モン・サン・ミシェルを見ずして世界遺産は語れない
 =祈りの島&要塞島の朝・昼・夜の目を見張る風景=


★今年の夏はnoriの仕事の関係で、盆の時期を少し外れた頃に休みが取れた。といっても、その間はほんの僅かで、両脇を土日が挟む9日間+半日の余裕しかなかった。こうしたときにはコンパクトに回ってくれる大手旅行社がよい。要領よく見たい場所を巡ってくれる旅行をパンフレットから見つけ出した。今回も前回に引き続きヨーロッパ。フランスを選んだ。
 さて2006年7月にNHKで放送された「世界遺産 絶景 これがみたいベスト30」でマチュピチュに次いでモン・サン・ミシェルは第二位にランクされている。その翌年に続編とも言うべき「プロが選ぶ世界遺産ベスト30」では第6位にランクされている。
 もちろん、こうしたものには異論もあるだろうし、観点などによっても変わってることは確か。しかしながら、フランス旅行の日本人のお目当ての中というような限定をすれば、間違いなく第一位を獲得することだろう。そう、モン・サン・ミシェルはフランス旅行ディストネーションの中では欠かせない、そして全世界の規模においてもたぶん多くの場合には10指には入る見るべき世界遺産と言うことになるだろう。
 このたびの旅の目的の第一は、ここにあったと言ってよい。だから、モン・サン・ミシェルの対岸の、モン・サン・ミシェルが望める場所に泊まるコースを選んだ。島内でも良いのだが、日程の関係と値段の関係でそうした。そしてこれは偶然の要素が強いが、大潮に近い日、潮の干満差が大きい日が良かった。

★フランスの国土は日本の3.5倍。その中に6500万人が暮らす。フランスと言って思い出すのはやはりフランス革命。マリーアントワネットが断頭台の露と消えた。更に歴史的にはナポレオン国。青春時代はサルトルとボーボワール、そしてサガン。映画は史上最大の作戦で出てきたノルマンディー。・・・これではあまりにも断片的な記載であって、統一感がないが、フランスは世界史における舞台にその存在感を占める国だという認識は持って出掛けた(あたりまえか)。
 ところでフランスと言えばパリに代表されるおしゃれな町のイメージが反映した部分もあるが、実際は農業国と言って良い。その広大な土地の多くは農業用の土地となっている。正確には分からないが、たぶんフランスは日本のような食糧自給率の問題に悩まされていることはないのであろう。このことは、フランス旅行中の車窓の風景からも読み解くことが出来た。


★今回の旅はのっけからアクシデントに遭遇した。だいたいその兆候は日本にいたときからあった。本当に出発ぎりぎりまで最初の宿泊地(ニース)のホテルが決まらなかったことだ。現地に行って分かったことだが、ニースはこの日夏を締めくくるような祭りが行われていて、非常に混雑していた。ようやくリストアップされてきたホテルは、日本で調べてもなかなか探すことの出来ないような程度のホテルだった。現地に到着してもポーターもおらず、しかもバスが入れないほどの細い道で、大通りから自身で荷物を持ってホテルに向かわざるを得なかった。
 いざホテルについてみると、どうも様子がおかしい。我々はロビーの一番奥の席を確保したが、何人かはスツールにしか座れないような状況で、訳も分からずまたされた。最初は、「責任者が来ないと鍵を出せないというのでしばらくお待ち下さい」という内容だったが、らちがあかずnoriが表玄関に見に行くとそこには本日満室の張り紙が。分かってきたことは、どうもこのホテルには我々のスペースはないと言うことだった。徐々に自体がはっきりしてきた。つまり、「新しいホテル」を探さなければならないという自体だった。しかしながら、時間が時間だったし、現地のスタッフもなかなか捕まらず、そのうちに花火などが打ち上がり、周りの祭りの状況は佳境に入っていった。
 我々がそこから脱出できたのは、もう深夜と言って良いような時間帯だった。 タクシーさえ捕まえるのに苦労したが、混載で急遽モナコへ向かう。まぁその顛末は本文に譲るが、添乗員氏はこの間の想像も出来ない出来事をかなり的確に処理をしたと思う。こういうトラブルにこそ必要とされている人物だということが、改めて伺えた。
★今回も引き続き大手のC旅行社を利用した。今回は移動のバスで横一列を二人で確保できる20名の参加者だったので、比較的にゆったりとした旅行を楽しめた。もちろん値段との相関もあるが、ホテルもそれなりで満足のいくものだった。低料金でこうしたツアーが催行されると、中小は適わないだろう。また客層についても、良かったように思う。前記したようにニースでホテルのダブルブッキングに会い混乱したときも、皆落ち着いていたし、バスの座席は旅行中自由席ではあったが、大きな混乱など起きなかった。新婚旅行の一組がいたが、一部特別扱いもあったが、皆基本的に無関心を装った。こうして考えると、旅慣れている=良き旅行社とは必ずしも言えないことが分かる気がした(この後直ぐアメリカに行ってそう特に感じた)。

★安い旅行の常で、毎日複数便がパリに直行しているにもかかわらず、チューリッヒ経由のスイス航空便を利用した。時間的には若干かかるが、(トラブルがなければだが)直行便でなくてもそう問題は生じなかった。特に往路について言えば、ニースが最初の目的地だったの、何れにせよどこかでは直り換えねば行けないはずだから。

★フランス料理について言えば、まぁ理屈を言えば我々の食べたもの全てがフランス料理と言うことになるが、感動するような食事というものはあまり無かったように思う。偶然に泊まることになったモナコの朝ご飯が一番の印象なのは皮肉かも知れない。ワインも水ほどに安いというわけではなく、堪能が出来たという旅でもなかった。

★今回のフランスの旅で、世界遺産訪問数は220になった。
このことについて少し最後に書きたい。すこしばかり気になるのが、リヨン歴史地区。歴史地区と称されるところをほんの少し走ったのと、そこを俯瞰する(ここはよく写真などでリヨン歴史地区と紹介する場所)に登っただけだ。だからここの建物を訪れているわけではない。いわばお触りをしただけのような感じ。ただユネスコのレポートの地図のエリアは間違いなくそうこうしたので、我々の基準を一応拡大解釈して、件数に入れさせていただいた。
 今ひとつは、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」だ。これは先の我々の基準にも掲げられているところであるが、重複指定のある世界遺産群で、今回訪れた中にも「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」と「モン・サン=ミシェルとその湾」、及び「ブールジュ大聖堂」が含まれている。これもしかしながらカウントを基準通りにさせていただいた。
 こうちたおかげで、今回は10ヶ所の訪問を達成し、訪問数222を達成した。これは、私たちがめざしている世界遺産333サイト達成のちょうど2/3をクリアしたことになる。