8月15日(水) エレヴァン(アルメニア) 帰国の途へ

ホテル発(0830)−虐殺慰霊塔(0835〜0905)−エレブニ遺跡(0940〜1010)−博物館(1013〜1045)−ホテル着(1055)−ホテル発(1215)−昼食(1230〜1350)−空港着(1410)−搭乗(1535)−エレヴァン空港離陸(1615)−SU194 4C・D−食事(1650)−モスクワ空港着陸(1842)−これよりモスクワ時間時差-1時間−搭乗(1900)−離陸(1945)−SU583 02A・B−夕食(2040)
                                            〈機中泊〉

14−1 朝
 則は昨日11時過ぎまでかけて、酩酊状態ではあったがなんとか絵葉書の印刷を仕上げた。しかしながらその割には、3時過ぎに目を覚ましてしまって、4時には目がさえてもう寝ていられない状態だった。出発の日や帰国日はいつものことだが、体がそれに反応してしまうのだろうか。
 順も起きて絵はがきを完成させた。この国では6枚の絵はがきを作った。ここの切手は1枚張ればいいので楽勝。フロントに頼んだらすんなり受け取ってくれたのだが、聞くと前回は手数料を取られたとのことで、みんなガイドさんに頼んだようだ。
 その後、再度チャレンジということで屋上に行ってみたが、アララト山は昨日より条件が悪くて見えなかった。早々にあきらめて朝食に行ったが、ものすごい混みようだった。我々以外に2つの団体が入っており、そのうちの一つがJTBだった。初めて日本人にあった。残念。

14−2 出発
 観光を済ませてからいったんホテルに戻れるというので、観光グッズだけを持って出かける。汗をものすごくかくので、この措置は大いに助かる。感謝。
 
14−2−1 ジェノサイド慰霊碑 (0835〜0905)
 トルコによるアルメニア人虐殺の歴史は、前回イランに行った時に目にした。その時には残酷な写真なども見てある意味ショックだったが、今回は慰霊塔をみただけ。
 このジェノサイドではアルメニア人100万〜150万人が虐殺されたというが、トルコはこれを認めていない。自国のことには目をつぶって他国のことに口出ししようとするアメリカ下院でこのことを議決しようとする動きがあるが、トルコは猛反発をしている。そんな中、これを認めている国々はここに植樹をしているという。ただ、日本のはない。

14−3 エレブニ遺跡 (0940〜1045)
 紀元前5〜7世紀、最初の王朝ウラルトゥ王国時代アルギシュティ1世とサルドウル2世によって築かれた城塞都市。
 入り口横にある彩色の施されたところは軍隊の見張り所とか客が来たときの謁見所であるとか言っていたような気がするが・・・。
 その先にはまたもやくさび形文字。アルギシュティ王がこの地を治め、ここがその中心であった、と言うようなことが書かれているという。エレブニとは勝利という意味であるとの説明もなされた。
 次のハルディの神殿ではレリーフに彩色がなされていた様子が分かる。その後ろからは町の様子が一望できた。
 スーシの神殿は紀元前8世紀当時の物。ただし、石垣だけで中は再建したもの。といっても石だけでどこをどう作り直したのはは不明。入り口のくさび形文字は本物。その前には生けにえ台もあり、儀式や集会が行われたと考えられる。
 他にも宮殿や商店、軍の施設などがあったと考えられ、水は石の管で運んでいた。これは後の博物館で実物を目にした。
 つぼがたくさん発見された貯蔵庫というのもあった。
 ここからの出土品は近くの博物館に保管展示されている。

14−4 ホテル (1055〜1215)
 ホテルに戻って風呂に入り、最終の荷作りや着がえをしてから少し横になった。
 荷物はふたりで50kgほどになった。。

14−5 昼食 (1230〜1350)
 スープ、肉パスタなど。アルメニア最後の料理が何故かパスタ。ただ、このほかは伝統的なアルメニア料理。おなじみの物が並んだ。

14−6 空港
 そこから20分ほどで空港に着いた。中にはいるのに何の検査もなくチェックインカウンターへ。ただ、あまりにもスムーズに行き過ぎて空港税を払いに行った添乗員が逆にあわてた。それがないといくらカウンターに並んでいても手続きができないのだ。そのうちに我々の後ろに他の客も並び初め、なんとめいわくな一団になってしまった。
  ようやく添乗員が戻ってきて空港税の支払い証明書と切符をくれて手続きが始まった。すると我々の前にいた北海道もんが、重量オーバーで引っかかる。27kg近くあったのでだめだという。あれほど添乗員が23kgくらいまでに抑えてくださいといっていたのに何たること。
  次の我々は併せて50kgちょいだったが、ビジネスクラスなのでOK。まだ10kg余裕があるので北海道もんの分をこちらにと言ったがスーツケースの中に入れないと駄目というので仕方ない。うまく数字合わせしてくれればいい物を。そこで北海道もんはコニャックの小瓶とはちみつを手荷物にすることにしたのだが、簡単にOKとなった。確か水物は駄目でしょ。しかもアエロフロートはアルコール持ちこみ禁止のはずでしょ。

14−7 手続き
 さて、搭乗券を手にするには、荷物を預け、座席指定を受け、更に指紋登録というのがある。初めに右の人差し指、次に左の人差し指。これがなかなかうまくいかない。人によっては30分もかかったという話を聞く。恐る恐るやってみたが、案の定二人とも一発でOKというわけにはいかなかった。順の場合、係員が上からギュッと抑えつけてようやく発券された。となりの年寄りはやっていない。添乗員が何故?と問いただすと年寄りはいいのだと言うことだった。何時からこうなったのかわからないが、確かに年寄りは力も弱く、なかなか大変なのでやめにしたようだ。

14−8 出国
 出国もいたって簡単だった。順番待ちをするところは1か所なのだが、窓口はいくつもある。空いたところが順につめる、いわゆるフォーク並びをしている。なるほど、これは合理的だ。
  そのあと、免税店をみていると、先日買ったのと同じコニャックがあった。値段をみるとなんと・・・こちらの方が断然安い。1本につき10$以上も安い。こんなことってあるのか。この前行った店は直営店なのに。ショックですぐに添乗員にその旨を伝えた。彼女も知らなかったようだが、これではサービスがサービスではない。大損だ。

14−9 機内で
 乗りこむのが早すぎた。席に着いているとみんながジロジロと見ていく。ばつが悪い。
 おしぼりでさっぱりした後のウエルカムドリンクはまずジュース。
 16時15分に離陸するとすぐに飲み物サービス。順は相変わらずの赤ワインを頼んだが、則はコニャック。機内販売だと4$もする代物だ。飲み物のワゴンがずっと横に置きっぱなしになっているので、グラスが空になるとすぐに次いでくれる。
 そのうちに食事。ナプキンを敷いてレストランばりの食事は、目にも美味しい。チキンとミートを選んだ。
 飛行機はほぼ予定通りの18時42分に着陸。これなら乗り継ぎは心配ないだろうし、荷物も大丈夫だろうと思った。が、なかなか駐機場に着かずイライラした。降りるのは乗ったときの前ではなく中央付近なので、後ろに戻る形になった。これもややイライラ。

14−10 モスクワ
 ここからモスクワ時間に直す。時差で−1時間。
 乗り継ぎの手続きは来たときと同じ所。空いていたのですぐに終わった。また同じ所で待つことになる。先ほどの機内でガメタコニャックを北海道もんにあげる。
 そろそろ手続きも始まるころだろうと並ぶと、なんとすぐ後ろに友人がいた。20年ほど前に同じ職場だった人で、その後も何度か一緒に食事などをしたことがある人だ。則も一度会ったことがある。私より若いのだがすでに退職している。懐かしい話をして別れた。
 その後、また話しかけられた。今度は2003年に北欧に一緒に行った人だ。向こうはよく覚えていたようでいろいろと当時の話をした。日本でも会ったことがないのに、こんな偶然があるものかと驚いた。

14−11 機内
 とにかく座席がいいのでゆっくりとできるのが幸せだ。
 19時45分に離陸するとその1時間後には食事がでた。簡単に日本食メニューにした。前菜は先ほどの機内と全く同じ5点盛りだったが、食べた。スープはみそ汁。日本そばもついて久しぶりに美味しい。うなぎもアイスクリームも美味しかった。
 それからシートを完全にフラットにして熟睡した。