6.11月28日(水)トルクメンアバード ブハラ タシケント(雨のち曇り)
起床(0500)朝食(0700)ホテル発(0808)昼食(1145~1300)パントン橋(1325~1335)国境事務所(1408~1430)シャトルバス(1435~1438)緩衝地帯(1449~1502)国境事務所・税関(~1525)バス発(1545)ブハラ市街地区(1710~)夕食(1728~1840)空港着(1856)離陸(2018)着陸(2058)バス発(2137)ホテル着(2200)就寝(2350)
6-0 この日の主な訪問地
より大きな地図で 2012年11月28日関連地図 を表示
6-2 トルクメンアバードへ
ホテル発(0808)青空トイレ(1007~1011)
ホテルを出る前に、これまで作った絵はがき11枚をフロントへ頼んだ。
遅くてもいいから無事に届いてくれると有り難いのだが。
始めに全員で記念撮影をしてからバスに乗り込んだ。今日は一番前のグループに戻った。
市街地を抜けると殆ど砂漠地帯になる。が、昨日とは違って産業道路なのか舗装がされているので、身体は楽。しかも大型バスだし。
ほぼ一直線の走りやすい道路だが、時たま車とすれ違う程度だった。両側の砂の地帯には、砂止めが見られた。
途中検問所らしき所を通り過ぎたが、特に車を止めて何かを検査するということもなかった。どうやら州境にあるようだ。
青空トイレを1回してから町に入った。
6-5 国境へ
パントン橋(1325~1335)
バスに乗ってパントン橋まで来ると、荷物はそのままにしてバスから降りて歩くことになった。はじめはこの人数なので乗ったままでもいいかもしれないとのことだったが、やはり駄目だった。
この頃になると雨が止んでいたのでその点はよかった。
橋のたもとにはトラックが長蛇の列を作っていた。トラック1台ずつしか通れないのだそうだ。
ゲートを通過していよいよ橋を渡る。この橋が、単にトタンを敷き並べたような簡素なもの。ところどころに隙間があって、ものを落とすとそのまま川の中という感じの所もある。その上、橋そのものはかなり老朽化している。バントン橋は橋脚がある訳では無く、船のような形をした台船の上にのっかっている形だ。(一番下の段の左の写真) いわば、浮き橋なのだ。
途中、結婚式の車とすれ違った。クラクションを鳴らされ、ビデオまで撮られた。写真いけないと厳重に言われ、隠し撮りしていたのに・・・
橋を渡りきるとこちら側にもすごいトラックの列が出来ていた。そこへ丁度我らのバスも到着した。トラックとは別の順番で通ってきたようだ。
その後はまた気楽なバス旅だ。
こちら側は緑が豊かで、農作地帯のよう。懐かしさを感じる農村風景が広がっていた。
家の周りに鶏や牛がうろつき、前には自宅用くらいの小さな畑を持っている。そんな家が続いていた。
が、国境近くにあると殺風景な風景に変わり、またもやトラックの行列だ。
6-6 出国手続き
国境事務所(1408~1430)シャトルバス(1435~1438)緩衝地帯(1449~1502)
バスは駐車場へ入る。すぐ目の前に事務所があった。窓口が一つで、係員が一人。その人が入国と出国の両方をやっているので、丁度入国の方をやっていたために少し待たされることになった。
それでも出国は我々だけだったので、全員の手続きは30分もかからずに終わった。
早めに終わった我が家は寒いので建物の中にいようと思ったが、迷彩服の人(兵士?)に外に出るようにいわれて仕方なく外へ出て、皆が終わるのを待った。
全員が終わった頃丁度運良くシャトルバスが来たので、それに乗り込んだ。ただ、全員一緒というわけには行かなかったので、我が家は先に乗り込んだ。
緩衝地帯の入り口で下ろされて、そこで次の人たちが来るのを待っていようとしたが、またもや迷彩服の人にここでは待つなと言われて、少し先にある事務所へ行った。
そこでパスポートのチェックを受けた。これが、トルクメニスタンの最終的なチェックだった。
そこから小川のような川(これが国境だったのかも知れない)にかけられた粗末な橋を渡ると、また小屋があって人が待っていた。ウズベキスタン側の建物だった。ここでまたパスポートチェックを受ける。ウズベキスタンのビザを見せる。そこでは待つことが許されたので、全員が来るのを待った。といっても外だが。
それからスーツケースを引いて、緩衝地帯を歩いた。結構でこぼこな道なので、歩きにくい。ただ、車が来ないので、真ん中を歩くといくらかよかった。これは重要なことだ。トラックはまず来ない。特にトラックの列が出来ているところは、後ろに並ぶしか無いから、後ろからは来ない。前を注意していれば良いが、この時は前から来る車は無かった。道路の端はかなりでこぼこだが、中央部分の路面状態はそう悪いものではなかった。
国境近くにもトラックの列。数えてみると29台が並んでいた。国境近くでは複数列になっていたので、実際には35~6台といったところか。
金網のゲートがあったので、そこで皆が来るのを待っていようとしたら、また迷彩服が来てそこを開け、通れというので、我が家が一番に事務所まで行った。
6-7 入国手続き (1503~1513)
国境事務所に入り、最初の窓口で、パスポートを出し、我々がグループであることをいうと、noriの名前を手書きでノートに記入した。次も同じようなことをするのかと思ったら、記名したのはnoriの分だけだった。多分グループ代表ということかな、と話した。
それからおでこで検温。と言っても、体温計を使うわけではなく、器械をおでこの方へ向けるだけ。歩いてきたばかりで体温上がってるよなあ、といったが、無事通過。
次の窓口では、パスポートを詳しくチェックして検印された。このときは、機械でパスポートを読み込むようになってはいたのだが、なかなか読み込まない。これでかなりの時間を使った。その間に後続の人たちも到着した。
これで入国手続き完了かと思ったら、次の窓口では税関書類の検査をされた。ここでは書類の書き方くらいをチェックしたようで、簡単にスルー。
同じ建物内だが窓口が3つあって、それぞれが仕事をしていた。まあ、流れ作業で効率がいいかといえばそうでもなく、手作業なのでゆったりしたものだ。今回も我々だけだったので、待ち時間はゼロ。
6-8 税関(1515~1525)
後続もそれぞれ時間がかかりそうなので、その建物を出て税関事務所へ向かう。
入り口が分からずウロウロしていると係員が来て鍵を開けてくれて中に入った。人がいなかったが、我々が来たのでようやく仕事かと言った感じで、パソコンやらセキュリティーチェック用の機械やらの電源を入れる所から始まった。
ここが混雑するとか横入りが横行するとか、事前の旅行記で読んでいたのだが、全く閑していた。閑ついでにそこの係員のおしゃべりなこと。言葉が通じないのだがペラペラよくしゃべる。そのあげくに若い女性のスーツケースを開けろという。そしてスマフォ、スマフォと言う。そのスマフォは、彼女のハンドバッグの方に入っていたので、それを見せるとスーツケースは締めていいと言って、しばらくそれで遊んでいた。意味が分からない。結局若い女性のせい?と話した。
そこを出るとまた迷彩服が来た。今回は駄目とも言わないので全員をそこで待つことにした。なかなか後続が来ない。終わった人から来ればいいものを、先ほどの国境事務所で皆が終わるのを待っていたらしく、全員揃ってやってきた。これでは、ここの手続きにも時間がかかるだろうに、と思った。
しばらくは迷彩服と分からないなりに話をしていた。万歩計に興味を持ったらしく、noriが身体を使って使い方を教えると大笑いしていた。笑顔の可愛い少年、という感じだった。
全員が揃ったので金網のゲートを開けてもらって、ようやくウズベク入国となった。
ところで、我々は足の速さで一番だったのだが、その他の人は速く歩いている理由があった。それはトイレに行きたいと言うことだった。noriは税関ところで聞くと、先にあるというので、最後のゲートまで歩いて行ったが、結局無かった。そうした人たちはかなりつらい思いをしたことだろう。
6-9 ブハラへ
バス発(1545)青空トイレ(1548~1556)
駐車場には着いたばかりだという迎えのバスが待っていた。ということは、今回は国境越えがかなりスムーズに行ったと言うことになるのかも知れない。でも、この日はこの後飛行機に乗って首都のタシケントまで行かなければならないので、早いに越したことは無いのだ。
ガイドさんは、はじめに入国したときと同じ、ザファールさん。早口のガイドさんだ。
彼によるとこのトラックの大群は、今日中に出入国できるかどうか分からないとのことだった。手続きに時間がかかるということなのだろうが、これほど需要があるのだからもう少し何とか出来ないものかと思う。流通がよくなれば、経済的にも変わってくるだろうと思うのだが。
出発すると、車内で男性は帽子を、女性はポーチをプレゼントされた。こういうときにかぶるのはnoriである。
さあて、トラックの大行列が途絶えた所で青空トイレとする。女性の方は定かでは無いが、男性で立ち小便出ない人もこの時いた。その方はかなり体調を崩していたようだ。かように、体調を悪くしている人が多かったのは、旅行社としても大いに反省すべきだろう。
6-11 夕食(1728~1840)
バスを降りて少し歩いた。
そのときに、仲店のような所を通ったのだが、二人とも「あっ!来たような気がする」と思った。大変懐かしい気がした。
そこからまたミナレットも見ることが出来た。
夕食はスープ、マンティ(餃子)、スズキのフライ、デザート、コーヒー
ここで、ガイドさんが両替をしてくれたので、我が家は50ドル=10万スムをしてもらう。桁数は大きいが、大して使えるわけではない。
このとき飲んだウォッカが4,000スム(2ドル)なのだから。
なおこの時も、同席したお一人は食事を口にされなかった。彼は旅仲間の中では登山歴などもあり屈強な御仁とお見受けした。それだけに、食事を一切取らないという意思の硬さには、敬服した。実際これが一番の早道なのは確かだ。(お陰で、noriは一部その人の分まで食べた。)
6-12 空港にて
レストラン発(1843)空港着(1856)待合室(1923)
そこからまた空港へ向かう。近くだったようですぐに着いた。
すぐにセキュリティチェック。問題なく通過。
団体チェックインなので、またもや楽した。昨日重さを何度も量り直したのに、団体計量なので、一緒に秤に乗せた。それも全く雑な乗せ方で扱い方が乱暴だった。
が、ともかく手続きが済んだので、2階の待合室へ向かう。当然そこでまたパスポートと搭乗券のチェックと荷物のセキュリティチェックをうける。
待合室は綺麗だった。今回はどこへ行ってもトイレも含めて綺麗だった。
搭乗券は、チェックを受ける前と受けた後のもの。そのたびにjunはトイレへ行って写している。空港内撮影が出来ないから、こんな面倒なことをしなければならない。
6-13 機内にて<HY 1338 15AB>
搭乗(1959)動く(2015)離陸(2018)飲み物サービス(2038)着陸(2058)
ガイドさんと一緒なので全く心配ない。
搭乗ゲートに向かうと今回は指定席だったので、安心して座る。3-3の窓際だが、我が団体はほぼ同じ辺りに集まっていた。ただ添乗員さんだけ離れていたので、ガイドさんが人数の確認をしつこい程やっていた。このガイドさんは日本語もうまいが、添乗員以上に日本的なチェックをする。たぶん日本で、こうしたことを徹底的に研修を受けたのだろう。その分が「安心感」となっている。
離陸すると飲み物のサービスがあった。
そう長いフライトではないので、結構忙しかった。着陸態勢に入ると下には光溢れる町が見えてきた。やはりタシケントは大都会という感じだった。かつて日本からタシケントに飛んできた時も、夜だった。小さな町を想像していたから、町の灯りが点々と続く大都会に、中央アジアの沙漠の中にこれほどの大都市が・・・と感動した記憶が甦ってきた。
着陸したのがターミナル2の国際線の方だったので、タラップを下りてから長いバスの旅だった。しかし我々は運良く座れたので、疲れずにターミナルまで行くことが出来た。結果的に着陸してから20分もかかってしまい、バスを降りたときには21時22分にもなっていた。
6-15 ホテル<ウズベキスタン 1124号室>
バス発(2137)ホテル着(2200)就寝(2350)
ホテルは初日と同じホテル。
部屋は違っていたが、前回よりも広い感じだった。洗面所も大きいしバスタブも大きくゆったりしている。机も暖房器具も荷物置き台も二つずつあったので、元々二部屋だった所を一つにしたのでは無いかと思った程だった。ただし、テレビや冷蔵庫は一つだった。当たり前か。
ただ風呂栓がなかったので、テレフォンカードで代用した。また電球もなかったので、連絡するとすぐに対応してくれた。
ネットがつながったのは有り難いが、電源が少ないのが我が家には辛い。
一通り荷物の整理をしてから、現地旅行会社のアンケートや税関申告書を書いたりしてようやく就寝。