8月13日(月) トビリシ(グルジア) ハフパット修道院  エレヴァン(アルメニア)

ホテル(0703)−国境着・グルジア出国手続き(0817〜0833)−これよりアルメニア時間・時差+1時間−アルメニア入国手続き(0940〜1035)−ハフパット修道院(1128〜1215)−サナヒン橋撮影(1243〜1257)−昼食(1338〜1530)−セバン湖(1707〜1805)−ホテル着(1904)−夕食(1930〜)
                                            〈エレヴァン泊〉

12−1 朝
 今日は陸づたいに国境を越える。前回は込んでいたというので早めに出発することになって、朝食も6時からと早い。といっても我が家にはこの時間はどうということはない。従って7時の出発も楽勝。

12−2 国境越え (0817〜0833)
 道路も空いていて約1時間で国境のサダフロに着いた。前に読んだ別会社の人の旅行記ではスーツケースをゴロゴロ引いていってものすごく時間がかかったと書いてあったので覚悟していたら、スーツケースはバスごと国境を越えますというので、気が抜けた。税関はどうするのかと思ってみていたら、バスの下の荷物入れを開けさせて一別しただけでOK通過。で、バスが先に国境を越えてしまった。
 我々は各自パスポートを持って窓口に並ぶ。他に人もいないのでゆっくりではあるが、(内心何モタモタしてるんじゃーとは思ったが、)順調に進んだ。何しろ30分もかからすに終わったのだから有り難い。
 
12−3 アルメニア入国 (0940〜1035)
 時間を見るとものすごくかかったように思えるが、実は時差が1時間あるので、グルジア時間より時計を1時間進めたのだ。
 入国手続きは団体でやるというのでパスポートを預けてしばらくアルメニアのバスで待つことになった。つまりここでグルジアのバスとガイドさんとはお別れ。
 待っている間にお茶を入れてもらったりして時間をつぶしていた。こちらも1時間弱で終わった。添乗員さんによると早い早いと言うことらしい。双方の国境近くにはタクシーと思われる車が雑然と大量に客を待つがごとく集まっていた。また市が立ち始めていた。
 こちらのガイドさんは英語ガイドのノバさんと日本語ガイドのルシーネさん。この人もグルジアのクリスティーネさんと同様に愛知万博へ来ていて、またこの9月の旅行博にも来られるそうだ。

12−4 ハフパット修道院 (1128〜1215)
 10世紀にホフブロ女王が2人の息子のために建てたもので、主教会の外の壁に聖堂を持ち上げている二人のレリーフが残っている。アルメニアの協会の特徴は、教会建築群ともいうべきだろうか複合体(コンプレックス)となっていることが多い点、多くの場合に前室ともいうべき部屋(ガビット?と呼んでいたように思う)を持っている点、そして教会に限るわけではないがハチュカルと呼ばれる十字架石(石碑)がある点など。

12−4−1 ガビット
 先にも書いたがこの国の教会に入ってみて目新しいのがガビット。祈りの部屋つまり祭壇のある部屋の手前にあって、集会所、又は庶民の祈りの場として使われたそうだ。始めに入ったガビットには床に墓があり、また、中央には四角い穴がある。ここで火を起こしたのだという。煙抜けの穴が天井にも開いていた。

12−4−2 ハチュカル
 これもアルメニア独特のもの。独自の協会文化が花開いていった証拠の一つだ。石に十字架を彫ったものだ。十字架の周りを飾っているが、二つと同じものはないそうだ。きっと手作りだからだろう。ただし十字架の外側が広がっているという十字架の形は同じだ。
 その中でも、キリストの見えるハチュカルはアルメニアには3つしかないのだそうで、そのうちの一つが金持ちのハマザス家のガビットの中にある。

12−4−3 図書館の穴
 本来図書館として使われた建物の床にはいくつもの穴が開いている。外敵から本を隠して守ったのだとか、いや、ワインやその他の宝物を隠したのだとかいくつかの説があるらしいが、いずれにしても隠し穴のようだ。
 ここが図書館と断定されたのは、周りの壁の窪みが書棚とされるからだ。

12−4−4 母と息子
 主聖堂の裏に回ると、壁に聖堂を支え持つ二人の像のレリーフがある。これが女王の二人の息子だという。では母親はというと、その前にある小さな石に彫られた巫女さんのような人がそれだという。それとは知らずに、オー巫女さんがいるとか言って偶然に写真にとっておいた。

12−4−5 食堂
 普段は開いていないのに今日は入れるというので、一旦解散したのだが急遽もう一度みんな集めて見学に行った。明かり取りは天井の穴だけで薄暗く、しかも鳥の巣になっていて入るのに躊躇するような所だ。
 大きな石臼が残っていた。また、天井がアーチになっていて、非常に重い屋根を支えるためにこのアーチの技術というのが考えられ発展したことなどが説明された。こうしたことを見ると我々はひょっとしたらとんでもない勘違いをしているのではないかという思いを抱いた。イタリアベニスのサンマルコ寺院の大屋根はイスラム世界の職人を呼んで作らせたものであり当時のイスラムの建築レベルは高かったという話を当時聞いた。しかしながら、期限後3世紀以降こうした建築がなされてきたアルメニアのキリスト教建築の歴史を見ると、必ずしもそうではないのではという思いを持たせた。

12−5 サナヒン橋 (1243〜1257)
 パムバック川にかかる12世紀のサナヒン橋で写真ストップ。石造りのアーチ橋だ。今でも実際に使われているというので早速に渡ってみる。なかなかきれいな曲線を描いていて歩きやすい。下の川では泳いでいる人もいた。
 この近くのサナヒン修道院も確かハフパットと共に世界遺産だったように思うが、今回は立ち寄らない。
 また、すぐ前にある工場からは黙々と白い煙が上がっていた。この地域は銅の生産地ということで、工場横の川は赤茶色をしていた。公害問題など無いのだろうか。
その後少し走るとかつての工場群が廃墟となっている地帯もあった。旧ソ連の残した遺物だ。

12−6 昼食 (1338〜1530)
 川沿いのレストランにて昼食。川から吹き上げてくる風が心地よかった。昼食時間を大分過ぎているので、できあがるまでに時間がかかった。今回はます料理。目先が変わって美味しかった。

12−7 モルカンヌの村 (1615〜1620)
 道ばたでニンジンを売っている可愛らしい子どもがいた。バスはそこでストップ。道路下に広がるこの子たちの村は、ニコライ二世の時代にロシアから移民してきた人たちの村で、殆ど他との交流が無く、独自の宗教を守り通している。ちょうどアーミッシュのような人たちだとの説明があった。ただし電気は来ているように見えたし、トラックは持っているようだった。つまり自給自足の生活をしているわけが、作った野菜などは道ばたで売ったり町の市場へ持って行ったりしている。特に野菜のピクルスは有名なのだそうだ。エレヴァンのマーケットなどでも売られていうとも説明された。男性はひげを剃らないので長く伸ばしているという。結婚は彼ら内部だけで行われているらしい。
 さてそのニンジンであるが。ガイドのノバさんが買ってくれた。あまり皆は手を出さなかったが、我々はもらってがぶりと噛みついてみた。残念ながら思ったほどの甘さはなかったので、残してしまった。

12−8 セバン湖 (1707〜1805)
 2,275mもあるという長いトンネルを抜けてセバン湖へ着いた。
 一大行楽地で、人が多かった。山の上の教会を見に来たと言うよりは泳ぐ客が殆どだった。道々には水泳に関する商品がたくさん並べられていた。
 我々は、そちらには見向きもしないで教会を目指す。かなり疲れた様子の順のために則は杖を出してくれたが、これが大いに助かった。
 階段は240段。フーフー言いながら上りきった。上から見る景色は絶景也。
 教会は二つあるが、上の方の大きい教会が開いていたので中に入った。フレスコ画やイコンがあった。
 それから二つの教会とセバン湖を入れた写真を撮ろうと周りをウロウロしながら撮影ポイントを探し歩いた。

12−9 ホテル
 今日のホテルはメトロポール。3連泊する。その102号室。広くてゆったりしていてなかなかいいホテルだ。必要な物はすべてそろっている。
 夕食はホテル内ですませた。
 このホテルではパスポートをフロントに預けた。そういうシステムらしい。エジプトなどと同じだが、型を取られているようで個人旅行だったりしたら少し不安なシステムだ。

12−10 夜の散歩
 食事のあと、夜の町を散歩に出かけた。メーンの広場まで歩いて15分くらいだろうか。そこへ行くまでは公園通りを歩くのであまりぱっとしなかったが、広場に行くと様相は一変する。ぐるりと取り囲んでいる建物が皆ライトアップされているのだ。余計なネオンサインなどが無い分、色が統一されていて上品な美しさがある。ぐるりと歩きながら写真を撮りまくった。
 この頃になると暑さもしのぎやすくなっている。
 しばらく楽しんだあと、ホテルに戻って寝た。