8月19日(土)快晴 イスファン・テヘラン

起床(0600)朝食(0700)出発(0905)空港着(0940)搭乗(1045)<IR−238>テヘラン着陸(1140)空港発(1213)昼食(1250〜1410)中央銀行宝物館(1435〜1612)ガラス博物館(1630〜1720)スーパー買い物(1748〜1825)夕食(1905〜2025)ホテル着(2040)就寝(2300)

13−1 朝
 さて、今日はテヘランへの移動日だ。飛行機は予定では、午前10時40分にイスファハンの空港を飛ぶことになっている。昨日一日で、だいぶ順の体調も戻ってきたようなので、とりあえずテヘランまでは行けそうだ。
 右の写真は順さんの朝食。昨日のものと比較すると、回復ぶりがわかる。ホテルもにこやかに出発だ。

13−1−1 飛行機
 空港まではおよそ1時間かかった。飛行場は少し遅れて出発した。機内の新聞はもちろん日本語はない。英語すらない。ペルシャ語の新聞に日経平均が出ているので驚いた。経済記事かと聞いたら、隣に座ったガイドさんがそうだと言ったので、間違いないだろう。
 往路もそうだったが、あわただしい時間の中で、やはり一応食事が出る。律儀だ。乗務員もてきぱき仕事をこなす。紅茶も回ってきた。内容的にはあまり変化がないが、ピスタチオをキープしているのを隣のガイドさんにしっかり見られて、本人のものもくれた。嬉しいやら恥ずかしいやら。

13−1−2 空港にて
 あっという間にテヘラン上空だ。眼下を見ると、懐かしいアーザーディー・タワーが見えた。画面真ん中あたりの白いぽつんとしたのがそれだ。テヘランへはほぼ予定通りに到着した。
  テヘラン空港では、しっかり到着したときの写真を撮った。 ここならたぶん大丈夫と思ったから。それから荷物が出てくるのを少し待った。機体は定刻に着いたが、荷物が揃うのにはやや時間がかかった。全員無事に出てきた後、移動だ。何人かがカートを引いてバス乗り場まで行く。でもバスがいない・・・テヘラン空港は来たときもバスがいなかった・・・と思っていたら、懐かしいバスがやってきた。運転手さんとの再会だ。

13−1−2 空港にて
 空港から懐かしいアーザーディー・タワーの横を通り、昼食場所へまず向かう。テヘランは首都だけに、この時間でも交通渋滞だ。
  最近テヘランでも地下鉄が開通した。我がバスのドライバーも地下鉄のパスを持っている。ドライバー自らが言う、地下鉄は便利と。もう、首都の交通量は、東京都同様にとっくに過飽和状態なのだ。右は、地下鉄の駅の入り口。地下鉄は、ゾーン制になっていて、一区間1000リアルくらいからだという。プリペイドカードもあって、我が運転者さんも2万リアルのものを持っていた。
  車は市内を脱して、ようやく郊外の食事場所にたどり着く。ここは新しい感じのレストランで、テヘランの人たちの丁度昼食に来ていた。食傷気味の、イランの食事ではあったが、あと少しと思うと、それはそれで最後をいとおしむようになるから不思議だ。
  とはいえ、イラン料理はイラン料理で変わりがあるわけではない。ご覧のように、食卓にはケバブ料理が並ぶばかりだ。みな、だからビュッフェスタイルになっている前菜のサラダやスープに殺到し、ケバブにはなかなか手が進まない。則はそれでも元気につついていた。

13−2 中央銀行宝物館 14:35〜16:12
 昼食を摂ってから最初の見学場所の中央銀行宝物館へ行った。
 イラン革命前のパーレビ王朝の所有していた宝飾類を展示している。手荷物は一切ダメということでパスポート以外はバスの中に残していく。それでも中に入るには一人ひとり厳しいチェックがある。だから写真は一切無い。ゴメン。
 さて、中に入ると宝の山だ。これでもかと言うほどに金銀財宝が並んでいる。英語で説明してくれる人が案内してくれたが早口で、早口で、分かりにくかったが、添乗員氏は一生懸命に訳してくれた。
 概要はそれで分かったが、それにしてもすごい内容だった。「イランが金銭的に困ったらこれを売ればいいジャン」と言う人がいたほどのものだ。

13−3 ガラス博物館(アーブギーネ博物館) 16:30〜17:20
 次にガラス博物館へ行く。規模的にはそう大きなものではなかったが、元々は私邸として建てられたものだ。いかにも権力者の邸宅という感じで階段や天井、壁などの装飾も凝ったものになっている。一時期、エジプト大使館としても使われていたらしい。
 さて展示物だが、ここには紀元前数千年頃から現在に至る様々な陶磁器やガラス器が展示されていて内容は充実していた。
 入るとすぐに円形に切り抜かれたガラスの床に人骨と壺などが見られるようになっている。発見されたときの状況を表しているらしい(レプリカ)。
  先へ進むと紀元前からササーン朝までを中心としたガラス器や陶磁器が展示されている。それぞれの器の形や模様の曲線が柔らかい。ここの一つの呼び物は、涙壺と呼ばれるガラスの壺。戦地へ行った夫を待つ妻が流した涙をためた壺と言われている。これも柔らかい曲線だ。
 古代の陶器もかなりあった。角のある山羊の描かれているものは、およそ紀元前1000年のもの。それから壺(直径50センチくらいあった)はギルガメッシュ叙事詩(の一節?)を描いたものらしい。こちらの方は、紀元前2000年の表示があった。浮き彫りになっているのが特徴的だ。ガラス博物館と聞いていたが、陶器類が充実していて、この面でイラン旅行を振り返ることの出来る展示内容の博物館だった。

13−4 スーパー買い物 17:48〜18:25
 本来ならゴレスタン宮殿へ行く予定だったのだが、本日は臨時閉館ということで入ることができなかった。おそらくは明日は休館日なので、キャンセルになるだろうと言うことだった。
 代わりにスーパーに買い物に行った。大きくて広くて、カートを引いて最後にレジで支払うという西洋のスーパーと同じスタイルだった。
 そこでライムジュースとお菓子を買った。買い終わってスーパーから出ようとしたら警備員に呼び止められた。出るには、レシートと品物を付き合わせて合っていたらめでたく出してもらえる。そういう厳しさがあったが、無事に通過。いつもなら簡単に捨ててしまうレシートを取っておいて良かった。このシステムのおかげで、出口は時に混み合う。
 出てみたら、我々が最初だった。則は宣伝用のジュースをもらってご満悦だった。順も半分飲んだ。

13−5 夕食後ホテルへ
 屋外のレストランで夕食を摂ったイラン最後の夕食でった。最初中華料理にするというような話もあったが、結局徹底してイラン料理で行こうと言うことになったらしい。肉魚とも出て、イラン料理の集大成と言うことになった。写真は最後の晩餐風景。ちょっとみな疲れ気味の感じだった。ここでは、エスタジアン(キャビアフィッシュ)とトロウトという二つの魚が出た。トロウトの方は赤いソースで着色したあった。でも、やはりケバブは羊に限る。
  夕食後、ホテルへと向かった。 ホテルは1日目深夜から二日目早朝にあわただしく泊まったホテルだ。でも設備的には文句のないホテルだった。最後にホッとすることができる。
 ホテルに着いて不思議だったのは女性陣だ。あれほどまでにく食事の時などたびれ顔だったのだが、ホテル内の宝飾品店を見つけると目を輝かせて吸い込まれていった。最後の夜はこうして更けていった。

<ホテル>
ラーレ インターナショナル
  [Laleh International Hotel ]★★★★★
   718号室
  ラレ公園の中にある。
・水・TV・冷蔵庫・クーラー・スリッパ・風呂用サンダル
・歯ブラシ・石けん・シャンプー・シャワーキャップ
・櫛・ソーイングセット・ドライヤー・バスタブ