8月15日(土)  成田発〜チューリッヒ〜ニース

成田空港着(0700)手続き開始(0730)KALラウンジ(0810〜0930)成田発(1020)チューリッヒ空港着(2217) −7時間 チューリッヒ空港発(1709)ニース空港着(1805)ニース空港発(1845)ニースホテル着(1914)ニースホテル発(2310)モナコホテル着(2344)



1−1 出発(0443)
 集合が7時55分という早い時間なので家を出たのは4時半という早さだ。しかしながら駅へ着くとホームには既にかなりの人がいた。それでも、2両目に乗ったので、どうにか座ることができた。
 成田アクセスである京成線は日暮里からは普通電車。1時間半もかかる。乗ったときにはガラガラだったが、空港に着く頃には結構立っている人も多く窮屈になっていた。まぁ通して座れてきたので支障はなかった。

1−2 手続き(0730) KALラウンジ(0810〜0930)
 空港はガラガラとまではいかなくても、かなりすいていた。そろそろ帰国の人の方が多いのかもしれない。
 集合場所は第一ターミナルの南ウイング。まずは荷物を受け取ってから今回のツアー会社の受付カウンターへ行く。宅配便カウンターで、今回初めてnoriのカードの付帯サービスの荷物自宅配送サービスを使おうとして少し手間取った。
 それでもまだ早いというので、先に両替を済ませた。両替はもしもの時のためで、旅先ではたぶん十分であろう800ユーロ程度は持っていた。それから受付を済ませてスイスインターナショナルエアラインズのカウンターへ行ったが、ここの手続きもまだというので、しばらく待つことになった。既に団体チェックインをしているので、座席も決まっている。今回の機種は窓際も二人席なので、そこがいいと思っていたのだが、残念ながら31のFG。中央の席だ。それは仕方のないこと。
 それから出国審査をして(ここもすいていた)、前回もお世話になったKALのビジネスラウンジへ行った。仁川に比べるとお粗末な内容だが、ゆったりできるだけでも嬉しい。そこで飲み物や軽い食事をした。もちろんしっかりとおにぎりをお土産にいただいた。これがその後にすごーく役立つことになろうとは、この時点では思わなかったが。

1−3 成田空港(1020)<LX161・31FG>(2217)チューリッヒ空港
・搭乗(0950)離陸(1020)・・1125飲み物・・1220食事・・1620アイスクリーム・・1825おにぎり・・2125点灯 おしぼり・・2045軽食・・2145チョコレート・・2217着陸
 ファーストクラス・ビジネスクラスと搭乗が始まったとき、ANAの係員が来て先にご案内しましょうかと声をかけてくれた。noriの杖を目にとめてくれたようだ。JALの時には必ずと言っていいくらいこのようにしてもらえるのだが、これまでANAではなかったので、驚いた。勿論その言葉に甘えさせていただきましたよ。おかげでゆっくりと乗ることができて荷物の整理もできた。
 今回は座席の前に個人用のテレビがついているので、映画を見るのが楽しみだったが、メニューを見るとあまり魅力的なものは見つからなかった。そこで、起きているときには殆どゲームをして過ごした。が、この機械の調子が悪くて、何度も中断状態となった。リセットする間、皆様はリモコンに一切触らないでください、と言うアナウンスが何度も流された。結果論だが映画を見ていなくてよかった。多分いらいらしただろうから。
 サービスはよいと聞いていたが、はじめの頃はお定まりの、飲み物(赤ワイン)と食事(チキンorパスタ)があったが、その後は飲み物のサービスもなくて、なんだぁと思っていた。後半は、アイスクリーム、おにぎり、チョコレートと立て続けにサービスがあった。軽食に出たパンは、コロッケパン。おいしかった。
 そんなことをしているうちにようやくチューリッヒ空港に着いた。気温27度。エプロンに設置された腕を抜けるときには、むっとする暑さだった。
 その後、入国審査。フランスと同じEUに所属しているわけではないが、つい最近シュンゲン条約加盟国になったので、ここで「入国」となる。特に質問されることもなく簡単に通過。
 その後バスに乗って到着したEターミナルから出発するAターミナルへ移動した。今日は混雑しているということで、普段だったらモノレールのようなもので移動するはずらしいなのだが、列車のプラットフォームを抜けて、階段を上らされてのバス移動。ここでも拡張工事が行われている雰囲気だった。

1−4 チューリッヒ空港(1709)<LX560 26AB>(1805)ニース空港 (1845)
・1709離陸・・1725飲み物・・1805着陸
 これ以降フランス時間(中央ヨーロッパ時間)。−7時間となる。
 Aターミナルで荷物検査。水のボトルは接収されてしまったが、後は難なく通過。皆、特に問題はなかったようだ。
 そこから少し歩いて出発のA02搭乗口へ行く。地下のコンクリート打ちっ放しのようなところで、座る椅子もない。そこで少し待ってからまたまた迎えのバスに乗って機内へと向かった。
 今回の飛行機は少し小さめで3−3の並び。何と我が家の席は9番と26番。随分と離れていると思ったら、添乗員さんが調整してくれてめでたく並んで座ることができた。ありがたい。26AB席だった。今回は飛行時間が短いので、通路側ではなかったが、それで構わない。
 離陸してすぐにサービスが始まった。アイスクリームと飲み物だ。ようやく全員に配り終えた頃下降し始め、着陸態勢に入った。アテンダントは慌てて容器の回収をしていたが、そうすぐに着陸ではなかった。まあ、いつものことなので、そのあたりは手慣れているのだろう。
 ほぼ予定通りに着陸して無事に荷物を受け取った。それからバスでホテルへ向かう。
 途中、ニースの海岸沿いの道を走ったが、まあ、人の多いこと。その殆どは日光浴的で、海に入っている人の数はそれほどでもなかった。ここでなら、junさんも水着になれる・・・・と思われるような人も沢山いた。何でも今日は夏のバカンスシーズンの最後を飾るようなイベントのある人のことで、その分(たぶん)普段よりも賑わいが大きかったのではないかとも思う。

1−5 ホテル アズレア(ニース)(1914〜2310)
 実は今回の旅程で、ニースのホテルだけがぎりぎりまで決まらなかった。かなり遅く一週間前くらいにようやく届いた旅程表にも名前がなかった。出発の数日前にようやく連絡があった小さめのホテルだった。バスが入れるほどの道筋にあるわけでもなく、我々はニース駅前の通りに続く道ばたでバスを降ろされた。「おいおいバスが入れないホテルなんだ!」、ってその時に思った。ということで、ポーターもいない。我々は、大きなスーツケースをぞろぞろ引きずりながらホテル到着となった。
 ドイツベルリンのことを思い出す。ベルリンマラソンと重なって、屋根裏部屋に通されたことを思い出したのだ。この想像は実は正しいというか、それ以上のことが待っているとはこの時点では予想だにたぶん添乗員氏を含めてし得なかっただろう。
 とはいえ、たいした距離を引くこと無しに、ホテルに到着した。玄関を見ると一応三つ星を掲げている。我々は一番最後の方に到着したので、狭いロビーの奥の方しか空いていなかった。ソファーに腰掛けたが、その後長い時間音沙汰がない。準備に時間を取っているのだろうと思っていると、添乗員氏から「フロントの人では分からなくて、責任者の所在を確かめているので、少し待ってください。」という話。バウチャーはあるだろうし、変に思った。
 若者も含めて多くはソファーに座り込んだ。我々は運良く一人用のソファーに座れたが、何人かはスツールのような丸椅子だった。時間が経過するごとに疲労の色は広がった。しかし皆辛抱強く待っていた。
 30分程度経過してからnoriがドアを見に行くと、コンプリートの文字。つまり、全館満室だ。その後の話だが、その後に訪れる客にも今日は部屋がないと断っている。どうも様子がおかしい。そして次第に分かってきたことは、どうもこのホテルには我々の宿泊できる部屋はもはや無いということだった。
 添乗員氏の説明も、他のホテルをあたっているという趣旨に変わってきた。しかしながら、この状態で他のホテルに空室を見つけるのは非常に困難な作業だった。何しろフランスは今バカンスの真っ最中なのだ。ようやくホテルを見つけたとの報告があったのは3時間を優に超えていた。決まったホテルは何とモナコのモンテカルロ市。ニースではなかった。フランスでもなかった。聞けば、このホテルよりよいという。時間は30分程度かかるとも聞いた。
 しかしそれからまたさらに時間が必要だった。最初の報告ではバスの手配をしているということだったが、この時間に新たにバスの手配ができるとは思えなかった。それでも30分程度かかるという話だったが、その時間を超えてもバスはこなかった。当然といえば当然であったが。その後タクシーで向かうという話になった。しかしながら、タクシーもなかなか見つからなかった。
 この間、ちょうど打ち上げられていた花火を見たり、ロビーで眠ったりしながら過ごした。そうなのだ、今日は夏の一番のピークの日で、海岸では10時くらいから花火が上がっていたのだ。はじめは音だけ聞いていたが、そのうちにまずjunが見に行き、noriもその後ホテルの前に見に行った。ビル群の上から花火が見えた。まさにベルリンの再現のような事態になった。
 タクシーは結局しびれを切らした添乗員氏が町中に出て探してきたということなのだろうか、ホテル前に続々とタクシーが集まった。我々は3番目になったが、一台に4人ということで、noriの荷物は詰め込めず、置き去りにして出発した。

1−6 ホテル2 (2344) フェアモンド・モンテカルロ 3214号室
 新しくとれたホテルは、フランスではなくモナコ。タクシーはかなりのスピードで走ったが、それでも40分くらいかかった。まるでモナコグランプリに参加したような気分が味わえたので、それはそれで得した気分ではあった。ピカピカに光り輝いている、まるで王宮と見間違うくらいの華やかな建物、その前に並ぶ高級車の数々、タキシードやドレスに正装した人々に驚いていると(これは後で分かったが巨大なカジノだった)、その隣にあるのが今夜のホテルだという。かなり持ち出しになっているだろうが、設備もいうことなしで、ホテルとしては何一つ文句はない。
 到着するとホテルはこの時間でも人がごった返していた。ホテルの中にもカジノがあり、盛況だった。さきほどみたあの華やかな建物は、グラン・カジノ。パリのオペラ・ガルニエを設計したシャルル・ガルニエの作で、内部もかなり豪華だそうだ。
 こうしたなかでの到着だから、我々の格好はかなり浮いていた。我々は比較的早くに到着したのでロビーで待っていると、全員が到着した時点で別室に移動させられた。勿論noriのスーツケースも無事についた。別室には既に個人別のホテルカードが用意してあり、記入を要求された。なんと日本語バージョンで、ここにも多くの日本人が訪れるていることが分かった。
 部屋に入ってから、すぐに寝ようと思ったのだが、やはり洗濯を、という頭があって入浴後今日の分を洗濯した。ここで連泊というのでこのチャンスを逃したくないからだ。  そして、ようやく寝床に入ったのは、1時近くになっていた。