8月17日(月)
    ニース〜エクス・アン・プロバンス〜マルセイユ

起床(0430)散策(0640〜0700)朝食(0700〜)モナコ・ホテル出発(0830)オートグリル(1020〜1040)エクス・アン・プロバンス(1140〜1445)マルセイユ(1520〜1650)ホテル着(1715)夕食・買い物(1800〜)マルセイユ・ホテル着(2000)



3−1 朝
・起床(0430)散策(0640〜0700)朝食(0700〜)
 朝はいつものように早起きだ。今日は荷物を持って移動となるので、まずはその整理をした。すっかりできあがって、日の出を待つことになった。昨日は少し遅くて見ることができなかったからだ。

3−1−1 日の出
 日の出は6時40分頃だろうと思い7階に行くが、まだ少し時間があるようだ。一番いいのはレストランからなので、まだ開いてはいなかったが、お願いして入れてもらい、そのときを待った。徐々に赤がはっきりとしてきたが、どうやら海からではなく山の端からあがってくるらしい。ようやく太陽の端が見えた。二人で一斉にシャッターを押しまくった。横を通り過ぎるレストランの人には奇異に映ったかもしれない。
 完全に昇りきったところでjunは両手を合わせて旅の無事を祈った。

3−1−2 散策
 まだ食事時間まではあるので、そこから外に出た。7階なのだが、外はすぐに道路。しかもカジノとオペラ座の裏庭に出る。裏庭と行っても海に面しているので、なかなかの眺望だ。誰もいない風景を二人のものにして楽しんだ。太陽が正面から当たっているので、とてもきれいだった。堪能してレストランへ戻った。

3−1−3 朝食
 今日もアウトサイドの席を頼んだ。昇りきった太陽を見ながら食事をした。今日のオムレツは大きすぎて、それだけでおなかがいっぱいになった。後にも先にも、手作りのオムレツを食べられたのは、このホテルだけだった。野菜や果物も豊富に揃っていて、さすがに一流ホテルだ。
3−2 道々
・出発(0830)オートグリル(1020〜1040)
 部屋を早めに出てホテル全面の写真を撮ってからバスに乗り込んだ。バスの大きさに比して人数が少ないので、毎日自由席だ。
 これまでは毎日バスも運転手さんも変わっていたが、今日からパリまでは同じだそうだ。ピエールさんというかっこいい男性だ、と始め言っていたjunだが、そのうちに顔や頭の様子がわかるにつれ、案外年寄りなんだとがっかりしていた。
 バスはしばらく高速道路を走り、途中のオートグリルでトイレ休憩。懐かしい名前の休憩所だ。イタリアに行ったときには、ここでキッズエッグを買いまくっていたものだ。
 このあたりは既にプロバンス地方に入っており、道の両側はブドウ畑が続いていた。ヨーロッパでお馴染みの背の低いブドウだ。
 また、セザンヌが好んで画題にしたというサント・ヴィクトワール山も遠目にした。何と60点以上も描き続けているのだそうだ。石灰岩のゴツゴツした山にしか見えないのだが、見る角度によって山の印象も変わりますよ、と説明があったから、きっとセザンヌにとっては生きていた山なのだろう。

3−3 エクス・アン・プロバンス(1140〜1445)
 ロヴァンス伯爵領の首都として古くから繁栄し、現在はプロヴァンス地方の観光の拠点となっている。画家ポール・セザンヌの出身地として日本でも知られ、彼の出生、臨終の家、墓所とアトリエが今でも残されている。

3−3−1 ポール・セザンヌのアトリエ(1150〜1215)
 まず始めにそのセザンヌのアトリエに行った。
 2階建ての小さな建物だが、その2階部分がアトリエになっている。画題となった果物やイーゼルなどが無造作に置かれていた。絵を描くために造られたそうで、明かりを十分に取り入れることのできる大きな窓、大きなキャンバスを出すための出口などがある。「近代絵画の父」と言われる彼はここに毎日自宅から通って絵を描いたのだそうだ。
 どういう訳か内部は撮影は禁止。彼の絵が飾ってあるならわかるが、そういったたぐいの物は1枚もないのだ。上の写真はアトリエ・セザンヌのページから引用させてもらった。ここには日本語のページもある。
 帰りにお土産にここの解説書を購入したら、店のおばさんが何故かnoriにプレゼントと言ってカレンダーをくれた。やはりnoriはおばさんにもてる。

3−3−2 昼食(1230〜1340)
・メニュー・・・野菜サラダ・ローストポークとラタトゥユ・アイスクリーム
 ラタトゥユというのは、ニースの野菜煮込み料理と言うことで楽しみにしていたが、感激というほどのものではなかった。
・飲み物・・・赤ワイン 1/4リットル 3ユーロ、1/2リットル 6ユーロ

3−3−3 自由散策(1345〜1445)

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 レストランからすぐ近くの、ミラボー通りの中心ともいえるロトンドの大きな噴水の前を集合場所として、自由時間となった。1680年に建造されたこの噴水は、最上部に司法と農業、芸術を表現した3体の像が飾られている。この町には他にもたくさんの噴水がある。まずはそれらを見ながらミラボー通りを行くことにした。
 ここは、前にも書いたとおりポール・セザンヌの出身地なので、市内の歩道にセザンヌ(Cezanne)のCの文字が施されたブロンズ製のタイルがルート上に点在していて、それをたどることによって15ヶ所のポール・セザンヌゆかりの地を巡ることが出来る。
 最初に添乗員さんに教えてもらったミラボー通りにあるお菓子屋に行った。カリソンという銘菓を作って売っている店だ。(後日談:これは正直お奨めできない。高いだけで感激するほどのものではない。)それを購入してから先に行っている添乗員さん達を追って生家に行った。といって当時のまま残っているわけではなく、この建物がかつて生家だったという表示があるだけだった。
 そこからサン・ソヴール大聖堂へ行った。添乗員さんには時間内には無理ですよと言われたのだが、急いでそこへ向かった。途中、セザンヌの父親が経営していた帽子店があったという建物の前で記念撮影。勿論今も帽子屋さんというわけではない。
 そこから、地図を見ながら迷うことなく大聖堂へ到着することが出来た。ここは外見よりも内部が素晴らしいので入りたかったのだが、入口で「No、VISIT」と言われて入ることが出来なかった。仕方がないので、地味な外観だけを撮って急いでバスへ戻った。
 大聖堂は比較的高いというか丘のような所に建っている。バスの時間を気にしながら、帰り道を急いだ。地図を見ながらミラボー通りをめざす。クランクになっているとところで、ふと見上げると地図に載っている教会があったので、中に入ってみた。そこには受胎告知の古そうな絵があった。
 バスに乗る前に、ちょうどそこに立っていたセザンヌと一緒に、記念撮影。

3−4 マルセイユ(1520〜1650)
                  より大きな地図で マルセイユ を表示
 マルセイユは南フランスにおける貿易・商業・工業の一大中心地であり、地中海においては最大、ヨーロッパでも第3位の位置を占める貿易港である。石けんも有名だ。
  また、童話にも出てきそうなきれいで情緒ある港町だ。先の大戦で撃沈された「星の王子様」の作者サン・テグジュペリの飛行機の残骸がマルセイユ沖で発見されている。

3−4−1 旧港(1523〜1540)
 この港の歴史は古く紀元前には既に港が開かれていた。そしてローマの植民地になってから更に発展した。港の入口には両側に要塞があり狭くなっているので、大きな船が入ることが出来ず、これがたぶんこの港の古代における旅行たるゆえんだったのだろう。
  しかし今ではこれが逆にネックになり、隣に新港が築かれている。現在では旧港はヨットハーバー化しているが、イフ島への連絡船の船着場もある。遠くに目をやると小高い丘に建つノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂が見える。後で行くと言うことなので、この港ももっとよく見えるだろう(下の写真)。
 それはそれで楽しみなのだが、海岸部分は日陰が無く、気温の高さとも相まって体には相当の負担がかかる状態になってきていた。ここには我々のおきまりの休憩所のマックも見えずきつい。青空というのは観光にはとても有り難いことなのだが。

3−4−2 ノートルダム大聖堂(1605〜1650)
 1214年にここに最初の聖堂が建てられ、その後改築等がなされて1864年に完成した。そこは、154mの丘に聳えているので、狭い曲がりくねった道を通って、近くまでバスで行った。(最初の写真は旧港から見上げたノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂。鐘楼の一番先には、イエスを抱いた黄金に輝くマリアの像が建つ。)
 バスを降りてからは100段を超す階段になる。階段の所々は、エルサレムにある悲しみの道の13ステーションになぞらえたレリーフなどがはめられていた。そうなぞらえるくらいに階段がある。が、行くだけの価値はある所だった。教会は、ロマネスク・ビザンチン様式の聖堂を持つ見事な物で、鐘楼の上には黄金のマリア像が航海に出る船乗りたちの安全を見守っている。そのお礼という訳なのだろうか、寺院内部にはたくさんの奉納品が飾られている。
 外見はメスキータを思わせる横縞のラインが入っていた。それは内部にも見られた。また、各所に施されたモザイクも見応えがある。
 外へ出ると、旧港や市街地のパノラマを楽しめる。要塞の様子もよくわかる。どうしてこうもヨーロッパの町並みは美しいのだろう。赤茶色の屋根が青空によく映える。
 港の外にはイフ島が見て取れる。この島は、1524年に要塞化され、1634年には国の牢獄として使われるようになった。シャトー・ディフは、ここにに造られた牢獄で、アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』の舞台として知られる。

3−5 マルセイユ・ホテル着(1715) ニューホテル セレクト 306号室
 ホテルは旧港から真っ直ぐに伸びた道路のすぐ近くにあった。マックやnoriの行きたかった店が近くにあった。なかなか地理的によい所だ。これなら夜も出かけることが出来る。スーパーも近くにあり、何かと便利だ。
 が、やはり小さなホテルで、フロントも小さなカウンターが一つだけで、受付の人が一人いるだけだ。スーツケースは男の人が運んでくれたが、一つ一つ手運びだ。
 バスは止める場所も無いような所だったが、夜は何処へ行ったのだろう。

3−6 夕食・買い物(1800〜)
・メニュー・・・鮭パイ・魚(鱈)フライ・デザート
・飲み物・・赤ワイン
 夕食はホテル近くのレストラン。旧港から真っ直ぐに伸びた道に面してある。つまりはメーン通りにある。そこで、夕食を済ませるとすぐにホテルには戻らず、noriの店に行った。
 noriの店とは、monoporixのこと。姪の子供に洋服を買ってきてあげると約束したので、それを探しに行った。が、幾つも気に入ったのがあってなかなか決められず、結局絞りきれずに何点かを購入した。
 港はすぐ目の前にあったのだが、さっき十分に堪能したので、そのままスーパーへ寄って水を買い込んでホテルへ戻った。

3−7 ホテル着(2000)
 このホテルのエレベーターは、あるにはあるが、我々二人が乗り込むと一杯になってしまうほど狭い。元気な人は階段を使うが、誰もいなかったのでこれを使わせてもらう。

3−8  就寝(2045)
 荷物の整理をしたり入浴したりしてから就寝。周りはまだ明るいが疲れが出てきているので無理をせず早めに寝た。