ディジョン、プロヴァン、パリ


7.2012年9月10日(月) ディジョン、プロヴァン、パリ(晴れ一時雨)

起床(0430)朝食(0630)プロヴァン(1150~1300)昼食(1305~1425)パリ着(1555)オペラ座(1625)ノートルダム大聖堂(1735~1750)ホテル着(1940)買い出し(2010~2050)宴会(2330~)就寝(0040)


7-1 朝

起床(0430)朝食(0630)

 どうも朝早く目が覚めてしまう。
 グダグダしていても仕方がないので、健康チェックをして起きた。
 昨日までの絵はがきを作ったりした。
 ようやく朝食の時間になったので、地下のレストランへ行った。今日も奥の部屋で、パンが豊富だった。

france3_4152 10 1407.jpgホテルの自室の窓から見た風景
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7-2 プロヴァンへ

ホテル発(0803)モンパールへの分岐点(0904)ヴェズレーからの分岐点(0947)WC休憩(1011~1030)

 今日は今回最後の世界遺産を訪問する日。
 そこへ行くまで、また昨日と同じ道を通る。今回も無駄なコース取りをしている。何とかならないものかと思う。
 トイレ休憩を過ぎると、いつの間にか牛と分かれて農地になっていた。農地といっても青々としていたのではなく、一面茶色をしていた。刈り取りが終わったのだろう。
 相変わらずひまわり畑やトウモロコシ畑は続いて見られた。
 11時過ぎにセーヌ川を渡った。

france3_4155 10 1447.jpgホテル中庭にて
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7-3 プロヴァン(1150~1300)

 13世紀の時代、プロヴァンは、イタリアと北ヨーロッパを結ぶ交通の要衝とし栄えていた。国を越えて多くの貿易商が集まり毛織物、貴金属、香辛料などが売買されていた。
 しかしプロヴァンは14世紀に入ると急速に衰退し世の中から取り残されていった。今となればそれが幸いして中世の面影をそのままに留めることができた。
12世紀建造の四角い土台に乗った八角形のドンジョンであるセザールの塔、13世紀の商家で博物館に改装され中世の職業(陶工、石切工、商人…)を蘇らせた十分の一税用の倉庫、1270年に始まるフランス最古のオステルリー(田舎の小ホテル)、そして古都の地下には見学可能な中世の地下道など、見所の多い町だ。
 まずインフォメーションに行って日本語のパンフレットをもらう。
 それを持って、ここも自由見学。
 (写真の中にもやもやしているものが映っているが、これはフロント硝子に付いた虫。ここのバスでは毎日は掃除しないらしい。見づらいだろうが勘弁願いたい。)

france3_4209 10 1838.jpgようやくプロバンの街並みが見えてきた
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7-3-1 サン・ジャン門と城壁

 11世紀から13世紀に建設され、近年、修復工事が終了した。
 サン・ジャン門は、昔のパリ街道からの進入を防御する役割を果たした。門に付属する塔は、見学ができる。
 中世時代劇は、この門の正面で開催される。

france3_4218 10 1856.jpgサン・ジャン門
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7-3-2 シャテル広場

 山の手の中心地。広場の中心には、昔のシャテルの井戸と13世紀の十字架が据えられている。この十字架の下で、かつて貨幣取引が行われ、また伯爵令や王の勅令が布告されていた。
広場の周りには、切り妻が4つある建物(メゾン・オ・カトル・ビニョン)や中世の裁判所、聖チボー教会の面影が残っている。
ここを再集合場所と決めた後、解散となった。集合まで1時間もない

france3_4240 10 1906.jpgシャテル広場
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7-3-3 セザールの塔

 1152年~1181年に建てられたこの塔は、町のどこからでも見ることができる。四角い土台のうえに、多角形の塔(ドンジョン)が建てられ、それが城の四方にあるこのタイプはフランスでも珍しいものだ。
 シャンパーニュ伯爵家の権力のシンボルだった。監視塔、牢獄、鐘楼等様々な役割を果たした。新たなセノグラフィーにより、8世紀前の塔内の日常生活が体感できる。最上階からは町周辺のパノラマが見渡せる。
 あまり時間がないので、とにかくこの塔へ行ってみることにした。上の方に見学している人が見えたので、あの辺りまでは行けるらしい。

france3_4241 10 1909.jpgセザールの塔
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7-3-3-1 上る
 入り口にはおしゃべりで陽気な受付のおばさんがいた。
 日本人かと聞いてから日本語のパンフレットをくれた。その後、どうやって上まで行ったら良いのか、こちらが分かるとか分からないとか関係ないようにペラペラと見学路の説明をしてくれた。
 ともかく何歩あるかって聞いたら、そんなのコースがいろいろだから一概に言えないとかわされた。お礼を言ってから扉を開けて中に入った。
 階段は狭くて暗い通路になっていた。この時代の階段は、暗くて狭くて急なのはいつものことだ。あらかじめそのことは知っていたので、成田でもらった小さな灯りを持って入った。
 ところがこの階段の狭さったら半端じゃない。どうにか1人が通れるくらいしかなくて、太った外国の人にはとても無理。というか、受付のおばさんも無理なのではないかというくらいしか幅がない所もあった。ただ、回り方は一方通行になっていたので、困ることはなかった。
 途中に灯り取りのためだろうか、小窓もあったので、そこから外の景色を見ることも出来た。

france3_4247 10 1913.jpgスケールわからなかったが模型
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7-3-3-2 パノラマ
 どうにか上へたどり着いて、周りの景色を見る。
 町のパノラマ、町の様子が良く分かる。ただ、取り立てて賞賛するような、素晴らしいと絶賛するような物では無かったように思う。何を期待していたのか、といわれると困るのだが。
 そこから見えるとんがり屋根はどうも木製らしい。またところどころ壊れてもいたりした。
 塔の中の木組みなど工夫があって面白かった。よく見えなかったが、鐘もあった。確かに鐘楼としての役割もあったようだ。
 パノラマよりもこちらの方に興味が惹かれた。

france3_4260 10 1920.jpgまぁ眺めは良いけれど
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7-3-3-3 下る
 時間を見ながら下へ降りることにした。
 途中に広い部屋が辺り、映像が流れていたりしたが、時間がないので、急ぎ足で降りた。

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7-3-4 サン・キリアス参事会管理聖堂

 セザールの塔の展望で目の前に見えた教会へ急いで向かった。
 この教会は、アンリ・ル・リベラル伯爵の意志により、12世紀に建設が開始されたが、フィリップ4世治世下、王国の予算不足のために工事を中止して未完成のままなのだそうだ。
 身廊及び正面入り口はサン・キリアス広場の端まで建設される予定だった。天井の崩壊により、17世紀に円天井が建設された。
 未完成とはいっても、完成された部分はそれなりにしっかりと作ってある。中でパイプオルガンの練習をしている人がいた。

france3_4269 10 1920.jpgセザール塔から見たサン・キリアス参事会管理聖堂
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7-3-5 散策

 まだ少し時間に余裕があったので、下の町の方へいってみた。
 何か子供達が集まっていたので、その建物を覗いてみると、どうやら学校だったらしく警備員と思われる人に怒鳴られてしまった。
 そこを少し下がったところで、下の町を撮影して、集合場所の広場へ戻ることにした。
 途中、セザールの塔が違った角度からよく見えるところがあったので記念撮影。
 広場に戻って、井戸で手を洗った。この井戸、日本のとは違って、上の把手をグルグル回すと水が出てくる。それが軽く回るので、年寄り向きだ。
 結局自由散策とはいっても、セザールの塔に上ったことと教会を見ることがやっと。
 旅のしおりには「散策をお楽しみください」と書かれていたが、とても楽しむどころではなかった。忙しかった上に、junなどは膝がガクガクしている。

france3_4310 10 1937.jpgどうも学校だったらしい
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7-4 昼食(1305~1425)

 昼食のレストランは、広場に面していた。が、我々の席はちょっと奥まったところにある。
 前菜はパイ。シーフードパイとでもいうのだろうか、エビやムール貝などが乗っていた。すこぶる美味しい。
 メーンはダック料理ということで、ダックの足。ポテトのチーズ焼きが添えてあった。味が濃かったが、盛りつけは綺麗だった。
 デザートはババロア。これはまあ特段記録する程のものでは無い。


 食事を終えてから、また市内を通って駐車場へ戻った。
 今度はゆっくりと町並みや家の様子などを見ながら歩いて行った。
 観光案内所も、木組みで趣があった。そこで、バラジャムとキーホルダーを購入した。これが殆ど今回唯一の買い物と言ってよいものだった。キーホルダーはついでで、バラジャムはブルガリアのバラジャムと比べる為に買ったのだが、9月下旬まだ比較をしていない。

france3_4330 10 2004.jpg内陣も豪華の一言
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7-5 パリへ

バス発(1448)

 バスが動き出した頃、雨が降ってきた。
農村地帯を抜けて、しばらく行くと大都会に近づいてきた事が分かる車の量、高いビルなどが目に付くようになった。
 パリへ入るまでには渋滞にも巻き込まれた。

france3_4369 10 2145.jpg今日でこの運転手さんともお別れです
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7-6 パリ

パリ着(1555)

 パリに入ると、ホテルへ直行せずに、町中でしばらく自由時間にするとのこと。この日は午後、パリで自由時間となっており、そのために夕食も付いていない。どうすごそうかと思っていただけに、この対応は有り難い。
 町の様子が分かるようにと、少しドライブをしてくれた。セーヌ川沿いにしばらく走った。
 ノートルダム寺院や、パリ市庁舎、サンジャックの塔、シャンテイ広場、ルーブル美術館、チュイルリー公園などを回って、オペラ座の所に横付けされた。
 簡単なパリ観光をした気分だ。この頃に鳴ると天気も回復し暑いくらいに気温も上がっていた。

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7-6-1 オペラ座からスタート (1625~)

 ここで解散、集合となった。
 皆三々五々散らばっていった。解き放たれても困る人はいないようだった。
 我が家もしばらくはオペラ座の写真を撮っていたが、結構時間があるので、モノプリへでも行こうか、とか三越の後がどうなったかを見に行こうかとか、そういえばユニクロもあったなどと言いながらオペラ座から延びる道を歩き出した。(そういえば前々回パリに来た時はユニクロパリ出店の直前で、観光バスのラッピングはユニクロ一色になっていた。)
 が、店に入って買い物するのも何だな、と思ってまっすぐに歩いて行くと、地図上でマルロー公園と記されているところに着いた。ベンチもあったので少し休憩して、これから先のことを相談した。
 結論として、ノートルダム大聖堂を目指そうということになった。ただ、時間的なことが心配なので、このあとは一転してかなりの急ぎ足になった。

france3_4420 10 2313.jpgオペラ座
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7-6-2 ノートルダム大聖堂(1735~1750)

 パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前が起点となっている。つまりはここがパリの中心地というわけだ。
ノートルダム大聖堂は、ゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されている。ただ、最初にパリを訪れたときにこの一帯を見ているため、今回の世界遺産の数には加えられない。
 1789年に始まったフランス革命により他の教会同様にノートルダム大聖堂も襲撃を受け、大聖堂を飾っていた歴代の王の彫像が破壊された。これは後で見つかったそうだが、どこの国でもいつの時代でも、こういうことが起こっている。タリバンがバーミヤン渓谷の仏像を破壊したときに世界中から非難の声が上がったが、振り返ってみれば自分たちの歩いてきた道ではないか。
 ここはまた、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった。
さすがに人が多かった。外観も素晴らしい。
 正面の2つの塔、バラ窓、ステンドグラス、側面を覆うように立つ尖塔群と、典型的なゴシック建築の特徴だ。いつものことだが、入口正面に彫られた彫刻も見応えがある。
 地上階のアーチ型の彫刻は中心に最後の審判が、左右の門には聖母マリアと聖アンナがそれぞれ描かれている。
 いくつもの団体も見えて、中に入るのに行列も出来ていた。
 時間が足りなくなるかも知れないから中に入るのはやめにしようと思ったが、少し行列が短くなったのを見て、垣間見るだけでも井伊から入って見ることにした。
 聖書の世界を描いたステンドグラスが見ものだと言うが、丁度ミサでも行われるのか中央部分が仕切られていて、あまりあちこちと動き回れる雰囲気ではなかった。
 でもこういう荘厳なのが本当の教会なのだろう。
 ここでナポレオンが戴冠式を行ったとか、ナポレオンが奉納した十字架があるとか、まだまだ見きれていないことが沢山あるので、次はゆっくりと解説付きで見学したいものだ。
 何枚か写真を撮ってから外へ出た。
 時間を気にしながら、そこでも何枚か写真を撮った。2人の写真を撮ろうかと声をかけてくれた人もいたが、お断りして何とか2人で過ごした。

france3_4469 11 0032.jpg遠くに離れてみないと全体は見えない
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7-6-3 帰り道

 ここへ来るまでに約1時間かかったので、帰りは何とか間に合うだろうと思ったので、ところどころ写真を撮りながら、セーヌ川沿いにルーブル美術館まで行った。
 来るときと違って様子が分かるので、思ったよりも早く着いた。
 まだ少し余裕があったので、モノプリへ入ってリンゴジュースを買った。2.2€。日本のジュースを想像していたら、何かちょっと独特な味がした。

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7-6-4 ホテルへ

バス発(1906)

 どうせバスは来ていないだろうと高をくくって19時少し前に行くと、もう10分も前から来ていたとのこと。それでも、19時集合の予定が、やはり遅れる人がいて6分程過ぎての出発となった。
 ホテルは中心地から離れたところにある。
 町中を抜ける間に、日本料理店を2軒見つけた。何故かうれしい。

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7-7 ホテル <エバーグリーンローレル 315号室>

ホテル着(1940)

 ホテルに付いてから部屋のチェックをして、すぐに買い出しへ行くことにした。
 部屋は広くてゆったりしている。中心地から離れているのが難点だが、周りにはモノプリもあるし、地下鉄の駅もすぐ傍だし、歩き慣れている人にはそう困らないところかも知れない。でも、我が家のように、朝に夜に歩き回るものにとっては、不便なところだ。

france3_4544 11 0239.jpgホテル到着
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7-8 買い出し(2010~2050)

 ホテルのすぐ横にモノプリがあるので今夜の食事を買い出しに行った。
 結構広い店舗で、いろいろな物を売っていたが、総菜はなかった。そこで、ハムとかサラダとかワイン、ビールなどを買って帰った。

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7-9 宴会(2330~)就寝(0040)

 部屋へ戻って、まずは身の回りのことをした。明日は帰る日なので、荷物の整理もしっかりとやらなければならない。
 切手が残り2枚あるので、葉書も作らねばならない。これまでに、作った葉書は、4日目のリクヴィルで2枚、今朝のホテルで7枚出してある。
 そんなこんなで見通しが付いてからようやく宴会となった。

france3_4547 11 0315.jpg前菜
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