8月16日(日)  ニース市内・シャガール美術館など

起床(0630)朝食(0700〜0730)ホテル周辺散策(0915〜0948)モナコ旧市街地散策(0955〜1055)フランス香水工場見学(1118〜1155)エズ(1200〜1230)昼食(1257〜1402)シャガール美術館(1412〜1515)ニース市街散策(1530〜1755)夕食(1805〜1905)モナコ・ホテル着(2000)就寝(2111)



2−1 朝
 noriの目覚ましで6時半に起床し、身支度を調えて7時から始まるというレストランへ。ここは眺めのよいレストランだった。室内とテラス席があったので、我が家はテラスにしてもらった。太陽は既にかなり昇っていて少しまぶしいくらいだった。
 7時半まで食事をして部屋に戻る。そのあと、今日は連泊なので、たいした荷造りもないので、junは日記を書いた。

2−2 モナコ散策
 モナコはバチカンに次いで2番目に小さな国だ。カジノを導入して観光地として発展し、更に、グレースケリーが王妃として嫁いできたことで世界的に有名になった。19世紀頃から高級リゾート地として世界のセレブ達を魅了している。日本人としても、中田英寿やクルム伊達公子、佐藤琢磨が住居を構えている。他にも世界的有名人の名前が、今日の島袋さんというガイドさんの口から次々と飛び出していた。

                                   より大きな地図で モナコ を表示

2−2−1 ホテル周辺散策(0915〜0948)
 モナコ公国は4つの市より構成されているということだ。といっても、周囲6qという国連加盟国ではもっとも小さなこの国では、たぶんそれは○○地区という風情だろうか。
 荷物はバスに預けて、まずは日本人ガイドとともにホテル周辺を散策した。ホテル周辺といっても、このホテルは立地条件が非常によく、グランカジノの隣、モナコグランプリのヘアピンカーブの前という所にあるので、これらの見物が全て徒歩で見て回ることができる。
 朝食を摂ったレストラン階まで上がってレストランとは反対側を出ると、もうそこから外に通じていてグランカジノの裏側に出る。そのカジノの前を歩いて、オペラ座に出る。といってもこの二つは一体の建物になっている。ここからも海が望める。この立派な建物をぐるりと巻くようにいくと、名高いホテル・ド・パリ。かなり高級なホテルで、超のつくようなセレブたちのホテルだそうだ。それを見に観光客も来るそうだが、正面玄関から入ろうとすると守衛だかボーイだかに排除されるとか。所詮我々とは縁のない世界の話だ。(上がグランカジノで下がホテル・ド・パリ)
 カジノの前を通り抜けて、ホテルの前のカーブを見てから、グレーズケリーを記念して作ったという日本庭園へ向かった。このカーブは、モナコグランプリが行われるコースの一部で、180度のカーブになっている。ここを猛スピードで走り抜けるというのだからすごい。
 この辺り一帯は昔は「チャールズの丘」という名だったが、それがいつの間にかモンテカルロという名になったらしい。また、一時イタリアの領土であった頃から、別名「リヴィエラ」ともいうそうだ。森進一の「冬のリヴィエラ」はこの地のことを歌った歌ですよということだ。
 さて、日本庭園は、グレースケリーが日本びいきだったことに起因しているらしい。日本人が設計したということで、ただ単に日本のものを集めて不釣り合い、という感じはなくしっくりとした庭園に仕上がっていた。太鼓橋のある池やお茶室などが造られていた。日本から送られた桜もたくさん植えられているということだったが、それは気がつかなかった。

2−2−2 モナコ旧市街地散策(0955〜1055)
 それから一旦バスに乗り少し移動して、また徒歩で観光だ。
 地下の駐車場からエスカレーター、エレベーターを乗り継いで地上に出ると海洋博物館の前に出た。その前に黄色い小さい潜水艦のようなものがあったが、これがかの有名な「ノーチラス号」だという。真偽のほどはともかくも、こんなに小さいので深海に潜っていたのかと思うと不思議。(←説明がいい加減であったようだ。ここに正確な名前「 ドナルドダック・アイ−潜水艇 」がある。)この海洋博物館は、ジャック=イヴ・クストーが一時期館長を務めたことでも有名だ。
 向かい側からはちょうどヨーロッパの都市によくある観光用のミニ電車?が出るところだった。このタイプは今後も観光した街で必ずといって良いほど見かけた。
 我々は勿論歩き。道沿いに行くとすぐに王家の一族の家が並んで建っていた。その前にはポリスボックスがあり、警官がうろうろしていた。暗視カメラもあり、一般の人は近づけないように植え込みで遮られていた。さらに進んでいくと、グレースケリーが結婚式を挙げたという大聖堂がある。その前には、その様子がわかる写真が飾られていた。ただ、今日は日曜日(午前中)ということで、ミサが行われているので中に入ることができなかった。
 横には国会にあたる建物や裁判所の建物があった。小さいながらもれっきとした国なのだと改めて思った。

2−2−3 大公宮殿
 狭い商店街の道をしばらく進んでいくと、ぱっと目の前が広がり大公宮殿の広場に出る。旗が立っていれば大公が滞在中ということだ。
 これは、1215年にジェノバ人が築いた要塞の跡に建てられた。時期的に内部に入れることもあるようだが、今回はここから市街地を展望するということの方が主だった。
 眼下には港が広がっている。それだけではなく、あちらがフランス、こちらがイタリア、とよその国も視界に入ると説明があった。
 帰り際、衛兵が門の前を闊歩しているのを見たが、たった一人で行ったり来たりしているだけだ。衛兵の門は二つあるのだから、普通に考えれば二人いてもいいのに。
 そこから、駐車場へ戻ってバスに乗り、フランスとの国境をバスで越えた。

2−3 フランス香水工場見学(1118〜1155)
 香水工場は、エズの町の下。我々にとっては興味の対象外だが、行程に入っている以上は仕方がない。ヨーロッパの王侯貴族は、日本人のような入浴の習慣があまりないことは広く知れているところ。これは乾燥した土地柄も影響しているわけだが、それにしても、そうした状況を補うためにも強烈な香水は必需品であった。
 今日は日曜のため工場はお休みなので、生産ラインは動いていない。形ばかりのパッケージをしている工員風の女性がいるだけだった。主な手法は二つ。結果的には蒸留するのだが直接に蒸留する方法と、油脂分に花を浸して浸潤させてからその油脂から蒸留で抽出する方法の二つがあったという。後者はおそらくは直接の蒸留ではうまくいかないものが選択的に行われていたのであろう。こうして出来た香水の元は調香師によって製品化される。noriは学生時代にこの調香師になろうとしたことがあった、もっともその禁欲的生活に耐えられないので、その希望は捨てたわけだが、実際彼らは常に鼻に敏感である必要がある。
 工場見学が終わるとおきまりの買い物タイムだ。現地ガイドさんは男性だが巧みに買い物に誘導していた。しかしながらこの強烈な香りは、我々には臭いというのに等しいものだった。早々にその場を立ち去り、出入り口付近のクーラーのある場所で涼んでいて見学時間買い物時間の終わるのを待った。(写真はつけてもらったクリーム)

2−4 エズ(1200〜1230)
 エズというのは通称「鷲の巣村」といわれる村々の一つで、石灰岩の山の頂付近に築かれた村のひとつ。ニースは地中海世界において交通の要所ではあったが、また同じようなジェノバなどの港湾都市と争わなければならなかった。そうした争いから身を守るために一般の人たちは断崖絶壁の地を選んで、生活をし始めた。それが通称鷲の巣村と呼ばれる村々となっている。
 平坦な場所にしかバスは停車できないから、バスの停まったところから城砦のある場所までは登り一方の道を歩かなければならない。上には昔の佇まいそのままのホテルもあるので、ポーターが客の荷物を運ぶ一輪車を避けながら登った。上は眺望はあるが、そう感激したものでもなかった。勿論外敵の動きのみを知ればよい訳で、美しさをそこに求めていたものではないので仕方がない。
 こんなに岩の上にあるので水の確保は大変だったようだが、わき水があったことと、雨水を貯めておいて対応していたとのことだ。
 坂の途中に「ニーチェの小道」がある。かの哲学者ニーチェは、まさにこの場所で『ツァラトゥストラかく語りき』の構想を練ったといわれている。
 頂上には教会がある。こんな断崖絶壁でも、やはり教会はある。バロック様式で中にはモザイク画も残されている。そこで一休みしてから、ぐるっと教会の周りを巻くようにして見学してから、バス停まで下りた。

2−5 昼食(1257〜1402)
・メニュー・・・ニースサラダ・魚(たら)のフライ・デザート
・飲み物・・・ビール 250ml 3ユーロ×2

2−6 シャガール美術館(1412〜1515)
 シャガール美術館の正式名は「国立マルク・シャガール聖書のメッセージ美術館」。古代の丘、シミエに建っている。この設立は、シャガールの親友のアンドレ・マルローの推進により実現された。
 ここに展示されているのは、シャガールがフランスに寄贈した聖書の「創世記」と「出エジプト記」から着想を得た大型絵画。他にも作品があるが、何と言ってもこの美術館の名前にもなっているこれらの作品群が見物だ。

2−6−1 聖書の部屋
 @人類の創造・・青色の中いるのは神と神に抱かれた人がいる。A楽園・・エデンの園。様々な生き物が平和に暮らす世界。B楽園を追われたアダムとイブ・・大天使が罪人となったアダムとイブを追っている。Cノアの方舟・・鳩を放すノア。Dノアと虹・・空間の中に光を表現している。白いのは虹。横たえているのはノア。Eアブラハムと3人の天使・・アブラハムと天が遣わした3人の使者との出会い。この後、アブラハムとサラにはイサクという息子を授かる。神の愛を描いている。Fイサクの生け贄・・神との対話の中で、神の恐ろしい要求を描いている。Gヤコブの夢・・2枚の続き絵のように構成されている。ヤコブの夢に現れた夜の世界。Hヤコブと天使の戦い・・青と紫を主調とした作品。I燃える柴の前のモーゼ・・燃える柴の上方に、赤と黄の光背が中央に神の言葉が天使の形を借りて描かれている。J岩をうつモーゼ・・モーゼと群衆との対話。神と対話し、預言者の杖の下に水が湧き出ている。K律法の石板を受けるモーゼ・・モーゼが神から十戒を授かる。・・・以上パンフレットより抜粋。以下『』内も同様。
 これらの作品が広い部屋に並べられている。思ったほど混み合っていなかったので、1枚1枚ガイドさんの忙しい説明を聞きながら次々と鑑賞していった。お陰でじっくりと味わうまではいかなかった。
 次に愛をテーマにした部屋へ行く。

2−6−2 雅歌の部屋
 6角形のホールに雅歌の連作5点が展示されている。いずれも赤をふんだんに使って表現した絵。目にも鮮やかにその赤が飛び込んできた。
『雅歌とは、旧約聖書に記されている、恋人達を歌った叙情詩。ソロモン王のものとされており、解釈には各説がある。雅歌Tはエデンの東のような平和のうちにありますが、雅歌Uではカップルは消えてしまい、花のような女の眠る顔が現れます。雅歌Vにはまた現れて婚礼の天蓋の下に2人が結ばれています。雅歌Wではダビデとバテシバのようにエルサレムの上空を飛んで光をまき散らし、そして雅歌Xでは寄り添った顔だけになってしまいます。』
 写真を撮っていれば説明が聞けず、説明を聞いていれば写真を撮れず、ここも忙しい見学だった。

2−6−3 モザイク
 通路になっている所に小さな池が造られている。そこに大きなガラスがはめられていて、その前には観賞用のソファーも用意されている。大きなガラス越しに、池の向こうのモザイクを眺めるという趣向。ガラスの反射があって、なかなか思うような写真が撮れない。
『池の所に壁のように立ちはだかっているモザイクは、火の車に乗った予言者のエリヤで、弟子のエリシャが見た情景を描き出している。中央のエリヤの人物像の周りには古代の時間表現法である黄道十二道も加筆されている。』

2−6−4 ステンドグラス
 コンサートホールに飾られている3面のステンドグラスは、青を基調としている。このシャガールの描くブルーはシャガールブルーと言われる。描かれているテーマは、やはり聖書の「天地創造」で、創造の7日間が描かれているのだそうだ。現在でもコンサートが行われると言うことで、入れないときもあるそうで心配したが、今日は自由に出入りすることが出来た。ピアノの反射板の部分にも、絵が描かれていた。
 一通りガイドさんについて説明を聞いてその後自由時間になったので、他の作品には目もくれずにすぐに本屋へ直行した。自由時間といってもその程度の時間しかなかったからだ。もう少しゆっくりと時間を取りたかった。(ステンドグラスのあるコンサートホールの写真は感度アップしています。)

2−7 ニース市街散策(1530〜1755)
 ニース市内へ戻って、旧市街を散策した。バロック様式の大聖堂やオープンテラスの並ぶ店を見たりしながらプロムナード・デザングレを横断して海岸縁まで行った。
 砂というより小石の敷き詰められた海岸にはたくさんの人たちが日光浴を楽しんでいた。中にはトップレスの人もいて、余りじろじろ見たりカメラを向けたりしないようにとガイドさんから注意があった。
 その後自由時間。といっても行く所もないので、少しお土産屋が並んでいる道をフラフラした。めぼしい物は見つからなかった。そのまま少し行くと、大きな噴水に囲まれた広場に出た。暑くてたまらなかったので、噴水の水を浴びて少しのんびりした。
 それから、集合場所へ向かう途中のスーパーで冷たい水を購入した。とにかく暑くてたまらない。その水を飲みながら日陰でみんなを待った。
 全員が集合した所で、バスで少しだけ走った。そこでまた自由時間。歩行者天国ですから安心して散歩してください、といわれたが、オープンテラスの店が並んでいるだけの所なので面白くはない。先の方が面白いですよというガイドさんの言葉に従って先へ行ってみると、何と、先ほど来た噴水の所。結局行く所はなく、日陰のベンチに座ってただ時間を過ごしていた。とにかく暑さ負けしてしまってもう動きたくないというjunは、へたり込んでしまったのだ。
 ちょうど目の前がトラムの通り道になっていたので、まあ楽しみと言えばそれを見る事だった。というのは、このトラムどういう仕掛けかは知らないが、公園部分は架線のない部分を走行するのだ。その程度は充電式のバッテリーでも積んでいるのだろうか?途中からパンタグラフは降ろされてしまう。(あとで調べたら以下のようなページを見つけた。日本でも実験はしているらしいが、見習うべき点は多いと思う。http://www2s.biglobe.ne.jp/~yamahome/hybridtram.htm
 ニースでの食事時間が18時となっていたために、結構長い自由時間となった。ようやくその時刻が近づいた頃に、マックを見つけた。失敗した。しかも集合場所の近くにおもちゃの店を見つけてこれまた残念だ。

2−8 夕食(1805〜1905)
・メニュー・・・野菜スープ・ローストビーフ・デザート(レモンタルト)
・飲み物・・・赤ワイン 500cc 7ユーロ

2−9 モナコホテル着(2000)
 20時と言ってもまだまだ明るい。暮れ始めるのはようやく9時を過ぎた頃だ。元気だったらきっとすぐにでも外へ飛び出したのだろうけれど、既にその気力はなかった。翌日聞いたところによると、元気な一組は、カジノへ行ったと言うことだった。
 連泊の豪華ホテルに帰って真っ先に洗濯物の乾き具合を見たが、今ひとつであったので、ヘヤードライヤーで乾かした。200Vの威力は強力で、あっという間に乾燥終了。日本は200Vにはならないのだろうか。

2−10  就寝(2111)
 荷作りを済ませてから就寝。