬は、必然的に鳥が骨をついばむ。骨と言ったが、正確には骨の髄であり、その髄を得んがために、いらない骨は捨てる。その骨が人々の頭の上から降ってくることもしばしばだったらしい。人々はそれを嫌った。それは拝火教にとってもよいことではないと、レザー・シャーは判断をしたためだという。

6−4 アミール・チャフマーグのメナーレ
                       10:20〜10:35

 次にアミール・チャフマーグのメナーレ(ミナレット)に行く。これは15世紀の建立と言うことだ。このミナレットには、登ることができる。イランの常ならん、しかしながら何人もがその前で待っている。聞けば、鍵を持った門番がそのうち来ると言われて待っているが、未だ来ないという。
 そこで、我々は時間つぶしに、ヤズド名物の菓子屋に行く。老若男女が買い求めに来ている。それもまとめ買い状態。添乗員氏が買い求め、我々もまた別のものを買った。添乗員氏が買ったものは、生姜砂糖でまぶされた揚げ菓子で、私はうまいと感じたが、同行の諸氏には評判があまりよくなかった。
 そうこうしているうちに、ミナレットに上れるときがきた。いったんバスに戻り、今買った菓子など余分なものを置いて、ミナレットに上った。
 急峻ではあったが、案外簡単に上れた。が、人一人がやっと通れるような狭い階段なのでそれなりに大変ではあった。しかももう気温がだいぶ上がってきており、体力的にはかなり消耗した。上った先は、尖塔の肩の部分で、そこから塔が分かれる部分。風が吹いて気持ちがよかった。
 ファサード前には大きなナフルが置いてあった。ナフルというのは、殉職者の死を悼む祭り(アーシューラー)に使われる、ねぶたの山車のようなものだ。先にアブヤーネで見たのも同趣旨のものかもしれない。

6−5 バザール 10:55〜11:05
 ミナレット登攀をやっとの思いで終えて下に降りたところで、現地ガイド氏が、「ここのバザールは時間も早いし小さいし見るべきものは無いからパスしましょう」と提案した。我々二人は心の中で小さな拍手を送った。しかし、それで引き下がる添乗員のY氏ではなかった。「我々の客は高いところが好きなんだ、是非またバザールの屋根の上に登りたいはずだ」と。
 ということで、またまたバザール天井散策ツアーでとあいなった次第。様々なモスクを遠望できたが、正直どれがどうだがあまりわからなかった。お目当てはフライデーモスクだったが、よくわからなかった。フライデーモスクはあれかとガイド氏に聞くとそうだというので、指の先の方角の尖塔を写真に収めた。もしかしたら違っているかもしれない。背景に見えるのは砂漠だ。

6−6 金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ)
                        10:27〜12:03

  それからいったんバスに戻り、金曜モスクに行く。本当は近道をして徒歩でゆくつもりだったが、どうもそこは通れないというので遠回りをした。
 イランで、古いタイプすなわち構造に鉄などの支柱を使わず煉瓦のみで構成したモスクとしては一番高いモスクということだ。メナーレも当時のまま残されており、そうした種類ではイランで最も高いミナレットという。
 ここの特徴は、タイルだ。卍模様があるのはイランのシーア派の特徴。タイルの組み合わせの妙はいつ見てもイスラム寺院はすばらしい。また左右の煉瓦を一部くっつけないで空間を空け、そこに漆喰を入れているのも構造的な特徴。これは装飾のために入れているばかりでなく耐震性を高めるものであるという。上の写真は、そのことを説明する現地ガイド氏。
 また金曜モスクの中庭脇には、貯水槽への階段があり、入場料を取られるが入ることができる。階段を下っていくと、いまもガナートから流れてきている水がまた方向を変えて流れていくのが確認できる。現在では飲用ではなく灌漑用に利用されているという。

6−7 ケルマンへの長いバスの旅
 こうして午前中のハードな見学が終わった。昼食をヤズド市内で採り、一路ケルマン目指して進む。
 途中ラフサンジャニという街を通過する。ここは第4代(前)大統領の出身地だ。そこから更に進む。
 このあたりからピスタチオの畑が左右に広がるようになる。聞けばイラン北西部が元々の産地で、このあたりは比較的新しいピスタチオの産地らしい。日本にも輸出されているとのこと。急遽のトイレストップがあり、それを利用し同行の京都の高校の先生からピスタチオの講義。ビスタチオはマンゴーの仲間で、漆科でかぶれる可能性があるとのこと。この方は生物の教師と言うことだが、その範囲を超えて博学の人だ。またここで昼に食べ損ねた、スイカを食べる。冷えていて非常にうまかった。
 このあたりがケルマンから65qの地点。1時間くらいでケルマンに入れるので、うまくすれば非常に古い煉瓦のあるバザールを見学できるという。でもたぶん、バザールの屋根登攀ツアーと化すのは目に見えているようにも思う。
 しかしながら結構時間が迫ってきて、結局バザールツアーは中止となった。そのかわり夕日を見ようということになったが、ケルマンのチェックポイントを過ぎるあたりでちょうどそのときを迎えた。既に、町中に入っていたので、電線だけならまだしも鉄塔もじゃまして、とても絵柄的に向かない風になってしまった(左写真)。パスしようとすると、近代的でよい夕焼けだと現地ガイドは言うし、運転を今していない方の運転手もこの前アメリカの客はここで夕日の写真を撮って喜んでいたと盛んに勧める。イラン人の美的センスがわからない。結局夕日鑑賞バスストップは中止し、そのままホテルに行くことになった。それでも帰宅時のラッシュアワーに巻き込まれて、結構時間を費やしてのホテル到着となった。
 ホテルは、初めてウエルカムクッキーとチャイが振る舞われた。夕食も、目先が変わってとてもよかった。

<ホテル>
アカバン ホテル[AKHAVAN HOTEL] ★★★
     121号室
・TV・冷蔵庫・クーラー・風呂用サンダル
・石けん・シャンプー・水