7.2012年9月10日(月) ディジョン、プロヴァン、パリ(晴れ一時雨)
起床(0430)朝食(0630)プロヴァン(1150~1300)昼食(1305~1425)パリ着(1555)オペラ座(1625)ノートルダム大聖堂(1735~1750)ホテル着(1940)買い出し(2010~2050)宴会(2330~)就寝(0040)
7-3 プロヴァン(1150~1300)
13世紀の時代、プロヴァンは、イタリアと北ヨーロッパを結ぶ交通の要衝とし栄えていた。国を越えて多くの貿易商が集まり毛織物、貴金属、香辛料などが売買されていた。
しかしプロヴァンは14世紀に入ると急速に衰退し世の中から取り残されていった。今となればそれが幸いして中世の面影をそのままに留めることができた。
12世紀建造の四角い土台に乗った八角形のドンジョンであるセザールの塔、13世紀の商家で博物館に改装され中世の職業(陶工、石切工、商人…)を蘇らせた十分の一税用の倉庫、1270年に始まるフランス最古のオステルリー(田舎の小ホテル)、そして古都の地下には見学可能な中世の地下道など、見所の多い町だ。
まずインフォメーションに行って日本語のパンフレットをもらう。
それを持って、ここも自由見学。
(写真の中にもやもやしているものが映っているが、これはフロント硝子に付いた虫。ここのバスでは毎日は掃除しないらしい。見づらいだろうが勘弁願いたい。)
7-3-3-1 上る
入り口にはおしゃべりで陽気な受付のおばさんがいた。
日本人かと聞いてから日本語のパンフレットをくれた。その後、どうやって上まで行ったら良いのか、こちらが分かるとか分からないとか関係ないようにペラペラと見学路の説明をしてくれた。
ともかく何歩あるかって聞いたら、そんなのコースがいろいろだから一概に言えないとかわされた。お礼を言ってから扉を開けて中に入った。
階段は狭くて暗い通路になっていた。この時代の階段は、暗くて狭くて急なのはいつものことだ。あらかじめそのことは知っていたので、成田でもらった小さな灯りを持って入った。
ところがこの階段の狭さったら半端じゃない。どうにか1人が通れるくらいしかなくて、太った外国の人にはとても無理。というか、受付のおばさんも無理なのではないかというくらいしか幅がない所もあった。ただ、回り方は一方通行になっていたので、困ることはなかった。
途中に灯り取りのためだろうか、小窓もあったので、そこから外の景色を見ることも出来た。
7-3-5 散策
まだ少し時間に余裕があったので、下の町の方へいってみた。
何か子供達が集まっていたので、その建物を覗いてみると、どうやら学校だったらしく警備員と思われる人に怒鳴られてしまった。
そこを少し下がったところで、下の町を撮影して、集合場所の広場へ戻ることにした。
途中、セザールの塔が違った角度からよく見えるところがあったので記念撮影。
広場に戻って、井戸で手を洗った。この井戸、日本のとは違って、上の把手をグルグル回すと水が出てくる。それが軽く回るので、年寄り向きだ。
結局自由散策とはいっても、セザールの塔に上ったことと教会を見ることがやっと。
旅のしおりには「散策をお楽しみください」と書かれていたが、とても楽しむどころではなかった。忙しかった上に、junなどは膝がガクガクしている。
7-4 昼食(1305~1425)
昼食のレストランは、広場に面していた。が、我々の席はちょっと奥まったところにある。
前菜はパイ。シーフードパイとでもいうのだろうか、エビやムール貝などが乗っていた。すこぶる美味しい。
メーンはダック料理ということで、ダックの足。ポテトのチーズ焼きが添えてあった。味が濃かったが、盛りつけは綺麗だった。
デザートはババロア。これはまあ特段記録する程のものでは無い。
食事を終えてから、また市内を通って駐車場へ戻った。
今度はゆっくりと町並みや家の様子などを見ながら歩いて行った。
観光案内所も、木組みで趣があった。そこで、バラジャムとキーホルダーを購入した。これが殆ど今回唯一の買い物と言ってよいものだった。キーホルダーはついでで、バラジャムはブルガリアのバラジャムと比べる為に買ったのだが、9月下旬まだ比較をしていない。
7-6-1 オペラ座からスタート (1625~)
ここで解散、集合となった。
皆三々五々散らばっていった。解き放たれても困る人はいないようだった。
我が家もしばらくはオペラ座の写真を撮っていたが、結構時間があるので、モノプリへでも行こうか、とか三越の後がどうなったかを見に行こうかとか、そういえばユニクロもあったなどと言いながらオペラ座から延びる道を歩き出した。(そういえば前々回パリに来た時はユニクロパリ出店の直前で、観光バスのラッピングはユニクロ一色になっていた。)
が、店に入って買い物するのも何だな、と思ってまっすぐに歩いて行くと、地図上でマルロー公園と記されているところに着いた。ベンチもあったので少し休憩して、これから先のことを相談した。
結論として、ノートルダム大聖堂を目指そうということになった。ただ、時間的なことが心配なので、このあとは一転してかなりの急ぎ足になった。
7-6-2 ノートルダム大聖堂(1735~1750)
パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前が起点となっている。つまりはここがパリの中心地というわけだ。
ノートルダム大聖堂は、ゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されている。ただ、最初にパリを訪れたときにこの一帯を見ているため、今回の世界遺産の数には加えられない。
1789年に始まったフランス革命により他の教会同様にノートルダム大聖堂も襲撃を受け、大聖堂を飾っていた歴代の王の彫像が破壊された。これは後で見つかったそうだが、どこの国でもいつの時代でも、こういうことが起こっている。タリバンがバーミヤン渓谷の仏像を破壊したときに世界中から非難の声が上がったが、振り返ってみれば自分たちの歩いてきた道ではないか。
ここはまた、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった。
さすがに人が多かった。外観も素晴らしい。
正面の2つの塔、バラ窓、ステンドグラス、側面を覆うように立つ尖塔群と、典型的なゴシック建築の特徴だ。いつものことだが、入口正面に彫られた彫刻も見応えがある。
地上階のアーチ型の彫刻は中心に最後の審判が、左右の門には聖母マリアと聖アンナがそれぞれ描かれている。
いくつもの団体も見えて、中に入るのに行列も出来ていた。
時間が足りなくなるかも知れないから中に入るのはやめにしようと思ったが、少し行列が短くなったのを見て、垣間見るだけでも井伊から入って見ることにした。
聖書の世界を描いたステンドグラスが見ものだと言うが、丁度ミサでも行われるのか中央部分が仕切られていて、あまりあちこちと動き回れる雰囲気ではなかった。
でもこういう荘厳なのが本当の教会なのだろう。
ここでナポレオンが戴冠式を行ったとか、ナポレオンが奉納した十字架があるとか、まだまだ見きれていないことが沢山あるので、次はゆっくりと解説付きで見学したいものだ。
何枚か写真を撮ってから外へ出た。
時間を気にしながら、そこでも何枚か写真を撮った。2人の写真を撮ろうかと声をかけてくれた人もいたが、お断りして何とか2人で過ごした。