3.2012年9月6日(木) エペルネ、ナンシー、ストラスブール(快晴)
起床(0330)朝食(0700)ホテル発(0800)市庁舎(0806~0818)昼食(1135~1320)ナンシー観光(1320~1500)ナンシー派美術館(1532~1630)ホテル着(1900)夕食(1920~2055)就寝(2200)
3-1 朝
起床(0330)朝食(0700)
日本を出るときに心配していたことは、フランスは気温が低いのではと言うことだった。しかし夜は思ったほど寒くなく、かえって暖かい感じだった。今朝も3時には目が覚めてしまったので、あきらめて3時半から動き出した。
noriは風邪気味だという。ひどくならないように薬を飲んで用心している。しばらく荷作りをしたり日記を書いたりして時を過ごした。明るければ散歩に行けるのだがなあ。
定刻に行ったのだが、朝食会場はまだ準備段階だった。それでも用意されているものだけで、ということで食べ始めた。我がグループだけでほぼ満席になってしまうくらいの狭いレストランだった。
用意されたものは、パン、ハム類、ヨーグルトなどだ。パンが美味しかった。飲み物はポットでくれたので有り難い。部屋に湯沸かしがなかったので、我が家はここで紅茶をリクエストしてしっかりとnori持参のポットに頂く。
3-2 市庁舎見学
ホテル発(0800)市庁舎(0806~0818)
ホテルから、またスーツケースをゴロゴロと引いてバスへ向かう。石畳の道は結構きつい。それでも、昨日のところよりはホテルに近いところまでバスが来てくれたので、有り難い。
バスへ荷物を置くとすぐ前に市庁舎があるので、それを見てくださいというので、皆で行った。
モエ・エ・シャンドンの向かい側にあるので、昨日も写真を撮ったが、グルリと反対側まで見られる。その庭にプチトランが置かれていた。こんなに狭い町でもこれに乗って観光するのかと思った。
この市庁舎、1858年に造られ、今や市のシンボルとなっているのだそうだ。
その少し先に大聖堂があるので、そちらまで急いで行ってみた。昨日は夕焼けを背にしていたが、今日は朝日を浴びて輝いていた。得した気分。
3-3 ナンシーへ
バス発(0820)WC休憩(0947~1005)
エペルネの町を抜けて行くと、ブドウ畑やひまわり畑、トウモロコシ畑などが目に付くようになる。ブドウはそろそろ収穫の時期になるといっていたが、ひまわりもトウモロコシもすでに時期は過ぎていて、枯れたままの状態でたっている。この先どうするのか?疑問に思ったが、とうとう解決すること無く帰国してしまった。
小麦はすでに収穫が終わっていて、切り取られた後の株が残っているだけだが、代わりに野菜が青青と育っている畑も見られた。
風力発電が、林立していた。いずれもよく回っていた。このくらい回ると効率がいいのだろう。
トイレ休憩で立ち寄ったところのすぐ横に川が流れていたので行ってみた。清流を眺めていると爆音が聞こえたので見上げてみると軍用機が飛んでいった。この近くに基地があるらしい。
その後車窓風景には少し変化があり、牛の放牧などの様子が見られるようになった。耕作地から酪農地帯に入ったらしい。
3-5 昼食(1135~1320)
旅のしおりには、「カフェ・フロ」と書かれていたが、別名「ブラッスリー・エクセルシオール」という超有名な店。中に入ると全体がアールヌーボー一色だという。
柱の彫刻やガラスの模様などにそれが見られる。家具やランプなどもそうなのだそうだ。単にこの建物を見るだけに訪れる観光客もいるとか?
メニューは、キッシュローレヌ、ポークフィレマスタードソース、リンゴのタルト。
キッシュローレヌは大きくてこれだけでお腹がいっぱいになった。
ポークは、これまた肉自体に味がなくて、マスタードソースを絡めて食べてようやく美味しいと感じる。なのに、noriのにはそのソースがほとんどかかっていなかった。ここにもフランス人のアバウトさが見て取れる。
ワインは高いのでやめた。ちなみにグラスで一番安いものが6、6ユーロ。昨日のボトルよりも高い。
リンゴのタルトなど食べ物までアールヌーボーしているように感じられた。
トイレもそうかと思ったら全く普通だった。メンバーの一人がこんなところで食事できるなんてとえらく感激していたが、奥の方は高校生らしい団体で占領されていた。
ここは、1910年に造られ、最初はレストランとホテルだった。今、上の階はアパートになっている。
3-6 ナンシー観光(1320~1500)
日本人現地ガイドさんと歩く。
レストランの前の店で、食事の後買い物をするということだったが、このガイドさん、もっといい店がありますから、といって歩きだしてしまった。つまりこの店はロレーヌ地方のものはすべて何でも揃っているのだが、高い、ということでパスしたのだ。マカロンに関しては老舗の店を紹介するということだ。
3-6-1 アールヌーボー建築巡り
はじめに商工会議所を見に行った。ルイマジョレルの作品が入り口の鉄の装飾になっている。この人、さっきのレストランの家具とかも手がけた人で、ガレのライバルだそうだ。
ステンドグラスも素晴らしい。中から見ることが出来ると最高に素晴らしいものだ。ただ、公開はしていないのが残念。5枚の絵になっていてこの地方の産業を表している。
窓の手摺りの青い色は、最近塗り替えられた。この青は、アールヌーボー派の特色の色だとか。何かしら意味があるものらしいが、その理由はわからないとのこと。
他にも沢山のアールヌーボ建築が見られた。
例えば「レストレスプリカン」と書かれている塔のある建物もそう。元々は地方紙の本社があったところ、真実に光を当てるという意味を込めて海の灯台をイメージして造られたそうだ。
駅を背に、トラムの走っている道を進む。ここは歩行者専用道路で、一般の車は入れない。
この街には1900年代に250ものアールヌーボーの建物があった。現在でも60程のアールヌーボー建築が残っており、それらは、歴史的建造物に指定されている。ただその中には、一部だけというものもある。特徴としては曲線が多いことと、植物の模様が多く採り入れられていること。外観もそうだが、階段や壁とかの内部もすべて、アールヌーボーで造られているところがすごいのだそうだ。
この辺りは16世紀に整備された新市街となっており、スタニスラス広場を挟んだ反対側が13世紀の旧市街地区となる。
この街の名物はマカロンとベルガモットキャンディ、ニラベルという果実がある。
3-6-2 スタニスラス広場
6つの門が有りそこを通って広場に来られるようになっている。また、この周りにある建物はひっつかずに離れている。門は常に開放されていて、閉塞観を無くしている。門はすべて同じ型でナラムールという人の手になる。この広場はフランス王家に捧げられているということで、王家の百合の花とかで装飾されている。2005年に修復されたときに、姉妹都市である金沢市の金箔が一部使われている。
ルイ15世に捧げられた広場で、ロレーヌ公国最後の王、スタニスラスによって1752年~55年にかけて造られた。新市街、旧市街が城壁に守られて完全に分かれていたので、それを繋ぐためにこの広場が造られた。
この人は元はポーランドの貴族出身の人で、王にもなったが失脚してしまい、アルザス地方で亡命生活を送っていた。その頃ここロレーヌ地方がフランス領になり、当時のルイ15世が、義父のスタニスラスにこの国を任せるようになった。ただ、実際の統治はパリから派遣された地方長官が行っていたので、彼はこの街の美化に専念し、芸術、文化に力を入れた。
広場の周りには、市庁舎、ホテル、オペラ座、ナンシー美術館などがある。
市庁舎のてっぺんには時計がある。その下にホテルドビルと書かれているので、ホテルと間違えられる。1階部分は大広間。天井画が素晴らしい。四角の囲みに、女神がエンジェルに盾を渡しているのが見られるが、この女神がロレーヌ公国、エンジェルがフランス王国を表している。盾がロレーヌ公国の土地と人々を表していて、ロレーヌ公国はフランスに捧げるという意味になっているのだそうだ。
市庁舎の左手にあるのがグランドホテル。4つ星のホテル。
その左側がオペラ座。このオペラ座の向かい側がナンシー美術館。
中央の像は、現在はそのスタニスラスだが、以前はルイ15世だった。それがフランス革命の時に倒されたので、それ以降彼の像になった。それまでは国王広場といわれていた。
スタニラスの指先は目の前の凱旋門を指している。そこにいるルイ15世を指している。私は彼のためにこの広場を造ったということを表しているといわれている。
スタニスラスの像を背にして見ると噴水が二つ見える。左側が海の神、ネプチューンの像になっている。右側が、海の女神、アンフィトリテ。この二人は夫婦。対になった噴水である。
ところで、何故スタニスラスがこの公国を手に入れたかと言うことの説明が面白かった。つまりは亡命中のスタニラスの娘が、ルイ15世と結婚したのは何故かというところから話は始まる。 ルイ15世の子供を産める女性を探しているときに、スタニラスの娘に白羽の矢が立てられたのだそうだ。亡命中とはいえ、それなりの家柄と認められたからだとのこと。その期待通りに彼女は11人の子を産んだ。
まもなくロレーヌ公国の正当な後継者フランソワ3世が恋に落ちたのがオーストリアのハプスブルク家のマリアテレシア。その結婚のためにこの公国をフランスにあげたというわけで、やがてスタニラスの手に回ってきたということになる。その末娘がマリーアントワネット。つまりは、彼女にとってもここが父の故郷ということになり、ルイ16世の元へ嫁ぐときにこのグランドホテルにも泊まったと言われる。
凱旋門にはルイ15世を象徴した彫刻が施されている。左側は平和の王と言うことで、女神に囲まれて楽器を演奏するアポロンがいる。これはルイ15世の優しい面を象徴している。右側は平和の王と言うことで大蛇と戦っているアポロンの姿がある。これは強いルイ15世を表している。
凱旋門を抜けると,正面に見える建物がパリから派遣された地方長官の屋敷。現在は陸軍の司令部になっている。
目の前にあるのが「カリエール広場」。これも世界遺産のグループに入っている。ただ、この日はイベントの準備で、大きなテントが張られていて、様相が分からなくなってしまっており残念。元々はもっと大きな公園だった。ある王が馬車で通るために更地にしてしまったのだそうだ。
3-6-3 旧市街地区巡り
こちらの地区は13世紀に一番隆盛期を迎えていた。その当時のメーンストリートを歩いて行く。ナンシーの戦いに勝利してから、多くの人が移り住むようになった。この道のところにそのときの敵の将、ブルゴーニュ公国の王シャルルが埋葬されており、記念のプレートがある。1477と表示されている。この戦いをテーマに、ドラクロワは絵画「ナンシーの戦い」を描いている。<参考>
3-6-3-2 ロレーヌ博物館・コルドリエ教会・クラフ門
ロレーヌ博物館では、このロワール地方の出身であるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品が5点見られる。水色の家根飾りが印象的だ。正面はロワール地方にあるブロア城を真似て造った。
ロレーヌ公国の館は、元々大きな館だったが、今はずいぶんと小さくなってしまった。
コルドリエ教会は、ナンシーの戦いに勝利したことを記念して建てられた教会。やはりこの街にとってナンシーの戦いに勝利したことはかなり大きな出来事だったようだ。
そしてクラフ門。13世紀のもので、黒い尖塔が印象に残る。市街を囲んで建つ4つの門のなかで、北側に位置するもの。市内でも古い建造物で、刑務所として使われた歴史もある。現在はロレーヌ博物館の別館となっている。
これらは通りすがりにさっと見ただけだった。
3-6-3-3 ペピニエール公園
スタニスラス広場に隣接する公園で、かなり広い。21ヘクタールもあり、東京ドーム5個分弱程度もの広さがある。そこには、バラ園や動物園、ミニゴルフやサッカー、バスケットなども出来る。コンサートの開かれる会場も有り、市民の憩いの場となっている。
ペピニエールとはフランス語で苗床という意味で、元々はここでスタニラス広場の植物を苗から育てて植樹するために造られた物だそうだ。
銅像はロダンの作品で、イタリアの画家、クロードジェル。沢山の候補の中から、エミール・ガレが選んでここに置かれた物だそうだ。このクロードジェルはこの地方の出身者で、出稼ぎに行ったイタリアでその才能を開花させた人。
キオスクもあるが、ここで言うキオスクとは、日本で使っている意味と違い、野外音楽堂のこと。今でもコンサートが開かれたりする。
3-6-4 自由時間
その後ガイドさんお勧めのマカロンの店へ行く。ここで、noriが買いたかったアメリの箱も手に入るかと思っていたら、先ほどの昼のレストランの前の店にしか無いとのこと。先に言ってくれれば、ということだったが、昼食前にはその店に行くことになっていたのだから,こちらから言わせれば今更そんなことを言われても、ということだ。
ついでに言うとマドレーヌもここの発祥だそうだ。コメルシーという町の出身だったので、「コメルシーのマドレーヌ」は日本でも紹介されて人気になっているそうだ。
一応店まで行ってその後は2人でスタニラス広場へ戻って写真を撮ったりして過ごした。
3-6-5 エミール・ガレの家
ナンシー美術館へ行く途中にガレの家の横を通過した。
ここには、日本贔屓だった彼の趣向で、日本の植物が多数植えられている庭がある。
彼の作品のコレクターは日本人が最多ということで、日本国内にも作品が多数あるそうだ。(極端な話、ことガラス作品に限れば、日本にあるコレクションの方がフランスにあるそれよりも充実さえしているとも聞く。)
この人、ナンシーで生まれてずっとナンシーで暮らしていた。日本はおろか、諸外国にもあまり行っていないらしい。ガラスや陶器の作品が有名だが、他に家具も沢山造っている。その彼が仲間に声をかけて作ったのがアールヌーボーの一派、ナンシー派ということになる。その中には、建築家、ガラス工芸家、家具職人など、分野を超えて人が集まった。
周りがドイツに編入されたときもここナンシーは、フランスにとどまったために多くの芸術家が集まったということも有り、また、経済も発展した事もあって、アールヌーボーも広がりを見せたそうだ。(車中から写真を撮ったが流れてしまった。ごめんなさい。)
3-7-1 庭(主に水族館)
野ざらしで彼の工房だったところのドアが置かれている。造ったのは彼では無いが、ドアさえも芸術品になる。「私の根源は森深くにある」というガレの座右の銘が書かれている。現在も工房は残っているが、別の事に使われている。
ユダヤ人のチャペルもある。人が亡くなったときに墓と共に造られる物だそうで、普通の概念のチャペルとは違う。元々ここにあった物では無いが、アールヌーボー建築と言うことで移築されたそうだ。
水族館もある。この地方には海から遠いので、当時、居住空間に海とか水のスペースを造るというのがステータスだった。池を造ってそこから水と魚を引いてくるようにしたかったらしいが、それはうまくいかず、窓際に水槽を設置する形になった。
中のステンドグラスが素晴らしい。普段は閉まっているのだが、今日は偶然開いているので中に入ってみることが出来るとのことだ。これまたラッキー。内部は昼のレストランのステンドグラスを作った、ジャックグルベールという人のステンドグラスで囲まれている。この人はナンシー派の中でもステンドグラスの第一人者と言われている人だそうだ。
3-7-2 内部の作品群
中庭の見学を終えて建物に入る。
3-7-2-1 入り口
すぐのところにテーブルが置かれている。これはガレの作品。「ライン川」というタイトルが付いている。下の方にナンシーのシンボルであるアザミと、二重十字架が彫られている。そのアザミの下に「私を引き離そうとすればする程、私の心はより強くフランスに惹かれます」というメッセージも書かれている。これは普仏戦争でドイツに占領されたためにフランスへ来ることが出来なかった人々の気持ちを代弁しているのだという。
すぐ前の部屋に置かれたピアノは、昼のレストランの家具を造ったルイ・マジョールという人の作品。「白鳥の死」というタイトルがある。それも彫り物から付けられた名だ。
鏡の前のランプはドーム兄弟の作。この兄弟の会社は現在まで続いている。
3-7-2-3 ガレの作品
次へ行くとガレのガラスの作品が多数ある。
「フランスのバラ」というシリーズ作品がある。彼の代表作である。
黒いガラスがあるが、これは高島得三(のちの北海)の描いた墨絵の作品に強く惹かれたからだという。「ひとりぼっちの私」という作品にはトンボがいる。トンボから見た水辺の様子が描かれている。
ガレは自分ではこれらを造ったのでは無く、デザイン、素材などプロデュースするのみだったそうだが、それを実現させた職人の腕も相当なものだったろう。ただ、その人の名は一切出てこず、単にガレの作品ということで紹介される。
ガレの晩年のものがアールヌーボーの作品となる。淡いパステルカラーを使ったり、植物をモチーフとしたりしたものが多いが、以前は神話や童話などをモチーフにしていた。
黒く錆びたようになっている作品は、わざと不純物を入れて錆びた感じを出しているのだが、この技法や寄せ木の技術をガラスに取り入れてやってみるという技法は、ガレの特許となっているそうだ。こういうのにも特許があるとは驚いた。
この中でガレらしいと思われる作品はオタマジャクシのいるもの、カブトムシのいるもの、海藻の絡まる手などだ。この手のひらには花が活けられるようになっている。
3-7-2-5 日本の夜
ショーケースの中もすべてガレの作品。注目は「日本の夜」というタイトルのもの。リンゴの木と蝶が描かれている。青の発色が素晴らしいと言うことで評判になった作品だ。
ところが何故かここの写真が無い。
3-7-2-7 ガレのベッド
次はこの美術館の目玉ともいえるエミール・ガレの作品。「黎明と黄昏」というタイトルが付いている。枕元は星が降っていて、その下には羊飼いの群れが帰って行くような村の様子がある。蛾が落下して夕闇の様子を表している。変わって足下にはカゲロウが飛び立っていくところで夜明けを表している。蝶が二匹交差していて、その間に卵をガラスで表現している。夕闇は死を、夜明けは誕生を表している。人はベッドで生まれベッドで死んでいくという人間の生と死を表した物になっているのだそうだ。フランス語では昼のパピオンが蝶、夜のパピオンが蛾なので、そこから来ているのではないか。「眠りを誘う蝶の家具」とガレ自身名付けている。この作品を造っているとき既に白血病に冒されていて、完成後に死亡した。つまりこれが遺作となった。
ソテツのランプがあるが、これは光を入れるとピンク色に変わる。ガレはこのように変化するガラス作品も造っている。ホテイアオイのランプもある。これも色が変わる。
3-7-2-10 最後もガレ
天井からぶら下がっているのは、タマネギのランプ。テーブルの脚はトンボ。ガレはトンボが大好きなモチーフだった。でも、可憐なトンボをこのような足にするとはということで不評だったそうだ。
家具もガレのもの。「日本風飾り棚」というタイトルになっている。「麦の取り入れ」という作品は食器棚とテーブルと椅子がセットになったものだが、これはガレが亡くなってから工房が造った物。近景からいきなり遠景に飛ぶ技法は日本の浮世絵の影響を受けている。
次から次にガレの作品を見てきた。腹一杯になった感もあるが、これまでなじみが無かった分野にも触れることが出来て、面白かった。<参考: ガレの作品集>
3-10 夕食(1920~2055)
夕食はホテルのレストランで。
メニューは、まずはスモークサーモン。量が多かったが、わさびが付いていて美味しかったので、完食した。このわさびは日本のとは違って、どうやら山わさびというものらしい。と、これはみんなで出した結論。店に確かめたわけでは無い。
次はサーモングリル。前菜に引き続いてサーモンだ。他の魚は無いの?とは言ったが、適度な大きさで良かった。ポテトは多い。
デザートはフルーツポンチ。さっぱりしていて美味しかった。
ワインは500ml 12ユーロ。高いので、これにした。ワインの本場なのに、フランスは決してワインは安くない。
3-11 部屋にて
就寝(2200)
部屋に戻って、今日のまとめやら入浴やら荷物整理をしてからベッドに入った。
ただ、荷物整理と言っても連泊なので、大まかにしただけだ。今回は連泊でも洗濯はしないで済むように着替えを持ってきたので、ゆっくり出来た。