8月19日(水)
    リヨン〜ブールジュ〜ロワールの古城〜トゥール

起床(0415)朝食(0700)リヨン・ホテル出発(0804)ブールジュ(1231〜1315)昼食(1330〜1420)シャンボール城(1550〜1715)ブロワ城(1745)ショーモン城(1805)アンボワーズ城(1822)トゥール・ホテル着(1925)夕食(2000〜2120)就寝(2200)



5−1 朝
・起床(0415)朝食(0700)出発(0804)
 モーニングコールは6時15分だったのだが、我が家はいつものように早い。軽く朝食を摂ってから近くの教会まで散歩に出かけた。昨日レストランからの帰りにライトアップされていたのを見ていたからだ。
 ホテルのすぐ近くをソーヌ川が流れているのだが、車の走路に遮られて行くことが出来なかった。

5−2 道々
 今日始めの移動は長い。2時間近く走ってまずはまたまたオートグリルで休憩。その後も走り続ける。
 バスはブルゴーニュ地方に入った。
 ここはワインの生産地で、丈の低いブドウの畑が続いていた。また、酪農も盛んで、放牧された牛をよく見かけるようになった。家の造りも素朴で、フランスが農業国だという事がよくわかる田園風景がずうっと続いた。

5−3 ブールジュ(1231〜1315)
     ブールジュ大聖堂(1240〜1315)
218 214
 ブールジュはガリア(この場合にはほぼ現在のフランスと考えて良いだろう)最初のキリスト教共同体ができた所という。その3世紀以降、キリスト教文化の中心が存在したということである。最初のものは3世紀に聖ユルサンによって立てられた地下礼拝堂。その後、4世紀、9世紀と増築され、11世紀初頭にはロマネスク様式の聖堂が完成した。
 1195年にブールジュ大司教アンリ・ド・シュリは、小さなロマネスク様式の聖堂にかえて新しい大聖堂を建てることにした。1195年以降に建設が計画され、1214年に建物の半分が完成した。途中、中断したのち、第二期工事が1225年に始まり、1230年には身廊と西のファサードが完成した。未完成だった北の塔は、15世紀末にはようやく完成したが、1506年に早々と崩壊した。すぐに、ルネサンス様式を取り入れつつゴシック様式のファサードとの調和も意識する形で再建が行われた。ロワール川以南で建てられた初のゴシック建築物で、フランスのゴシック建築のなかで最大である。
 5つのポルタイユ(正面入口)を持ち5つの身廊につながっている西面は、高さ40m以上を誇り、その彫刻も巨大で、中央のポルタイユは最後の審判を大きく描き出している。
 が、今日は修復中のために見ることができない。上の模式図が今日の姿のスケッチ。その壮麗な姿が想像できるだろう。
 さて中央扉の左隣は「聖母マリアの生涯の扉口」、左端は「建築家聖ギョームの生涯の扉口」、中央扉口の右隣が「聖エティエンヌの生涯の扉口」、そして右端が「聖ユルザン(ウルザン)の生涯の扉口」。
 ファサード部分のほかにも旧約聖書の場面が多数見られる。中に首無しの像があるが、これは後に、カトリックとプロテスタントの争いがあり、そのときプロテスタントの手に落ちて彫刻等が破壊され、首なしの像の姿になったのだ。
 左端の「建築家聖ギョームの生涯の扉口」が開いていたので、左端の入口から中に入る。ここは、翼廊が存在しないことと側廊が二重になっている点(つまりこれがファサードが五つの扉を持つゆえんだが)でも特異である。
 ステンドグラスは古いものは13世紀に作成されたものであり、16世紀には地元の芸術家ジャン・ルキュイエによって追加された。これらは十分に楽しめるものだ。一番奥のステンドグラスが13世紀のものだ。
 ただ、やはり内部よりも外観が素晴らしい。撮影ポイントは手入れの行き届いた大司教庭園からがよい。

5−4 昼食(1330〜1420)
・メニュー・・ファーマーサラダ(普通のトマトサラダ)・魚(ノルマンディーフィッシュ)・デザート(チョコレートとキャラメルのケーキ)
・飲み物・・ワイン(500cc)7.5ユーロ

5−5 ロワールの古城 219

                             より大きな地図で ロワールの古城 を表示
 300をこえるロワールの古城のうち初期のものは、元来中世に城砦として建造され始めたものであった。このあたりの城は、15世紀から6世紀にかけて、シャルル7世からアンリ3世のいわゆるロワール時代に建てられた。
  その中でもシャンポール城が最大のもの。またアンボワーズ城が、フランスでルネッサンス様式を初めて導入した城である。この地にルネッサンスが持ち込まれたのは、イタリアナポリでの王の継承争いの時、シャルル8世が自分にもその権利があると参戦したのがきっかけ。結局王位を継ぐことはできなかったが、そのとき目にしたルネッサンス芸術に痛く感動し、多くの画家や建築家、彫刻家、庭師などを連れ帰り、アンボワーズ城を造らせた。その芸術がその後の城の建築にも影響を与えた。
 一般に公開されているのは約70ヶ所。

5−5−1 シャンボール城(1550〜1715)
 ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城である。城は中央の本丸と4つの巨大な塔から成る。設計はドメニコ・ダ・コルトナによるものだったが、1519年から1547年にかけての建設の間にかなりの変更が加えられた。
 幅156m、高さ56m、77の階段、282の暖炉、426の部屋など、城館としてはいずれも桁外れの規模を誇る。従来のフランス様式にイタリアルネッサンスの確信的な建築様式を取り入れてある。この城を計画したのはフランソワ1世だったが、彼の32年間の統治生活の中で、ここで過ごしたのはたったの72日。そのときにはまだ主塔と王室しか完成していなかった。現在の形に整えたのは、息子のアンリ2世とルイ14世だ。
  レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。建築上の見所の一つに、二重らせんの階段が挙げられる。二つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるのである。が、そこは観光地。客は自由に行ったり来たりしているので普通の階段と同じ。この階段を設計したのがダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではない。
 内部は破壊略奪されるに任せてあり、ガランとして何もない。コンクリートむき出しの部屋をぐるぐる回るだけで魅力的ではない。ただ、3階の格天井の彫刻装飾はお奨めの一つになっている。フランソワ1世のFの文字が見られる。
 他にも、一部の部屋にタペストリーを集めて飾っていたり、ベッドや当時の衣装など復元して飾っていたりと、その当時を偲ばせる工夫もなされてはいた。
 ここは、テラスから見る周りの風景と外観が魅力的だ。

5−5−2 その他の城
 しばらくバスはロワール川に沿って走った。
 まずブロワ城(1745)で下車。写真撮影だけですと言うことだったが、どれが城なのかよくわからなかった。添乗員さんはしきりに「あれです、あれ。」と叫んでくれるのだが、似たような塔がいくつかあるのではっきりと確信することが出来ず、その周辺の写真をやたらと撮りまくった。教会のような等と、宮殿を入れたのが掲載した写真。
 次のショーモン城(1805)は、車窓からだったが、川を挟んできれいに見る事が出来た。隣の城でも結構離れていることがわかった。

5−5−3 アンボワーズ城(1822)
 ここはドライバーさんのサービス。コース計画には入っていなかったのだが立ち寄ってくれた。
 川に面して少し高台に建っているので、よく見えた。昔から要塞が築かれていたが、15世紀末、イタリア遠征から戻ったシャルル8世によってルネッサンスの粋を集めた華麗な城に改築された。ここに隣接している教会に、レオナルド・ダ・ビンチの墓がある。
 また、この城は、フランソワ2世時代の1560年に起きた旧教徒の新教徒に対する大虐殺が行われた所(ユグノー戦争)。この頃は宗教対立が激しかった。ユグノー(新教徒)によるカトリック教会に対する聖像破壊が始まったのもこの年からである。
 だが、今の城は、そんな歴史とは無縁のように静かに佇んでいる。規模もかつての5分の1ほどである。

5−6 トゥール・ホテル着(1925) エスコリアル・ロジ ド・フランス207号
 ホテルは郊外にある静かなホテル。それだけに、今までのように外のレストランで夕食と言うことは出来ずにホテルでとなった。それでも食事の時間までそれほどあるわけではないので、着替えが結構忙しかった。

5−7 夕食(2000〜2120)
・メニュー・・サラダ・ロイヤルパエリア・デザート
・飲み物・・ワイン(500cc)8.5ユーロ
 レストランは庭に面したフロア。庭には他の国の団体さんが陣取っていた。外国の人は外が好きなようだが、どうも日本人は中を好む傾向にある。ということで、我々はコンクリート打ちっ放しのような室内で食事となった。

5−8 就寝(2200)
 今日も猛暑。この暑さ何とかならぬかと思う。フランスでは暑い時期はそう長くないのでクーラーというのは基本的に付けないのだそうだ。ホテルも例外ではない。とにかくこのままでは眠れそうもないので、ドアと窓を開けっ放しにして寝た。部屋は2階なのだが、外の道がスロープで2階へ通じている。noriはそこのドアも開けておいたのだが、さすがにjunはそれだけは止めてもらった。
 それでも風通しが良くなってお陰でぐっすりと眠ることが出来た。
 久しぶりにたくさんの星を見つけた。