8月6日(月) 軍用道路 アナヌリ要塞 グダウリ カズベキ(グルジア)

ホテル(0840)−アナヌリ要塞(0950〜1040)−川の合流地点(1105〜1112)−展望台(1053〜1105)−ホテル着・昼食(1213〜1315)−友好記念塔(1335〜1400)−十字架峠(1410〜1425)−カズベキ(1525〜1700)−ホテル着(1758)−夕食(1900)
                                            〈グダウリ泊〉

5−1 朝
 今朝も則は3時頃には既に目を覚ました。一方順の方は、ほぼ1時間おきに目を覚ます感じで、時間的には寝ていたものの熟睡という感じではなかった。
 今朝の出発は8時半。6時半からの朝食に行く。中身的には昨日と同様だが、充実度が高いので、同じものを食べると言うことはない。特に蜂蜜が板状に置かれていたのが興味深く、順は壊すのを憚られたが、則がエイヤッと切り取ってくれた。甘くて美味しかった。
 
5−2 出発
 両替を駆け込みでする人などがいて、少し出発が遅れた。
 今日はスキーリゾート地としてオーストリア中心の資本で開発されつつあるグダウリを一旦抜けてロシア国境近くのカズベキ迄行き、カズベキ山を望んでからグダウリに戻るという行程。
 今日から座席が全体をAB二つの班に分けて、最初に当番の班から好きな席に座り、そのあとの班は残りの席に座るという方式になった。私たちの班はAで、本日の当番。二番目の座席(実質一番先頭)を占めた。目指すはカズベキだ。
 写真右はこれまで何度か出てきた聖ニノの像と聖ニノの十字架。ニノはブドウの枝と彼女の髪の毛で十字架を作ったので変形の十字架が出来た。その十字架の形が写真に示したもの。途中で見えたの、文脈とは無関係だがでついでにここで説明した。
 
5−3 軍用道路
 走る道路は「軍用道路」。全長約210kmの道路で、帝政ロシアによって軍用道路として整備されたので、この名がある。
 広い道を通って快適にバスは進んだ。やがてダムが見えてきて。奥行き10qあるというダム湖(ジンヴァリ湖:南北12km)のそばを通る。(写真右→は後日ジュワリ教会-トビリシ−を訪れた際に展望したグルジア軍用道路。我々はこれを北上した。)

5−3−1 アナヌリ要塞で
 その先に、アナヌリ要塞(教会)があった。現在我々の進んでいる道路は要塞の背後を通過する。しかしながら往時は要塞の下を通っており、ここが軍事的に重要な場所であった。ただ、1970年代に建設されたこのダムのせいで、十数カ所の集落が湖底に沈んだおり、その道路も同様の運命を辿った。
 15世紀と17世紀に建てられた教会と、狼煙台は幸いに残された。貯水池を背景にしたこの教会は絶好の被写体となっている。
 始めに大きな方の教会へ行った。こちらが17世紀に造られたもので、入口には大きな十字架の両側に大天使ミカエルとガブリエルが描かれていた。中に入るとイコンが並んでいた。特に正面の2段になった部分は見事だった。
 それから湖がきれいに見られるというので囲いを乗り越えて鐘楼のある所へ行った。湖底に沈んだかつての道路も見られた。その辺りでは泳いでいる人もいた。
 その囲いの上の飾りや墓の紋章がニノの十字架だった。
 次に小さい方の15世紀に建てられたという方へ入ってみた。中には何もなくがらんとした風だったが、よく見るとフレスコ画が残されていた。
 それから狼煙台に上った。景色がいいだろうと勝手に決め込んで狭い階段を上っていったが、上はしっかりと囲まれていて、わずかに開いた穴から覗けるだけだった。が、よく眼にする教会と湖の写真が、ここから撮られたのではないかと思える角度で見られた。
 青空トイレを済ませてからバスで出発した。

5−3−2 川の合流
 途中羊の大群に道を遮られたりしながら川の合流地点という所で撮影タイム。白い川と黒い川が合流しているというのだが、目をこらしてみてもその違いはあまりよくは分からなかった。ただ、それを現す鹿の像などもあるのだからこの地方の人にとってはやはり特記すべき事項なのだろう。(写真右→:上の方の川が合流後も何となく色が濃いことが分かるだろう。)

5−3−3 帽子屋さん
 しばらく走っていくと帽子屋さんが何件も並んでいた。そのうちの1件の前でバスは止まり、帽子を見せてもらうことになった。手編みの帽子や羊の毛で作った帽子などをかぶせてもらった。我が家は購入しなかったが何人かが買い込んだ。そこのおばあちゃんは90歳過ぎているというが、いい顔をしていた。

5−3−4 展望台
 草で覆われた山々が続く中、遠くには鋭い頂を持つ山も見えるようになってきた。
 かなり高い所まで上ってきたようだ。と、そこで展望台があるというのでしばしストップ。展望台といっても突き出すように造られたかなりスリルのある所で、うっかり柵に全体重をかけるとそのまま落ちてしまうのではないかと思われるようだ。
 確かに見晴らしが良く、また足下には高山植物が咲き乱れていた。 

5−4 グダウリのホテル
 昼食を摂るために一旦今夜泊まるホテルに入った。
 この辺りはスキーシーズンにはかなり賑わうのだろう、あちこちにホテルが建てられていた。建築中の物も合わせるとかなりの数になりそうだ。(オーストリア資本の開発の手が入っているらしい。)
 ホテルはこぢんまりしているが、全員が泊まれるだけの客室は持ち合わせている。とりあえずスーツケースをおろして昼食場所へ行った。
 窓を開けると涼しい風が入ってきて、高原地であることを肌で感じた。
 昼食はビュッフェスタイル。ビールは前日ドイツ人の団体が飲み切ったということで、夜までには何とかするという訳で無し。ワインは夜まで取っておいてくれるというのでフルボトルを頼んだ。35ラリ也。半分ほど飲んだ。グルジアワインの最高峰の銘柄だけのことはある、とてもまろやかで美味しかった。

5−5 友好記念塔 (1335〜1400)
 更に軍用道路を北上する。この辺りは新しいホテルが建築中だということは先述の通りだが、その一帯を過ぎた辺りから、旧ソ連時代の建物が廃墟となって放り出されたままになっているものが目につくようになってきた。この落差が大きい。他に転用できるような施設ではないのだろうか。それとも使いたくもないのか。こういうケースは各所に見られた。かつてサナトリウムがあったということで栄えた村も今やその面影もなくなっていたり・・・というぐあいだ。
 さて着いた所は友好記念塔という、ロシアがグルジアとの友好200周年を記念して1983年につくった展望台だ。この緑一杯の自然の中にどうしてこんなに派手派手なものを造ったのか大いに疑問に思えるのだが、仲違いした今でも壊さずに残している上、修理中なのか鉄骨を組んでいるのも不思議だった。
 この派手な絵にも意味があって、いろいろと説明してくれたが・・・。
 この周りにも花がたくさん咲いてきれいだった。

5−6 十字架峠 (1410〜1425)
 14時過ぎにようやく軍用道路の最高地点である十字架峠に到着。白い石の上に鉄製の十字架が立っていた。高さは約2400m(峠の十字架には2435Mとなっていた)の峠になる。
 峠に十字架が立てられたのは11世紀。イスラム教国のオセチアとの境界を示すために木製の十字架を立てたのが最初という。その当時の場所は本来の軍用道路の方にあるので近付くことができず、こちらの方で皆記念撮影をした。少し上にも十字架があり、この撮影ポイントが一番高い地点ではないが、道路としての最高地点ということだろう。
  上の写真は道路脇にある現在の十字架峠のポイント。一方、右の写真はその地点から遙か遠くにあるその昔の十字架峠の十字架と思われるものを撮影したもの。下記に述べる抑留ドイツ兵による道路開削によって上の写真の位置に写されたものと思われる。この道路の長い長い歴史が伝わってくるようだった。

5−6−1 ドイツ兵
 近くには強制労働の犠牲になったドイツ兵の墓があった。こんなにきれいな所に眠っているなんて幸せだね、と言ったら、「死んじゃあお終いよ。故郷の方がよっぽどいいに決まってる。」と言われて自分の浅はかさを恥じた。(捕虜は実際にはこの場所で寝起きしていたのではなくもっと奥地からここへ働きに連れてこられていたらしい。)そこからしばらくの間、その捕虜達が掘ったトンネルが続いていた。雪のために通れなくなる道を通るためのトンネルということでかなり苛酷な労働だったらしくその分犠牲者も多かったそうだ。丁度北海道の開拓期に囚人達に造らせた道路(一番の例は網走道路)のようだ。ちなみにこのトンネルは戦車が十分通れるような大きさで作られていた。現在夏場は牛などの格好の暑さしのぎの場所となっているが、冬はなお現役らしい。
 そういえば今日は8月6日。日本にとっても忘れられない日だ。

5−7 鉱水
 そこから少し走った所に周りの山とは明らかに違う山があった。色は赤茶。丁度中国の黄龍にもあったような場所だ。非常に鉄分の多く含まれた山で、そこから流れ出る水は純粋のミネラルウォーターだ。道の反対側の少し下ったところにわき出している場所がある。ただ味の方はあまり良くない。それでも、ペットボトルにその水を入れる人がたくさんいた。特に現地の人は大きな容器を持ってきて入れていた。
 万年雪を見たり牛の行列を見たりしながら最終目的地のカズベキにようやく着いた。

5−8 カズベキ(1525〜1700)
 駐車場には何台かの車が駐車していたけれども、静かな町だ。登山姿の外国人をよく見かけた。ここはその拠点にもなっているらしい。が、我々の目的はただ一つ、カズベク山(5,047m)を望むことになる。
 ただしこの山、なかなか山頂を見せてくれない。よく見えるという橋の所でしばらく待っていると「みえた!」と言う添乗員さんの声にあわててシャッターを切る。が、それはほんの一瞬のことで、見逃した人もいた。幸いというか我が家は二人ともカメラに収めることができた。上の写真はそのときの瞬間。拡大で分かるように、頂上がほんの一瞬見えた。これは後で、見えなかった人のために印刷して回覧した。
 しかし、山頂が見えたのはこの時だけ。その後もずっと粘って待っていたが、結局見ることはできなかった。左の山の上にあるツミンダ・サメバ教会はとてもきれいに見えていたのに、残念だった。右の写真は途中の道路脇の看板。晴れていればこう見えるはずだった。

5−9 再びホテル
 帰りは寄り道をしないでホテルへ直行したので、約1時間で戻ってくることが出来た。
 まずは部屋割り。我々はフロント階なので荷物は自分たちで運んだ。部屋は102号室。バスタブはないが、他は一通りそろっていた。
 夕食はビュッフェスタイル。まずはビールを飲んでから、昼間のワインを飲み干した。
 外は星がきれいに出そうな気がしたが、見る間もなく眠ってしまった。