8月5日(日) バクー(アゼルバイジャン)→トビリシ(グルジア)

ホテル発(0458)−バクー国際空港着(0540)−出国(0620)−機内へ(0725)−離陸(0758)−J2-223便 5A・B−トビリシ国際空港着陸(0755)(アゼルバイジャンとの時差−1時間を校正)−ホテル着(0843)−ホテル発(1000)−メテヒ教会(1015〜1040)−ハマム(1043〜1100)−シオニ大聖堂(1110〜1120)−シナゴーク(〜1135)−国立美術館(1205〜1310)−昼食(1320〜1450)−ムタツミンダ山(1515〜1530)−ワイン買い出し(1555〜1620)−ホテル着(1630)−ホテル発(1830)−夕食(1855〜2020)−ホテル着(2040)
                                            〈トビリシ泊〉

4−1 朝
 則は1時半には既に目を覚ましてしまった。仕方がない性分だ。もちろん順さんは静かに寝ている。今朝の出発は5時。それに合わせてモーニングコールは3時45分。今回の添乗員氏は出発時間マイナス1時間15分程度というのが基本姿勢。我が家はそれに合わせて3時30分起床にしてある。しかしながら、昨日朝にだいぶ時間があったために順の荷物はできあがっており、更に昨日の夜に則のスーツケースも粗方終わっていた。後は則のリュックサックの装備だけが残っている状態だ。
  起床時間少し前には順さんも起きて、荷造りを完了。ちょこちょこと、朝ご飯がきていないか見に行く。朝が早いので朝食はランチボックスということでフロントに届くことになっているからだ。定刻4時半少し前にゲット。結構な量のボックスだ。荷物になるのが嫌なので、好みのものだけ選んで部屋で食べる。実はこれが第一回目の朝食になる。
 
4−2 出発
 だいたい皆旅慣れているからだろうか、全体的に集合時間が怪しいのだが、飛行機の出発ともなると早い。5時少し前にはバスは出発した。当たり前だがまだ外は暗い。バスはかなりのスピードで走っているが、なかなか空港に近づかない。40分ほどしてようやく国際線ターミナルに到着。ソ連時代の空港が隣接しており、現在では国内線の発着に使われている。
 空港は質素な作りで、柱なども大理石の薄い板を張ってあるだけ。この国の経済力をすればもう少しとも思うが、アルメニアとの戦いなども影響しているのか、物価なども相当高騰しているらしい。
 
4−3 空港で
 飛行場のシステムも複雑だ。
 飛行場内に入る際にまず荷物検査。まぁこれは良くあることだ。それからチェックインカウンターに入るまでにもう一回、ものの十数メートルしかないのにまた荷物検査。さらに、一旦荷物はチェックインカウンターまでに並べて(つまりは荷物の前を離れて・・・勿論持って行っても構わないのだろうが)セキュリティーチェックと称して、パスポートと航空券のチェックをする。しかしこれはあくまでも双方と本人が一致するかのチェックで、出国審査ではない。スタンプを航空券に押してもらって、その上でチェックインカウンターに行き、搭乗券を受け取る。
 右側にコーカサス山脈が見えると言うことで、皆右側の席を希望するので、我が家は左側にした。おかげで前から5番目。2−2の小さい飛行機だったので良かった。ちなみに、アッパークラスはない。そのおかげでスーツケースを20kgに押さえなければならないので苦労したのだ。
 出国審査を次に受ける。前のグループが引っかかって、我々の列はかなか進まなかった。我々は何でもなく済み、勇んで免税品店に行くが残念なことに開いていなかった。添乗員氏によると前回は開いていたと言うことだったのに。
 イスタンブールなどの飛行機が先に出ると言うことで、なかなか搭乗が始まらない。だが、指定された5番ゲートではなく7番ゲートで動きがあるので添乗員さんが確認に行くと7番でやっているというのでようやく入ることができた。どうも一ヶ所しか使わない流儀のようだ。
 入るときに靴も脱いで検査を通った。水はダメですよ、でも見逃すこともありますというので、順はわざと荷物の中に水を入れておいたが、見つかって没収と相成った。

4−4 機内で
 出国してから1時間もしてようやく機内に入ることができた。が、頭上の荷物入れが狭くてリュックが入らず、仕方ないので足下に置くことになった。座席も狭くて、テーブルを下げるのに窮屈な思いをした。荷物を足で挟むようにして持っていたが、アテンダントに注意されるということもなかった。
 安全設備の悦明があり、ライフジャケットの説明もあった。陸しか飛ばないのにこの説明は不要だろう、塩湖に落ちれば浮くだろう・・・こうつぶやくtotoなりにいた添乗員氏の笑いを誘った。結構受けたが、陸地しか飛ばない飛行機もいつもこの部分の省略は無い。疑問に思っている。形式主義か?
 離陸してしばらくして食事が配られた。2回目の朝食だ。パンがあんこ入りのようで(実際には豆らしい)ちょっぴり甘く美味しかった。

4−5 トビリシ着
 飛行時間が丁度一時間で、なおかつ時差が−1時間あるので、バグー(アゼルバイジャン)を飛び立った時間にトビリシ(グルジア)に着く。1時間得した格好だ。
 入国審査は簡単に済んで30分後にはバスに乗った。今回も荷物は全員無事に到着した。そうそう、アゼルバイジャンの時よりも綺麗なバスだった。20分ほどでホテルに到着。まずはチェックイン。このホテルを出る明日からはしばらくは贅沢なホテル生活ともお別れだ。

4−6 ホテル
 ホテルはシェラトン。こういう旅行でなければ使わないようなホテルだ。キーは初めてのタイプで、一応電子キーということになるのだろう。この後則は何人かの人に使い方を教えてあげた。やはり皆使い慣れないキーのようだ。
 部屋は326号室。さすがに一通りのものは全て付いている。スリッパもなかなかいいものだ。水も1.5リットルが付いている。
 レストランは10階。見晴らしがいいというので、コーヒーでも飲みながら楽しまれては、という添乗員さんの言葉につられて荷物を置いてからすぐに行ってみた。
 朝食も付いていたはずということで我々はまた朝食を摂ることになった。本日3回目。ビュッフェスタイルなので気楽だ。内容的にもかなり充実していた。そこからは市街地が一望できるので、居合わせた添乗員さんに解説をしてもらいながらこれから訪れる所の大体を頭に入れた。


4−7 市内観光
 一休みしてから観光へ出かけることになった。レストランに来た人は部屋を取れなかった1グループと写真大好きおじさんだけだったのだが、他の人たちはコーヒーが有料だと思って来なかったらしい。残念がっていた(ちなみに3回も食事をしたのは我々くらいだったらしい)。 

4−7−1 メテヒ教会 (1015〜1040)
 ホテルから見えたムトゥクヴァリ川沿いにある。バスを下りて少し上がった所にある。
 この教会は、5世紀に建立され、12世紀にこの地に侵攻したモンゴルによって破壊されたが、その後再建された。旧ソ連時代はなんと劇場として使用されていたという。このときに装飾等は上から白く塗られて消されてしまったのだそうだ。これはこの後見学した各国の教会でも同じような仕打ちを受けていたことが分かった。
 この国では、教会に入るのに男性は帽子を取り女性は頭を覆うようになっている。帽子でも構わないが、この国の人たちはスカーフで覆っている。 
 日曜日ということで教会の中では丁度ミサの真っ最中。写真はいいけれども大声を出すのは遠慮して欲しいといわれたが、やはり写真を撮るのもはばかられた。
 その厳かな雰囲気の中できれいな歌声が聞こえてきた。賛美歌のようだ。特に聖歌隊という物があるようではなく、参加している人たちの中から響いてくる。かなり訓練された合唱隊のような歌声だ。しばし聞き惚れていた。
 外へ出ると教会の前には5世紀末、ムツヘタからトビリシに遷都したイベリア王ゴルガサリが馬に乗った像がある。
 対岸には大船の観音様のようにそそり立つグルジアの母の像とナリカラ要塞址が見えた。

4−7−2 ハマム (1043〜1100)
 やはり対岸に見えたハマムへ行った。近付くとかすかに硫黄の臭いがする。温泉なのだという。
  始めに高級な方へ入った。部屋毎の貸し切りになるのだそうで、1時間40ラリ。1ドルが1.65ラリだから結構なお値段だ。こちらの人は3〜4人で一緒に来て借りるそうだ。実際にその部屋も見せてもらった。日本と同じように湯舟になっていて、洗い場も広い。脱衣所にはソファ付きだ。ただ、照明が暗い。
  その後、安い方へも行った。といってもこちらも1時間20ラリはする。この値段の高さは、たぶんハマムがかなりのレジャーになっているからだろう。さて安い方の入口はイスラム寺院のようであった。いわなければモスクかと間違えそうな構えだった。後日再度トビリシに泊まった際に同行者がいったそうだ。あまり多くを語らなかったから、まぁ想像の範囲というところだろうか。

4−7−3 シオニ大聖堂(1110〜1120)
 賑やかな通りをぬけキャラバンサライを過ぎるとシオニ大聖堂がある。この教会は、6世紀から7世紀にかけて建立されたもので、現在はグルジア正教の大本山となっている由緒正しき教会だ。それもそのはずで、4世紀にトルコのカッパドキアからキリスト教を布教に訪れた、聖ニノの髪の毛と葡萄の茎で編んだという「聖ニノの十字架」が残っている。この聖ニノというのはこれから先何度も耳にする重要な存在だ。十字架も横の棒が少し下がり気味という独特な形をしている。これも何度も目にした。 
 教会ではやはり日曜日ということで、ミサが行われていた。厳かな雰囲気は先のメヒテ教会と同様。写真撮影も禁止であった。

4−7−4 シナゴーク(〜1135)
 次にすぐ近くのシナゴークへ行った。イスラムの国にシナゴーク?ちょっと不思議な気がするが、以前にもそういうことがあった。宗教の違いは庶民の間ではおおらかに受け止められているようだ。
 中に入るときには、入口にぶら下がっている物を触って願い事をするというので当然二人ともそうして入った。建物自体は割合に新しいようできれいだった。
  意外だったのは、ここも祈りの場が男女別であったこと。男性は1階、女性は2階。この辺りがイスラムの国を意識した物なのかどうかは定かではない。ただし、たとえば昨日言ったモスクのように体育館のギャラリーのようになっていて祈りの中心は男女同じというのではなく、ここでは完全に祭壇も2階は別であった。
 もと来た道を戻り、シオニ大聖堂を横に見ながらシオニ大聖堂の堂域を通りバスへ戻った。振り返ると、別角度からシオニ大聖堂が見えてこれも美しかった。

4−7−5 国立美術館(1205〜1310)
 うっかりすると見逃してしまうような小さな建物で、実際我々も違う所へ向かって歩き始めてしまった。勿論ガイドさんはちゃんとそこへ向かったのだが、思いこみの激しい我らが勝手に歩いて行ってしまったということだ。
  宝物館に入るためには人数制限があるというので少し待たされることになった。1回10人ということであったが、交渉して一度に全員が入れることになった。ここの宝物館は有名で、太古の遺跡から発掘された貴金属・宝石類、イコンなどが展示されている。ガイド付きで見学する。かつてはここにニコ・ピロスマニの展示室があったそうだが、今は工事中とかで見ることはできなかった。代わりに絵画集を進められたが誰も購入しなかった。日本ではあまりポピューラーな作家ではないが、添乗員さんは好きなようだった。
  ちなみに、 ニコ・ピロスマニはグルジアの国民的画家であるが、彼が日本で有名なのは加藤登紀子が歌った「100万本のバラ」のモチーフになっているその人だからだ。悲運な一生を送った画家ではあるが、現在のグルジアでは国民の誇りらしい。彼の作品のいくつかはここで見ることが出来る。

4−8 昼食 (1320〜1450)
 スープ、豆の煮込み、ハチャプリ(グルジア風ピザ)など。壺に入った物は何というのか聞いたのだろうが忘れてしまった(写真右→)。ロシアの影響があるのだろうか。
  デザートはスイカ。今が旬らしく、道々にもスイカ売りがたくさん並んでいたし、毎回のように食事の後にはこの後もスイカが出た。
 ビールは1本1.5ラリ×2也。

4−9 ムタツミンダ山(1515〜1530)

 その後、市街地を一望できるという展望台へ行く。場所的には4−6の外観写真の鉄塔の下辺りの白っぽい建物辺りと思えばよい。バスでどんどん山を登って行くにつれ、眼下に広い市街地が見えるようになってくる。上に着くと、最高地点の展望台が何故か封鎖されていて入ることができず、駐車場の所からの眺望となった。頂上までケーブルカーが敷設されているが動いていない。頂上付近のレストランが地震で大きなダメージを受け、その際に多くの犠牲者が出たためらしい。秋口には公園は再会される模様だ。
  公園横からの眺望ではあったが、トビリシの町をそれでも十分に堪能できた。

4−10 ワイン買い出し
 明日から移動するとワインが手に入らないというので、急遽ワイン店へ行くことになった。お土産というのではなく日常的に飲む分を買うというのだから何とも贅沢。
 もともとワインの美味しい国々へ行くので、出かける前からワインを飲むぞと決めていたのだ。ということで、事前に調べていったリストを見ながら店の人に品物を教えてもらった。が、意外とみないいお値段で晩酌の1本にするのにはもったいない気がしたので、値段の折り合うものを3本購入した。それでも合計32ラリ也。

4−11 夕食
 ホテルへ戻ってシャワーをあびてから夕食へ出かけた。今夜はホテル内ではなく、外へ行ってしかも音楽付きというものだ。
 行った所は小さなレストラン。先に4人の男性が来ていた。ステージは何処ですか?と聞いたらステージはありませんということで、何故かその4人と同じテーブルに座ることになった。
 つまりその4人が合唱隊だったのだ。この国ではかなりメジャーなグループだそうだ。本来は10人グループのようだが、こうして切り売りしながら資金を稼いでいるのだろうか。
 歌は殆どがアカペラで、時々ギター程度の楽器が入る。男性カルテットで、民族音楽を聴かせてくれた。途中で何かリクエストは?というのでロシア民謡を頼んだら知らないと一言で断られてしまった。
  無知といえばそれだけのことだが、このグルジアの国民は歴史的事情でこぞってロシアが嫌いなのだという。
※(8月10日15時42分配信 産経新聞)【モスクワ=遠藤良介】ロシアの隣国グルジアに着弾した1発の不発ミサイルが、国際社会に波紋を広げている。親欧米政権のもとでロシア離れを進めるグルジアは、ロシアの戦闘機がミサイルを撃ち込んだとして国連安保理の緊急会議開催を要請。これに対し、ロシアは領空侵犯の可能性すら完全否定している。真相は藪の中だが、今回の事件でロシアとグルジアの関係が一層悪化することだけは間違いない。
  ロシアとグルジアの関係は2004年、グルジアに親欧米のサアカシビリ政権が誕生してから悪化するばかり。ロシアはこれまでに、グルジアの特産品であるワインを禁輸にしたほか、航空便の運航を停止するなど一方的な“経済制裁”を導入している。

※(8月26日0時4分配信 読売新聞)【モスクワ=緒方賢一】グルジアによるロシア軍機の撃墜情報について、25日午後(現地時間)現在、両国から新たな発表はない。グルジアでは今月、ミサイル着弾や領空侵犯などが続き、同国はロシア軍への警戒態勢を強めている。インターファクス通信によると、グルジア内務省は25日、撃墜情報の確認のため担当者を現地に派遣した。しかし、墜落した可能性のある場所は山岳地帯で到達は難しいという。グルジア中部で8月6日に起きたミサイル着弾について、同国はロシア軍機が発射したと非難したがロシアは否定する。ロイター通信によると、ロシアのチュルキン国連大使は22日、ミサイルの残がいには英語の文字が書かれていたと指摘し、「ロシアの武器に外国製の部品は使われない」と述べた。一方、米国やスウェーデンなどの専門家も残がいを調べ、ミサイルはロシアで設計されたとの見解を示した。

4−12 ホテル
 今夜は前述のようにシュラトンだが、こうして一流ホテルに泊まるのも今夜を最後にしばらくは離れることになる。
  田舎に行くということだ。が、それも今回は望んでのことなので気にするほどのことではない。明後日のこと(荷物を小さめにしなければならない)もあるので、少し荷物の整理をしてから寝た。