8月8日(水) クタイシ メスティア(グルジア)

ゲストハウス発(0930)−昼食(1120〜1240)−ジープに乗り換え(1300)−エングリ湖ダム(1340〜1355)−メスティア・ゲストハウス着(1855)
                                    〈メスティア泊〉(分宿)(手荷物)

7−1 朝
 昨日は皆暑くて寝られなかったらしい。中には一睡もできなかったという人もいた。朝食はパンや飲み物、自家製のヨーグルトなどであったが、あまり食欲はなかった。
 今日も暑そうだ。
 今日はメスティアへ向かう。則が一番行きたかった所だ。ただそこへ行くためには往復で3日は余計に日程的に取らなければならない。そのためここをコースに入れている会社はまだそれほど多くはない。もちろんホテルなどなく、そこでもゲストハウスになる。しかもそこへ行くためにはジープに乗り換えなければならないので、スーツケースは持って行けない。3日分の必要なものをリュックなどに小分けして持って行くことになるので、その区分けと準備をした。
 
7−2 出発
 ゆっくりの出発だったので、寝不足のみんなには楽で良かったようだ。
 まずは今までのバスで昼食場所へ向かう。このバスが大きな道に出るまでが大変だったが、運転手は慣れたもので上手だった。
 途中で客車を見た。この国には線路が縦横に走っている。貨物列車はたびたび目にしたが、客車を見るのは初めてだった。この地区では何度かみかけたが、他の所は殆ど見かけなかった。
 
7−3 昼食 (1120〜1240)
 早くつきすぎてしまって、しばらく待つことになった。庭先にはホロホロチョウが放されていた。こちらでも食べるのだろうか。そんなことを話しているうちに食事の時間になった。この頃から則のお腹に変調が見られるようになった。 
 メニューはスープ、サラダ、ビーフストロガノフ、デザート。この会社のいい所は、食事の時に必ず水と飲み物が付いている所だ。前もっての料金に含まれているのだろうが、サービスを受けている感じがしていい。

7−4 ジープ移動
 昼食場所から少し走ってスグディディからジープに乗り換える。このスグディディは、行く前に調べた限りでは一番気温の高い所だ。そのせいか道を歩く人たちの格好で男の人には裸が目立つ。女の人も日傘を差したりして日よけを工夫している。なのにこのジープにはクーラーがない。何でトヨタのランクルが無いのだぁ!何でロシア製なのだぁ!要はここまでやっている観光客が未だ少なく、高い車ではペイしない地域なのだろう。
 ジープ1台につき2〜3人が乗る。今回我々にもう一人偏屈爺が加わっての3人になった。実は別の人たちがクジを当てたのだがいやがったので交代した。「席はどうしますか?」と聞いたら、「最初はドライバーの後ろにして下さい。」と言うのでそうしてあげたが、結局最後までその席だった。一番安全な席を確保したかったのだろう。集団生活で協調性のない人間は最低だ。

7−4−1 エングリ川ダム (1340〜1355)
 はじめの休憩ポイントはコーカサスで一番大きいというダム湖で。下の方からわずかに放水しているだけで迫力はなかったが、雪解けの時期などはきっとものすごいのだろう。 そこでついでに青空トイレ。
 ダムで堰き止められたエングリ川はしばらくの間ずっとついて回ることになる。いや、川ではなくそれがすべて貯水池なのかもしれない。流れは感じなかった。それくらい大きかった。

7−4−2 休憩所 (1427〜1500)
 舗装道路が終わる辺りに1軒の休憩所があった。簡単な食事もできるようになっている。そこで我々は飲み物を、運転手さんたちは食事を摂ることになった。結構新しいし、トイレなどもある。集落が全くない所にあるのでかなり重宝されているのだろう。いくつか小さな部屋があり、我々だけでなく、次々に客が訪れていた。
 そこに可愛い女の子がいた。当然則は写真を撮った。帰りもここで休憩するというので、その時に写真をあげるのだという。添乗員さんに聞いたら、この国ではまだ写真というものは手軽でない分有り難いのだという。感じとしては、ロシア系の美人ちゃんだった。

7−4−3 ガタガタ道
 休憩所を出た辺りから道はガタガタになってきた。といっても全くの未舗装というのではなく、かつては舗装されていたであろうがあちこちに穴が開き砂利が転がってという感じだ。運転手さんは上手に穴を避けて走ってくれるが、それでも時にカーチェイスのような事もあり、結構乗っているのはつらいものがある。
 そのせいかこの辺りから順は気持ちが悪くなってきた。
 ようやくひとつの集落に着いた。そこでポリスが警護に付くのだという。滅多にないのだが、時折危険なこともあるらしい。そう言えば強盗にあってすべて取られたなどという話もこの地区だったか。
 2回目の青空トイレタイムは、帰りに昼食を食べるという山小屋の所。ここも小さな小屋だが、飲み物などを用意しており、しっかりと営業をしている。
 そこから少し行くと1台の車がオーバーヒートでダウン。何しろ峠道を上ったり下りたりしているのだから車にとってはかなり酷なのだろう。だからこそのジープなのだけれど、どの車もみなガタが来ているものばかりだ。タイヤもすり減ったものだし、内装なども壊れているものもある。それでもかなりのスピードで走らせる。ドライバーは皆慣れている道なのだろう・・・その分だけは安心できる。

7−4−4 ウシュバ山(4700m)(1745〜1803)
 カーブを曲がると急にウシュバが眼に迫ってきた。感動的な出会いだ。ここで撮影タイム。残念ながら全容は分からない。運転手さんたちによると朝はくっきりと見えたと言うことだった。曇り空の中ではあるがここまで見えれば言うことはない。添乗員さんに、明日見るときには形が変わっていますから、よーく見ておいてくださいと言われた。単独峰であり、かつ急峻な頂は見事であり、誰でも目を釘付けにさせられる山だ。
  我々の横をロバに乗った羊飼いの少年と牧羊犬が通りすぎていった。この牧羊犬というのは、熊などと戦うために耳を切り落としてあるのだそうだ。というのは、犬は耳をかまれると、その動物に服従してしまう性質があるのだそうだ。どんなときにもファイティングスピリッツを欠如さえないためなのだそうだ。時には、尾まで切り落とされているものもある。かわいそう。

7−4−5 レンジェリ村 (1830〜1840)
 塔のある村はメスティアとウシュグリくらいかと思っていたら、そうではなかった。メスティアに着く前にいくつか同じような塔を見た。そこで写真タイム。
 初めて目にする塔に二人ともやや興奮気味でシャッターを切った。これまで写真で見た通りの塔だった。また塔が林立する様子もその通りだった。これからあのまっただ中に行くのだと思うと自然と胸が高まってきた。

7−5 メスティアのゲストハウス
 ここでは添乗員さんたちも入れて4つに分かれる。まずはツイン組で1軒、あとは女性単身組、男性単身組、添乗員とガイド、となる。我々はメーンハウスということで、食事の時には全員が集まる家なので、これまたラッキー。
 この家にはやんちゃな男の子がいたのだが、その遊んでいる所を写真にとって、また日本のお土産と一緒に渡してあげる。お母さんがとても喜んでいた。
 我々の部屋は2階の一番奥。なので今回もドアは開けっ放し。部屋は10畳くらいはあるだろうかとにかく広い。そこへベッドが二つ。衣装ダンス等はあるが使用中のため使えない。荷物はイスやタンスの上などを利用した。
 シャワー付きトイレは2カ所あるので4家での共同使用になる。でも、夫婦は我々だけであとは相部屋なのだが、人数的には7人(一人は83歳のお年寄りのため、男性グループではなくこの家になった。)なので、どうということはない。一度も添乗員さんを煩わせることなくスムーズに交代で使えた。
 夕食は相変わらずの内容だ。

7−6 夜
 昼間はものすごく暑かったが、夜はそれほどでもなく、というより窓を開けっ放しておくと寒いくらいで、夜中に順が閉めた。気温の変化の大きいことには驚きだ。が、布団を掛ければちょうど良いくらいなので、皆よく眠れたようだ。
 順は今夜も星を見るまで待てずに寝てしまった。何しろ暗くなるのが遅くて、8時をすぎてもまだまだ明るいのだ